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2022年10月31日月曜日

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。

https://note.com/hayakazuh


このブログをやめたわけではないのですが、日々のつぶやきはfacebookに書くことが多く、そうすると中途半端な記事を書く必要が無く、こちらの更新がないという結果になりそうです。

このnoteは当初匿名で始めたのですが、今となっては匿名である必要もないのでこちらからリンクを貼りますが、顔出してこのnote書いていますと公言もしていますので、今後プロフィールに実名を追加するかもしれません。

2022年4月24日日曜日

私の半生??

「私の半生」というと何かを成し遂げた人が振り返る言葉かとは思うが、縁あって橋梁新聞のリレーコラムの執筆をする機会をいただき、それを読んだ私の父の感想が「和彦の半生が描かれている(意訳)」であった。

橋梁新聞は、土木の中でも、特に橋梁(鋼橋)を中心としたさらに狭い分野の業界紙だと思う。狭いというとお叱りを受けるかもしれないが、コンクリート研究者として働いてきた中にはなかなか接点がなかったという点で。近年、橋をテーマにした研究や活動を行っている中で、日経新聞の有名な記事「私の履歴書」に似たタイトルのこのリレーコラム「私の橋歴書」はとても気にはなっていた。

下記のリンクで、橋梁新聞「私の橋歴書」のバックナンバーを読むことができる。

橋梁新聞 29022年4月1日号 私の橋歴書「林和彦:ゆりかごから墓場まで」

さて。このブログの更新が1年近く無いではないかと思われるかと思うが、いま別サイトへ引っ越しをしている最中で、そちらの整理がついたらお知らせしたい。





2021年7月10日土曜日

河川に基づいた橋の訪問と整理

地元の橋について、オーソドックスに「川」という観点で整理することになった。単に、橋を探す、という活動を始めただけなのだが、GoogleMapで整理したり、写真をPCに整理し始めると何かのキーとなる並び替えやナンバリングが必要になったが、川として整理をするとスムーズになったためだ。

今までは、どちらかというと、道路の路線での橋を見ていたところがある。なぜなら、地元で車を中心とした移動では、川沿いに走ることはなくあくまでも道路が中心となるためである。

下記の通り図化してみると、とても新鮮だった。当たり前だが川は交差しない。地元の流れる川が、このような関係にあるとは、思いもよらなかった。

喩えると、神奈川県に住んでいた18年間、隣の東京都へは出張等で頻繁に訪れていたが移動は基本的に「電車」。すると、頭の中に構築されていた地図や位置関係は、電車網というのが中心となる。なので、道路の名称である「靖国通り」とか言われてもピンとこなかった。

私の頭の中では、橋に対するイメージのパラダイム転換であった。


GoogleMapのMyMapを作りつつあるので、そのリンクを貼っておく。香川県全部を1つに表示したいなと思いつつ、デフォルトでは系列が10種類までで、主要河川、その支流を別にラベルを分けて表示をすると10種類は越えてしまうため分けているのである。その辺は今後改善の方法を検討してみたい。全部を同じ色にすると、川と川の繋がりが見えづらいと思い、今のところ色を分けておきたいし、自動で連番で整理できるのがよい。

重複したデータは不要と思いつつも、こうやって地図を分けてしまうと隣の領域との繋がりが見えないことがデメリットとなる。よって、暫定であるが、隣の図葉に記載があるものを、敢えてコピーして黒色で示した。例えば、高松市の図に黒色で綾川が示されているのは、綾川と香東川等の相対的な位置関係を明示するためである。

香川県の橋梁[01] 東讃地域01


香川県の橋梁[02] 高松市01東部


香川県の橋梁[05] 中讃地域01

香川県の橋梁[06] 西讃地域01

2020年6月14日日曜日

YouTubeはじめました

新型コロナ禍を受けての学校機関では、学生の登校を制限してオンライン等の遠隔で授業を行う方法を採用しているところが多い。私の職場に於いても同じであり、同期(リアルタイム)や非同期(オンデマンド)での授業の配信を学校として提供している。

今回の対応で、私はほとんどの授業をリアルタイムではなく、オンデマンドで行っており、スライドを用いて音声を入れた動画を事前作成している。それ以前は黒板とチョークを使った板書授業を基本としていたので、デジタル化することをゼロから始めなければならない。録音という作業以前の授業資料の再作成に時間がかかるので、正直大変である。先日、作成した授業動画の総時間が20時間を越えた。

「直感でわかる」というキーワードでは別途記事を書きたいのでそちらに譲るが、以前から、模型を作って力学挙動を説明するということを心がけていた。実物を見せることイコール直感とは全く思っておらず、そこから一歩突き抜けて、抽出した本質的な挙動を理解する、という視点を心がけている(自分でハードルを上げてしまった)。その内容説明は将来の別稿へ譲りたい。

作成した模型の一例は、こちら【→リンク】

facebookやブログに於いて、こんな教材を作りましたと写真を掲載していたことはあったが、動画で解説をしたものは作っていなかった。

今回、その教材をオンデマンドでの授業の中で説明するために、その部分の動画を作ることとした。同時に、使い古した教材も補修したり、ゼロから作り直したりした。

独立に短編動画として作成しないと授業スライドへの挿入は難しいので、そういったファイルが結果として多数できることになった。動画は私のオリジナルであるため、授業配信だけでなく、広く公開することに意義はあると考えてYouTubeで公開することにした。

なお、授業配信の動画は、他人の著作物(図の引用など)があると、授業の受講者以外への配信は禁止されている(受講者以外に配信すると著作権料の支払いが生じる)ため、今のところは行えないが、将来は作成する資料の図も全てオリジナルやフリー素材とすれば公開できるので前向きに検討したい。

以前から、「さぬき科学缶」というYouTubeチャンネルは作っていたので、そこに新たに再生リストを整備して、分類して掲載することとした。再生リストには、他者がYouTubeで公開している動画もリンクのように入れることができるので、授業中に紹介している関係動画もここに収集することとした。

以下のリンクが、私のYouTubeのチャンネルで、再生リスト一覧である。


いくつかの再生リストの中で「構造力学・橋梁工学」が私が作った教材となる。

明示的な顔出しはしていないので、YouTubeデビューしました、みたいな紹介ではないのだが、とにかく模型のギミックやクオリティにはこだわっているつもりなので、自信をもって公開したい。ただし、しゃべりはまだまだですね。

今は自転車操業なので、授業で必要なカットのみですが、途中からiPad Proも購入して動画編集ができるようになったので、少しはクオリティが上がっているかどうか。ご興味があればどうぞ。


最後に。今は手軽さからfacebookを主体として情報発信しているので、こまめに私の発信を知りたいという人がいれば(私の両親ぐらい?)、facebookは公開発信しているので、友達申請しなくても、アカウント取得さえすれば私に気づかれずに読める。

本当は、facebookの投稿が自動的に私のブログやホームページに掲載させるように設定はできるはずで、ずっとトライしているがなぜかできないので保留にしている。一部、プライベート公開にしている投稿を混ぜているのが原因のようなのだが、対処方法がわからない。

2019年10月21日月曜日

ハザードマップを調べてみた

我が家の備忘録として記載しておく。

今回の台風19号の東日本を中心とした大規模災害では、離れた香川県からリアルタイムでニュースを見ていた。ニュースでしきりに「ハザードマップを確認して下さい」というのが流れていたと思うが、改めて、その時に自分の地域のマップを確認していなかったことに、1週間以上経ってから気づいた。傍観者だった。何を考えていたのだろうかと恥ずかしくなった。


改めて、特に何も考えずにネットでハザードマップを調べたが、自治体が出している紙ベースのpdf資料に行き当たった。そういうものだろうと思って調べていたので、それに行き着いたのかもしれない。

サイトで改めて、自宅と職場のハザードマップを見る。

まず、愕然としたのは、ハザードマップという名前が付いたマップ以外にその趣旨のマップが多数存在したことである。

自治体のポータルサイトのようなものがあるが、その後も検索を続けると、別の部署が作っているマップに出会う、ということを繰り返して、結果として、次のようなマップ群を得た。

