2011年3月23日水曜日

地震時の対応

以下の文章は、地震後2日目にざっと書き上げたものだが、掲載するタイミングを逃してそのままにしていた。いち帰宅難民として、行動したことを書いておくことは何かの足しになると思い、掲載する。

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未曾有の地震と津波から2日が過ぎた。被害の全容も明らかではないが、これからが始まりで、それぞれの立場でできるとを考えて実行するしかない。

私は横浜在住だが、出張でたまたま東京にいて、いわゆる帰宅難民になった(なりかけた)ため、今後のためにメモしておく。東京が壊滅になったら、役に立たないとは思うが、遠距離で地震が起きて交通がマヒする、という程度であれば参考になるかもしれない。

午前中の土木学会関東支部学術研究講演会の座長を終え、新宿で打ち合わせがあったのでそちらに向かい、14時半に終了。14:45新宿発の湘南新宿ラインに飛び乗り、横浜ヘ向かう。疲れていたこともあり、グリーン車に乗った。(地震発生時刻と多少時間が合わない気がしたが、新宿駅のコーヒーショップのレシートの時刻が14:42なので間違いないだろう)

渋谷駅で停車中に地震に遭遇。なお、少し前に別れた先生は地下鉄乗車中で、緊急停止した後に地震が発生したとのこと。電車は安全に停止してから地震が到達したという。その先生も、私も、駅間でなかったのが幸いした。

列車が左右に大きく揺さぶられるが、グリーン車に着席していたのでそのまま座り続けた。地震の継続時間が長いなとは思ったが、車内なのでバネで揺れているだけかも、と、真相が良くわからなかった。その後10分位して、今後停電になるとドアが開かなくなるために乗客は全員外に出るように指示。ホーム上でその後の余震を迎える。結局1時間くらいホームにいる間、非常階段で地下に降りてもらうことになるという指示があったが、結果としてそういうことはなかった。

携帯のテレビを見たりして、状況が次第にわかってくる。外国人のグループが不安そうにしていたが、近くのOLらしき人が英語で状況を説明したりしていた。ニュージーランド地震の日本人のことが頭をよぎる。見知らぬ地での地震は大変だろう。

寒いので、コンコースに上がる。キオスクが開いていたので、長丁場を覚悟したので買い出しに。おにぎり類は売り切れだったので、調理パン、饅頭、カロリーメイト、パワーバー(菓子のようなもの)、単3電池4本、座るための新聞紙を買う。その後その新聞紙は大活躍することになる。

大阪からの出張帰り中という男性と話をしながら1時間ほど過ごす。こういう状況になると、人は話すのが好きなようだ。普段のぎすぎすした都会の駅とはちょっと違う雰囲気である。
携帯電話は、電話、メール、ウェブ、ともに通じない。家族とも連絡が取れない。その時には、公衆電話からの伝言ダイヤルは一切思いつかなかった。

その後、ふと、バスに乗って帰れないだろうかと気づき、改札を出る。改札近くの複数のテレビでニュースを放送しており、人だかりができている。携帯テレビでは不鮮明だったものがくっきりと眼に入り、ただ呆然とするしかなかった。既にバス停には長蛇の列で、既にテレビでも新宿・渋谷の帰宅難民の報道が始まっていた。出遅れた、と反省。すぐにバスに乗っていたら帰れたかもしれない、と後悔する。

横浜であれば何とかわかるが、渋谷にいて、田園調布方面というのはわかるが、他○○方面というバスの行き先表示を見てもまったく想像がつかず、さらに人ごみに酔って、バスをとりあえず諦める。一つ、空港のリムジンバスが動いていれば、一度羽田に出て、羽田から横浜に再度リムジンバスを乗り継げばいいのかと思うが、そもそもバスも来ないし、長蛇の列だし、その後駅前は大渋滞で高速も止まっているようでどうしようもないことに気づく。

気づいたら18時前。東京が壊滅にはなっていないので歩いて帰るのは無謀であったが、肩掛けかばんでは、重たい荷物で体が痛くなっていたので、若干の防寒具とザック類を買おうと思い、駅ビルの百貨店へ。百貨店は3つの建物に分かれているようで、移動だけで精神をすり減らす。スポーツコーナーのアウトドアコーナーにたどり着き、野宿を覚悟して、選択する。結局、30リットルのザック、アウトドア用座布団、マフラー、手袋を買う。店員が親切で、バスの心配など気遣いいただき感謝。

隣のジョギングコーナーでは、女性が運動靴を買って、ヒールを買い換えているのが多数。

地震が起こって、帰宅困難者が周辺をうろうろして、既に女性トイレでは30分程度の行列ができている。公衆電話も長蛇の列ができている。人がドンドンごった返してくる。しかし、それを除くと、、停電も断水もなく、ホワイトデー商戦のようで元気な店員の明るい声がこだまして、いつもどおりの営業が行われている。それがとても不思議だった。ただ単に年末のアメ横の混雑のようだ。地下の食品コーナーでは、何の不自由もなく食材や弁当を売っている。着飾った人も買い物をしている。地元の人が買いだめに走っているようにも見えない。

