2012年12月27日木曜日

アップダウン

先週から今週に掛けては、慌ただしい日が続いている。

2つの生コン工場での試験練り実験が大きな事であるが、それ以外にも大きな失敗をして凹む中、素晴らしい技術者に出会い、またまたパワーをもらったりと、アップダウンの激しい月末だったように思う。

その他、プライベートでも、大きな買い物をしたり、とセワしない。

先週から数えて、研究室の机の前には合計してもあっという間しかおらず、結構な事務作業が溜まっていて、メールを見るたび、「再々連絡」「催促」の件名が溜まっている。今日は、打合せもあるが、合間合間にそれをこなさないと。

2012年12月13日木曜日

師走

フェイスブックにも書いたが、明日から香川県に用事があり週末は不在にするので、衆議院選挙の期日前投票を朝一番で済ませてから大学へ。

投票所にて、私は三人目で、一人目の人が投票箱を確認するのが見えるかなと思ったら、期日前投票の箱の確認は初日のみだったようだ。その代わり、一人目の人は投票箱に入れる直前に、前日最後だった投票者(推定)が封印していた封筒から鍵を取り出して、目の前 で、投票箱の鍵を開けるのを確認させられていた。それを選挙区、比例、最高裁、と3回繰り返す。途中、誰も開けていないことを証明するためだろう。最終日の施錠と開票はどうするのだろうか。今度は職員が確認するのだろう。

不正を防ぐ一連のシステム、と考えると、自分だったらどういう風に設計するのか、いろいろとアイデアが浮かぶ。ただ、実際に鍵を封印した封筒と、次の日(や、開票所)にて開封する際の封筒が同じものであることはどうやって担保するのだろうか。粗探しをしているのではなく、設計者が何を達成目標にするのか、コスト、時間、社会が納得するバランスも考えて、そこそこ妥当なところを決めているのだろう。
 午前はゼミ、午後は数件の打ち合わせをしながら、学生に担当してもらっている供試体製作のアドバイス。

忙しいさなかに、1件の不思議な電話がかかってくる。開口一番、私の研究について聞きたいことがある、という問い合わせだったので、これは丁重に対応しようと頭が切り替わる。質問の要領が得ないのだが、鉄筋腐食、コンクリートの劣化について、化学的な観点から畳み掛けて問いかけがあったので、たまたま私の論文を読んだ土木を専門としない化学屋さんが連絡してきているようだった。質問の名を借りながら、実際には自分がコンクリートの劣化とはこういうものではないか、こういうメカニズムではないかと主張してきて、私が適宜、土木としての見解を述べて修正していく、ということが続いた。とにかくよくしゃべる話好きのオヤジで、結局私の論文への質問でないことが明白で、話をさえぎって切るタイミングを計っていた。すると最後は、結局、自社で開発している分析機器を売ろうとした営業の電話だった。迂闊にもそれに気づくのが遅れた自分のふがいなさと、大事な時間を無駄にした徒労感!愚痴を言っても仕方がないが、私にも付け入る隙があったのだろう。

2012年12月12日水曜日

現場!

今日は現場にて調査。表面吸水試験を用いて、構造物の表層品質を評価するものである。同時に、試験機の一般販売のための技術移転の打ち合わせも兼ねている。
  
研究の改善アイデア、装置の改善のアイデア、など、実物を見て他人の意見を聞きながらだと、どんどん湧いてくる。ある材料を適用したところに、今まで見たことのない吸水現象も確認できるなど、またまた勉強になった一日だった。

現場となると、計測を実施することだけで手いっぱいになってしまい、ともすれば作業だけで終わってしまいがちであるが、学生がきっちりやってくれたおかげで、自由にディスカッションすることができた。

学んだことを忘れずにフィードバックしたい。

2012年12月7日金曜日

交流


本日金曜日は、午後は県内の生コンプラントで打ち合わせ。担当学生が都合が悪く、単身で乗り込む。数回の電話打ち合わせの後、実際に担当者とお会いして実験の詳細打合せになった。先方は生コンのプロで、私の気づかない点などを指摘していただける。こういう場で得るものは大きい。

夜は、教室の教員懇親会。普段顔を合わせたり話をしない先生方とは、こういうイベントでしか話をする機会がない。私の職名上、普段顔を合わすことはないのだが、同じ教室を運営している身としては、普段交流がないというのは改めて複雑な気持ちになる。与えられるものではなく、自発的に動かなければ何も変わらない。

2次会では、少人数で、これに関連してか、教員の成長、人材育成、というテーマとなりまたまた熱くなった。

夕方、大きくて長い地震があったようだが、出先の早く仕事が終わり、一足先に懇親会会場へ移動している徒歩中で、周囲に人や建物がいない場所を歩いていたので、全く、気づかなかった。ほかの人からは、あの地震に気づかないなんてと、呆れられたが。

2012年12月6日木曜日

高校生

年に2回程度、オープンキャンパスとは別に、不定期で高校生の見学を受けることがある。大学の入試課から連絡があり、いつものをお願いします、という感じで連絡があり、どかっと20~30人の見学を受け入れる。研究に関する一通りの説明の後、高強度コンクリートの圧縮試験をするのが恒例になっており、それを期待されている節もある。

多分、彼らは横浜国立大学を見学に来て、いくつかの学部、学科を見学しているのだろうと思う。前後はどこを見ているのかは知らないが、少なくとも土木・コンクリートを希望して話を聞きに来ているわけではない。


今日は私が対応させていただいた。30分というと、全くコンクリートや土木に興味のない(それ以前に、興味を持つ/持たないの対象にすら思っていなかった、のが正解だろう)人にとっては、苦痛に感じるかもしれない。その30分で、如何に興味を持ってもらうか、土木やコンクリートの正しい認識を植え付けるか、プレゼンの場である。

先日起きた、中央道での天井の落下事故(事件)の話から始めた。 屋外に設置(放置)している、耐震補強の実験供試体、日本中から取り寄せている劣化したコンクリート実物、等を見せながら、メンテナンス、既存不適格の補強、補修等について、平易な言葉で説明した。東日本大震災のこと、先日の落下事故のことと絡めながら説明して、たぶん聞き手の知識と繋がったためか、雰囲気は伝わったのではないかと思う。

ちょうど先週訪れた、軍艦島で極度に劣化、崩壊した写真も見せられたのは、メンテをしない極限はこれだ、ということで効果的だったようだ。


私の訓練不足でつい話が長くなるので、自分自身へiPhoneのプレゼンタイマーをかけて、10分、20分と呼び鈴が鳴るのを聞きながら、最後の5分で、恒例の圧縮試験をして、終わった。

耐久性、メンテナンスという、タイムリーな事例を軸に、一貫したテーマで話をしたことは、興味を抱いてくれたのではないかと思う。普段は、あれもこれも研究していますと、情報を詰め込み過ぎて、消化不良に陥ることが多い。今回は、テーマを設定して、それに徹した。口述なので、何度かの繰返しもあったが、そのくらいがちょうどよいと思う。高校生の反応は素直で、見ていると、きちんと、うなづき、笑顔、等でわかってくる。


レベルが低い話とは思うが、私自身がきちんと目的意識を持って、自分自身のプレゼンを見直し改善することが大事と、非常に些細なことであったが、再確認した30分であった。


2012年12月5日水曜日

自省

転職、異動の話は、一般的には事前にあまり公開しないべきなのかな、という雰囲気を感じながら今に至っていたが、大学でも研究室でもそれに向けて体制を構築していることもあり、切り離すことはできない。

来年3月1日付で、私の出身地の高等専門学校に准教授として赴任することとなった。ということが決まって、すでにあっという間に2か月半が過ぎてしまった。その時は、5か月も先だから、まだまだ、と思っていたが、すでに、その期間の半分を過ごしたことになる。

以前から、スタッフが抜けることは将来は起こりうることとして研究室の体制も構築してきていたが、やっぱり実際に決まってみると、いろいろとやり残したことはある。

引き継ぎの取組の一つとして、実験室を中心に、教員や学生に私の知っていることを伝える、口述をする場を設けることとなった。1回30分で、実験室の器具を見ながら、あれはこう、これはこう、と注意すべき点を、私が語ったり、質問を受けるものである。かれこれ、4回を終えて、考えると、もう実験室で2時間もしゃべり続けたことになる。まだ数回続く予定である。

話をしていて、押しつぶされそうになるのは、問題を認識しておきながら、保留になっていることがなんと多いことか。自分の責任でもあり、仕事の進め方として、果たして適切であったかどうかは、時間がたった今、反省すべきことは多々ある。それも当時の実力として、次に生かすことはもちろんではあるが、すぐにでも改善できることは、行っていきたい。また、ディスカッションをすることで、独善的に考えていたことも気づく。

他にもいろいろと気づかされることが多いが、この口述の機会自体については、継続は力なり、ということを改めて感じる。一度に2時間もしゃべったら、疲れるし、話を聞く方がもっと大変である。でも、1回30分なら何とかなる。


日記が途絶えていたが、やはりこの2か月は、転職以外に現場調査だったりと、忙殺されていた。でも、この残り2か月半は、横浜国大を去るにあたって大事な時期であるとともに、私が、横浜国大から学ぶ最後である。人生の転機でもあり、きちんと自省することが大事だ。自らを省みること、また、省みる時間を作ることこそ、無駄に、雑に過ごさない大切な方法だと思う。ということで、日記を書くことを一つの優先事項に捉え直したい。

2012年10月25日木曜日

ふたたび長崎へ

私の故郷の一つは長崎市である。小学校5年、6年、中学校1年の3年間、過ごした。長崎といえば、異国情緒あふれる街と原爆を投下された街、というイメージであるが、実際に過ごした3年間はまさにその通りに感じていた(その後20年で、イメージが作られている可能性もあるが)。8月9日は、夏休みの全校登校日であり、原爆教育が行われて、それが当たり前だと思っていた。地元のお祭りなどに見られるように、中国とオランダの影響を受け、生活に密着していたように思う。

しかし、まだ世間を知らない年頃であったためか、長崎の本当の価値に気づかないまま引越ししてしまったように思う。当時はまだ、歴史、特に幕末の知識はほとんどなかった。特に、シーボルト、お滝、については同名の長崎名菓のCM等で毎日毎日耳にしていたのに、実際に何者なのか、知らないまま、今に至っていた。医療を教えてくれた親切な外国人、という程度であった。


8月の長崎への研究室夏合宿に行くに当たり、幕末の長崎をきちんと知りたくて読んだ本は、吉村昭の「ふぉんしいふぉるとの娘」であった。文庫本であるが、上下巻で1000頁は読みごたえがあった。まず、長崎の出島の開港とはどういうもので、華やかなイメージとは裏腹に、そこに暮らす外国人は孤独に苛まれながら、悶々と過ごすという描写に衝撃を受けた。その中で、シーボルトは、一言でいえば、日本のスパイであったことは、目からうろこであった。シーボルト(ドイツ人で、国籍を詐称している)およびオランダは、当時の世界の謎であった日本研究のメッカであり、彼が優秀な日本人(高野長英、他)に、オランダ語や医療の指導のためと称して、オランダ語で書かせた日本レポート(テーマは日本の医療事情に限らず、インフラ、社会制度、などありとありとあらゆるジャンル)が、そっくりそのまま幕府の目をふれずに、オランダに送られて日本研究の資料になっていたとは!!!結局そこで研究されつくして、諸外国に日本の攻略法が伝わった結果、あの当時、諸外国が押しかけて日本の開国につながっている。全部理由があったのだ。

私が読んだ日本における彼の伝記やその他の記述は、親切心から誤って贈られた日本地図が見つかって日本追放になってしまった可哀そうな人とあるが、実際は正反対でシーボルトが周囲の反対も押し切りながら血眼になって地図の入手に手を尽くし、最終的に幕府にバレて、関わった数多くの日本人が処刑、処分されたことは、なぜ伏せられているのだろうか。詳細はともかく、吉村昭の詳細な記述のおかげで、長崎の本質がわかった気がする。蛍茶屋や日見峠が、当時の長崎の入り口になっていたことも、合宿中に何度かバスでそこを通る度に、当時の思いを馳せることができた。今回の長崎の夏合宿では、シーボルトの住んだ「鳴滝」を訪れる時間がなかったのが残念であった。

合宿は、諫早湾干拓事業、雲仙普賢岳見学を終え、合宿のメインであった軍艦島の上陸は、悪天候で叶わなかったが、上陸しない周遊クルージングにおいて、長崎港の詳細な解説があった。長崎がいかに三菱重工に依存しているのか知り、岩崎弥太郎の時代からの長い歴史について知りたい欲求が高まった。

そんな中、津波の橋梁へ及ぼす波力に関する研究に携わらせていただいている関係で、今度10月29日に長崎の三菱重工で行われる津波の模型実験を見学させていただく機会を得た。さらに、翌日には女神大橋の見学もオプションで行っていただけるとのこと。参加することにした。

そこで今回の事前予習として自分に課したのは、まずは、三菱重工で建造された世界最大の戦艦「武蔵」の建造を描いた吉村昭「戦艦武蔵」であった。広島呉で作られた戦艦大和はあまりにも有名であるが、全くの同じ寸法の2号機が戦艦武蔵である(と今回知った)。呉では、軍事工場での建設なので、1号機という困難はあったが比較的無事に建設が行われるが、長崎では民間の工場なのに秘密を守る必要があった。高熱隧道に見られるあの重苦しい戦時中の描写から始まり、最高軍事機密の巨大な船が秘密裏に作られるさまは、息が詰まる。作業員は、秘密漏えい防止のために、自分が作る部分の図面しか与えられないので、いったいどれだけ大きな船を作っているのすら想像できなかったという。あの狭い長崎港で、グラバー邸からも見下ろせるあの場所で、市民に誰にも見られずに、1000人を超える民間作業員から情報が洩れずに世界最大の巨艦を作るのは、想像を絶する。詳細は、読んでのお楽しみであるが、ここでは一つ。進水の際、巨大な鉄の塊が押しのける水で、長崎港内に1mの津波が起きたという。