 高松市防災マップ(指定された河川毎)
 高松市土砂災害ハザードマップ
 洪水浸水想定区域図
 たかまつ防災マップ
 土砂災害警戒区域指定区域図等

発刊している部署が違えば、発行年次も違う。

あるマップはHPに訂正情報がコメントとして欄外にあるが、pdf自体は更新されているわけではない。変更点は、主として避難場所のネーミングライツに関するものだったので、支障は無かったが。県民ホール→○○ホール等。

地域毎に一覧になっているが、必ずしも自分の町名と対応しているわけではない。●●地区とか。これは、自分の地域は見ることができても、他の地域を探そうとすると、何地区に含まれるのかを文字情報として知っておかないと調べられないことは、億劫であった。

これらの閲覧に関しては、PCであっても、複数の10MB級のpdfファイルのダウンロードと閲覧は、PCに慣れている身としても、少し厳しいものがある。

我が家の近くには、小規模のA川が流れているのだが、マップには、市内でも比較的大きいB川に対する氾濫マップが載っているだけで、B川の氾濫はA川で止まった地図になっており、我が家は安心である。ただし、それに伴って最寄りのA川が氾濫した場合、その地図は存在していないとも読めるので、余り参考にならないかもしれない。もしかしたら、含まれるのかもしれないが、そもそもその様なマニアックなQ&Aがあるわけでもなく、わからない。

と、PCを普段使いこなしていると自負している自分でさえ、億劫に感じたので、スマホのみでは、これらの平行した情報を網羅できるとは思えない。

そこに来て、そもそもそういうアプリがありそうだと、改めて気づき調べてみると、スマホアプリの前に、網羅されたホームページを見つけた。

++++

【NHKによる、動画でのハザードマップの調べ方】

さらに、こちらも詳しく書かれています(2019/10/22本ブログ記載後に追記)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191021/k10012142841000.html?fbclid=IwAR11PslnZRj4GOE_tc2Mfl9wfe3Y2rnw3PoBlVeHG4WMQPyBf1HWFzB93oQ

そこでも紹介されているが、
【重ねるハザードマップ】
【わがまちハザードマップ】

ただし、既存のデータを集約しただけなので、基本は変わらない。
それに、あるマップのデータは、何のリスクを対象としたものなのか、をきちんと確認すべきである。

前述の通り、B川のリスクが表示されているわけであり、A川は含まれていない、という可能性もあるのである。

+++++++++
香川県といえば「ため池」。ため池のリスクについて、県内では関心が高い。
「重ねるハザードマップ」には色々なリスクが掲載されているが、仮に香川県の地図を開いて、「ため池」のマップレイヤーを重ねてみて欲しい。・・・・・何も起きません。

解説を読みましょう。

現在収録されているため池のハザードマップは、群馬県、栃木県、千葉県、兵庫県のみである。仮にその4県のため池が決壊しても香川県は安全ですから!(波田陽区風の口調で)
+++++++++

ということで、マップの特性を理解しないと、間違った使い方になる。


スマホアプリは、まだよくわかっていないので、とりあえずここで終わる。

2019年10月19日土曜日

讃岐出身の建築家 佐立七次郎

佐立 七次郎(さたつ しちじろう)、昨年まで名前を知らなかった。東京駅を設計した辰野金吾と東京大学建築学科第1期生の同級生と説明を受ければ、建築家なのね、と推察はできる。

昨年、高校生の時からずっと訪れたかった「日本水準原点」を見学する機会を得た。日本の測量の高さに関する原点である。現地において、日本水準原点を格納した石造りの建築物(標庫という)が、讃岐出身の佐立七次郎が設計したものだと知った。

その時の日本水準原点訪問のブログはこちら

Wikipediaで佐立七次郎の説明はこちら

1856(安政3)年生まれの讃岐高松ということで、当時は高松高校(の前身の高松中学)はなかったが、多分先輩に当たる人だろうと勝手に慕い、彼のことを知りたくなった。建築家 佐立七次郎が設計した中で現存する建築物は2つしかないということで、その1つが、北海道小樽市にある旧日本郵船小樽支店(重要文化財)であり、観光として入館できることを知った。

ちょうど、8月に土木学会全国大会が札幌であるため、広井勇の小樽築港以外にもその建築も見に行きたいと計画をした。

素晴らしかった。ブログにまとめようと思いつつ、忙殺されてそのままになっていたが、今回、日本水準原点が重要文化財に登録されることを受け、作業に取りかかることとする。

++++++
現地で案内で聞いたこともほとんど忘れかけているのが残念だが、仕方がない。

なお、2018年6月に東京で存在を知り、たまたま土木学会が札幌だったので2018年8月に見学できたのだが、2ヶ月少し後の2018年11月~2022年3月が、大規模修繕のために閉館。これは運が良かった。何かの縁を感じる。



現在海岸から100m以上離れているのだが、堀を作って近くまで船が入れて物資のやりとりができたのだという。その名残が建物手前の池のようなものだったと思う。


なお、この公園らしきものの入り口に、廣井勇の胸像があった。これも感激。


観光地で自分を入れて写真を撮ることは少ないが、佐立七次郎(の建物)と一緒に撮りたくて、同行した田村先生にお願いして撮影。




棟札という。銘板みたいなものか。





工学士佐立七次郎


1階は日本郵政のオフィスなので、立派な金庫もある。


1階の全景(手前が事務所で、奥が入り口とカウンター)


階段。漆喰の天井。


貴賓室。
寄木の床。
黒いカーテンのようなものは、よく見ると雨漏りして壁紙が剥がれているところ。こういうのも含めて今改修工事をしている。


立派な会議室。ここで、日露戦争後のポーツマス条約(1905(明治38年))で決まった樺太割譲について、翌年の樺太国境画定会議がここで開かれた。




劣化は激しいようで、どこかの研究機関(失念)が補修方法を検討したり、上記のようにモニタリングを行っている。


外壁の痛みも。

予定では2022年3月までの長期休館であるが、歴史遺産として、リニューアルするのを楽しみにし、再訪したい。

ポーツマス条約、ということで、小村寿太郎の交渉の物語「ポーツマスの旗(吉村昭著)」も再読したい。

これも貴重な資料。
樺太(サハリン)の日露国境画定

2019年10月6日日曜日

土木とマンガ ゴルゴ13とサザエさん

以前、名刺交換は年500枚という話をしたことがあるが、それを紹介した数年前でその時たまたまピークであって話を盛りすぎだったかなと思いつつ、改めてチェックしても、そう間違いはない。

2年に1回1000枚の名刺を発注するし、溜まった名刺をカウントしても大体同じぐらいの枚数(当たり前か)。7月中頃から10月初めの2ヶ月半の名刺を昨晩カウントしたら、100枚あったので、大体そのペースは守られている。

さて、最近のブログ更新は減っているのは、Facebookには思い付いたことをメモとしてアップするがそれで満足してしまっているためもある。公開することに意味があるものの、それができていないもどかしさがある。

最近採択されたある助成金のプロジェクトの話を妻にしたら、込み入っていて口頭では説明しきらなかったところ、「ブログに書いておいて」と言われた(笑)のには、苦笑と反省。

Facebookの私の発言は、鍵をかけていないので、Facebookアカウントさえとれればこそっと覗いていただければ、発言を読むことはできます。
と言い訳しつつも、ブログやHPに公開しないと意味が無いので、頑張りたい。


「土木とゴルゴ13(サーティーン)」というネタがある。探すと、いくつかそれを扱うブログは多数出てくるが、私が探した範囲では単発の紹介であって、「土木とゴルゴ13」マニア情報という形で網羅されているわけではないような感じである。

以下に紹介するネタを披露すると、多くの方から、2016年に京都国際マンガミュージアムの企画展で、「どぼく+マンガ」というテーマが扱われたという話をいただく。残念ながらその情報はキャッチしていなかった(私が人生の中でも一番きつかった時期に重なるため、学会誌など読めていなかった年だ!)。行きたかった。

https://www.sankei.com/region/news/160301/rgn1603010023-n1.html
とか。

前置きが長くなって済みません。

さて、ゴルゴ13は、近所の喫茶店(定食屋)でビックコミックの雑誌の方を読んでいたのだが、10回に1回ぐらいは土木の時事ネタを扱うなぁ、とぼんやり思っていた。

数年前たまたま床屋で単行本を読んでいたら、何と香川高松を舞台にした回があり、瀬戸大橋がクライマックスで登場する、土木技術者として垂涎の内容であった。以後の1年生への橋梁の授業で、その手に汗握る場面を使わせていただいている。ゴルゴ13が四国そして(瀬戸大橋が通学圏にある)香川高専を救ったのだ。

