2011年3月31日木曜日

桜の開花(3月29日)

一昨日だが、3月29日に土木棟前の桜が開花した。その時の写真。その2日後の今日、土木棟周りの木に対して業者による剪定作業が行われ、その桜の木も剪定される。もったいないので、そのうちの枝の1本をお願いしていただく。はち切れんばかりに太ったつぼみがたくさんついている。自宅に持って帰って生けよう。

2011年3月30日水曜日

現場調査への執念

今、現場調査のサポートをしている。私は、以前から現場調査等に必要な道具のリストを更新してきており、調査の度に、周囲の人からアイディアをいただいたり、自分で改良を加えたりしてきて、今はだいぶ充実してきた。災害調査に関しては新潟県中越地震で道路会社のエンジニアに同行させていただいただけで、それ以外の経験はないものの、その時の経験はその後の平時の現場調査でも役に立ってきた。

コンクリートの実務の専門家の方には遠く及ばないものの、それなりの自負はあるので、過去に調査の経験のない方には参考になるかもしてないと考え、ここに公開することとする。

現場調査グッズをダウンロード

もしお役にたてたら、逆に役に立たなかったら、フィードバックをいただけると幸いである。

なお、私は道具に徹底的にこだわる。その道具に求める本質を正確に理解し、それを満たすものだけ購入するようにしている。道具が欲しいのではなく、機能が欲しいのである。無駄なこだわりは、ない。私が持つ道具には、全て、なぜそれを選んだのかが説明できる。このためには、陰で何度も失敗をしてきた。

一例をあげると、ビデオカメラは、何を買っても同じと思うだろうが、子供を撮るにも、土木構造物を撮るにも、広角レンズは必要である。なぜか、普通のデジタルカメラは広角が普通になっているのに、ビデオカメラ業界は何故なのか、ほとんどが望遠寄りである。広角レンズが標準でついていて、他の要件も満たすものは、日本の世の中、昨年末時点では何と1社の1モデルしかなかった。最近やっと注目され始めて、各社が出そうとし始めているようだが。

そのビデオの経験は、一度自宅用に買って失敗した経験が生きている。自宅では、外付けの広角レンズユニットを買って取り付けている。そのため、でかくて重い。

ライトも過去の日記に紹介したが、未だにこれを超えるものはない。よって、私が勧めるライトは日本中探してこの1モデルのみである。このメーカーのライトも数十モデルある中で、私の機能を満たすのはこの1機種のみ。

電池の入手性も機能の一つである。現場調査にはたくさんの機材についてそれぞれ予備電池を持っていく必要があるため、できるだけ、共通になっていないと話にならない。基本的には、単3と単4に統一している。地方で調査を行うことも多く、特殊な電池はそもそも売っていない。例外で計測機器には9V電池があるが、仕方がない。

我が家でも同じことを実践している。今回の地震で、日本中の人々が押入れから昔ながらの災害用懐中電灯(赤くて重いやつ)を引張り出してきて、一斉に電池を買い求めたため、単1電池が日本中から消えた。しかし我が家では単3と単4だけだったので、購入に不自由はなかった。

最後に。上記のようなことを書くと、なんでも高級なものを買いたいだけでないか、という指摘が予想されるため反論をしておく。研究室で使うゴム手袋は、以前は軍手の中、つまり二重に装着していた。よって、防水性は必要だが、外力に対しては軍手に任せるため、耐える必要がなかった。よって、ぎりぎりの薄くて安い手袋を選択していた。多少学生から不満も出たようだが、破れたら替えればよいと突っぱねてきた。殆どの利用が短時間で1回きりなので、酷使するケースは少数。ただし今はシステムを変えたので、厚いものへ変更。

支援の輪

土木学会の地震・津波調査が行われているが、本学土木教室でも続々と参加している。

津波の調査には土木から3名の教員が参加し、うちからはコンクリート研のヘルメットを提供させていただいた。今朝のNHKニュースでその取材が放映され、1分程度見覚えのある黄色いヘルメットが映っていた(もちろん先生も)。

コンクリート系では細田先生が参加されるということで、3/24より、私は特に物資調達の面からサポートを開始する。まず、現地で車で1週間動くということで、車の何台も多いためガソリンの調達が課題となり、ひたすらガソリン携行缶を集めることになった。研究室では現場調査用の5リットル1缶しか持っていない。周囲のホームセンターや、ちょっとマニアックな建築用資材店に電話したところ、全て在庫切れだったがちょうど返品があったのが1缶だけ手に入って購入することができた。