せっかく長崎に行く機会を得たので、観光なんかではない、前から行きたかった、これも三菱重工の資料館を訪れることにした。失敗学で有名な畑村洋太郎氏が、人類が経験した貴重な失敗である、タービン事故でのタービンの実物展示がなされているので有名な資料館である。それ以外にも、岩崎弥太郎からの歴史が凝縮されているらしい。楽しみだ。

2012年10月24日水曜日

概念

最近はまっている猪瀬直樹のツイッターでの有名なフレーズは、「睡眠の貯金はできないが、借金は返すことができる」。

食いだめ同様に、寝だめはできない。できないことだけ見ると、特に学生時代に焼肉食べ放題に行った後などは、何と残念に思えたことか。しかし、たまった睡眠不足、疲れは、ある程度寝ることで回復できる。これまでに足りない睡眠時間の合計だけ全部眠らなければならないわけではない。借金なら、借りたものをすべてに加え、利子も必要となる。睡眠のこの概念は、当たり前だが、面白い。

工学系の研究者、教育者として思うことは、世の中にあるいろいろな概念(考え方、法則)等を適切に使うことができることが、良い研究につながるし、研究だけでなく人生を謳歌することにつながると思っている。

これは、私のコンクリート研の同期のI端も同じ考えのようで、大学院時代はよく議論していた。

例を挙げると、「平衡」という概念は、確か高校の化学で習ったものの、いろいろなところに応用できる。最近では、福岡伸一先生の動的平衡の本などでも紹介されいるが、常に動き続けているものが、あたかも止まって存在しているように見えること、である。(準備不足でうまい例をあがられないが)そのような考え方を獲得すると、あまい細かいことにこだわらないでも、結果オーライであれば、別にいいじゃないか、ということも思えてくる(要推敲)。


西堀栄三郎の技士道や、畑村洋太郎の失敗学、のような観点を取り込んだ、私が実践してきた技術者論、発明法、について、数年かけてトピックを挙げていき、末には本を書きたいと本気で思っている。

東名高速道路の調査

まず、NEXCOさんから、調査対象構造物の名前は出してよいという許可をいただいているので、その旨を書いておく。勝手に暴露するものではない。

昨日、我々の開発した表面吸水試験を用いて、東名高速道路の橋梁部の主桁の調査を行った。経年50年の実構造物を調査できるというのは、願ってもないチャンスであり、ここ数日は果たしてうまくいくか不安であった。というのは、我々の手法は、壁面、水平面上面に適用できると既に発表しているが、今回は適用部材外を測定することが必要であり、それをどうするかが問題であった。

それについては、実際には以前からの腹案があったので、調査実施を決断したのだが、時間がとれずに実際に開発に取り掛かったのは2日前であり、手持ちの部品を組み合わせて何とかプロトタイプを作ることができた。今回は、我々の得意とする手法の適用と同時に、プロトタイプをいきなり実構造物にトライする、という2つのミッションがあった。話せば長くなるが、いろいろとトラブルはあったものの概ね想定内で、満足する結果を得た。

学内にいると、なかなか実務上でのニーズをつかむことは難しく、実務者とのディスカッションによって実際の問題や、そのヒントを得る。あったらいいなと思っていた段階では、研究者の自己満足かなとも思っていて開発のモチベーションが得られなかったのだが、たまたま(というよりも、引き出す努力を続けた結果)、かなり強いニーズがあることが得られ、今回の開発につながった。


反省点はいくつかある。開発者として乗り込んだが、自分のことで手いっぱいのところがあり、同行した留学生を含む学生4人に対しては、今回の意義や、現場のことを適切に解説できただろうか。できる範囲では行ったつもりだが、まだまだ改善が必要と思う。私自身、この10年以上、現場でいろいろな話を聞き、周囲の方々に育てていただいた。現場調査で学生を帯同する際には、その恩返しを学生に対して行わなければならない。

大学生は、作業者ではない。現場調査(見学でない)の数については、日本でも多い部類の研究をしているが、現状では参加希望学生が手を上げすぎて困る、という状況になっていない。それは、やはりPRも足りないし、得られる(と学生が思っている)ものも天秤にかけてのことかもしれない。



さて、構造物の名前がどうこうというのは、私にとってはあまり重要ではない(有名であれば、それは何だかうれしいが)。しかし、私の研究活動を陰で支えてくれている、家族にとっては、実感がわく知名度が高い構造物を調査することは、非常にわかりやすい。表面吸水試験装置という名前は覚えてくれたが、それが何に役立つのかはまではよくわかってもらえない。でも、東名高速道路の調査をしたよ、というのは、家族にとってはとても分かりやすいシンボルである。


2012年10月8日月曜日

予防保全と事後対応

我が家の愛車は、新車から数えて8ヶ月である。無料6ヶ月点検を、昨日遅ればせながら実施したところ、ボンネットの塗装コーティングが割れているとの報告が。鉄板の腐食が始まるよりも、まだまだ前の段階であるが、表層にダメージを受けた状態であった。ガラス質のようなものが、直径2cmぐらいはがれている箇所が、3ヶ所ほど。

サービスマンに聞くと、付着した樹液が、太陽の熱を受けるとさらに熱を持ち(化学的なアタックは説明なし)、コーティングを破るという。土木工学棟の駐車場で樹液を受け、家に持ち帰り炎天下で促進養生が行われるというメカニズムであった。

購入前に、5万円プラスアルファで、ボディのコーティング(製造時しかプラスできない特殊処理)を勧められたが、色が汚くなっても構わない、と断っていたのだが、今回、もし直すとしたらボンネットを外して再塗装ということで5万円かかるという。予防保全は初期費用が高くても、トータルのライフサイクルコストは抑えられる、という、社会インフラの維持管理と同じことが、私の車でも起こっている。

とはいえ、桜の木の下に位置する土木棟の駐車場に停めることはしばらく続くし(車通勤をやめる予定は、先延ばしにしている)、そもそも、私の車に対する評価基準は、色や綺麗さは今回は重視せず、少なくとも10年、できれば15年は燃費ともども、走行性能は犠牲にせずに持ってくれることである。中古で売ることは現時点では考えていない。ボンネットに穴が開いて、結果としてエンジンに負担がかかるという最悪の事態を避けられれば、特に、気にしないという初期の思いを改めて思い出した。

先日、福島の日本大学の岩城先生が主催した橋梁の維持管理シンポジウムに参加したが、ある講演では、通常の橋梁は維持管理をして延命させるのが、15m未満の小規模橋梁は使い倒して架け替えたほうがトータルとして良いという話もあった。車に何を求めるか、方針がぶれてしまっては、結局、いろいろとお金を払ってしまうことになるので、気を付けなければ。

2012年9月15日土曜日

解決

何度も登場するが、表面吸水試験装置の現行バージョンの最終版の開発が佳境を迎えている。


4月のオランダ、7月のベトナムで測定した際に、一部で、原因不明のノイズが載ってしまい、困っていた。どうしても原因がわからない。ところが、先日ある人に相談して、その人のアドバイスも受けながら徐々に原因を絞っていき、一気に解決した。動作原理はわかっていたつもりだが、素人の私の解釈の間違いで気づいていなかった。こうやって、専門の人に聞くことが大事であることを改めて実感。
 知見1:シールド線は、アースに繋がずに浮かせておく。 これまで、シールド線を、装置内部のアースに繋いでしまっていたので、シールド部で拾ったノイズを内部に波及させてしまっていた。
 知見2:アース線が長いと、アース線自体がアンテナになってノイズを拾うことがある。その場合、アース線自体にも高周波除去を。

同時に、計測プログラムについても、先月から、PCを変えた環境でエラーが出ていて困っていた。これは、Windowsの問題だと思い、そうなると、プログラムの開発メーカーに聞くわけにいかないし、手も足も出ていなかった。ところが、今度はロガーを変えた別の環境でも不具合が生じることがわかり、そのことがヒントとなり、プログラムのメーカーのサポートも受けながら原因が断定できた。後は、その部分のプログラムを変更することで、何とかなりそう。でも、根本から構築し直さなければならないようで、間に合うかどうか。

その日の夜、学生から、緊急連絡。100トンの圧縮試験機からオイルが漏れているという。その場に居合わせた専門業者の方に診てもらい、すんなり原因が判明。オイルの回収のためのポンプに異常があると、オイルが溢れるという、頻出の不具合という。研究室内の装置のほとんどは基本原理はわかっていたつもりだった(多くの故障事例を経験してきたつもりだった)が、まだまだ知らないことに遭遇した。すぐに、業者に保守契約している業者に手配をして、2日後には完了した。この不具合を知ったことは、私の中での良い経験となった。
ただ、この件は、私に反省すべき点がある。今年度になって、動作時に、キュルキュルという擦れた異音がしていた。何度も、これはやばいのではないか思ったものの、実際に実験は動いていることと、実際に操作をしているのは自分でなかったこともあり、業者に連絡するのを失念していた。結局はその部分が徐々に劣化して、結果としてオイル漏れとなった。予防保全ができず、事後対応となってしまった。 失敗学で言う、原理原則はわかっているけれど、自分のことと捉えられない事例だった。
 知見1:耐圧試験機には、ラムに油を送り回収するという油の経路以外に、ラムから常時漏れる油を回収する経路がある。ラム自体にはシールは無く、常時油が漏れるという。
 知見2:その油の回収には、トロコイドポンプが使われている。→先ほどトコロイドポンプについて調べて、原理を理解した。
 知見3:今回は、トロコイドポンプが原因不明(多分ゴミが詰まった等)でギアが噛んでしまっており、そのため、ゴムベルトが滑って異音が出ていた。今回はポンプ部分を分解清掃しただけで、直った。

2012年9月9日日曜日

夏合宿に思う


 まず、今年の夏合宿は、紆余曲折はあったものの、学ぶべき人は深く学べたし、火をつけるべき人にそれなりに火をつけた、という点で、成功といえると思う。特に、合宿幹事の二人は、いろいろな困難に向かいながら、頑張ってくれたと思う。参加した学生も、今年にできる限りのことを実行してくれたように思う。素直にねぎらいの言葉をかけたい。

 今回、学生全体や、特に打ち合わせをしてきた幹事には、いろいろとアドバイス(傍から見たら、口出し)をしてきた。ただし、これは、短絡的に夏合宿の体裁が整うためのものと思われていたとしたら、意図は違うので、補足したい。(1)全体には伝わらなくても、良質の「場」を提供したいのでキャッチできる人だけにプラスアルファの情報を与えたい、ということと、(2)運営のマネジメント手法を学ぶということも目的にあったので、少なくとも林ならどうするかという姿を見せる必要があると思い、それを見せてきただけである。指摘したことを学生ができていないからどうこうと思ったことは、特にない。私の評価基準として、ミスをした・しなかった、ということや、具体的な見学対象(諫早、雲仙、原爆、など)を学べた、という個別のことは、どうでもよいのである。

 夏合宿の目的は、以前細田先生は、過去の合宿の場や、ゼミにおいて、目的を10個以上目的設定している、という話もあったが、私もそう思っている。全部書くと、弊害が大きいので、全部書くつもりはないが、多岐にわたる。
・前期ゼミの打ち上げ
・秀逸な見学をすることでの知識、経験、人間力の向上
・メンバーとの交流を深める(学生同士、教員と、留学生と)
・下調べを充分に行い、受動的でなく、能動的に学ぶ
・魅力的な合宿を構築することで、下級生や外部への研究室のPRを兼ねる
・資料の探し方のスキル向上
・幹事のマネジメント能力の向上
・幹事以外も含めた学生が主体的に動くための機会の提供
・そして忘れてはならないのは、単純に、見学や旅行を楽しむ。これが一番大事。
などなど、いろいろある。細かいこと、波及効果を入れれば、100個は挙げられるだろう。

 夏合宿を実施するためなら、手段(長距離、長期間)を選ばない、このような形式にコンクリート研究室の夏合宿を変えてきて、数年たつが、ある程度最適化されてくると、昨年同様であることが、目先の合宿の成功・不成功の判断になってしまって、昨年同様にすることが目的として固定してしまう。これは私が怖いと思っている点だ。昨年〇〇をしたから云々、というレベルの話には、言い方が悪いがうんざりする。
 反論としては、毎回目的地は違うし、メンバーも入れ替わったり、学年が上がったりするので、同じ条件はないから、それでよいのではないか、という考えもあろう。しかし、何をやるにも、(細田先生も別件に対して指摘する通り)目標よりも達成する現実は下がるのが普通であり、目標として現状維持を掲げた瞬間に、昨年よりもレベルが下がるのは目に見えている。

 冒頭に書いた通り、今年の合宿としては、これでよかったと思う。あくまでも「今年」である。来年、今年の内容だったら、良かったとは思わない。
 言葉を変えると、これまでの2012年度の半期という半年間や、これまでのコンクリート研究室の歴史を、夏合宿が比較的目に見える形で反映しているものであった、といえると思う。実力テスト、のようなイメージ。普段できないことは、夏合宿になったからと言ってできるわけでない。よって、できなかったことで不満があるとすれば、夏合宿自体を反省するのではなく、今後我々が進むべき道、我々が身に着けるべき方向性の一部を表していると私は思っている。
 ただし、実力テストもそうだが、テストがあるからそれに向けて気分を一新して頑張ろう、というモチベーションもあるので、夏合宿自体が成長する要素ではあることも忘れてはならない。