ゴルゴ13 第512話 「日・ASEAN会議」(前・中・後編)2011年頃発表(単行本184巻、2017年04月05日発売)
このタイトルで検索したら、大西秀人高松市長のツイッター発言も出てきた!
http://blog.rnc.co.jp/hino/index.php/archives/11
ネットで探せば、クライマックスもオチも紹介したブログに行き当たるが、土木技術者は、それを読まずに購入をお勧めする。宝になります。私もブログではオチの紹介は避けます。

さて、瀬戸大橋ゴルゴを見つけたよと、即興でFacebookにアップしたところ、私の大学同期から、こんなのもあるよ、と紹介されたのが次。

ゴルゴ13 第○回「誰がそれを成し得たのか」○年発表(単行本180巻、2016年04月05日発売)
 建築家のように土木技術者の名前は出てこない。その時代に土木学会で議論されていたテーマそのもの。土木学会の建物や、会長も登場。河道閉塞の解消を扱った回。
https://kensetsutenshokunavi.jp/c/content/decn_news/decn_news_209/?ht_redirect=1

そうやってアンテナを張っていると、次の回に遭遇。

ゴルゴ13 第567話「i-Construction アイ・コンストラクション」2017年1月10日号(と思われる)(単行本は未調査)
 ドローン測量を扱ったネタ。
いま検索したら、土木学会のFacebookが上記の紹介を投稿されていた!(建設会社や学会に取材が入るから、その情報は知られているのだろう)
https://www.facebook.com/JSCE.jp/posts/1245594602194187/

多岐に亘る取材陣を有するさいとうたかおグループ。土木担当の取材陣がいるようである。他にも土木っぽいなと思ったら、同じ担当者だった。


単発では世の中には情報があるが、その情報をキャッチして、ひとつに融合するという人は余りいないので、私もそのお役に立てるように、ここにまとめておく。

そうすれば、グーグルに拾われて、それをみた他の人への刺激に繋がると思う。最近は土木を発信している素晴らしい方々がいらっしゃるので、期待したい。


あと、新海誠監督のアニメで、風景が実写化ということでアニメに出てくる構造物巡りというのも増えているのは、良いことだ。見たことないが、香川を舞台にした「ゆゆゆ」も、そう。
ただ、聖地巡りを目的とした地元がスポンサーになったアニメも増えているようで、狙った感があるのが少し違和感もあるが、ブログの最後に、それとは一線を画す私のとっておきのネタを披露したい。

サザエさんは、普段は架空の町の設定で、実名が出てくることはない。年に1~2回、地方巡業として、旅行をする回があって、その土地の有名観光地を巡り、実際の地名や建物が出てくる。ただし、それは、最近では地方からの誘致感も垣間見えるのであまり私には魅力ではない。

サザエさんで、普通の回(1回分)で、前代未聞の「実際の地名」が出てきた回がある。
自分の名字と同じ地名、というネタと扱った回である。
マイナーキャラである「早川さん」と「JR早川駅」という組み合わせ!

ピントきた人もいると思うが、神奈川県西部の小田原市にある早川駅は、小田原漁港の最寄り駅。小田原漁港と言えば、日本初のエクストラドーズド橋の小田原ブルーウェイブリッジである。

なんとそれが、実写に近い形で登場。

当時、テレビ画面をブログにアップしたら著作権侵害に当たると思っていたが、ストーリー全部アップロードなどで無く、その場面を紹介する少量の静止画(デジタル抽出で無く、自分で撮影したもの)は問題ないという見解をその後見たので、アップすることにする。


資料1 日本初のエクストラドーズド橋の小田原ブルーウェイブリッジを前にしたカツオと波平(撮影:林和彦)


資料2 実際の小田原ブルーウェイブリッジ(撮影:林和彦)

本当は、ハードディスクレコーダーに録画していたのだが(大学の友人からサザエさん毎週録画しているのか、とツッコミが入ったが、我が家では鉄板。)、我が家の宝だと思っていたデータは、何とHDDの故障で一度データがパーに。この写真は、リアルタイムでスマホで撮影していた1枚。これだけでも助かった。アニメ版サザエさん愛蔵版ブルーレイ、などが出たら、買っちゃいますよ。

ということで、「土木とマンガ」研究者の戯れ言と自慢でした。

「ゴジラが壊した土木構造物」というネタもあると思うが、私はゴジラはほとんど見ないので、他の方に譲る。調べたら出てくるのでしょうが。お子様の自由研究のネタのもよいのでは?

私の趣味は以下の通り

紙幣にみる土木構造物 コレクション多数
絵画にみる土木構造物(先人がおり、私はかじっただけ)
切手にみる土木構造物(先人がおり、私はかじっただけ)
土木とマンガ・アニメ ゴルゴ13支部、サザエさん支部を担当
人面建築(リンク有) 私が人面建築学会会長を務めます

2019年9月16日月曜日

君の名は

この夏休暇に、子供と一緒に、私は初めて「君の名は。」のアニメ映画を見た。普通に楽しむことができた。


さて、土木ではおなじみの計測関係のメーカー、仮にA社としておく。

私が横浜国大の助手時代、約20年近く前に遡る。実験で使うその消耗品を買うためにA社の横浜支店に直接電話して注文していた。その後10年ぐらいの間に何十回も注文しただろう。

電話注文を受ける職員は2名いて、BさんとCさんとしておく。ともに女性であった。ベテランの方と、若手の方であった。電話の応答は必ず会社名と個人名を名乗り、決まって「A社のBでございます」「A社のCです」というフレーズであった。声のトーンも、ベテランの低めの声と若手の高めの声、という感じであった。

お二人とも仕事ぶりは素晴らしく、在庫がないときでも代替品を探したり、分割納入を逆提案してくれたり、毎回非常に良いやりとりをして戴いた。一問一答ではなく、顧客の悩みを解決してくれる姿勢、仕事ぶりに驚かされた。さらに、声も特徴的で、どこかの声優さんではないかと思うぐらい。ということが10年ぐらい続いたと思う。

とても良い印象を受けていたので、一度お会いしたいなと思っていた。

一度だけそのチャンスが訪れようとした。何かの用事で営業担当の方にお会いする必要があり、急いでいたので直接私が支店まで行くことになった。ただし、その時は営業の方が外に出てきてくれて用事を済ませたので、私が支店に足を踏み入れたり、そのお二人にお会いすることはなかった。

さらにその後、ついに、横浜支店を廃止するとの連絡を営業の方から受け、結局会えないまま電話をすることがなくなってしまった。その方は、その後会社の別の部署で働いているのか、パートのような方で支店閉鎖と同時に契約解除になったのか、全くわからなかった。

私は、香川へ転職し、横浜支店の吸収先である東京本社の方には電話を掛けることもなくなり、今に至っていた。ふと、その人がどうなったかなと思うことはたまにあった。



今年に入り、その会社の技術部(東京)に電話することがあった。そこで、電話に出た方が、なんとBさんを思わせる低めの声であった。しかし「A社技術部です」というフレーズのみなので、個人名がわからない。

技術的な質問で電話をしたことが2、3度続いたが、その都度もやもやしたまま終わった。この夏になってもう1回電話をかける必要が出てきた。間違いなくBさんと思われる声である。遂に今回は、思い切って話しかけてみた。

受付「・・・・の用件ですね。では、担当者におつなぎします。」
私「ありがとうございます。大変失礼ですが、もしかして、Bさんでいらっしゃらないでしょうか。」
受付「そうですが。」
という風に、ビンゴであった。

さすがに、「君の名は?」とは尋ねなかった。このシチュエーションでの名前の問いは、ストーカーなのか、クレーマーなのか、どちらかだろう。

Bさんには、かくかくしかじか、と私が横浜時代にとても良い仕事をして戴いてお世話になったことと、一度お礼を言いたかったことを伝えた。私のことは名前までは明確には覚えていないが、そのようなやりとりはあったような、という感じのご返事を戴いた。