実家で買って送ってもらおうかと思って、徳島県のホームセンターや自動車用品店に電話しても、同じく在庫切れかつメーカー欠品状態だったので、全国での購入は無理と思い、諦める。

ここ横浜では、数日前からガソリンの入手状況は改善され、問題なく入手可能になってきていた。よって、家庭で持っているガソリン缶は不要になってきているだろうと考え、家庭に眠っているガソリン缶を集めようと思い立った。都会のマンション暮らしであれば、ガソリン缶をもっている人は少ないだろうから、私の出身の香川県であれば、車は必需品でもあり、ガソリン缶の1つくらいあるだろうと思って、高校の部活のOB会(高松高校OB山岳会)にメールで呼びかけて提供をお願いした。その結果、数名の方からご提供のお返事をいただいた。そのころには、後述する学内での調達がうまくいったため、保留とさせていただいているが、遠方からサポートしていただけるのは、嬉しく、心強い。(今年のOB会費請求が来ていたので早速払わねば!)

大学事務から、M先生は自動車部や学生フォーミュラの顧問をしているので相談してみるとよいというアドバイスと実際に仲介をいただき、ただちにM先生から私のところに電話が入り、提供いただけることになる。さらに必要であればフォーミュラ関係の仲間もご紹介いただけるという心強いお言葉も。

その時点で学内に目を向けることに気づき、草刈り機の燃料タンクとして、土木教室にもガソリン缶は所有していることを思い出し、他にも工学部の事務、施設部(エネルギーセンター、排水浄化センター)に連絡すると、それぞれ多数の缶を貸し出してくださった。

空調の出入業者にも聞いてみると、1つ余っているのがあるから、と快く提供のお返事をいただき、翌日の工事の際にさりげなく置かれていた。

その結果、動き始めてから1日足らずで、240リットル分のガソリン携行缶を確保することができた。数に驚くとともに、問い合わせた皆様が、率先して有無を調べてくださっている姿が、本当にうれしく、電話の前で涙が出そうになった。個別にはお礼をさせていただきましたが、この場で改めてお礼申し上げます。

2011年3月28日月曜日

津波災害

この本を読み始めて、震えが止まらない。2010年12月、つまり今回の地震・津波の3か月前に出版されたこの本。







私が購読している上記のブログ(私の日記を読む人なら知っている方ですね)に、その記事があり、この本の存在を知った。そのブログでも、まえがきを読んで絶句した、とある。私もその通りだった。

単に津波の怖さを煽るだけでない、正しい知識とその対処法を、と著者は訴える。まだ第一章の途中までしか読んでいないが、気になったフレーズを。「災害と私たちは戦っているのである。被災してから防災集落をつくっても、肝心の住む人が減少したのでは災害に負けたのと同じである。」

このまま一気に読み進めたいが、論文の執筆や手直し等があるので、少々休止。


あと、3年前の研究室夏合宿で訪れた、三陸海岸。事前に津波の勉強をして、田老の宿に研究室で宿泊した。当時何度か読んだ、吉村昭、三陸海岸大津波は再読しなければならない。確か、「津波はのっこのっことやってくる。」今回の地震後、その「のっこ」という響きが何度も頭を駆け巡っている。

絶対音感

絶対音感を持つ人には、聞こえてきた音がすべてドレミで理解できるらしい。へぇーそんな人もいるのか、私にはわからない世界だ、程度にしか思っていなかった。

最近になって、似たようなことは、別のジャンルでもたくさんあるのではないか、と感じるようになってきた。私は、実験等のテクニックは優れていると自負しているが、実験に限らず日常生活でちょっとしたアイデアを思いついたりして、解決に導く自信と実績もある。

私は、物を見ると、その物の持つ機能に分解されて、頭に整理されて入ってくる。それが当たり前だと思っていたら、他の人は必ずしもそうでないらしい。それが自分の強みであると同時に、他人への説明などの際には、自分がすべてと思わないように注意しなければならないだろう。

スポーツでも趣味でも何の分野でも言えることで、生まれつきの性質であったり、その後の伸びであったり、理由は様々だが、そういうことはあるだろう。

先日は、ある建築現場でフェンスの支柱を鉛直に仮固定している様子を見て、これは今後の生活(実際には、実験で)で使える、とインプット(正確には、テクニック自体は過去に何度も利用したことがあるが、例示として良い写真が撮れた、という程度)。三角に切った木片だけで、任意の角度に調整して固定ができるとは、なんと素晴らしい機構だろう。