今年はよかった、楽しかった、では進歩がないと思うので、来年のことを考えて、分析してみる。ただ、ここでの分析は、これらが達成できていれば今年はさらによかったのにね、というものではない。あくまでも、今年はこれでよかったのである。なかったことを望んでもしょうがない。

 話にも出てきた「幹事」についていくつか具体例を挙げたい。目的と手段の違いは、今更いう必要はないが、以下のことはすべて手段である。
・幹事が主体になって行う。
・幹事はM1から選出している。

 幹事の役割は、年々肥大化しているように思うが、これまでのやり方が目的化していないだろうか。M1が幹事で苦労をして、M2になったら楽ができる、というイメージも方々から聞かれた。そのような目的を設定した覚えはない。結果としてそうなるのは構わないが、それ自体が目的化していないだろうか。

 プロジェクトにはリーダーが必要であるが、リーダーがすべてを段取りする必要はない。一般的には、むしろ、しない方がよい。細かいことに忙殺され、全体が見えなくなるからである。軍艦島の交渉、旅館の交渉、バスの交渉、すべて同時にできないことはないが、それに忙殺されて、見学もままならなかったら、本末転倒に思う。
 また、全般的に過去に1回経験した人と、2回経験した人では、後者の方がいろいろと知識やアイデアは出てくるだろう。M2がリーダーになってもよい。それでは面白みがないので、むしろ4年生がリーダーになったほうが、もっと良くも悪くも活性化し、最終的にはプラマイでプラスになるような気もする。まあ、ここでは、誰が幹事をするかを議論したいのではないのでやめておく。

 私の意見は、単に夏合宿を高度化するという部分最適化ではないかと指摘する人もいるだろう。しかし、私はそうは思っていない。別に今年の段階では、今年の合宿はよかったと思っている。

 楽しむことも大事で、高度化していくと息が詰まるのでは、という危惧もわかる。高度化することが目的ではない。今年よりも、来年もっと楽しむには、ちょっとずつ変わっていかなければならない、ということである。

 また、提案のあった百人一首がなぜ消えたか、学生の中でくすぶっていたゼミを開催するか否かという意見が、なぜオフィシャルに少なくともプライベートにでも出てこなかったのか、が疑問である。結局、だれも触れなければ、実行しない。うがった見方をすれば、それを期待しているようにも見える。
 提案意見と、それを踏まえての行動は、別に変わってよい。しかし、そのプロセスには、きちんと意見交換をして、最適解に落とし込むことが必要であろう。立場の強い人の意見が通るわけではない。

 日本人の悪い癖として、建前と本音が異なったまま、物事が決まっていくことは、現代のやり方としてはやはり間違っている。意味がない、時間がない、など理由があればそれを公にして合意を取って、やめるべきであろう。何となくの雰囲気で、というのは、良くない。

 この辺の考え方は、合宿に限らず、最近の例でいえば、鍵の紛失事件(その後も何も音沙汰なし)、などに見られるように、根本は同じである。行動できるか、ということが試されている。

 留学生のケアも、もちろん学生だけでなく、教員も主体になりながら対処しなければならい。今回、細田先生が、その部分をカバーすると公言する異例の合宿となったが、手段はともあれ、結果としてそのように動く姿を学生および若手教員(私)に背中を見せることは、細田先生なりの目的を達成する手段であるとともに、我々への教育の意思表示である。

 勝手なことを述べたが、私は傍観者であってよいものではなく、私自身も反省するべき点はたくさん見えてきた。これは来年の夏合宿ではなく、今から行動できることばかりである。

 高校生や、他大学へのPRとしては、感想文は毎年公開しているとして、見学自体の魅力も見せることが必要と私は思っている。初年度からの数年は教員、最近では、幹事や学生担当者からのブログであったりするが、今年はどうなるのか。幹事には私の口から言っていないし、そういう流れができているわけでもない。どうしても、フェイスブックや個人のブログなどへの閉じた空間で満足しがちなので、この辺は、研究室としての重要事項として昇格する必要があろうかと思う。ちょうど、ホームページの再整理ということが始まりつつあるので、議論して再構築していきたいと思っている。

2012年8月24日金曜日

アートコンクリートの鑑賞

2012/9/9 一部、間違いがあったので、専門用語の記載を変更しました。

<嘘>

昨日、最近話題になりつつある「アートコンクリート」の鑑賞に行きました。北陸地方を舞台にして、いわゆる無味乾燥と指摘されるコンクリートの土木構造物に対して、町を挙げてアートに変えてしまおうという取り組みの一つです。

作品No.154をご覧ください。1羽の鶴が、天を目指して羽ばたく様子がコンクリート壁面に描かれています。一切顔料などの色素を使わずに、コンクリートに混ぜるセメントと水の割合を変えることで、色の微妙な変化をもたらしています。自らをコンクリートブリーダーと呼ぶ、この作品の作者の林さんは、震災や政治不信に混乱しながらも、負けずにより高みを目指そうとする力強い思いをぶつけてみた、と語っていました。手塚治虫の火の鳥の作品も思い起こさせます。




<実際>
昨日、北陸地方のコンクリート構造物の調査に行きました。最近、私が所属する複数の土木学会委員会でも話題になっていたものです。レミコン(生コン)のブリーディング(材料分離して水が浮いてくること)が多く、その影響が完成後のコンクリートに見られるとの報告を受けて、実際に見に行くことにしました。

当初、現在進行中の特定のプロジェクトの構造物群にそれが見られるという報告でしたが、独立した他の構造物も含め、現在、過去のコンクリートを見てみたところ、ほぼ全てにわたって、ブリーディングによる砂すじの跡が、私が過去に経験した中よりも多くみられました。

道路や鉄道構造物だけでなく、町の建築物の塀や、学校建築にも、ブリーディングの跡が顕著に見られた割合が多かったのが全体的な印象です。

写真は、とある道路構造物の橋脚です。耐震補強の目的か、巻立て補強をしているので、ここ10年の施工と思います。ブリーディングによる材料分離によるものと思われる、水の流れたような色むらが見られます。これは、1日の見学の中で一番ひどい(色の変化が大きい)例なので、全部がこうなっているわけではありません。また、色むらと砂すじは異なるので、耐久性に問題があるわけではありません。

骨材にその原因の多くがありそうと指摘されており、今後現地の骨材を取り寄せたり、配合を取り寄せたりして分析したいと思っています。

<備考>
写真のGPSの座標情報は消していますので、ダウンロードして解析しても、場所はわからないようにしています。


2012年8月11日土曜日

戦争

昨日、東北調査から帰ってきた。委員会に関係する調査・打合せであり、津波で被災を受けた鉄筋コンクリート橋梁の復元設計をすることも一つのミッションで、私は実質的に初めて配筋調査を行った。現地はがれきの分別、片づけが淡々と行われているが、復興は全く進んでいないように見えた。今日は、大学で残務処理をして、明日の早朝から、家族の夏休みに合流する。

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さて、戦争のことを語ると、なぜか日本では思想が云々、という雰囲気になってしまうが、とにかく私の中での最近ホットな話題は太平洋戦争である。小学校5年から中1までの3年間、長崎に住んで、原爆教育を受けたことも影響している。7月の学会で広島を訪れた際も、10年ぶりぐらいに平和祈念館に行ったが、その間に、結婚して子供を持ったこと、東日本大震災が起きたこと、が、感性を何倍にも大きくしてくれて、涙が止まらなかった。



最近はまっている本が、「猪瀬直樹」の著作である。道路公団民営化、関連で、土木技術者の中では、その印象が強く、拒否反応を持たれている方も多いようであるが。

氏の戦争三部作である、「昭和16年の敗戦」、「黒船の世紀 -あのころ、アメリカは仮想敵国だった」、「東条英機処刑の日」を続けて読んだ。日本が太平洋戦争を起こしてから、終結するに至るまで、どのような意思決定がなされ(また、なされず)たのかについて、私が全く知らなかった視点で語りかけてくる。


戦争を開始する前、30歳半ばの若手エリートが集められた「総力戦研究所」で、各省庁の詳細なデータを根拠に、既に戦争が負けることが詳細にシミュレーションされていた。山本五十六が真珠湾攻撃を決めるずっと前から、日米においてそれぞれの専門家による、日米未来戦記の小説が発表されて、国民が熱中して読んでいた。

他に、私にとって衝撃の事実として、
-A級戦犯が起訴された日:4月29日 昭和天皇の誕生日
-東京裁判の開始:5月3日 憲法記念日
-A級戦犯で有罪の7名の絞首刑が執行された日:12月23日午前0時1分 今上天皇(平成)の誕生日

という、戦争責任を将来に渡り日本人に刻み付けた、アメリカの戦略も。


東条英機ら7名の絞首刑後の遺体は、GHQにより、彼らが偶像化されないように、秘密裏に処理されたが、火葬が行われたのが横浜の久保山火葬場であった。現在名「久保山霊園」は、何と、私の自宅から数百メートルのところで、私は毎日の車通勤で目の前を通っていた。当時、日本の遺族側が何とか情報を入手して、隣の興禅寺の住職らの協力を得て、GHQに隠れて遺骨の一部を救出したドラマがあった。

たまたま今朝時間が取れたので、初めて久保山霊園と興禅寺を訪れた。霊園には場違いな服装で行ってしまったので、外見を見ただけで早々に退出したが、興禅寺では、当時の住職によるその救出のとが記された記念碑が建立されていたのを見つけた。


先人があって、今の私がいる。まずは、日本を良く知ること、それに尽きる。

2012年8月6日月曜日

またまたまた・・・・技術士

今年で何年目か忘れるぐらいですが、また技術士を受験しました。残念ながら、1つ目の技術士を目指してです。本学のT先生のように、複数の部門、複数の科目を取得できるまでには至っていません。まずは1つ目を。

私の同期が技術士を取得したという話を聞くたび、後輩が取得したのを聞くたび、焦りは出ていました。最近では、いろいろと交流が広がると、試験会場で会ったりするのが恥ずかしくて。

昨年は、一般、専門ともA判定とれた、と思ったら、まさかの一般がB判定。これが続いていました。

今年の一般問題は、例年と同じ内容の問題で、何のひねりもなく、書きやすかったのですが、ボーダーは上がるのかもしれません。

今年は、有料の添削を申し込んでいました。背水の陣で、あらゆる手段を使おうと思い。でもふたを開けると、結局頑張ったのは、直前。前から、直前にはベトナム出張やら忙しいのは分かっていたのに、なぜ動けなかったのだろうと、最近は自己嫌悪の連続でした。

社会人はみな忙しいので、改めて思うのは、その忙しさに流されずに、やり遂げることができる力、それが技術士だ、と。だから、忙しいとの言い訳は、技術士にはそもそもふさわしくないと。

昨年も思ったのですが、きちんと勉強してみると、やっぱり(その時から)1年前の論文ではダメだな、と改めて思います。論理的な考察が欠けている、など。少なくとも1年前からはちょっとは進歩しているのでしょう。その進歩とは、単に知識の増加だけでなく、そもそも短時間でどうやってインプットするか、それを活用するか、そういう能力も含めて。

技術士の試験は、合計6時間、手書きで論文を書きましたが、必須ではないものの、面接に向けて自分が書いた論文を復元して勉強し直さなければなりません。例年、終わったらビールを飲んで安心し、すぐに仕事に忙殺されて、気づいたら詳細を思い出せないことになっていました。今年は違うぞという決意の下、試験会場から出たら、すぐに近くのファミレスに入り、用意しておいたPCを開いて、ひたすら復元作業に取り掛かりました。食事もしながらで、結局3時間かかりました。合計9時間、文章を書いたのは、論文執筆ではよくあることですが、大変でした。

結果として満足した1日となりました。クタクタですが、「逃げないこと」を学んだ1日でした。とにかく、行動に移すこと、に尽きます。それが難しい。

なお、数日前の学会の委員会で、委員の一人がたまたま同い年ということが分かったのと、彼が技術士を持っていたことが、逃げ出すことを引き留めた一つの力でした。感謝します。

ベトナム出張前まで続いていたトレーニングなどが、この勉強などでリセットされていたので、明日から再度復活したいと思います。東京マラソンにエントリーしたことだし。

2012年8月1日水曜日

ベトナム帰国

ベトナムのホテルでは、フェイスブックと、Googleのブログの両方がブロックされていて、つながりませんでした。ネットやGmailはできたのに。

焼けましたが、無事に帰ってきました。

写真入りの滞在記を載せたいけれど、全くそんな時間がないので、夏休暇の宿題にします。

2012年7月23日月曜日

ベトナムへ出発

これからベトナム出張へ。今は成田エクスプレスの車中。

前からわかっていたことだけど、準備が進まず、前日の夜まで、大学で残務処理と準備。
複数の取り掛かり案件のまとめを最終日に設定したため、各案件が微妙に予定時間を超過し、トータルで大幅な遅れ。同時進行も時と場合で、今回は、それぞれ少しずつ完了しておくべきだった。