BさんはもちろんずっとA社で仕事を続けていて今は技術部にいらっしゃること、そして、気になるCさんは今は本社の総務の方にいらっしゃるとのことで、ともに活躍されているとのことで、懐かしいと共に嬉しかった。

私の中で、君の名は、のようなドキドキ感(別に恋愛感情とかではなく)があったのは言うまでもない。お世話になった人、信頼できる人へ、一度お礼を言いたい、という気持ちは何事にも代えがたい。

2019年5月9日木曜日

学ぶこと

大人が学ぶことを体系的に研究し、実践者でもある、中原淳先生。ブログも拝見しつつ、著作にはまっている。

プレーヤーからマネージャーへと成長する方法等、独学でやってきたことを体系化して学ぶ機会を与えてもらい、大変感謝している。日々勉強と実践である。

「組織開発の探究(中原淳+中村和彦、ダイヤモンド社)」を昨年12月に購入したものの400ページの力作で、第1編を読んだところで止まって積ん読になっていたのだが、4月に入り、著者が自らオンライン読書会を開くというアナウンスがあって、参加してみることにした。定員400名の日本最大のオンライン読書会ということで、気になっていたがどうしようかと思っているうちに定員に達して、その後忘れていたところ、たまたま4/25の東京出張中の移動中に本人のブログで追加募集というのを知り、これは何かの縁だと思ってすぐに申し込んだ。すぐに満員になっていたので本当にレアなタイミングだった。

土木学会への出張で、出張がなければ、授業中だったので、このブログもその時間に読めていなかっただろうし、ラッキーとしか言いようがない。さらには、出張中は、独りで考えることが多く、様々なアイデアが浮かんだり、自分を見つめ直す時間でもある。そういうシチュエーションが、よし、参加しよう、と思わせたのもあるだろう。

さて、1章しか読んでいなかったその本を、読書会までには読了したく、結局ゴールデンウイークの終わる2日前までかかってしまったが、読み応えがあった。400ページを3日掛けて読破したが、そういう強制的なものがないと、なかなか読めない。

さて、本日、19-21時にオンライン読書会が行われた。350余名が同時にアクセス。実は恥ずかしながら読書会とはどんなものかわからないまま参加したが、予め決まっていた分担者が、1章ずつ、本の内容を紹介してくれるものであった。一度読んで内容は頭に入っていたが、改めて紹介者の主観も入った説明のお陰で、より深く理解できたり、この人はこの部分を強調するのかと発見があったり、その人が追加で調べた関連知識も整理して紹介戴けたので、得るものが多かった。短時間の2回目の読書という位置づけだ。

途中に5分×3回の限られた時間であるが、ウェブカメラで参加している参加者が10名程度の個別グループに分れてディスカッションをする時間があった。そのグループ分けは、ランダムと思うのだが、私が入ったグループに、何と著者である中原先生ご本人が入っておられた!! 初めは、システムの不具合で全体会議から個別グループへの画面の切り替わりができないのかなと思っていたが、それが違うことがわかり、舞い上がってしまった。私の発言に対しても、きちんとコメントを戴き、会話のキャッチボールができた。

個別グループは本来は、参加者がそれぞれ意見を交換する場であったが、このグループは、読者と著者の会話になってしまったのは、それはもう仕方がない(笑)。必然的に、1名あたりの会話時間も長くなり、制限時間内にタイムオーバーで発言できなかった方に申し訳なかった。

さて、本の内容にうつる。

「探究(探求は漢字間違い)」というタイトル通り、組織開発についてのノウハウ本ではなく、その手法の起源や過去の変遷の説明に多くのページが割かれている。フロイト、デューイなどの、心理学というかその手の話が何度も出てくる。

学びの方法は、その組織によってケースバイケースで特定の手法は存在しない。その様な中で、原点であるその根底を知っておくことが、本質の理解に繋がる。腑に落ちた。もう1回読み直す必要があるが、ちょうど良い時期に素晴らしい本に出会えたと思っている。


夜の時間、全国で、様々な立場の人が、この読書会という勉強会に参加した。発表された方のひとりは、お子さんを面倒を見て、自家用車の中からオンライン会議にアクセスし、そこから自分の発表をされていた。

学びに国境は無い。

学校という職場で働いているので学ぶということを職業にしているが、自分自身も学び、研究者として日々学んでもいるし、香川県コンクリート診断士会というものを立ち上げてそこでみんなで学ぶし、地元で橋梁技術者の育成ということにも関与している。

今回のオンライン会議は、自分自身を見つめ直す良い機会になった。どうもありがとうございました。今回は第6章までで、今後第7章からの第2回オンライン読書会もあるそうなので、続きも参加したい。

2019年4月26日金曜日

本屋での出会い 古地図販売

土木学会の出張帰りに、予約した新幹線の発車まで小1時間の余裕があったため、何となく思い立って、八重洲ブックセンターへ。

一階に古地図の販売コーナーがあって、引き寄せられる。入ったすぐの一角の壁一面にサンプルが展示されている。世界全図の古地図など、魅力的なものあるなと吸い寄せられ、日本全図の古地図、江戸の地図。凄い。しかも、安い。1000円台からある。

色鮮やかなのが印象的で、これは、本物の地図を写真で撮影して補正して印刷した復刻版というもので、内容は色を含めて当時のままという。浮世絵版画のような感じだ。

販売員の方に話を聞くと、八重洲ブックセンターではなく、古地図資料出版という古地図の専門会社が、期間限定で、このようなところで展示即売会をやっているとのこと。東京横浜を主体に廻っているとのことで、なかなか出会うことはないだろう。出張途中の空き時間にふらっと立ち寄った書店で今後もであうことはないだろう。

自分の興味もあるし、子供もなじめるようと思って、日本全図が良いなと思っていると、店員さんが、江戸の初期と後期もそれぞれあって時代の変遷がわかるのでは、と。なるほど。最終的に、江戸の初期と後期の古地図復刻版を衝動買い。1枚1800円と1300円だったかと。

古地図資料出版という会社で、展示即売会の情報はHPで流しているとのことで、必要なら通販もできるという。これは楽しみがまたひとつ増えた。
http://kochizu.server-shared.com/

帰って、妻と地図に見入ってしまった。時間つぶしになりそう。ご飯三杯食べられる。

先ほど、もう出会うことはない、と書いたが、多分今後はHPを見て、出張に合せて近郊で展示即売会があれば行くかもしれない!!








2019年2月13日水曜日

インフラのアセットマネジメント

国民生活のインフラ(下部構造)のひとつに道路がある。特に道路を構成する橋はコンクリートや鋼でできているため経年劣化が避けられず、適切な維持管理、時として更新(作り替え)をする必要がある。

耐用年数を設定し、それに向けて維持管理、更新を計画して対処する「アセットマネジメント(資産管理)」が求められている。家庭にたとえるなら、家の修繕や、家電製品の更新であろうか。医療分野での健康診断、早期治療に似ている。適切に投資していく(健康診断を受ける、予防接種を受ける)ことで、病気を早期に発見したり、症状を軽くするのと同じである。

数年前の豪雨で、某県を流れる一級河川にかかる県道の橋が被災し、通行止めになった。元々の建設が非常に古く、何度も補修を繰返してきたが、難しくなっていたという。構造的な被災の再建は難しいと判断され、架け替えになった。

緊急対応として1ヶ月ほど通行止めで、河川の上流下流への迂回路は5kmぐらいあって、車がないと実質迂回は無理である。通勤通学や買い物などの生活道路でもあることから、最低の安全手当てをして、警備員付きで日中のみ歩行者と自転車のみ通行可とした暫定解除が行われた。それでも、架け替え工事が始まるまでの1年程度は車は通行止めで迂回する必要があった。県道という重要な道路インフラが断絶していたのである。被災から1年後、架け替え工事が始まり、先に仮設橋ができ、最低限車が通れるようになった。橋長が長く、被災した部分(橋の半分)を先に災害復旧で架け替えが既に完了しており、今は残り半分を自治体主体で直している(こちらも仮設橋はあるので道路ネットワークは回復している)。完全完成はまだ先である。