ちなみに、私のモットーは、どんなことを設計する際にも、冗長性や、不測の事態への対処を怠らないこと、である。ボルトにネジ穴をあける際には、一番最後に組み込む部品では、これまでの誤差が蓄積しているので、寸法がずれていても挿入できるような設計にしなければならない、など。機械設計を専門とする人には、それは当たり前かもしれないが、いろいろな分野で応用できる考えである。


2011年3月23日水曜日

地震時の対応

以下の文章は、地震後2日目にざっと書き上げたものだが、掲載するタイミングを逃してそのままにしていた。いち帰宅難民として、行動したことを書いておくことは何かの足しになると思い、掲載する。

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未曾有の地震と津波から2日が過ぎた。被害の全容も明らかではないが、これからが始まりで、それぞれの立場でできるとを考えて実行するしかない。

私は横浜在住だが、出張でたまたま東京にいて、いわゆる帰宅難民になった(なりかけた)ため、今後のためにメモしておく。東京が壊滅になったら、役に立たないとは思うが、遠距離で地震が起きて交通がマヒする、という程度であれば参考になるかもしれない。

午前中の土木学会関東支部学術研究講演会の座長を終え、新宿で打ち合わせがあったのでそちらに向かい、14時半に終了。14:45新宿発の湘南新宿ラインに飛び乗り、横浜ヘ向かう。疲れていたこともあり、グリーン車に乗った。(地震発生時刻と多少時間が合わない気がしたが、新宿駅のコーヒーショップのレシートの時刻が14:42なので間違いないだろう)

渋谷駅で停車中に地震に遭遇。なお、少し前に別れた先生は地下鉄乗車中で、緊急停止した後に地震が発生したとのこと。電車は安全に停止してから地震が到達したという。その先生も、私も、駅間でなかったのが幸いした。

列車が左右に大きく揺さぶられるが、グリーン車に着席していたのでそのまま座り続けた。地震の継続時間が長いなとは思ったが、車内なのでバネで揺れているだけかも、と、真相が良くわからなかった。その後10分位して、今後停電になるとドアが開かなくなるために乗客は全員外に出るように指示。ホーム上でその後の余震を迎える。結局1時間くらいホームにいる間、非常階段で地下に降りてもらうことになるという指示があったが、結果としてそういうことはなかった。

携帯のテレビを見たりして、状況が次第にわかってくる。外国人のグループが不安そうにしていたが、近くのOLらしき人が英語で状況を説明したりしていた。ニュージーランド地震の日本人のことが頭をよぎる。見知らぬ地での地震は大変だろう。

寒いので、コンコースに上がる。キオスクが開いていたので、長丁場を覚悟したので買い出しに。おにぎり類は売り切れだったので、調理パン、饅頭、カロリーメイト、パワーバー(菓子のようなもの)、単3電池4本、座るための新聞紙を買う。その後その新聞紙は大活躍することになる。

大阪からの出張帰り中という男性と話をしながら1時間ほど過ごす。こういう状況になると、人は話すのが好きなようだ。普段のぎすぎすした都会の駅とはちょっと違う雰囲気である。
携帯電話は、電話、メール、ウェブ、ともに通じない。家族とも連絡が取れない。その時には、公衆電話からの伝言ダイヤルは一切思いつかなかった。

その後、ふと、バスに乗って帰れないだろうかと気づき、改札を出る。改札近くの複数のテレビでニュースを放送しており、人だかりができている。携帯テレビでは不鮮明だったものがくっきりと眼に入り、ただ呆然とするしかなかった。既にバス停には長蛇の列で、既にテレビでも新宿・渋谷の帰宅難民の報道が始まっていた。出遅れた、と反省。すぐにバスに乗っていたら帰れたかもしれない、と後悔する。

横浜であれば何とかわかるが、渋谷にいて、田園調布方面というのはわかるが、他○○方面というバスの行き先表示を見てもまったく想像がつかず、さらに人ごみに酔って、バスをとりあえず諦める。一つ、空港のリムジンバスが動いていれば、一度羽田に出て、羽田から横浜に再度リムジンバスを乗り継げばいいのかと思うが、そもそもバスも来ないし、長蛇の列だし、その後駅前は大渋滞で高速も止まっているようでどうしようもないことに気づく。