帰ったのは子供が寝た後で、挨拶をしないまま、翌朝早朝に出発。家を8日間不在にするのは、初めてのように思う。正確には、昨日の朝から数えると、9日になる。

ここ数日の寒さで喉が痛いのが気になるところ。体調重視で、無理をしないで行きたい。

ネット事情は、前のオランダよりもベトナムは良いようなので、こまめに書き込めればと思う。


2012年6月28日木曜日

幸せの青い鳥

コンクリートの耐久性を測定する装置、表面吸水試験の改良を重ね続けてきましたが、ほぼ最終版となろう、小型化バージョンが、形になってきています。このデビューを、来月のベトナムでの測定で行う予定です。

基幹になるある部品を探していたのですが、なかなか、ありません。事前リサーチの結果ありそうだったので、絶対見つかる、という信念の下、フライングで小型化の開発を開始して、最後のネックになっていました。私の思うスペックは、世界中にも無いのではないか、と思うほど。 唯一探せた日本の2社の2機種は、まだまだ性能が足りませんでした。

諦めかけたところでしたが、最終的に見つけたのは、我が家にあった、息子が使うある医療機器に組み込まれていた部品でした。気になってその機器を分解して、部品のメーカーが判明し、問い合わせて特別譲ってもらいました。その部品自体は、製品として一般販売していないので、これまで気づかなかったのです。

今日、届いた部品の性能をチェックしたところ、期待通りの性能が出ました。数年かけて開発してきた機械の主要部品が、数年前から我が家にあったなんて、これは、偶然なのか必然なのか。

この表面吸水試験を、日本だけでなく世界中に普及すべく、開発を行っています。売れることが目的ではなく、これを使って、世の中のコンクリートが良くなるように。子孫に良質なコンクリート構造物を残すように。

この部品の組み込みがうまくいけば、研究パートナーだけでなく、私の家族も間接的に関わることになり、それはとても名誉なことと思っています。



2012年6月24日日曜日

目的と手段 節電編

目的と手段を履き違えるな、ということは、どんなところにも共通する考えだと思います。

エアコン設定28℃、というのは、節電のためのお題目のように唱えられています。これは、具体的アクションなので、手段、と分類できるでしょう。

28℃に設定しても、手元の温度計は35℃。これじゃ仕事にならないよ、という愚痴や報道やよく目にします。何かおかしいのは間違いありませんが、その分析が、私から見るとずれているように思います。

まず、28℃に設定することのそもそもの目的は、なんでしょうか。

シンプルには、空気の温度は28℃未満は贅沢であり、28℃で我慢せよ、ということに私は理解しています。28℃も、実際にその温度が保たれていれば、結構涼しいものだと思っています。本当に理想環境での28℃がもし暑ければ、そもそもの議論がかみ合いません。私はこれまでの経験から、28℃は暑くないと思いますし、ここではその前提で議論を進めます。理想的な28℃が暑く感じる人の対応については、必要な時に別項で書きます。

28℃に設定しても、実際には暑い。なぜか。部屋の温度が一定ではないから、それだけでは、ほとんどの場所で28℃が達成できないためです。そんなのみんな知っているよ、という反論は分かります。だから、扇風機などのサーキュレーターを使うべきで、それが売れている、というのでしょう。その通りです。

サーキュレーターで、良く説明されることは、使うことによって涼しくなります、という謳い文句です。よって、サーキュレーターの紹介のされ方は、概ね次の通りです。28℃だけでは暑いけど、気流があれば涼しくなり、エアコンの温度を数度下げたのと同じ効果が得られる、と。そのため、USB扇風機などが売れているのでしょう。


サーキュレーターなしに28℃を実際に保つのは困難で、本当の28℃を達成するためにサーキュレーターを導入しましょう、というのは見たこと聞いたことがありません。これが私が提案することです。

エアコンの28℃というのは、いったい何を基準にはかっているのでしょうか。吹き出し口から出る風の温度ではありません。出てくる風は、10℃台の冷たいものです。答えは、特に職場で使っている業務用エアコンは、本体のセンサか、手元スイッチに内蔵されているセンサのどちらかでしょう。家庭用エアコンの高い機種のように、赤外線で離れた室内や空気自体を直接計測しているものは少数派でしょう。

手元スイッチは壁に近いので、その壁の温度の影響を受けます。別件で温度を管理している実験室の温度計を置く場所を検討しましたが、壁に設置するのと、そこから浮かせて設置するのでは簡単に2℃は変わります。エアコンの室温が2℃変わると、結構なものです。

温度センサがエアコン本体内蔵の場合、風の逆噴射の影響を受けるようです。直接風が体にあたると寒いので、別売りのガードをつける場合があります。私の部屋も付けましたが、すると、ガードにあたった風が、たぶん逆流するために、エアコンに戻ってきてエアコン自体を冷やすようです。同じ温度設定でも、本体のセンサだけ早めに温度が下がり、エアコンが停止してしまうのです。よって、部屋は暑い。ここで暑く感じるのは、28℃だから暑いのではなく、部屋が28℃になっていないためです。

論理的に考えると、エアコンの設定温度28℃を守れ、というお題目が正しいためには、エアコンの設定温度に部屋の温度が高い確率で達成できる、という必要条件が満たされることが必要です。家庭用エアコンや、最新の空調装置により管理されたオフィスでは、それが達成できるかもしれませんが、大学を含め、多くのオフィスでは、そこまで理想環境になっていないように思います。

ここで改めて目的と手段を提案します。

「節電時に必要なのは実際の温度が28℃になることであり、それを達成するためには、エアコンの設定温度は相違していてもよい。ただし、28℃であることを客観的に証明する必要があり、壁の温度、日射、局部的な気流の影響を受けない空中において、温度を測定できる装置(普通の温度計を空中にぶら下げればよい)を同時に備えていなければならない。

28℃を達成する方法としては、サーキュレーターは有効であり、風を体に当てることが主目的ではなく、部屋の温度が一定になること循環させるように使うべきである。」


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言うだけでなく、研究室で実践しなければ。特に、冬場には、窓際が寒いのが、サーキュレーターで一発で改善しました。

生身

コミュニケーション軽視ともとられかねず、半分問題発言とは思いますが、いろいろな深いことがあると思うので書きます。いざとなったら消せるようにブログへの投稿にしているのは、卑怯とは思いつつ。

私は、フェイスブック上は、誕生日が近づくと誕生日を非公開にして、終われば公開にすることを繰り返してきました。誕生日がFBからメールなどで自動でプッシュされるのが?に思っていたので。これが進むと、さらに何かのアプリによって誕生日おめでとうというメッセージをFBが自動で肩代わり送信するようになりそうで。予約送信なら、年賀状のようで悪くないとは思いますが、昨年のメッセージと重複しないお誕生日メッセージを自動的に送るようになったりして。

父の日のプレゼントが、全部ネットで済んでしまうことへの、便利さと、その反面の何か後ろめたさに似ています。実父には、ネットまたはデパートで普段は買わない高めの日本酒を買って送るのですが、私自身が酒の銘柄に詳しくないこともあるのですが、選んで送った銘柄をすぐに忘れてしまいます。父から、〇〇(商品名)美味しかったと言われても、その時点で、銘柄を忘れてしまっていて、「??、あ、日本酒のことね」となることが多いです。

私が愛読する星新一のショートショートで、FBの誕生日に似た状況のネタがありました。人間が生身の人間との会話が面倒になり、すべてロボットオウムにため口で話しかけると、オウムがきちんとした敬語で相手に通訳してくれます。しかしそれを受ける相手も、ロボットオウムが話を受け、人間にはため口で通訳します。結局、敬語を使うのはロボット同士。



だったら、生年月日を公開しなければ、という意見もあるでしょう。私は、年齢は公開したいと思います。新聞の投書などは特にそうですが、いったいどのような社会経験をしている人が、どういう発言をしているのかというのは、すべてではありませんが、年齢は大きな参考情報になります。フェイスブックでは、生年だけ公開できると良いのにと思います。特に年頃の女性(年頃が何歳とは言いません)へ気を利かせて月日のみ公開というサービスもありますが、私の場合には、どういう奴が発言しているのかの情報のために公開したいのは年齢なのです。

とはいえ、誕生日の公開に過度にこだわっているわけではありません。別にどうでもいいと思っています。というわけで、今日が、私の36歳の誕生日でした。ちゃんちゃん。

2012年6月17日日曜日

安全率と誤差

失敗を防ぐ、正確には失敗による致命傷を防ぐために、これまで私が考えてきたこと、実践してきたことは、個別個別のことはたくさんあるけれども、なかなか体系化できていなかった。畑村洋太郎先生の「失敗学」はもちろん参考になったけど、考え方のある側面を示しただけにすぎない。私なりの切り口で、いつかまとめたいと思っていた。

また、失敗の裏返しは創造、創造は狭義にはモノづくりなので、そのことについても、体系的に整理したかった。


事あるたびに考えてきたのだが、キーワードは、安全率と誤差の扱い、だと思う。

ただし、今日は、学会の委員会の報告書の手直しがあるので、ここで筆をおきます。何事も、初めが大事。

2012年5月29日火曜日

仮説

今日のゼミでも「仮説」がテーマになってディスカッションが深まった。

さて、先週末の夜10時頃、研究室から帰ろうとしたら、たまたま学生部屋で知恵の輪を発見。知恵の輪については、マニアではないが、嫌いではない程度。学生が全然解けなかったということで、では私がと、一度持ち帰ってみることにした。

結局、大学を出る前の、駐車場の車の中で数分で解けてしまった。

知恵の輪を見た瞬間、これをこう外さないと外れないだろう、という大まかな予測は立てられた。それをやろうとすると、別のパーツが邪魔をするので、今回の知恵の輪の本質は、どうやってその邪魔になるのをよけるか、という問題であると認識した。

それを解くには、そのやり方を試してみることになるのであるが、よけかたを数ケース試したところで、するっと外れた。

以上が、私が解くときに考えた方法である。後から考えると、これは仮説である。その仮説が正しいとしたら、これがこうならなければならない、という進み方をして、その通り、解けたのである。

学生に、なぜ解けなかったのかを聞いてみると、私の仮説に当たるところには全く到達していないとのこと。別にそれはそれでよく、どうこう思わない。しかし、目標があるのとないのでは、解ける時間も異なるのは自明である。

ということを、今日のゼミで議論しながら、思った。

2012年5月9日水曜日

豊島 てしま

「豊島(てしま)」は、産廃不法投棄事件の現場であるが、年々日本人の記憶から消えていくように思えてしまう。今の学生に問いかけて、どのくらいの答えが返ってくるだろうか。今は、直島・豊島として、安藤忠雄などによる美術関連の方が有名になったようだ。

さて、その豊島には、横浜国大土木工学教室の見学会で2009年3月に訪れた。目からうろこの衝撃的な見学会であった。現地では、砂川さんに案内していただいた。涙あり、そして人との出会いの感動もあり、充実した見学会だった。その時の1年生は、既に卒業してしまった。

その後いろいろ動きがあり、今年の研究室夏合宿の候補地に挙がっている。

現在では、当時に比べて自分も成長し、関連したこともより吸収できると信じている。技術者倫理、日本人、公共とは何か、公務員、など、キーワードはたくさんある。

最近調べ直したこと、当時の記録など、まずはメモとして記録にとどめておきたい。


過去の日記:
http://homepage1.nifty.com/1976/diary/200903.htm 2009/3/26の欄

見学会後の感想文(砂川さんにも送った):

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豊島で考えたこと
林 和彦
 私と豊島の関わりは、高校時代にさかのぼる。香川県立高松高校に在籍していた平成47年のいつだったか、豊島住民による香川県庁前で立ち続けた抗議を、私は県庁の2軒隣の高校に通っていたため、この目で見ている。しかし、それを見てその時に何を考えたのか、思い出せない。テレビで見た人たちだ、という程度だったように思う。その後、大学進学と就職で横浜に出てきて14年、報道で豊島のことは何度も見たが、断片的で表面的で、今回の見学までは何も頭に残っていなかった。
 初めて現場を見て、砂川さんの話を聞いて、何度も何度も涙が出てきた。そのひとつは事件の凄まじさ、当たり前のことが当たり前に扱われない理不尽さ、廃棄物と世間からの二重の住民の苦しみ、に対してであった。もうひとつは、5年間であるが香川県に住んでいたという繋がりがあったのに、何で今まで私は豊島のことを理解しなかったのだろうという思いからだった。高校時代を今更悔やんでも仕方がないが、社会人になっても報道で目にしても豊島問題を自分のこととして考えられなかった自分の未熟さに対して、後悔しているのである。
 事件を起こした当事者やそれを放置した県の対応を批判するのは簡単だが、この問題を当初から自分たちにも起こりうる問題として捉えられなかった私たち全員の問題ではなかろうか。人間は全員廃棄物を出す。単に目先の価格に捉われて、その先の処理の適正な処理コストの負担まで考えただろうか。
 見学で受けた衝撃をきっかけに、様々なことに対してできる限り、傍観者でなく当事者意識を持って考え行動したい、と私は強く思う。同時に私は土木技術者として、自分の狭い専門分野だけでなく、廃棄物の問題、行政の問題の視点を持つことの重要性にも気づいた。この分野については、もっと勉強します。そして、バランスの取れた技術者になります。
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豊島に関するNPO
http://www.archipelago.or.jp/outline/teshima-seminar.html

http://kappadoujou.ashita-sanuki.jp/
↑是非これに参加したい。悩みどころ。毎月やっているのだろうか。

http://www.archipelago.or.jp/rice-field/entry-1460.html

http://blog.livedoor.jp/marronalfa/


砂川さんに関するURL(シブヤ大学からの転載)
http://www.kagawa-doyukai.com/itm/daigaku/11c/11c-3.html
http://www.pref.kagawa.jp/joho/sanuki-seto/teshima/teshima06.htm
http://www.teshima.ne.jp/blog-archives/2005_01.html