通常の維持管理での更新であれば、通常は、先に仮設橋を作って工事に取りかかるので、インフラの機能低下は最低限は保たれるだろう。今回は、先に災害での被災が来たので、結果として1年間の不通期間ができてしまった。

という前置きが長くなったが、我が家でもインフラの更新へ対峙している。

結婚して10数年(20年弱と書いた方が正しいか?)、子供が生まれて10余年。家電製品の管理である。結婚を機に、新しい家電を買い、子供が生まれて大きくなる頃に大きめの家電に買い換えて、というサイクルである。冷蔵庫、洗濯機が喫緊の課題であった。共に、急に壊れたら、1日たりとも欠かせない。

気づくと洗濯機が丸11年経っていた。ここ3ヶ月ほど、モーターの音と振動が大きくなっていたので、耐用年数も大きく過ぎ、買い換えねばと夫婦で話に上がっていたが先送りになっていた。先週土曜日、ふと、もし今日壊れたら、いつ復帰できるのかと考えると恐くなった。少なくも、機種選定をしておかなければ、という話になり、そこまでやるなら更新しようということになった。実際、土曜日に良い機種が選べて配送手配をしても、配達設置の最短が水曜日だった。本日納品された。もし仮に、4日間洗濯機がないのは、実際に生活できない。ということで、1つ肩の荷が下りた。

次は、冷蔵庫である。異音はしていないけれども、いつ壊れてもおかしくない。


2018年8月16日木曜日

四国でのコンクリートの品質確保に関する近況など

色々と動きがありすぎて、書き切れないのであるが、書かないと他人から見たら何もやっていないように見えるので、書く。こまめに書くことの効果は、頭ではわかっているが実践できていないのが課題。

7月4-6日 日本コンクリート工学会(JCI)年次大会in神戸 への参加。学生コンペ(キングオブコンクリート)に、高専から唯一エントリーして、闘ってきた。こういう大会に参加する高専生は、専攻科生が多いものと思うが、地元ということもあり、色々加味して本科5年生が3名参加した。殆どが大学という20チームの中で、強度部門では7位に入るなど、健闘したと思っている。期間中、高専唯一ということで、沢山応援を戴いた。また、出場チームの大学生も、高専編入している学生からも声かけを戴いた。続くクイズ部門で敗退したが、3名のうちそれぞれ1問ずつ正答ができて、良い経験を得たと思う。

7月12日 日本コンクリート工学会四国支部に、新しい委員会を立ち上げた。「四国における新設コンクリート構造物の品質確保の実践に関する研究委員会」という名称で、私が委員長、幹事長に香川大学の岡﨑慎一郎先生。岡崎先生とは、彼が東大生研の博士学生の時から、表層品質の委員会で活動をしてきて、一緒に沢山の現場調査にも参加している。高松高校の同窓生でもある。タッグを組みながら、四国の品質確保に取り組みたい。
民間の方からも多数入っていただき、良い議論ができたと考えている。これに関して、品質確保のホームページを作っているので、こちらも参照いただきたい。コンクリート新聞の取材も受けたので記事も転載している。

7月25日 四国地整と連携して、念願のフライアッシュの試行工事を行ってきた。この日は、3日目のコンクリート打ち込み日で、やっと都合が合ったので、見学会としてJCI委員も参画して見学を実施した。ちょうど、日本中の熱波で連日35度越えの最中で、過酷なコンクリート打込み環境の下の試行工事となった。色々と学ぶところがあって、やって良かった。この現場では、脱型時期や養生法法等を敢えて変化させた研究も仕込んでおり、今後非破壊検査での検証なども控えている。

7月27日 こちらは、香川県生コンクリート工業組合と建設業組合支部青年部との合同研修会であった。聴講として参加させていただいた。テーマは、「圧送」。圧送の分野では、日大の中田先生が有名で、今まで名前しか知らなかったのだが、講演とパネルディスカッション、懇親会を通じて、先生の考え方、やり方に共感した。まさに私が四国で行おうとしていることとベクトルは一緒である。また、その中で、また何名かの県内のキーパーソンとお会いして、さらにヒアリングをすることになった。

7月31日 香川県建設技術センター主催の講習会に、講師として参加。コンクリートの基礎ということで、発注者の方20名程度に、品質確保の話をした。午後は参加できなかったので、残念だが、こういう貴重な機会を通じて、PRしていきたい。

8月9-10日 ブログの別記事で書いているが、横浜国大コンクリート研のご一行を香川、徳島、高知にお迎えした。この件は、さらにブログ記事は増やしていく。その中で、私自身、今回は「満濃池」についてゼロから勉強して、臨んだ。満濃池土地改良区に事前ヒアリングして、満濃池だけでなく、以前から香川県コンクリート診断士会を通じて、農業土木の維持管理のことも聞いていたので、さらに理解が深まった。徳島の世界に誇る「青雲橋」、高知の「上吉野川橋」も、今回初めて訪れて、素晴らしかった。

8月11日 一級河川 土器川の調査。豪雨による河川災害が増えているが、土器川は以前から課題を抱えており、近年私も河川の研究者と一緒に検討を進めている。実際に数時間行動を共にして現地を見て、現状把握ができた。構造物管理者と連携したあるプロジェクトも動き始めている。紹介できる段階になれば、アップしたい。


夏休み期間は、授業がないだけで、研究や社会活動はどんどん進めている。むしろ出張を多数入れるので、普段より忙しいぐらいかもしれない。

以下予定しているもの
8月~9月 生コンへのヒアリング2件(1件は初めての小豆島にある生コン)
8月 建設業界との品質確保についての意見交換会
8月20-22日 高専フォーラムin名古屋 の主催
8月25日 香川県コンクリート診断士会 第12回定例会
8月29-31日 土木学会in札幌に合わせて、北海道の品質確保意見交換会、フライアッシュ・生コンのヒアリングの実施

9月10日 品質確保委員会 第2回委員会
9月中 四国地整の産官学会議の実施
9月中 試行工事の表層品質調査

などなど。

今年は、昨年度までに種を蒔いたことの、実践の年と思っていたが、まさにその様になりつつある。

2018年7月18日水曜日

大切な写真データ

12歳の娘が生まれたとき以降、家族が所有するデジタルデータ(主に撮影した写真とビデオ)が12年分で300GBあるのだが、バックアップに外付HDD2台への保存だけでなく、某社のクラウドを利用することにした。

パソコンのSSDに余り空きがなかったので、少しずつ小分けをして、2日間かけて全体の99%のアップロードが完了。アップロードに要した時間は20時間程である。

今朝から家のネット環境がおかしいなと思っていたら、光回線の通信容量制限を超えていたようで、連続する3日間の上り通信容量が50GBを越えると帯域制限がかかるらしく、今朝から発動したようである。3日間は制限がかかるらしい。ただ、ほぼ完了しているので、安心である。

もし地震等で自宅のパソコンやHDDが同時に何か起きても、以後はデータは守られるようになったので、安心である。家のネット環境を光回線に切り替えた今年の1月以降、いつかアップロードしなければと思っていたけれど、半年間先延ばしになっていた。その後押しをしたのは、今回の豪雨災害である。水没したハードディスクも多数データが失われたと聞いている。そもそも流されてPCの在処すらわからないケースもあるだろう。

ここ数年のデータが増える速度は、平均して年間40GB程度であった。ただ、2月に一眼レフカメラを買ったので、今後はもっと増えるのは確実だが、今の1TBの契約容量であと20年弱で容量をアップグレードしなければならないが、そもそも10年後、いや2~3年後だって、ネットワークの常識は変わるだろう。

2018年6月24日日曜日

42歳を迎えて

本日42歳を迎えた。

午前中は部活の引率もある、普通の日曜日であった。

幕末の志士は皆若くして活躍し、若くして亡くなった方も多い。私の中では42歳というのはひとつ感慨深いものがある。香川県の偉人として5本の指に入るのは、大久保諶之丞(おおくぼ じんのじょう)であり、彼が亡くなったのが1891(明治24)年12月、42歳の冬であった。

大久保諶之丞は、香川県の土木技術者であり、政治家である。130年前のアメリカ ニューヨークにかかるブルックリン橋が完成したのを知り、本州と四国に橋をかけるという、当時としては夢物語を提唱した人である。