ゆっくり食事をしようと思ったが、駅の喫茶店は既に満員でみんな携帯でテレビを見たり、PCのモバイル通信でネットをしている。携帯はつながりにくいようだ。近くの飲食店もそうだろうと思い、デパ地下で温かい弁当を買い、道端で食べことにした。地下に降りる階段は、扉がついているので風もなく比較的温かい。階段の両側には、既に人が座っていたが、一人分空きがあったので、座り込んで食事をする。

今日はここで野宿と決め込み、新聞紙を敷いて楽な体制を取る。その際、単に敷くとすぐに床の冷たさを感じるので、一度くちゃくちゃに丸めて、空気の層を作ると暖かいのは、これまでの経験で知っていたので、それを実践して、比較的快適に。ただ、これまでの歩き疲れで、腰に違和感は感じ始めていた。ひとりなので、トイレにどうやって行こうかと模索。一切の荷物をここに置いても、たぶん10分後には誰も持っていく人はいないだろう。でも、怖いし、荷物を撤収したら、スペースが確保できる保証もない。悶々とした時間が過ぎる。最悪の場合には隣の人に声をかけてみてもらおう。

20時、店が閉店するということで、その階段を締め出される。たちまち、こんな非常時こそ開放すべきだとのご年配の方からの抗議があったが、他の人はそれに従って出る。私も荷物をまとめて、途方にくれる。

JRは動いていない。そういえば、以前の地震でもJRの復旧が一番遅かったことを思い出し、東横線へ向かう。その時点で復旧の目処はなかった。コンコースの両側には人がもたれかかっていて場所がなかったが、たまたま人垣の隙間を見つけて、新聞を敷いて座り込む。今度こそ、野宿だ。

夕刊だったので紙は4枚。2枚を床に、残り2枚をひざに掛ける。殆ど携帯が通じないので、やることがなく、周囲は明るかったので論文や本を読んで過ごす。途中、家の妻から電話があり、やっとお互いの無事が確認できた。

それにしても、私以外の人は、殆どが立ったまま時間を過ごしている。疲労しないのだろうか。復旧前提で駅の近くにいるのだろう。

隣に、おばちゃん2人が座ってきた。話してみると、横浜に帰るところと言う。寒そうにしていたので、ひざにかけていた新聞を2枚、使っていただく。当初遠慮されていたが、是非と薦める。しわくちゃにする方法を教えると、本当に暖かい、と驚かれていた。

21時30分、東横線からアナウンス。点検のための試運転を開始するが、まだ復旧の見込みは未定という。22時、そろそろ電車が動き始めるとのアナウンス。人が入り口に殺到する。しかし、なかなか動かない。

私は座り込んで快適だったため、その行列に加わる気にはならず、座ったままひたすら仮眠、読書を続ける。そのころから、頭痛を感じ始めていた。疲れなのか、風邪でも引いたのか、わからない。徐々に耐えられなくなってきて、寒いものの横になりたい。

東横線の行列はピクリとも動かない。しばらくして、入り口を変更するというアナウンスで、並んでいる人からブーイングが出たり、(実際に再開しましたとアナウンスをした後に)運転再開の見込みはありませんとアナウンスがあったりで、また混乱する。

そのころ、頭痛で、一人だけコンコースで、ザックに足を突っ込み(ザックは、いざという時に、寝袋のように足を突っ込む。これは、登山者の常識)、鞄を枕にして、横になる。30分くらいうとうとしていたと思う。頭痛は回復しない。

23時、やっと電車が動き出した模様。歓声が上がったのは聞こえたが、頭痛。地下鉄のどこかの線も動き出したという。もっとゆっくりしていたかったが、東横線が動き出した情報は瞬時に東京中に伝わり、渋谷目指して人が殺到することが予想されたので、力を振り絞って、起きて、荷物をまとめる。以前よりも人が増えている。乗車規制をしているので、整然と並んで、整然と乗り込む。

徐行の各駅停車であったが、1時間ほどかけて横浜駅に到着。その時には相鉄線も動いており、最寄ではないものの、家に近い駅まで乗る。そこから徒歩。寒さと空腹だったが、コンビニは暖かい食べ物は売り切れ。ひたすら歩いて、1時過ぎに自宅到着。

翌朝、スーツを着て、自宅に帰ってきている人も多くいて、その晩に帰れたことはラッキーだったと改めて気づく。

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まとめ

東京の事は詳しくはないが、東京から横浜方面で一番早く電車が復旧するのは、今回も前の地震も東横線であった。渋谷の近くにいるのであれば、渋谷を目指すのが良いかも。それ以外にいたら、わからない。どこかの公的な避難場所がいいのだろうか。

常日頃カバンに入れていて安心したもの
・携帯充電器および単三電池2本

地震後ただちに買ったもの:
・新聞:くしゃくしゃに丸めて、毛布替わり
・手袋とマフラー:末端から冷えるので役に立つ
・携帯座布団:これを常時鞄に入れるのは厳しいか
・予備の単三電池4本:携帯充電器用。この存在が心の支え。
・30リットルザック:両手を開けて歩くためだが、最悪には足を突っ込み暖を取る。
・食糧:その後弁当を買えたので使わなかったが、1日程度は食いつなげる物を買っておいたので、安心にはなった。

災害ダイヤル:すっかり忘れていた。171は、今回の地震で皆覚えたと思うが・・・。

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その後

現在、車通勤をやめて、徒歩と電車の通勤にしており、渋谷で買ったザックを背負って歩いている。

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