関係する人

書籍「金(きん)でなく鉄として」  中坊公平
書籍「未来の森」  石井とおる http://t-ishii.weblogs.jp/

豊島問題とは
http://www.pref.kagawa.jp/haitai/teshima/index.htm  香川県 日・英の資料がある
http://www.teshima.ne.jp/

そして、横浜市での不法投棄問題
これは私が学生時代から気になっていたこと。本日、横浜市へと見学のコンタクトを取り始めました。
http://hamarepo.com/story.php?story_id=605
http://www.city.yokohama.lg.jp/shigen/sub-jigyo/sanpai/04sonota/06shinanocho/iinkai/kensyo/kaigishiryou7.pdf

2012年5月1日火曜日

トランプの遊び方を発明

ちょっと前に、フェイスブックと、このブログの使い分けについて書いた。オフィシャル(ここでは、研究、教育に関する、という意味)でないものは、フェイスブックのみ、としたのだが、私の方で勘違いがあった。フェイスブック上では、全ての投稿を「公開」にしていたが、これは、「友達」として繋がっていない人だけでなく、フェイスブックのメンバーでなくてもサイトを開いたら表示されると思っていた。しかし、それもフェイスブックのアカウントを取得した人でないと、見れらないことが分かったので、私の認識が間違っていた。よって、不特定多数に公開したいような内容はブログに記載し、適宜フェイスブックにも紹介するようにしたい。

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5歳半の娘(4月より、幼稚園年長)は、3ヶ月くらい前からトランプに凝っていて、当初はばば抜き、神経衰弱、であったが、じじ抜き、ドーナツ、スピード、などと進化している。「スピード」は、私が知らなかった簡単ルール(ローカルルール?)なのだが、彼女の動きは素早く、30歳の年の差があっても勝率は5割くらいで拮抗している(厳密に分析すれば、人間の処理速度がある程度以上になると、あとは持ちカードの出方に依存するので、それの確率が五分五分ということに思う)。

で、その彼女が、神経衰弱のルールを覚えたばかりの時分に、非常に興味深い新しい遊びを考案した。それをきちんと体系化したのは私であるが、ネットで調べた限り、同じような遊びは検索できなかったので、オリジナルのように思っている。もしも、既出や類似のものがあれば、是非お知らせ願いたい。オリジナリティは尊重したいので。

昨日は、ひたすらそればっかり娘と遊んでいた。

以下、紹介する。大人でもはまり、奥が深い。

追記:その後、ルール説明のページを更新したので、こちら方が見やすくなった。
https://kazuh-hayashi.blogspot.com/2020/04/blog-post_18.html


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(2012年8月11日、わかりにくい表現を一部修正。ルールに変更はない。)

名称:ナインボール風神経衰弱(仮称)
改称:順番神経衰弱 (子供にもわかり易い名前に変更)

概要:
神経衰弱のように対戦相手交互にカードを引いていくが、ペアを当てるのではなく、1番から13までの順番に引いていき、早く13に達したら勝ち。
(似たようなもので、ビリヤードのナインボール、というゲームもある。1番から番号順に、球を落としていく遊び)

人数:
2~4名が可能であるが、人数が増えると極端に時間がかかるので、まずは、2名で対戦してその面白さを味わってから、徐々に人数を増やすのが良い。まずは2名を強くお勧めする。

使用するカード:
人数分の記号のカードのみを使用する(仮に、ここでは2人とし、各々ハートとスペードとする)。
13枚×2記号=合計26枚を良く混ぜて、神経衰弱と同じように、裏返しにする。
子供向けに易しくするしたら、1~10の10枚のみを使うなど、1人当たりの枚数を減らせばよい。

遊び方の概要:
プレイヤーは、あらかじめ決めた記号(例えば、プレイヤー1はハート、プレイヤー2はスペードなど、指定する)に限定して、その記号について1、2、3という順番に集めていき、最後(13、キング)まで揃ったら終了で、早く揃った方の勝ち。

具体的な動き方:
1) 自分の番が来たら、カードを1枚だけめくる。
2) めくったカードにより、次の、2-Aまたは2-Bの対応を行う。

2-A) めくったカードが、自分が欲しいカード(以下、待ちカード、と呼ぶ)であれば、それを回収する。1)に戻って、さらにもう1回めくることができる。

2-B) めくったカードが、自分の待ちカードでない場合には、同じ位置に戻し、自分の番が終わり、次の人に交代する。なお、他者の待ちカードを引いてしまった場合にも、そのカードは元の位置に戻し、自分の番は終わる。(なお、2人プレイの場合には、次回相手が、それを取るところから始まるはず。)

面白さ、奥深さ:
・開始して、しばらくは、なかなか待ちカードが揃わないが、徐々に加速したように、
揃うようになる。
・自分が適当に引いたら、相手のカード(サッカーで言う、オウンゴールのようなもの)になる可能性があり、全くでたらめに引いていては、勝てない。


その他:
・現在、2人でしかプレイしていないので、3人以上で行うと不具合が出るかもしれないので、追ってフォロー(修正orコメント)したい。例えば、他人の待ちカードを引いてしまった場合、その場に戻すか、その人に差し上げるかは、2人プレイでは同じなのだが、3人以上プレイの場合には意味合いが多少異なってくるので。
・間違ったカードを戻す際、自分の目印になるように角度を変えたりできるが、バレたら信用を失う。
・最後の数枚になったら、一度カードをぐちゃぐちゃにする、という派生ルールもあり得るが、そのままにしたほうが、最後に急展開して面白いように感じる。
・まずは、1~10まで、と減らしても楽しめる。特に、3人以上で行う場合には、13枚でやるのは、大変である。




2012年4月28日土曜日

車両事故のレビュー


 車にまつわる話として、通勤で車を使っている運転者として、最近の痛ましい交通事故を受けて、改めて自身を律するべきと気持ちが引き締まる。
 関連して、大学構内の外周道路について、昨年から公共バスが乗り入れることになったのに伴い、速度規制のための10個のハンプが取り除かれ、走りやすくなった結果、明らかに私も含めて皆の学内自動車運行の速度が増していた。それを受けて昨年度は数度、学内の教職員向けの公文書にて、20km/h制限の通知が出ていたが、ついに4月になり、注意喚起の標識設置や道路へのペイント等がなされた。一運転者として反省すべきことである。
 さて、20122月に新車を購入したという話をしたが、購入の前日に古い車において、自損事故を起こしてしまった。畑村先生の失敗学の知識も得て、失敗について研究室や学内でも語っている手前、きちんと総括しなければならない。

1)事故の概要
 ガソリンのEmptyランプが付いている時に、そろそろガソリンを入れなければと思っている矢先、住宅街にある急な上り坂で一時停止して用事を済ませ、再発進しようとした際に、ガス欠となり、動けなくなった。ガス欠は、たまたま急な角度にいるためであり、何とか平地に戻れば、残っているガソリンで再発進できると信じ、ギアをニュートラルにして重力を使ってバックしている最中、停車中の別の車を避けようとハンドルを切ったが、コントロールが難しく、反対車線にはみ出て、右後部のボディーが反対車線のポールにあたり、動けなくなった。




2)復帰
 自動車任意保険に付属するロードサービスに電話し、念のためにレッカー機能をもった車でガソリンを持ってきてもらい、10リットル給油したところ、自走できて、レッカー不要で自力で復帰した。右後部のボディーを若干擦って凹んだ。
 翌日は新車への入れ替えで、元々廃車予定だったので、実質的は被害はなかった。保険もロードサービスの利用だったことと、保険会社も切り替えが決まっていたので、保険料にも影響なし。

3)考察
 あの時ガソリンを入れていれば、上り坂で停止しなければ、など、「~たら、~れば」と1つでも実施していたら、回避できたと思う。しかし、それを客観的に分析し、相互連関を見る必要がある。
 失敗学で言う、曼荼羅(まんだら、相互連関図)の作成である。相互連関にするには図化するので時間がかかるが、まずは項目をピックアップしたい。

4)その時の行動、その時考えていたこと
2/11にこの車は廃車になることがわかっている。よって、ガソリンはできるだけ空にしたほうが経済的である。
・実際には、金銭的なことよりも、Emptyぎりぎりで廃車を迎える、という一種の遊び感覚を楽しんでいた。
・そんな中、たまたま、数日前にEmptyランプが付いた。だいぶ昔だが、Emptyランプが付いてから、最高で50km走ったことがあり、その50kmをひとつの目安として使っていた。今回30km位になっていた。その時よりも経年により燃費が落ちていることは考慮していない。
・真冬であり、エアコンをつけていた。50km走るのはそもそも難しかったが、その季節の違いに一切気づかなかった。
・さらに話がややこしいのは、このままでは危ないと思って、Emptyになってから1回、10リットルだけ給油していたこと。給油後にEmptyランプが消えれば、再度Emptyランプが付くタイミングでリセットできるのに、消えなかったので、一体どこまで走れるのかが良くわからなくなった。直近の燃費で計算はできるが、不確定要素が増える。
・たまたま前夜から調子が悪かった子供を病院に連れて行ってから、その足で遅刻として幼稚園に送りに行った。
・当初、この幼稚園の往復は考えていなかったので、ガス欠が頭をよぎった。そのため、幼稚園の路地に入る直前の交差点で、妻と、ガス欠が怖いからガソリン入れようかと話をした。しかし、そのためにはいつも曲がる交差点を超えないとガソリンスタンドは無いし、幼稚園も早く行きたかったので、幼稚園の送りが終わってからにしようと判断した。
・幼稚園の、遅刻して入るための通用門は、平地でなく急坂にある。さらに、道路は狭いのでその場でUターンはできない。坂道を登る格好で停車し、妻は娘を送りに行き、私は息子を乗せたままアイドリングで待機した。その間5分。
・妻が戻ってくる間に、車を回して、Uターンをしていれば回避できただろうが、何も考えず、その向きのまま、待っていた。
・ガス欠をした段階で、無駄なあがきをせず、そのままロードサービスを呼ぶという選択肢があったが、下手な考えで、ニュートラルギアにして坂道を下り、平地に戻れば、タンク内の残ったガソリンで自己復帰できると考えついた。
・その坂道は、車がほとんど通らないローカル道だったので、バックで動くのは可能と判断した。もし、車の通りが激しかったら、そのまま待ったかもしれない。
・ちょうど止まった場所が、さらに狭いところだったので、トラックなどの大型車が来たらあまり良くないと思い当初は数メートルバックして完全停車しようとした。そこで車を動かせたことが、後のバック運転の自信につながった。
・初めはハンドルを殆ど切らなくて良かったので気づいていなかったが、途中でカーブに入る。ハンドルの軽さ(パワーステアリング)は、電源が切れているので、アシストがなく、ハンドルを回すのが、よいしょっと、非常に重たいので、運転感覚が全然違うことに、動き出して気付く。初めからわかっていたら、やめたかもしれない。
・後から考えると、先に行きすぎてUターンし、下を向いた方向で停止していれば、仮にガス欠で止まっても、前を向いているので車のコントロールは優しかっただろう。
・バック運転をした一番のモチベーションは時間に追われていたこと。妻と息子が乗っていて待たせるよりも復帰したかったこと。現在10:20頃で、11:00からM1学生との研究打ち合わせを設定していたこと。この場所から大学まで通常は25分くらいかかり、途中で、家族を家に送り、ガソリンも入れなければならないのでそもそもギリギリだった。
・坂道を下り、バック運転があと少しの時に、郵便局の車が左に停車中だった。そこで諦めて止まらずに、追い越そうと、ハンドルを切り反対車線(もともと中央線は無い)に入ったが、郵便局の車をバックで追い越す難しさの焦り、反対車線にはみ出ている焦りが出た。
・その付近は、ちょうど右側にフェンスは無く、崖のようになっており、ポールがあったが焦りのため、見えていなかった。

 上記にて、頭の中にもやもやしていたものを書きだすと、とりあえず17個になった。ここには、(1)そもそものガス欠が起きたことの遠因・直接原因に当たるもの、(2)ガス欠が起きた際に、より危険な行為に進んでしまったこと、の2種類に分類できそうだ。

 (1)については、1つでも行為を行わなかったら、そもそもガス欠は生じなかった。別にそれを悔やんでいるわけではないが、正確に分析し、その時に私が何を考えて、それを突き進んだのか、というところが、一番の本質である。別に何も後悔していない。

 長くなったので、ここで止める。これの整理は次回。

2012年4月26日木曜日

偶然か必然か

ちょっと前の話だが、今年度の研究室新人歓迎焼肉パーティが終わって、体調が優れず、研究室に戻って机でうたた寝してしまい、起きると終バスが過ぎていた。フラフラしながら、相鉄線上星川駅まで歩いた。

相鉄では、月刊の読み物小冊子「相鉄瓦版」を配布しているのだが、手に取ると、魅力的な記事に出会った。

紙芝居ボランティア 渡辺利雄さん、のお話である。以下のリンクは、その記事のオンライン版であるが、PC環境であれば、読めるだろうか。
http://www.sotetsu-group.co.jp/kawaraban/book/203/#14

良くわからないけど、素晴らしい。是非このおじさんの紙芝居を聞きたくなった。幸い、私が学生時代も訪れたり、子供を何度か連れていった公園であり、月1回定期公演しているので、それに合わせていこうと決めた。

先ほど、おじさんのブログを拝見したら、スケジュールが公開されている。5月はダメだったので、6月について手帳に記入した。
http://blog.livedoor.jp/wtosyokun/