 四国と本州を結びたい・・・瀬戸大橋 1889年に構想 →1988年完成
 讃岐平野の水不足を解消したい・・・香川用水 1891年に構想 →1974年完成

香川県を縦断して徳島、高知へと繋がる四国新道を建設したのも大久保諶之丞である。今の国道32号線の猪ノ鼻峠越えの旧道にあたる道である。

いま、国道32号線猪ノ鼻峠を貫く新猪ノ鼻トンネルの建設が進んでおり、国土交通省四国地方整備局、および施工者の佐藤工業と共に、新猪ノ鼻トンネルの品質確保に取り組んでいるのが私の一番のライフワークのひとつになっている。

四国においても、新設コンクリートの品質確保の取組みが少しずつ進みつつあるが、この新猪ノ鼻トンネルは四国の実践例の1番目として位置づけても良いだろう。大久保諶之丞が開拓したこの道の数度目の改良に学という立場で携わることができていることに誇りを感じている。その諶之丞が倒れたのが42歳の12月の県議会の場であるとは、私にとって、特別な42歳なのである。


7月から、日本コンクリート工学会四国支部において、品質確保の委員会を私が委員長として2年間の活動を開始する。今動いているプロジェクトを評価するとともに、委員が関心を持つ事項について、勉強したり実践したりしながら、四国方式の確立に向けて実行していきたい。


育った香川県高松市に腰を据えるようになって5年半が経過した。香川県の地で、土木工学、コンクリート工学に携われることに日々喜びを感じている。横浜にいたときとは助手という、今とは立場が違うので、見えているものが違うかもしれないので厳密な比較はできないかもしれないが、都会の大学等の研究者は総合病院の専門医、地方の大学・高専の研究者は開業医の町医者のような感じを持っている。

専門のコンクリートでいえば、今、コンクリートのゆりかごから墓場まで、を担当している。

話は遡るが、横浜にいたときに、日本コンクリート工学会関東支部 若手会21 という委員会に所属し、最後は委員長を務めた。上の方々の方針で、それなりの予算を戴き、自由な活動をさせて戴いたと記憶しているが、私が取り組んだのは、若手の社会人や学生のための見学会の企画であった。コンクリート工学の分野も、専門の細分化が進み過ぎると、自分自身の職業や研究だけを見るようになり、自信やモチベーションが保てなくなったりするのではないかという仮定の下、コンクリート工学全体を一気通貫で勉強する機会を設けよう、ということを提唱して、コンクリートのゆりかごから墓場までツアーを企画した。

骨材、セメント生産、建設、供用、維持管理、取り壊し、というものを1泊2日のツアーで見学するものである。委員の皆さんが積極的に動いて戴き、(実施は私が香川に赴任が決まり、後任の委員長であったが)実施にこぎ着けることができたし、その下調べの段階ではとても勉強になった。

話は戻り、今私は、香川県の地で、骨材、生コン、建設業、維持管理、それぞれの分野の方、民間、公務員問わず仕事をしたり、交流をするようになっている。分野や立場が異なれば、同じものも別の観点で見たり、常識や前提条件が異なったり、そういう中で、連携できること連携すべきことがよく見えてくる。

横浜国大で育てて戴いた結果なのか、私の性格なのか、結果として、いまの研究スタイルが、「色々な分野に飛び込んで、みんなを巻き込みながらやっていく」という形になってきた。そういうやり方と、今の環境がちょうどよくミックスしているように感じている。

色々な方とお会いする機会があり、記録にある最近は、自分の名刺の消費が年間平均500枚である。とはいえ、私が色々な方と交流して、単に「勉強になった」と自己満足して、評論家になっていてはいけない。何か動き出して、成果が出るか、という所が問題であるし、結果を出さなければ誰も見向きをしてくれなくなるだろう。毎日が試行錯誤の連続であるが、とにかく走り続けたい。

さらに、若手を育てる年齢でもあり、自分が動くのではなく、若手に活躍してもらうための場作りも行わなければならないし、それもいくつか実行に移している。四国のコンクリート品質確保についても、私だけが動くのではなく、自律分散的に動くように育てることがひとつのゴールであろう。


さて、ブログの発信、Facebookの発信は、マニアックであるのは認識している。マニアックでないものは敢えて載せていないため、マニアックに見えるだけである(違うだろ、と突っ込まれるのは覚悟で)。

ブログで発信が簡単にできるようになって、世の中には写真も豊富なページは多いが、果たして、技術資料として後世に残すものはどれだけあるであろうか、と考えると、必ずしも多くないと思っている。幸い、そういうことは好きなので、些細なことでも、きちんと取り上げて、徹底的に記載したページを残していきたいと思っており、それが私のオリジナリティーのひとつであろうかと思う。

昨年、ブラタモリのテレビ番組で、黒部ダムの回があったが、そのときに、3000アクセスぐらい、ブログの訪問者が短期間だけ増えた。それは、フランスのダムが決壊したマルパッセダムの記事である。今、マルパッセダムでググると、私のページがWikipediaの次に出てくる。他を見ると、Wikipediaを元に作られたまとめサイト程度である。個人できちんと取り纏めているのは私ぐらいだったように思う。これは一例だが、単に、面白かった、と写真を載せて終わりにせず、今後も実施したいと思っている。

教育ツールの開発も、進めたい。先日、舞鶴高専の取組みを拝見して、上には上がいると感銘を受けた。他者の良いところも採り入れて、愚直に進むことも、極めればオリジナリティーと思っている。良いものを作るのが目的なので、自分で自作することは手段であり目的ではないのである。

土木史についてももっともっと深めたいと思っているし、その経験が、教育や各種実践活動にも深く関係する。そのためにはとにかく時間が必要であり、仕事を効率化して、自分の教養を高めることに投資したい。家の通信環境の再構築も、その一環である。

ということで、41歳の1年間は、色々と自己改革を仕掛け始めた年であったと振り返るし、42歳はそれを使って成果を出していく年と思っている。昨年1年間にお世話になった方々に感謝するとともに、42歳で一層精進することを誓ってこの文章を終える。

通信環境の再構築

通信環境を再構築するのが、我が家の課題であった。1年半かけて本日切り替えが完了した。

1.携帯電話

ボーダフォン時代からなので20年ぐらいソフトバンクを使ってきたが、郊外での電波の繋がりの悪さ、そして高い料金、古くからの契約者の軽視などで、嫌気がさしていた。土木工学でコンクリートの調査や現場へ趣くことが多いので、1番目の理由は一番大きいように思う。

先に私が更新月になったのが、1年半前。iPhone6を使っていたので、SIMフリー端末にはならないため、色々考えた結果、iPhoneSEのSIMフリー版(5万円ぐらい)を新規購入し、MNPでdocomo系の格安電話会社を探すことにした。結果として、iPhoneが小さくなって良かった。

繋がりやすさといえば、今はauの方が評判が良いようであるが、1990年代の巨人docomoの田舎に行っても繋がる安心感を知っている身にとっては、docomoブランドは私にとって憧れの的であった。1年半前の切り替え時に、格安回線にau回線が少なかったのもある。

会社はNiftyのNifmoにした。その理由は、夫婦で通信量を分け合えるプランがあったためであった。さらに、ニフティは、大学に入学した1995年からプロバイダおよびパソコン通信時代からずっと継続しており、安心感もあってである。23年間も契約して同じIDを使い続けている。

1年半遅れて、妻も更新月になった。上記の理由で夫婦揃ってNifmoにするには、docomo回線への変更が伴うため、同じ妻のiPhone6では、端末をSIMフリー等へ乗換える必要があった。その後色々考えると、妻の場合、使う場所がソフトバンクでも問題なかったし、今ある端末と同じ画面の大きさを使い続けたいことを考えていた中、たまたまbmobileが、最近になってソフトバンク回線のMNPも開始したので検討をしてみた。