気づいたら18時前。東京が壊滅にはなっていないので歩いて帰るのは無謀であったが、肩掛けかばんでは、重たい荷物で体が痛くなっていたので、若干の防寒具とザック類を買おうと思い、駅ビルの百貨店へ。百貨店は3つの建物に分かれているようで、移動だけで精神をすり減らす。スポーツコーナーのアウトドアコーナーにたどり着き、野宿を覚悟して、選択する。結局、30リットルのザック、アウトドア用座布団、マフラー、手袋を買う。店員が親切で、バスの心配など気遣いいただき感謝。

隣のジョギングコーナーでは、女性が運動靴を買って、ヒールを買い換えているのが多数。

地震が起こって、帰宅困難者が周辺をうろうろして、既に女性トイレでは30分程度の行列ができている。公衆電話も長蛇の列ができている。人がドンドンごった返してくる。しかし、それを除くと、、停電も断水もなく、ホワイトデー商戦のようで元気な店員の明るい声がこだまして、いつもどおりの営業が行われている。それがとても不思議だった。ただ単に年末のアメ横の混雑のようだ。地下の食品コーナーでは、何の不自由もなく食材や弁当を売っている。着飾った人も買い物をしている。地元の人が買いだめに走っているようにも見えない。

ゆっくり食事をしようと思ったが、駅の喫茶店は既に満員でみんな携帯でテレビを見たり、PCのモバイル通信でネットをしている。携帯はつながりにくいようだ。近くの飲食店もそうだろうと思い、デパ地下で温かい弁当を買い、道端で食べことにした。地下に降りる階段は、扉がついているので風もなく比較的温かい。階段の両側には、既に人が座っていたが、一人分空きがあったので、座り込んで食事をする。

今日はここで野宿と決め込み、新聞紙を敷いて楽な体制を取る。その際、単に敷くとすぐに床の冷たさを感じるので、一度くちゃくちゃに丸めて、空気の層を作ると暖かいのは、これまでの経験で知っていたので、それを実践して、比較的快適に。ただ、これまでの歩き疲れで、腰に違和感は感じ始めていた。ひとりなので、トイレにどうやって行こうかと模索。一切の荷物をここに置いても、たぶん10分後には誰も持っていく人はいないだろう。でも、怖いし、荷物を撤収したら、スペースが確保できる保証もない。悶々とした時間が過ぎる。最悪の場合には隣の人に声をかけてみてもらおう。

20時、店が閉店するということで、その階段を締め出される。たちまち、こんな非常時こそ開放すべきだとのご年配の方からの抗議があったが、他の人はそれに従って出る。私も荷物をまとめて、途方にくれる。

JRは動いていない。そういえば、以前の地震でもJRの復旧が一番遅かったことを思い出し、東横線へ向かう。その時点で復旧の目処はなかった。コンコースの両側には人がもたれかかっていて場所がなかったが、たまたま人垣の隙間を見つけて、新聞を敷いて座り込む。今度こそ、野宿だ。

夕刊だったので紙は4枚。2枚を床に、残り2枚をひざに掛ける。殆ど携帯が通じないので、やることがなく、周囲は明るかったので論文や本を読んで過ごす。途中、家の妻から電話があり、やっとお互いの無事が確認できた。

それにしても、私以外の人は、殆どが立ったまま時間を過ごしている。疲労しないのだろうか。復旧前提で駅の近くにいるのだろう。

隣に、おばちゃん2人が座ってきた。話してみると、横浜に帰るところと言う。寒そうにしていたので、ひざにかけていた新聞を2枚、使っていただく。当初遠慮されていたが、是非と薦める。しわくちゃにする方法を教えると、本当に暖かい、と驚かれていた。

21時30分、東横線からアナウンス。点検のための試運転を開始するが、まだ復旧の見込みは未定という。22時、そろそろ電車が動き始めるとのアナウンス。人が入り口に殺到する。しかし、なかなか動かない。

私は座り込んで快適だったため、その行列に加わる気にはならず、座ったままひたすら仮眠、読書を続ける。そのころから、頭痛を感じ始めていた。疲れなのか、風邪でも引いたのか、わからない。徐々に耐えられなくなってきて、寒いものの横になりたい。

東横線の行列はピクリとも動かない。しばらくして、入り口を変更するというアナウンスで、並んでいる人からブーイングが出たり、(実際に再開しましたとアナウンスをした後に)運転再開の見込みはありませんとアナウンスがあったりで、また混乱する。

そのころ、頭痛で、一人だけコンコースで、ザックに足を突っ込み(ザックは、いざという時に、寝袋のように足を突っ込む。これは、登山者の常識)、鞄を枕にして、横になる。30分くらいうとうとしていたと思う。頭痛は回復しない。

