2014年9月18日木曜日

マルパッセダム 崩壊現場(Malpasset Dam)

マルパッセダム(Malpasset Dam

1959年12月2日 完成したばかりのアーチダムが、満水時に決壊した。 水は下流に流れて、多くの方が亡くなった。

私は、マルパッセダムという言葉は、10年ほど前の黒部ダムの内部の見学の際に、 事前に下調べで知ったが、結局当時はマルパッセダムが何だったのかまでは調べないまま、今に至っていた。

これを機に岩盤強度の研究が進んだこと(失敗学では、人類にとって有益な失敗と分類されるだろう)、当時建設中だった黒四ダムの計画変更が行われたこと、で有名である。

詳細は、以下のページに譲る。

Structurae(英語)

Wikipedia(日本語)

検索していたら、Youtubeにて、当時の報道の動画(約1分)があった。崩壊後間もない映像で、押し寄せた水で町が破壊されている様子、人々が悲しんでいる様子や、ダム自体の様子が写っている。当然ながら新設ダムの周りの木々は伐採されていたのが、50年経過して木々が生い茂っている今の様子と異なり、時間の流れを感じさせる。

https://www.youtube.com/watch?v=9_61-wGFlcc


さて、マルパッセダムであるが、高速のインターチェンジから、15分ほど進んだところにあり、駐車場に車を停めてから、結構歩いた。川沿い(水はない)を歩くと、たまに、巨大な石が転がっていた。





当初、石だと思っていたら、近づくと、中から鉄筋が数本飛び出ている。よく見ると、コンクリートの巨大な塊であった。大きめの骨材とモルタル分が見える。
人間の大きさと比較すると、その巨大さがわかる。柱状ブロックの工法で作られているので、破壊の際にも柱状ブロック単位で破壊し、それが、巨大な水の流れで押し流されてきたようだ。この時点で、まだ下流500mぐらい。角が取れて丸くなっているので、まるで、岩だ。




ダムサイト下流部に到着。写真左上の水平部が、堤体の高さ。欠けている部分が、失われたコンクリートダム。


残った堤体も、結構ひび割れが入っている。
放水路(正確な名前不明)は、一部出口がひん曲がっているが、残っている。



放水路の上流部の、取水部の、異物がつまらないためのスリット。


堤体を歩く。人間の大きさと比較を。右上の斜面にも、ブロックが転がっている。

この部位の堤体の幅は、5m以上。実際に立つと怖くはない。


下からアクセスできる最上部まで接近したところ。傾斜はあるので、本人はそれほど怖くないとのことだが、見ているほうは、崖に立っているように見えて、怖い。
駐車場付近にあった銘板。


このような、壊れたダムが、遺産としてそのまま残っていることのスケール感に圧倒された。この現場で再度ダムを造ることが、撤去を考えるとコスト的に合わない、ということもあろうかと思うが、土木技術者・人類への教訓として実物が残されていることに敬意を表したい。

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