妻のパケットは、普段は小さく、年に2ヶ月ほど多く利用することがあるという程度だったので、段階料金というのもちょうどニーズに合っていた。

ということで、
 私 Nifmo docomo回線 7GB
 妻 bmobile ソフトバンク回線 最低1GBで使用した量の従量制
で落ち着いた。

通信料金を試算すると、年間でちょうど10万円下がることになった。


モバイルPCの通信用に、bmobile(docomo)の従量制(最低500円)を契約し続けているが、通信量としてはNifmoと重なるので、解約したいと考えているが、iPhoneを使ったbluetooth接続がうまくいかないので、それができるようになるまでは待つようにする。


空いた私のiPhone6端末であるが、iPod nano(第6世代)を5年以上振りに復活させて、当時小学校5年の娘の音楽プレイヤーとして昨年から使用させていたのだが、WindowsやiTunesのアップデートに伴い、最近になってPCから認識しなくなってしまった。そこで、急遽、私のiPhone6端末を初期化して、ネット接続もできないようにして、娘(小6)のiPod端末として復活させた。

2.インターネット回線

今まで高速通信が必要なかったので、ずっとADSLを使い続けてきた。職場でMicrosoftのOneDriveのクラウドが使えるようになったため、それを利用するには、ADSLの速度では我慢できないようになり、光回線に切り替えることにした。

四国電力のPikaraが圧倒的に安いことや、NTT電話回線の込み込みプランにすると、ADSL+NTT回線と全く同じ価格で利用できることも今更ながら知り、乗換えたところ、快適なネット環境が構築できた。

家の膨大な写真等のデータも、数十GBに達しているので、これまで外付HDD2台の三重化で対応しているが、バックアップ及びデータの二次利用を考えて、クラウドを検討し、1TBのクラウドも契約するようにした。


ということで備忘録や、ひとつの紹介として書いておく。

2018年6月5日火曜日

日本水準原点

測量の日に合わせて、「日本水準原点公開」の報を知る。

「日本水準原点」

地図好きにはたまらない響きである。「原点」。東京湾の平均海面を基準にして、国会議事堂近くに、標高24.4140m(現在は変わっている)の所に、原点があるという程度であるが、登山、地図好きの私が、高校の時に「山の高さ」という本を買って読んで知った。

昨年か一昨年か詳細は忘れたが、国土地理院が測量の日に合わせて公開しているという話を聞いた。公開ということは、あの石造りの建物は、普段は一般公開されていなかったのか? 行ったことがなかったのでよくわからなかった。もしかして、日本水準原点は敷地内にあって一般の人は入れない場所に建っていて、その日だけ入れるのかもしれない、という程度であった。

今回、たまたま出張で東京に来ており、その日は12時頃に用事が終わるので、飛行機に乗るまで2時間ぐらいは空きがあるため、行くことにした。4回、10分程度のレクチャーがあるとのことで、せっかくならそれを聴きたい。

解せないのは、雨天は翌日に延期とのことで、地方から来る者はどうしろというのか、と思いながら当日を迎えた。午前中は曇りで、途中から雨が降り出すという、これまた、不安な天気である。行って閉まっていたらどうしよう、と思いながら、虎ノ門駅からタクシーに乗るべきだったと後悔しながら、国会議事堂前をダッシュして、何とかレクチャーの開始に間に合った。

小雨の中、10名余りの聴講者が集まり、ちょうど説明が始まったところに滑り込めた。

以下、撮影した写真を紹介していきたい。


上の写真は、社会科の資料集などに載っているあの建物である。実は、この建物自体が原点ではなく、「水準原点」というものを格納している「標庫」という。東京大学建築学科(当時は、造家科)の一期生 佐立七次郎(さたち しちじろう)による設計という。彼の大学同期に辰野金吾(東京駅設計)がいる。彼が設計して現存するものとして、これ以外に北海道小樽の旧日本郵船小樽支店の建物があり、見学で入れるらしい。

(後日追加:旧日本郵船小樽支店訪問記【リンク】

後日、佐立氏について調べると、何と、1856(安政3)年、高松藩(讃岐の国)(現、高松市)の生まれという。高松高校(その前身の高松中学)のできる前の話なので、直接の高校の先輩にはならないが、もし学校が存在したら、卒業生になるのは間違いないだろう。

まさに、色々な意味での私にとっての原点である。8月には土木学会の全国大会で北海道に行くので、彼の上記建築を見にいきたい!

【追記:その夏に、実際に北海道 小樽の日本郵船小樽支店に行ってきた報告はこちら

さて、その標庫であるが、中央のパネルが開いているのがわかる。


さすが、パネルには、菊の御紋が。

 中央に、水晶で作られたものが鎮座する。

写真を拡大して見て戴きたいが、目盛が刻まれている。中央の長い水平線が基準である。数字を見て戴きたい。数字の文字が上下逆転している。その理由は、測量をする人ならおわかりであろう。(画像をクリックして拡大)

測量で使うレベルという器具は、望遠鏡のようなものであるが、当時はレンズの性能が悪く、上下反転して表示される。よって、誤読しないように、上下反対に文字が刻まれているのである。当日はこのようにレベルがセットされているのが素晴らしい。

なお、この標庫は、資料集の写真などを見ると、小さい百葉箱くらいの大きさなのかと思っていたら、大きくて驚いた。

スマートフォンのカメラで、レベルを覗いた中を撮影。画面がひずんではいるが、数字を読むと、上下反転した後で、きちんと数字が読める。(画像をクリックして拡大)

 私は、24.4140mというのがずっと頭にあったが、実は、明治24年5月に、24.500m(数字に遊び心がある!)として設置されて、その後関東大震災で沈下して24.4140mになったものであった。そして、東日本大震災でも沈下して再度測量をし直していたとのこと。不勉強であった。

では、どのような基礎になっているのだろうかというのは、気になる。やっぱりコンクリートでしっかりと支持されていた。



10分の説明の予定が午前中は白熱して30分ぐらい話したとおっしゃった国土地理院の説明の方は、午後も30分ぐらい色々なお話をしていただけた。1人でパネル展示を見るのではなく、実際に説明を併せて聞くことで非常に充実した見学であった。小雨の降る中も最後まで実施いただいた関係者にお礼と敬意を表したい。

ひとつ、参加者としては、このPRチラシのインパクトがどうも・・・。
国会議事堂前の徒歩2分に位置する日本水準原点の建物にしまってある『一般公開していない! 水準原点』が、年1回特別に公開される、という風に表示をしていただければ、より魅力が高まるような・・・。地図オタクと思っていた自分も詳細を知らなかったので。
http://www.gsi.go.jp/kanto/kanto40002.html

2018年5月9日水曜日

8分の新幹線乗り換え時間

新幹線を使って出張に行く際には、高松から瀬戸大橋を渡るマリンライナーで岡山駅まで到着し、岡山駅から新幹線に乗る。マリンライナーの乗車時間は60分で、経路検索で標準で出てくる乗換え時間間隔は、短いときには10分程度から、最短8分というのも頻繁に出てくる。

当たり前だが、60分間乗車する在来線からの新幹線への乗り換えが10分程度というのは、リスクが高い。検索で普通に出てくるから、その便に乗っていたけど、感覚が麻痺していた。今までよく乗れていたなぁと。東京駅など比べて、岡山駅は物理的な面積が小さい、というのは圧倒的な違いであるが、まず東京駅では考えられないだろう。

先日の横浜出張では、在来線が2分遅れぐらいなのに、あまり気にせずに駅内のセブンイレブンに入ってしまい、よりによって、コーヒーのLサイズを頼んでしまった。待ちながらふと時計を見て、乗り遅れるかもしれないと、我に返った。Lサイズのため、コーヒーを2回に分けて抽出する時間が、今まで一番長く感じられた。

しかも焦っていたので、間違えて博多方面行きのエスカレーターに乗ってしまい、途中で気づいてももう遅い。ダッシュで駆け上がったときには、私が乗るべき、反対車線の上り新幹線はホームに入ってきた。もう諦めようと思ったけど、コーヒーをその場に仮置きして、ダッシュで駆け下りて、再度ダッシュで駆け上って、本当に滑り込みセーフ。

翌日、岡山駅に戻ったときには、残念ながらそのコーヒーはなかった。ごめんなさい。

結果として、GWの間だったので、乗った車内はガラガラでした。ただ、普通のあの時間は、ビジネス客で一杯で次の便になると満席だったり、少なくとも3人がけの中央程度しか空いていないのが普通なので。

