マルパッセダム(Malpasset Dam)
1959年12月2日 完成したばかりのアーチダムが、満水時に決壊した。 水は下流に流れて、多くの方が亡くなった。
私は、マルパッセダムという言葉は、10年ほど前の黒部ダムの内部の見学の際に、 事前に下調べで知ったが、結局当時はマルパッセダムが何だったのかまでは調べないまま、今に至っていた。
これを機に岩盤強度の研究が進んだこと(失敗学では、人類にとって有益な失敗と分類されるだろう)、当時建設中だった黒四ダムの計画変更が行われたこと、で有名である。
詳細は、以下のページに譲る。
Structurae(英語)
Wikipedia(日本語)
検索していたら、Youtubeにて、当時の報道の動画(約1分)があった。崩壊後間もない映像で、押し寄せた水で町が破壊されている様子、人々が悲しんでいる様子や、ダム自体の様子が写っている。当然ながら新設ダムの周りの木々は伐採されていたのが、50年経過して木々が生い茂っている今の様子と異なり、時間の流れを感じさせる。
https://www.youtube.com/watch?v=9_61-wGFlcc
さて、マルパッセダムであるが、高速のインターチェンジから、15分ほど進んだところにあり、駐車場に車を停めてから、結構歩いた。川沿い(水はない)を歩くと、たまに、巨大な石が転がっていた。
当初、石だと思っていたら、近づくと、中から鉄筋が数本飛び出ている。よく見ると、コンクリートの巨大な塊であった。大きめの骨材とモルタル分が見える。
人間の大きさと比較すると、その巨大さがわかる。柱状ブロックの工法で作られているので、破壊の際にも柱状ブロック単位で破壊し、それが、巨大な水の流れで押し流されてきたようだ。この時点で、まだ下流500mぐらい。角が取れて丸くなっているので、まるで、岩だ。
ダムサイト下流部に到着。写真左上の水平部が、堤体の高さ。欠けている部分が、失われたコンクリートダム。
残った堤体も、結構ひび割れが入っている。
放水路(正確な名前不明)は、一部出口がひん曲がっているが、残っている。
放水路の上流部の、取水部の、異物がつまらないためのスリット。
堤体を歩く。人間の大きさと比較を。右上の斜面にも、ブロックが転がっている。
この部位の堤体の幅は、5m以上。実際に立つと怖くはない。
下からアクセスできる最上部まで接近したところ。傾斜はあるので、本人はそれほど怖くないとのことだが、見ているほうは、崖に立っているように見えて、怖い。
駐車場付近にあった銘板。
このような、壊れたダムが、遺産としてそのまま残っていることのスケール感に圧倒された。この現場で再度ダムを造ることが、撤去を考えるとコスト的に合わない、ということもあろうかと思うが、土木技術者・人類への教訓として実物が残されていることに敬意を表したい。
2014年9月18日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブログの移動(に近いもの)
表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...
-
新幹線を使って出張に行く際には、高松から瀬戸大橋を渡るマリンライナーで岡山駅まで到着し、岡山駅から新幹線に乗る。マリンライナーの乗車時間は60分で、経路検索で標準で出てくる乗換え時間間隔は、短いときには10分程度から、最短8分というのも頻繁に出てくる。 当たり前だが、6...
-
マルパッセダム( Malpasset Dam ) 1959年12月2日 完成したばかりのアーチダムが、満水時に決壊した。 水は下流に流れて、多くの方が亡くなった。 私は、マルパッセダムという言葉は、10年ほど前の黒部ダムの内部の見学の際に、 事前に下調べで知ったが、結局当...
-
Windows環境、Wordで論文を書き、PowerPointでプレゼンをする。数式をどうやって入力するのかが課題であった。Wordの2000年初頭までは附属の数式エディタでそこそこ軽快に数式入力をしたり、フォントを整えたりできたと思うが、今のWord2019環境では、デフォルト...
0 件のコメント:
コメントを投稿