この紙芝居が、私や私の子供たちにとって、面白いのかどうかわからないけど、彼の生き方、考え方にビビッと来たのは、何か共鳴するものがあるからだろう。


通勤で相鉄を使っているわけでないのだが、たまに乗って、相鉄瓦版を読むと、いつもビビッとくる記事に出会う。これに限らず、普段と違うことをすると、今日は何かあるかな、というひらめきと共に、そういうエピソードに出会うことが多いように最近感じている。それは偶然ではなく、様々なことへの感受性が高くなったことで、若いころには見過ごしていたことをキャッチできる能力ではないだろうか。

オランダ出張の総括


もうすぐ帰国1週間になるが、5泊7日のオランダ出張が終わった。

6年ぶりのヨーロッパ。手を上げなければ実現しない出張であったが、手を挙げてよかったというのが率直な感想だ。国際会議出席でなく、RILEMというヨーロッパの建設材料に関する学術委員会の、コンクリートの品質評価に関する技術委員会で実施される共通試験の実施に参画するというものだった。簡単に言えば、現地に乗り込んで実験をする、というのがミッションだった。参加の機会を与えて頂いた関係の先生方に感謝するとともに、研究室でも1週間不在中にサポートしていただき本当に感謝している。

国内の現場調査・現地測定は2ケタ以上の数をこなしてきたが、荷物を厳選しての海外での測定は初めてだった。検討の結果、重い部品「真空ポンプユニット(9kg)」だけ送ることにし、それ以外はスーツケースに、先行して行く博士課程の小松君と分担することになった。

今回の出張の一番大きなトラブルは、送った荷物が現地に届かなかったこと。送付を担当した小松君は責任を感じていたようだが、手段としてEMSを選択したのは私だし、すべての責任は私にある。現地での対応は彼にお願いし、最善策を探った。用具が無かったのでできませんでした、では、何のためにお金をかけて行ったのかわからない。どんな手段を使ってでも、計測してこなければならない。

幸い、行方不明のポンプ本体については、他の参加者のポンプに接続させてもらえれば、操作性は格段に劣るものの原理的に動くので、あとはそのコネクタが合うかどうかのチェックと、ポンプ以外にも付属品を同封していたもので致命的になるものがないかということ、であった。

正直、荷物を送ることには強い不安があった。現場調査では、私はいろいろな不具合は想定して安全余裕度を設けているが、その部分だけ、余裕度がゼロというのは怖かった。他は、全ての種類の部品が壊れてもリカバリーできるように、替えの部品は持っていたのに、ポンプは届かなかったらアウト。私なりの想定への対処としては、EMSのウェブ配達状況チェックにて、私の出国までにホテルへのポンプの配達が完了していない場合には何らかの代替手段を講じるということであった。私の出国前日になって、先に現地入りして、RILEMの会議へ参加した小松君から報告があり、今回の測定で用意された試験体は予想を超える数であったとの連絡を受けた。当初準備していた1セットの測定では間に合わない恐れがあることから、急きょ、荷物を増やすことになった。

その際、単に不足した1セット分追加で用意するだけでなく、その時点でEMSでポンプ一式の到着確認できていないことから、送付した装備一式が無いという仮定の下で、現地でポンプの機能さえ借りられれば最低1セットできるように道具を準備した。

そうこうして、予定よりも3時間遅れて帰宅し、それから深夜までパッキングし、翌早朝、重い荷物を抱えながら成田空港、12時間のフライト、アムステルダムへ到着と宿泊、翌朝電車で2時間揺られて、会場である、オランダのフェンローというドイツ国境付近の街にたどり着いた。そこで、小松君からホテルに荷物が届いていないとの衝撃の電話を受けたのだった。

もちろん焦ったが、半分は、用意した1セットで、他からポンプを借りることさえできれば何とかなりそうだとの確信もあったので、最善を尽くそうとの決意に変わる。2日前の出国の際に準備した道具が本当にそろっているのかを確認するまでが不安だった。何しろ、試験器具を抱えて慌てて帰宅したら、何と自分の大学のカメラを持ち帰り忘れてしまい、たまたま自宅のデジカメも行方不明で、成田空港でデジカメを1台買う羽目になったのだから。忘れ物はこれ以上許されない。

3日間の測定では、集まった世界(ヨーロッパが多いが、アルゼンチンも)からの研究者と共にコンクリートと対話することが刺激的だった。皆、自信を持って話しかけてくる。ひるんではいられないが、やはり言語のハンディが。ディスカッションは既に事前に日頃の委員会で終わっているのか、現地ではいきなり測定だったので、他者が何をやっているのか当初は良くわからなかったが、空き時間に対話しながら把握。でも途中から、1セットの装備で計測を行うのはハードで、1回の測定のインターバルを改善しながら縮めていき、制限時間内に終わらせるのは、心理的にも体力的にもハードであった。慌てて初回測定の際に私の不手際で試験装置を落下させて、いきなり部品を1個壊すトラブルもあったが無事回避。さらに、寒い。気温は10度ぐらい。そして、にわか雨が降ったり、急に晴れたり、最終日は特に強風が吹き荒れて、コンディションもシビアだった。

色々あって、3日間の測定を終えた。翌日からの大堤防のツアーや、アムステルダムの見学は、次回の記事として、総括を。

・非破壊試験を議論している世界のまさに最前線の技術者と触れあうことで、ある方面では私も世界の最先端を行っていることを認識し、研究へのモチベーションは確実にアップしたこと。
・海外に行くことへの不安、コンプレックスは、ゼロにはなっていないが、格段に敷居が下がったこと。体験してみることの大切さ。
・英語へのモチベーションも、改めて。こうやって追い込まないと。
・今回、装置のコンパクトさも大事な要素と認識。これまでは、冗長性、誰がやっても壊さないシンプルさ、堅牢性を重視して、9kgになっていたが、私の直感では、もっと小型化、軽量化できる。このモチベーションは、薄々感じていたが、日本で測定をする限り不具合は生じていなかった。研究予算との兼ね合いだが、改良の方向性も見えた。

ちなみに、愛しいポンプ君は、まだオランダを旅している。

2012年4月24日火曜日

帰国

無事帰国しています。前の投稿のフォローとして書いておきます。

内容の報告は、後日。←これが悪い癖なのだが、今晩やってみよう。

2012年4月12日木曜日

オランダへ

また途絶えていましたが、近況です。

3月は高知・鳥取方面へ出張し、沢山の素晴らしい方々に出会い、またまた勇気を戴きました。本当はそのようなこともブログに記載し、さらに自分の糧になるように再整理すべきでしたが、悪い癖でいろいろとそのままになってしまいました。その後も、若手技術者で東北に行ったことも同じです。

2月末から3月末にかけて頭を悩ませてきた、追加開発中の表面吸水試験装置の自動化については、計測装置との組み合わせの関係から、LabViewというプログラミング言語をゼロから学ぶことを選択し、何とか形ができたのが最近です。1ヶ月あれば開発できるだろうと予測して見込み発車したのですが、いきなり壁にぶつかり冷や汗ものでしたが、完成が見えて肩の荷が下りました。単に言語が変わっただけなので内容に難しさは無いですが、作法のちょっとした違いなど、てこずりましたが、サポートセンターへ質問を投げ、それを1・2日で回答いただき、というのを繰り返して、到達しました。このやり方は、論文の執筆にも似ていますね。

そうこうしているうちに、4月に入って新メンバーも迎えました。今年は、4年生の顔合わせの時から、スタッフの気合も異なり、早いスタートを切ることになりそうです。関連して、修士や博士の学生もそれぞれが持てる力を出して、研究室をより良くするように動いてくれているようです。先日の歓迎会でも、M1は工夫を凝らして頑張ってくれました。近くにいた一部の学生にしか感謝の言葉を言えませんでしたが、たかが焼肉でも涙が出てきました。M2も、つい先日までほやほやの4年生のように思っていた(ごめんなさい)のですが、就職活動にもまれて、あまり会わなかったこの1ヶ月のうちに、立派に成長して、言葉に力を感じました。経験もそうだし、最上学年になった立場もそうさせるのでしょうか。これも涙がぽろりと。あと1年楽しみです。

M1にとっては(良い意味で、と信じたい)非常に大きな負荷である学生実験のティーチングアシスタントも始まります。それぞれの担当で、必死に頑張ってくれているのが、目の色からわかります。

で、私は明後日からオランダに行きます。細田先生が開発をスタートし、私と細田先生で改良に取り組み、現行の形式はほぼ私のオリジナルとなった自動計測付き表面吸水試験。しかるべきところに特許は出せました。これを使って、ヨーロッパの委員会で世界のコンクリート非破壊試験を行っている研究者との共通試験で披露してきます。計測ソフトのチューニングをどうするかなど細かいことは残っていますし、測定だけでなく成果のプレゼンも頑張らないといけないので、どうなるかわかりませんが、ベストを尽くさないと今までやってきたことがもったいないです。出国までに残っている仕事が終わりそうにないのですが、きちんと仕分けをして、今しかできないことに注力しなければ。

オランダの宿泊手配や、それ以外(1日半だけ空きがある)の見学について妻には頼りっきりでした。妻は、オランダについていろいろ調べまくって私よりも詳しくなり、もう旅行した気分になったと言っています。津波に関連して、オランダの大堤防はぜひ見たかったのですが、遠いのでレンタカーがないと無理だなぁと諦めていましたが、妻が見つけてくれたバスツアーを予約でき、その見学も達成できそうです。他にもそのパンフレットには、治水云々と土木っぽい記述もあり、楽しみにしています。風車はのどかな田園風景だけでなく、治水のための縁の下の力持ちですから。

いつも通りバタバタですが、何とかうまくいくようにやります。



2012年2月26日日曜日

短期か長期か

短期的に伸びるか、長期的に伸びるか、二律背反に語られることが多い。結局はバランスなのだが。今年は、学生の指導であり、研究室の運営であり、色々と考えさせられた1年だったように思う。

先日もつぶやきのように指導方法のことを書いたが、先日提出された卒業論文の謝辞を見て、学生は私との打ち合わせは余りに理詰めでとっつきにくかったことが前面に押し出されていたので、顧みる機会となった。本当にこの方法で良いのか。学生に迎合する必要はないが、過度な理詰めでは人は付いてこないし、細田先生も常に行動しているように、オンとオフの人間としての姿を見せることにより、相手との距離を保つことも頭では分かっている。しかし、そのことに対して、きちんと時間と労力を割いているか。

K君がブログで書いている通り、今年は特に実験が個人プレイになっている感は、ここ数年に一番大きかった。私も感じてはいるのだが、その際に、前述の短期的・長期的の立場を考えると、介入することが本当に良いことなのかと私は言い訳をしていなかったか。コンクリートの施工性能の研究をしておきながら、研究室全体にフィードバックできていないことは、自責の念には駆られる思いがある。言い訳になるが、私も全部は無理なので、まずはできるところからというのはあり、最低限直接の指導学生のコンクリートはきちんとやりたかったので、ケアしたつもりではある。私が、不在時に打設していたが、口頭と写真の打ち合わせだけでは、一応、スランプだけでなく施工性能は担保されているように見えるが、これと同じことは最低限、研究室全体に波及させる必要はある。

マニュアル化に頼らない、本質を知った学生をどうやって育てていくのか、試されている気がしている。

個人(私の)の個別介入はある段階では意味があるが、それを長い間やっていたら、人が育たなくなる。私よりも若い人に移行させたり、さらには、皆が自律的に動くようなシステムに変革していく必要がある。突然介入をやめることは、次の受け皿を用意していない限り、単なる放棄であろう。

実験室係、コンピュータ係に関しても、その傾向が強くなっている。

再度、当初の目的を思い直し、実行してみたい。日本人の悪い傾向で、あっちだと言えば、みんながあっちに行き、それが悪くなってこっちだと言えば、こっちに進む。短期と長期の教育についても、同じように思う。

学生実験のティーチングアシスタントを育てることも、喫緊の課題である。その主要メンバーは今の4年生なのだから。

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以上は午前中に書いて、その後、K君と一緒に食事をしながら話した。

その結果、上記のことの、特にコンクリートに関することは、私が率先することではなく、K君であったり、意識の高い修士学生に指揮を執ってもらい、高所から適切なアドバイスをする程度にすべきだと確信した。そのこともK君には話した。

2012年2月18日土曜日

全てが創造的なこと

昨日の慰労会でのスピーチにちょっと(いや、だいぶ)加えた内容を記録に残しておきます。
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修士の審査会が終わりました。これからもうすぐ大学院を修了して社会に出ていきます。送り出す言葉は1か月後の修了式にするとして、今思っていることを述べます。

今年の修士2年生は、2名が研究者として、3名が企業に就職します。研究者が2名も出るのは異例であり、そういう状況では、全員、就職先の仕事が「研究」か「研究以外」か、ということをこれまでの学年以上に強く意識したのかもしれません。

研究室での3年間は、表向きは「研究」に取り組んできました。「研究」と「社会に出ての仕事」は違うと思っているとしたら、それは大きな間違いです。

「研究」 は、模倣すべき完全な見本は無く、自分で苦労しなければならなかったので、正直きつかったと思います。でも、研究だけがきついのではありません。

社会に出て求められる能力は、単に何かの作業をするだけではありません。あるプロジェクトを達成するためには、いろいろな能力を求められます。その分野の基礎を勉強し、問題点を探し、関係する人(仲間、上司)と打ち合わせをしながら方向性を決め、実行し、再度フィードバックして改善し、実行に移し、報告書を書き、最後にはレビューを行う、など、多くのことが含まれます。ある部分は決められたやり方に沿って忠実に作業をする(設計照査、積算、他)こともあるでしょうが、その上流、下流には、自分で判断をしながら、時間管理や周囲との調整、上司への報告などをしなければなりません。