昔を思い出したら、5年前の夏休みの金曜日夜に、一度失敗したことがあった。名古屋まで行ける最終便を狙ったのに、岡山駅で切符を買うために並んでいたら行列で終電を逃し、新大阪止まりにしたことがある。新大阪のホテルはなく、この年になって漫画喫茶に泊り、名古屋のホテルもキャンセル料取られるし。

ということで来週の出張(大阪)は、岡山乗り換えに余裕を持つことにした。


改めて考えると、東京では新幹線乗り継ぎ10分というのは考えられないこともない。でもそれは、都内の近場で仕事をしていて、EXカードで等で、万一乗れなくてもすぐに乗車変更できるというケースが大半でしょう。同様に、神奈川県大磯あたりからの1時間の東海道線を乗り継ぐのに、間隔8分の便は、電車遅延や東京駅での乗り換え時間(ホームが遠い、混雑)のリスクが高くて、普通は選ばないような。

2017年10月24日火曜日

己の生産性向上

ブログの執筆の第600号目となる。6月生まれということもあり、6の数字は大好きだ。なお、ブログの書きかけの下書きも多数(1割程度)あるので、実際の掲載は若干少ないが。


長時間労働に対して、自分の中で第N弾の働き方改革をしている。第N-1弾は、完全に失敗したとはいわないが、それなりに効果は上がっているような、でもまだ薄いというか。階段を一歩一歩上がっている感じである。

今四国で取り組んでいる「コンクリートの品質確保」は、国交省が進めている「生産性向上」の別の角度から見たものでもあると言っておきながら、それを旗振りする自分自身の生産性が悪くてどうするのか、ということも悶々としてあった。

長時間労働というが、では、何を改めればそれが解消するのか。そもそもの仕事のリストラクチャリングをどうするかという根本的なことと、生産性を高めるテクニックにどうやって投資して使いこなすか、などなど、なかなか決め手がなかった。


そういう中、学外活動では、ここ数年間種を蒔いていた活動が、徐々に芽を出しつつある。ある活動が軌道に乗ってきた、あるプロジェクトが動き始めた、成果が認められてきた、等々。学内活動では、例えば、授業改善に取り組み、懸案だったある授業の評価アンケートが、前年度に比べて5段階評定でおよそ2アップした(前はどれだけ低かったんだ)という自信、など。

自信がつけば、これでいいんだ、という働き方の安心に繋がる。成果が出ないときには、何かに追い立てられるような気分も感じていた。

夏に買ったズボンが直後から履けなかった(これは、太ったというよりは財布やスマホをポケットに入れる習慣を考慮せずに、スリムなズボンを買ったことによる)ので、それを履きたい、という願望も。健康診断の結果が、絶望的では無いものの、ちょっと警戒しなければならない状態になったこと(病院で相談したら、心配するなと言われるレベルだったが)。

一番の決め手は、早く家に帰って家族と過ごす時間を増やすこと、日頃の生産性を高めて、平日終わらなかった尻ぬぐいのために土日を費やすことがないようにしたいこと。

気づいたら、世の中は生産性向上や、長時間労働の改善が急速に進み、(または叩かれないためのアピール?)夜○時以降に外からのメールがぱったり来なくなったこと。来るのは、海外にいる人からぐらい。ふと、それに気づいたときには、恥ずかしかった。


テクニックに走るのではなく、原理原則にしたがって、日々の動き方の改善を図ることにした。細かい詳細は言及しないが、すぐ取り組む、仕事をクラスタリング(分割)して、空き時間を有効に利用する、を実践しており、今までに比べて各段に早く帰宅できるようになったと思う(私が云々ではなく、読者でもある妻が判定する(笑))。


その結果、体調も良くなり、夜遅くに食事をすることが激減しただけで体重も2キロぐらい減って、例のズボンも履けるようになった。精神的な余裕ができると、止まっていた読書量も上がった。


まだ安心はできないが、向かっている方向におおよそ間違いはなさそうなので、中間試験、年末、年度末など、もっと忙しい時期が来ても対応が出来るように前倒しの対応なども併用しながら備えたい。

2017年10月16日月曜日

思えば遠くへ来たもんだ

香川県コンクリート診断士会は、年会費を集めていないが故に日本コンクリート診断士会に分担金(そのお金の正式名称は不明)を払わないため、当該ホームページには掲載されていないが、きちんと設立した団体である。

昨年11月に現在の形で正式発足して、ほぼ1年が経過するが、今回の定例会参加者は27名と、5年前からの設立メンバーは感慨ひとしおであった。

準備会の時には、たまたま会議室の空きがなかったためだが、収容人数100名の広い会議室に10名以下で集まった際には、暖房が入っていなかったのもあるが、ある意味寒かった。

あの頃が懐かしいね、と笑顔で話せるのが嬉しい。

今回は、以前からの知り合いで実務等でおつきあいしている人ではあるが、会員外の方にもある共通のテーマで講演をして戴いた。会員の方にも同様に講演を戴いた。発表された本人は謙遜されていたけれども、それぞれの思いが込められた良い発表だったと思っている。

完成された発表を聞いて満足するだけではいけない。これは準備会の時から議論を続けてきたことである。荒削りでも、問題を投げかける問いに対して、色々な立場の会員が、それぞれの立場から、本気の議論をすること。そんな会を目指している。同時に、もっと若い人にも入ってもらいたいとは思っている。この場は人が育つための会でもある。

今回の定例会の中で議論したことが、幾分かのきっかけになったようで、本日、関連して大きな動きがあった。もしこれが実現したら、日本は凄い(良い)ことになる、と確信した。そうなるかどうかは、蓋を開けてみないとわからないけれども、とにかく、取り組まないことには動きようがない。

この香川県コンクリート診断士会が、色々な化学反応の起爆剤となることは、当初の設立理念そのものである。ちょっとは、そうなっているのかなぁと、嬉しい一日だった。
これからが楽しみであるし、そうなったら、大変なのはわかっているが、やめられない。

2017年9月1日金曜日

舞い降りてくる

「舞い降りてくる」というフレーズは、私のブログでよく使っているつもりだったが、検索したら過去になかった(アイデアが降りてきた、というフレーズはあったので正確には1件か)。フェイスブックの方では、多数書いていると思うが検索機能はないのでわからない。

一生懸命考える。数分の場合もあるし、1時間の場合もあるし、さらには一度考えるのを中断しても他のことをやっている(実は、無意識のうちに考え続けている)時に、アイデアがふっと浮かぶのである。絶対に浮かぶ。

ある企業からの研究相談で、ある機能を満たす装置の開発が任されている。1ヶ月前に考え始めて、途中1ヶ月のブランクがあり、今日改めて時間をとって、デッサンもしながらの3時間目に、それはやってきた。

途中1ヶ月は、なかなかまとまった時間がとれず、日々のことに追われていたが、当初の約束の締切りが過ぎていることは常にプレッシャーになっていて、実は考えることは意識/無意識で継続していたとも言える。

ゴーストライターが話題になった某作曲家のテレビ番組だったか、曲が浮かぶことを「舞い降りる」というフレーズで表現していたかと思う。半分、マスコミが相手を馬鹿にしたようにそれを繰返し報道していたと記憶しているが、実は私にはよくわかる。

10年前ぐらいになるか、次のような本を読んだ。作家立花隆は、本の書き方、というような本を書いていたと思う。その方法は次のような感じだった。参考図書を数十冊買ってきて、流し読みで良いのでページをめくって読む。ひたすらインプットして、インプットしまくる、そしてよく考える。その後の書き方は、となると、うまく説明できないけれども、「自然と」書くことが頭に浮かぶ、というものだったように記憶している。読者はそれが知りたいんだと突っ込みを入れそうで、何ともだまされたよう印象を受けるかもしれないが、私にはその経験があるので、立花隆が言うことはよくわかるのである。

色々と本を読むと、脳科学の世界では、それは当たり前のことであると証明はされているようである。寝る前に考え始めれて、そのまま眠りについて、朝起きたら答えは出ている。人間の脳は、そういうものなのだと。「こびとの靴屋」が頭の中で働いている感じである。

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...