23時、やっと電車が動き出した模様。歓声が上がったのは聞こえたが、頭痛。地下鉄のどこかの線も動き出したという。もっとゆっくりしていたかったが、東横線が動き出した情報は瞬時に東京中に伝わり、渋谷目指して人が殺到することが予想されたので、力を振り絞って、起きて、荷物をまとめる。以前よりも人が増えている。乗車規制をしているので、整然と並んで、整然と乗り込む。

徐行の各駅停車であったが、1時間ほどかけて横浜駅に到着。その時には相鉄線も動いており、最寄ではないものの、家に近い駅まで乗る。そこから徒歩。寒さと空腹だったが、コンビニは暖かい食べ物は売り切れ。ひたすら歩いて、1時過ぎに自宅到着。

翌朝、スーツを着て、自宅に帰ってきている人も多くいて、その晩に帰れたことはラッキーだったと改めて気づく。

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まとめ

東京の事は詳しくはないが、東京から横浜方面で一番早く電車が復旧するのは、今回も前の地震も東横線であった。渋谷の近くにいるのであれば、渋谷を目指すのが良いかも。それ以外にいたら、わからない。どこかの公的な避難場所がいいのだろうか。

常日頃カバンに入れていて安心したもの
・携帯充電器および単三電池2本

地震後ただちに買ったもの:
・新聞:くしゃくしゃに丸めて、毛布替わり
・手袋とマフラー:末端から冷えるので役に立つ
・携帯座布団:これを常時鞄に入れるのは厳しいか
・予備の単三電池4本:携帯充電器用。この存在が心の支え。
・30リットルザック:両手を開けて歩くためだが、最悪には足を突っ込み暖を取る。
・食糧:その後弁当を買えたので使わなかったが、1日程度は食いつなげる物を買っておいたので、安心にはなった。

災害ダイヤル:すっかり忘れていた。171は、今回の地震で皆覚えたと思うが・・・。

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その後

現在、車通勤をやめて、徒歩と電車の通勤にしており、渋谷で買ったザックを背負って歩いている。

2011年3月14日月曜日

近況

地震後の周辺の近況を。

私は、東京出張後、帰路の渋谷駅の電車中で地震遭遇。帰宅困難になりかけたが、唯一南方面は東横線が復旧し、23時に電車に乗れ、午前1時に帰宅。家族も無事。渋谷駅にいたのが幸い。

大学は、棚から書籍や書類が少々あったものの、致命的な被害は無いとの連絡あり。13日には実際に大学に来て確認する。一部学生のPCが机から落ちたそうだが、そのチェックはできていない。実験機器も薬品も無事。棚は、未固定のものは倒れずに横滑りしていた。打ち上げで皆で寄せ書きしたダルマが一切倒れなかったのは不思議。メールと電話で研究室メンバーの所在を確認完了。

14日(月)は、徒歩と電車で、遅れて10:00到着。12:20からの計画停電に向けて、コンクリート研所有のバケツ類を使って、土木棟のトイレの水を確保。その場に居合わせた数名の協力に感謝。

一部、最近に購入した棚が壁に未固定になっていたので、学生に手伝ってもらい作業を開始。現在に至る。

2011年3月9日水曜日

周囲を変える前に自分が変わる

卒論発表など、今年度の大きなイベントが終わり、研究室も引き継ぎモードに移行している。イベントに対応して、感じたとこ、考えたこともあるのだが、日記に記さないまま時間が過ぎる。よくない傾向。

最近読んでいるのは、何かの学会誌で紹介されていた「小説上杉鷹山(上)(下) (堂門冬二著)」である。確か、若者にぜひ、という感じで紹介されていたと思う。

若くして藩主になった上杉鷹山が、古いしきたりに縛られる米沢藩を改革していく様が描かれている。人を動かすためには謙虚になってまずは自分が変わること、周囲の人に火をつけて徐々に影響範囲を広げる、継続的な改革をするには教育が必要、など、マネジメントというのは時代に左右されない人間の普遍的なものだということを改めて身に染みて感じる。本書は、著者の作風なのだと思うけれど、一つ一つの行動の意味などを繰り返し解説しているため、マネジメントや自己啓発系の本をたくさん読んだ人にはくどい表現もあるものの、読みやすい。読んでいないが、昨年流行した「もしドラ」系なのだろうか。大学生やさらに高校生が読んでも理解できると思う。もちろん社会人が読んでも面白い。

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