そうやって考えると、「社会に出て求められる能力」とは、これまで、卒業研究や修士研究でやってきた事柄がそのまま当てはまります。

世の中の全部が「研究」だと考えるよりも、研究でも、社会に出てからの仕事でも、世の中の全てが『困難に直面しながらも最適な方法を探していく「創造的なこと」である』と認識したほうが正しいかもしれません。

学生時代に上記のことをマスターして社会人になれる人はほとんどいません。でも、研究者にならないから、研究なんてやらなくて良い、ということではないのです。

研究室では、いろいろなプロジェクトや仕事を設定しています。コンクリートカヌー、合宿の幹事、実験室係、コンピューター係など、決められたことをさえやっておけばよいというものでなく、前例の答えがなくてしんどいです。答えのないことばかりですが、頭を使って、人と相談して、お互いに協力し合って、やり遂げることができるのを、学んでほしいのです。「係」は作業者ではない、と毎月のミーティングで口を酸っぱくして言っているのはそのことです。さらに、良くある飲み会の幹事にしても、その時々に要求されることを自分で判断して、決めなければなりません。最近、冬合宿の飲み会について相談された際、前例にしたがったり、先生にいちいち判断を仰がずに、まずは自分でどういう飲み会にしたいのか考えろと突っぱねたのは、このことを考えてのことです。


残念ながら、社会に出ると、ある部分では、「前例のないことはやらない」「決まり事、にそのまま盲目的に従っていればよい」という内容やそういう組織に遭遇します。でも、それで安住していれば、短期的に、そのグループの中では居心地が良くても、別のところに出た途端、誰にも相手にされなくなります。そういう選択は自由だけども、貴方はそれで満足しますか?ということを、この研究室では問いかけてきました。多くが実践しようと、もがいてきました。


「そういう壁など無いのだ」、ということに気づくだけでいいので、そうやって社会に出て行って欲しいと思います。 そうすれば、残り1か月、残った論文のまとめ、引き継ぎなどへのモチベーションも変わるのではないでしょうか。

2012年2月17日金曜日

ドミノ

先ほど、修士論文の審査会が終わった。しばらくして研究室の慰労会も始まる。そして、4年生は今日が卒論の研究室内提出締め切り。研究室の皆が、今日が一つのマイルストーンとなる。

私は一昨日論文投稿したと書いたが、次の論文も具体的に書き始めないと、結局、日々の忙しさに忙殺されてしまうので、ここで、ドミノの1枚目を倒しておく必要がある。

「次のテーマで、土木学会論文集を、4月末までに投稿する。」

これは、2年前、昨年、今年の研究を包含したものになると思っているが、まずはこうやって表明すること、そして粗々でもいいので目次案のたたき台を作ることが一歩である。

一人ではどうしても意思は弱くなりがちで、ブログに頼るしかない。

2012年2月15日水曜日

土木学会論文集

先ほど、土木学会論文集への投稿を完了した。1月31日をデッドラインとして定めていたが、書き始めると、いろいろと困難や修正が出て、やっとのことで終えた。

実際には、1月12日にJCIの年次大会論文を出し、その後から取り組んでいて、実質に動き始めたのが1月17日だったので、1ヶ月丸々かかったことになる。恥ずかしながら完全徹夜も2度あり、本当に体力的にきつかった。論文博士の働きながら学位論文を書いている時に似ていたように思う。

きついだけでなく、書く喜び、作り出す喜びに満ちた1ヶ月でもあった。これまでの研究を単に串刺しにしてまとめるだけでなく、新しい章を作り出すところは、本当にクリエイティブな作業で、これぞ研究というのを体験させてもらった。

あと1本、土木学会論文集で書かねばならないのが残っているので、この波に乗ったまま行きたい。 ただし、体調は崩さない程度に。

付随して、統計処理等、改めて勉強したいことも出てきたので、幅を広げたい。

態度

気付いたら、学生との研究打ち合わせで、技術的に、これはなぜか?あれはどうか?などと学生に対して、強い口調で議論していることが多い。そもそも、教えずに自分が答えを言うのは卒論修論ではないが、学生が伸びるように仕向けるのが、教育者としての責務であろう。

内容と態度はまた別物であり、本来は、それを適切に組み合わせないといけない。

年度はじめ(さらに中盤も)は、そういうモードで多少突き放して育て、かつ興味を失わせないように、飴と鞭を織り交ぜていたが、終盤の追い込みとなるとそうも言っていられないジレンマがある。

私自身も日々試されている。

2012年2月10日金曜日

へこみ

失敗を実践してしまった。

今朝病院に行ってから幼稚園の送りをした後に、狭い急な坂道で車をガス欠させてしまい、制御が不能になり右後車輪を脱輪。ポールにぶつけて車体も少々へこむ。復旧にロードサービスを呼んだ。

この事故というか失敗に関連する要因は、10個ぐらい思い浮かび、それぞれ、微妙に関連している。面白いので後日まとめてみたいと思う。

廃車にする1日前に、ロードサービスを呼ぶとは。明日の新車納車と同時に、今年行けなかった初詣と、車の安全祈願が必要かも。

2012年1月31日火曜日

労働安全コンサルタント

以前、労働安全コンサルタントを受けているという話をしたと思うが、事後報告。2回目の今年度は、12月末に晴れて筆記試験合格。土木分野は全国で140人の合格者数。

で、本日夕方、口述試験を受けてきた。労働安全コンサルの中で土木部門ということで、本来は建設現場の経験が重視される。構造物を建設するという実務に対しては、経験ゼロを承知の上、ダメもとで受けていたが、実際に面接に進むと何とも心細い。参考書や体験談を見ると、面接は実務経験を確認するのが目的ということだったので、絶望的となり、忙しいのでやめようかと思っていた。ただ、気持ちの踏ん切りをつけるだけでも、受けることにした。

結果、冒頭で、その違いを指摘されたが、わからない部分はわからないということで、開き直って、面接というか、試験員3名との会話を楽しんだ(と言えばカッコいいが)。通常15分のところ、25分だった。多分、試験員の方も、こいつどうすればいいだろう、と思っていたに違いない。

ただ感じたのは、その場違いの中でも、私に対して強く当たるでもなく、私が何者かを引き出そうとする本質的な質問をされていたことだ。これでは、私もふと勘違いして、質問員から好かれているのではと思ってしまうほどだ。さすがにそれはないが、この質問力は、見習うところが多かった。

他にも色々な面接を受けてきて、落ちているが、すごい人の質問は、すごい。脱帽してしまう。ゼミでの質問、審査会での質問。実は質問する方が、聴衆から見られているのだ、という指摘を良く受けるが、それを実感した25分だった。

謙遜するわけでなく、試験は間違いなく不合格だが、ジャンル違いということを実感しつつも、この2年間良い夢を見させてもらったと思う。筆記試験合格というのは、労働安全衛生活動をやってきた自分へのご褒美として。この資格は、今年で受験を凍結する。今後実務に携わることがあれば、または、研究教育部門が新設された暁には、戻ってくると誓う。

今年の資格関連は、背水の陣で技術士取得に専念する。


ちょうどM1も、就職活動の時期で、一喜一憂しているところと思うが、頑張れ。

故障の予測

中古で親戚から譲り受けた愛車プログレは初年度登録から13年を迎え、走行距離は8万キロ。まだまだ現役と思っていたが、エコブーム、東日本大震災を受けての省エネ、エコカー減税の後押しのため、新車プリウスα(プリウスのミニバン版)を予約したのが半年前。それから半年はあっという間で、2週間後に納車となる。

このトヨタ プログレは、今は日産キューブに乗っている義弟に譲ろうと思って、車検見積もりに出したら、至るところでオイルの漏れ、タイヤがたつき、など修理個所が膨大で、車検見積もりが35万円だった。これはもう廃車ということが決まった。

購入をきめた半年前は、1年点検をした後だったので、まだまだ現役と思っていた。購入のきっかけがなかったら、あと2年は持たせようと思っていたと思う。仮に今になってプリウスαを買おうとしても、納車は4月以降なので車検にはちょっと間に合わない。義弟には残念だったが、我が家にとってはラッキーな決断だったと言える。


さて池田先生から、昨日連絡があり、普段使っている事務椅子が、座っている時に突然椅子の足が折れて転倒されたという。幸いけがは大したことがなかったとのことだが、前触れがなく壊れることの怖さを思う。


さらに本日、50tonの載荷試験機が壊れた。パネルを開けると、ある小さな部品が折れただけとわかったが、たぶんこれは通常交換する類ではないので、2年前のメンテ(本来は1年ですが・・・)の際にはもちろん気づかなかったろう。運が悪かっただけだろうか。追込みの時期に壊れるのは、偶然か、使用頻度の問題か、それとも寒さ(脆性破壊)が影響しているからか。東大とは関係なく、横浜国大も秋入学を独自に検討しているという報道を見たが、試験機にとっては追込み時期がマイルドな季節で故障確率も小さかったりして。

2012年1月28日土曜日

翻訳

学内のあるシステム発注に携わっていたが、結果として、発注しないことが決断された。お金のこともあるがここでは置いておいて、システムを発注することについて考えさせられた。

システムを発注するというのは、仕様書を作るということである。請負業者によってシステムはあくまでも仕様書通りに作られるので、発注する側といえば、仕様書を作ることに他ならない。

今ある業務、またはこれからやりたい業務を、すべて文字情報として翻訳することは、とても難しい。人間が考えていることはもちろん、無意識で共有されていることも含めて、客観的に記述しなければならない。ある意味、仮想演習に似ている。

仕様書のたたき台ができたら、それをが自分たちが望むことに合致しているかをチェックするのも、一苦労だ。これも仮想演習に近い。

さらに厄介なのは、システムに望むことを、メンバーで一致させること。 これは、仕様書を作る以前の問題である。システム発注に慣れていない中で、直列のこの事象を、並列に行っていたのが大きな問題のように思う。その問題あることが問題ではなく、そういうメンバーが携わらなければならないのが問題なのではないか。

携わったメンバーは、全く悪意はなく、非難されるほどの責任はないと思う。でも、集合体となった時に、これがシステム発注に対してベストな布陣なのか、という、マネジメント側の責任はあるのではないか。

何にしろ、レビューは必要なので、自分なりに分析して、私の糧にしたい。少なくとも10個くらいは思い浮かぶ。ただし、このレビューの行為は、私以外には必要とされていないようなのは残念だ。

多くの人が使っているある会計に関するシステムの評判が非常に悪いが、これも問題の根底がこの風土にあるのではないかと思ってしまった。


翻って、日々の学生との研究打ち合わせにおいても、日本語でやり取りしているようで、実はお互いに意思疎通が図れていないことも、少なからず感じることがあった。どうやって、考えを共有するか、改めて日々考える。


(他にも事例があり、まだまとまっていないので、今後推敲する)

メモ:
機械や試験装置の使い方の本質を理解すること→表面的な動かし方の真似、→手順書の書き方
研究室で動かしている取り組みの本質を理解すること→作業になっていやしないか

2012年1月26日木曜日

理解

昨日、土木学会に向かう途中の電車内で、学生から電話があり。不適切な操作により試験装置が動かなくなったという。私の中では、その内容は頻出であったので、あまり驚きはなかった。原因は2つ考えられて、片方なら復旧は簡単で、片方の場合程度によっては復旧できるものと非常に復旧しにくいものに分かれる。

移動中だったので、乗り換えの駅ごとに短時間の電話でヒアリングしながら、上記のどれに属するのかをチェックした。結果として、すぐに復旧できる方だと分かり、復旧の指示を出して、短時間で直った。

研究室で実験や安全を管理する立場の私としての総括は、なんだろうか。

1)その部分は、人間の操作が間違うと不具合が起きるものであり、それを防ぐには人間が気を付けるしかない。つまり、管理安全であり、本質安全ではない。機構上、本質安全へ改善できる性質のものではないので、管理安全をいかに徹底するかが問題。

2)管理安全ではあるが、今回の場合、1つのミスでは最悪のものにはならない。1つめの操作をきちんとしておけば、不具合が起きても、前述の致命傷には至らない。よって、その1つめの操作をきちんと行えるように教育すべき。これまでの経験から、1つめの操作すら知らない学生は多いようだ(その場合、実験はうまくいかないので気づくが、その間に上記の失敗が起きる抜け道があるのが怖い)。

3)仮に不具合が起きた場合、原因の調査は単純であり、復旧の仕方は致命傷を除いてそれほど難しくない。現状では、操作手順書を作って、それを書きこんであるが、必ずしもわかりやすい状態ではないように思う。

4)そもそも、その手順書の存在は、全員が知っているわけではない。手順書の存在を周知することと同時に、あることをうっかり忘れたとしても気づく方策が必要。例えば、装置の本体に手順書があるとの表示をする。

5)プレゼンと同じだが、手順書は書いてあるという最低限はもちろん、ちょっと見ただけでも重要なところは理解できるようにしなければならない。多少、記述の強弱は必要だろう。

6)そもそも、機構を知らずに装置を使いこなしている気になるな、という教育をする。解析ツールにしろ、実験装置にしろ、人間がある目的で作って、そのようにしか動かない。ブラックボックスで使うことの怖さを知る。原理がわかれば、何を気を付ければよいかが、たとえ人から聞かなくてもわかる。失敗に遭遇しても、その対処がわかる。


ちなみに、上記の電話をしながら、途中電車を乗り継ぎ、やっと土木学会目前というところで、その委員会WGはその日に限り東大キャンパスで行われていることに気づいた。失敗。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++
今日、1日中、実験に立ち会っていた。こういう長時間は、年に数回くらいしかない。常時ではなかったので、立ち合いのない時間は、以前から懸案になっている重量物の運搬をクレーンで行うなど、普段しないことに従事していた。ずっといると、学生の実験の様子も見えてきて、いろいろ気づかされることもある。

一番多いのは、あれ?、と思う装置の使い方。聞いてみると、勝手にそう思っていた、前任者からそう聞いている、など。本質からずれているのもあった。結局のところ、引き継ぎがうまくいっていないことや、そもそも一般的な機械なのでわざわざ引継ぎされずに、口頭で伝授されているものだったりした。前述のように、機構を理解せず使っているがために、本来間違いようがないことを間違えている例もあった。

実験の精度にも関わるし、安全がないがしろになってたとしたら怖い。

確か、その装置は、昨年3月に、研究室で最近話題になっている、「引き継ぎ会」が行われているはずだ。その内容が貧弱だったのか、そこで撮影されたビデオなどが生かされていないか、のどちらかとは思うが。もしかして、上記に書いたように、引き継ぐ本人が本質を理解していないがために、引き継ぎも表面的になっていたのではないか。

人間はモチベーションを高めないと、動けない。当初は動けても継続しない。私が機械に詳しいことの本質は、機構を知らずにツールを使うことの怖さを良く知っていることだと思う。細かいことが好き、ということよりも、そっちが根底にあると思っている。

この辞書が各人にあるかどうかで、行動は雲泥の差があるように思える。教育としては、その辺が本質だろうか。ある装置がどういう機構で動いているという個別の話は、後からついてくることで、どうでもいいと思う。

2012年1月24日火曜日

一段落

前月の入院の話ばかりで恐縮だが、一応最後の総括。

1月4日に、その後の精密検査ということで内視鏡検査をしていたのだが、その結果を本日聞いた。全く問題ない、完治です、とのお言葉を戴いた。年末には肉体的には大丈夫と思っていたので、そんなに驚きはないけど、一応安心。

なお、他の病気は、全く考えられないということで、今回の腸炎は防ぎようはなかったとのこと。ただし、手放しで安心することはせず、この1か月、いろいろとアドバイスしていただいた方には真摯に耳を傾け、これをきっかけに健康により一層気を付けたいと思っている。聞く耳を持つことができるようになった、というのが、入院の成果と思っている。

最近、整体では新しい筋トレの課題も出され、取り組んでいる。今朝、娘が起きてきて、ラジオ体操は?と彼女から聞いてきたのには脱帽。H先生のまねのつもりはないけど、うちも実践している。テレビは毎日上書き録画して利用している。

大阪都の本質

橋下徹・堺屋太一著の大阪都構想の新書を読んだ。

マスコミ報道を見ても本質がよくわからなかったが、ああ、そういう意味かと理解。霞が関の中央集権が現在の日本にマッチしていないのは、腐るほど多くの人から指摘されている通りだが、いきなり道州制への移行はハードルが高すぎる。そこで 明治維新の時の長州での奇兵隊のように、身分制度の解体という、これまでの常識を打ち破る事例を1つ実行し実績を作り、そこを一点突破することで日本を変えられるのではないか、という。大阪都構想の意味はそこにあると、堺屋さん。

さて、政治家の思うところというのは、マスコミ報道では伝わらない乖離がある。それは政治家に限らずそうであるが、特に政治家の場合には、報道は本当に偏っているのでソースを選ばねば。

国や地域を考える広域行政でやるミッションと、地元対応の地域行政は全く別物であり、首長が両方やろうとするのは、無理、という指摘はごもっとも。総理大臣もそう、知事もそう、市長もそう。人間一人でできることは有限なので、適切に業務を割り当てなければ総倒れ。


この本でちょっと気になったのは、あの異常に加熱した新型インフルエンザ報道で、大阪が1週間学校を休校にしたことが、1年くらいたって専門家の分析により、初期の拡散を抑えるうえで機能していたという報告が出た、という一節。なるほど。すべての行動は、レビューすべし。そして、報道を煽ったマスコミはきちんと総括すべし。なお、記述はその1節だけだったので、もうちょっと詳細を知りたい。とにかくレビュー。

で、昨日のゼミ後、体調管理の話が出て、一つの例として学生にインフルエンザの予防接種を尋ねたら、たった3人ほど。周知しても結局伝わらないし、実行してもらうにはハードルは高い。子供を持つ家庭ではそんなの信じられないが、いろいろな観点でその思いを改めて日本人も留学生も伝えねば。改善を。でも、比率で言えば留学生のほうが接種率が高かったのはこれまでの広報の成果か?それとも単なるばらつきか。

2012年1月11日水曜日

プレゼント

今朝、大学事務からメール。○○試験監督の他学部応援要員になっていたのだが、何と、当該学部で調整の結果、私の応援は不要になり、試験監督から外れるとの通知。

○○試験に限らず、試験監督は、体力的に堪える。特にこの試験は2日連続なので、フルの場合には疲労が蓄積したまま次の週が始まるので、結構きつかった。

そもそも今年は、2日目のみ1日間の要員だったが、今執筆中の論文のことや、ちょうどタイムリーな完治していない腰痛のことを考えると 、憂鬱であった。休みが少ない父に対して、5歳の娘はコミュニケーションを求めており、やたら私の休みのことを尋ねる。その娘が、実は昨日、「今週の土日もお仕事?神様が来てお仕事なくならないかな。(詳細の言い回しは忘れたが、そういう趣旨のことを)」と言っていたらしい。

サンタさんのプレゼントが、今日来ました。

ですが、娘には申し訳ないが、土曜日は家族と一緒に遊んでも、当初仕事が入っていた日曜日はそのまま喫茶店かどこかに篭り、論文書いています。プレゼントはパパだけに届いたようです。ごめんなさい。

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と、ここまで書いたけど、できる限り、執筆は夜間早朝にシフトさせて、2日間昼間は家にいられるように努力はしてみたいと思っている。プレゼントはシェアしなきゃね。



試験実施に関することは、出題関係だけでなく全部クローズなので、伏字にしています。

2012年1月10日火曜日

よき師とともに

社会人・研究としての師はたくさんというか、少なからずいる。その分野の師の話は別の機会に。

さて、年始から、しばらく順調であった腰痛が再発。普段はストレッチと加温により、ほぼ医者いらずになっていたのが、それでも疲労が蓄積していたのか、重いものを持ったわけでもない腰を曲げた時に違和感を感じた。加温とストレッチで回復するかと思いきや、だんだん悪くなって、立てない状況になってきた。かかりつけの整骨院へ。

この整体院のO先生は、腰に関して一番信頼できる先生で、まだお若いのだが、体が合う(他意はありません)というか、一番私のことを分かっていて、適切な対処をしてくれる。たまにO先生がお休みの時には、失礼だが他の先生となると、ちょっとしっくりしない。
ちなみにO先生は昨年一度転勤されたのだが、そのせいで私は整骨院から遠ざかっていた。しかし、昨年暫くして、どうしようもないときに以前の整骨院に行ったらなんとO先生が戻っていた。色々あったようだが、このことは運命的なものを感じたひとときであった。

今回のように、椅子に座っていても集中できないまでに陥るのは、年に1回あるかどうかということだが、新年早々その状態になってしまった。今朝までに3回通って、だいぶ良くなってきた。


これまで、ちょっと良くなったらそのまま忘れて数か月か過ぎ、また悪くなって、の繰り返しだった。今回は、マイ健康ブームになっているのを積極的に利用して、定期的に通って根本的に治すことと、アドバイスを受けながら、必要な筋力をつけて根本解決を図ることまで高めたいと思っている。そのためには、手帳に3月まで通院のスケジュールを入れるしかないだろう。また、例のスマホのリマインド機能を使って、定期的に忘れないようにしておきたいと思っている。

P.S. 3月までの手帳書込みスケジューリングが終わった。

2012年1月7日土曜日

環境構築

先月の退院の5日後にスマートフォンに変更した。病室から、古い携帯を通じてgmailにアクセスは可能ではあったが、何とか読めて、何とか書けるという程度だったし、ホームページの閲覧も制限がある。前から切り替えたかった要望が、一気に爆発した。

アンドロイドかiPhoneか迷った挙句、iPhoneにした。

iPhoneではサポートしていないおサイフケータイについては、数か月前から携帯のFelica部分が壊れて使えていなかったので支障はなかった。そもそも、今年から仕事の立て替え専用カードをビューカードに切り替えていたので、それを通じてオートチャージができてしまうので、そんなに困らない。唯一は、モバイルスイカでJR東日本の新幹線のチケットが買えないことであるが、出張でもあまり新幹線を使うことはないので、頻度を考えるとなくてもよい。
また、乗ってから買える、グリーン券はある種の敷居が上がることで、必要な時だけ使うというポジティブな影響もある。

これも使えないワンセグにしてみれば、3.11で役に立ったので手放したくないと思ったが、外出先で被災した場合には周囲の人に見せてもらえば済む話だ。ちなみに、古い携帯端末は、そのままワンセグ端末として使えたので驚き。非常持ち出し袋にでも入れておこう。

ということでiPhone。

これをきっかけに、クラウド生活を満喫しよう。

大学研究室で導入しているgoogleカレンダーで教員の予定を内部向けに公開しているのは、PC上から行うのを結構忘れていたので、私のは機能しておらず、学生からも私の書き込みは期待されていなかった。それが、iPhoneの、さらに有料アプリで簡単にできるようになったので、享受している。すぐに書ける環境とセットで、このシステムも生きてくるのだろう。年に数回、物理的な手帳の行方が分からなくなったりするが(幸いすぐに見つかり、完全に紛失したことはない)、そのバックアップにもなるだろう。いつかは、紙の手帳を駆逐しそう。

他に、Todoリスト、メモも、全てデスクトップのものとクラウドで同期をしたので、全く同じ環境ができた。

それを使って何ができるか、どう業務や生活が向上するかに興味があるので、チューニングのようなところは私の得意とするところ。ほぼ環境が構築できつつある。

如何せん、ネックは、文字入力。フリック入力の練習をしており、手書きと同じレベルまで上げておけば、今までになかったことを生み出せそうな気がしているので、そこまでは達したい。

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他に、大学PCの個人の膨大なデータをどうやってモバイルPCや、自宅持ち帰り仕事と同期するかについても模索している。Google上に、20GBの領域を持っているので、それを生かして、クラウドにしたい。あるフリーソフトを入れて、ローカルドライブと同じように扱えることができて、使えそうな状況になってきた。ただ、自宅はADSL回線で、アップロードの速度が遅いのがちょっと問題。

再来週、自宅PCの買い替えとしてオーダーしていたPCが届くので、環境を再構築し、紹介したい。

2012年1月5日木曜日

ゆっくりと

本日は実質の仕事始め。

正月に都合でほとんどメールを読むことができず、恥ずかしながら朝大学についてから溜まったメールを読む。

すると、高松高校の山岳部OB会の大先輩が逝去されていたとの報を受け取っていたことを知る。東京で本日通夜が行われることであった。

午前中は研究の段取りを進め、午後から学内委員会の打合せがあった。打合せは、ゴールを明確にして、明確にミッションを進めなければならないもので、予定時間を大幅に過ぎたが、全員が納得してそれぞれの宿題を確認できたのはよかった。過去の同様の打合せでは積み残しがあって手戻りも多かったので、今回はそれを避けたかった。議長は別の人であったが、議長ともに私もそのことを意識して発言した。当たり前であるが、毎回の打合せはこうあるべし。

戻ってきて、学生からのいくつかの質問、リクエストにこたえていたら、すでに17時近く。今日は、通夜参列のため、急いで家に帰って服を着替えて、通夜へ。

特に誘い合わせたわけではないと思うが、OB会の仲間も多数集まっており、故人の思い出話、近況報告で軽く飲んで食事をした。私としては、香川県から上京(上浜?)したての時分に、故人には可愛がっていただいた。大ぼら吹きか、壮大な夢の持ち主のどちらか定かではないが、皆を和ませてくれるその優しさ。OB会でお会いするのが楽しみであった。ご冥福をお祈りする。

昨年末から、入院をきっかけに自身の健康のことを考えるようになり、その中で、よく知る方と相次いで別れることを経験した。今年はそれを受けて、自身の健康、そして、自分はどうやって生きるのか、新たに認識して実行する年になると思っている。

また平凡で月並みな決意ではあるが、まさにそう思う。

新年あけました

新年あけました。

年末年始は、家族で過ごしていました。職場へは、今日、5日からの出勤です。

2歳と5歳の子供には、お休みは3日までと伝えていました。

というのは、昨日1/4はお休みして、昨年の入院に関連しての事後の精密検査でした。大腸のカメラ検査で、前日の食事制限から始まって、当日は朝から2リットルの腸の洗浄液を飲んで、午後から診察。前回入院の際には、痛くて結局麻酔を打ってもらった経緯があるので、今回も初めから麻酔をお願いしました。まったく記憶がないのですが、それでも痛がっていたそうで、追加の麻酔をして何とか終わったようです。最終結果は月末の診察までお待たせなのですが、直後に悪いとの連絡は受けていないのが安心でした。麻酔が体に残っているようで、家に帰っても結局夜まで寝ていました。

正月から突き抜けた(下品で失礼) 年が始まりました。

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...