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2021年7月11日日曜日

段階的に学ぶ上で必要な情報

小学校の算数等で、かけ算の順序を巡っての、「キノコタケノコ論争」がなされている。私自身、教員のマイルールで行われているとしたらゆゆしきことでけしからんと思っていた口である。ただし、私が高専で橋梁工学や構造力学系の授業を教えるにあたって、そうも言っていられない状況に遭遇してきて、その感覚は揺らいでいた。そこに来て、腑に落ちる論考に出会った。ぱっと見て、単発の論考かと思ったら、サイト自体がそれに関して論考するもので、更新は頻繁ではないがきちんとしたエビデンスや実践を元にして、数年かけて今なお更新が続いている。作者に敬服する。

小数の筆算でゼロを消すことの意味「サイト:掛け算の順序をめぐって」

まだきちんと読み込めていない。私が揺らいできたといっても、2×3を、3×2にしているような類いが全て否定されるか、肯定されるか、という二元論ではないと思う。そのやり方を継続すべきもの、廃止すべきものには別れるように思うが、この思考を整理する中で私の方向性は提示したい。(よくある、多様性があるべきだからドッチモセイカイデスヨ、ではないということ)

さて、構造力学や橋梁工学を教える上で陥ること・悩みは次の通りか。

  • 初学者に対して、厳密な定義をしようとするとメチャクチャ長くなり、概念が掴めない。例外や適用範囲などを言い始めると、なんだかわからない。
    (イメージ:名前は「寿限無さん」でも「長助さん」でも何でも良いはずなのに、「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグーリンダイグーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」と呼ぶことで話の腰が折られたり、いわゆる「話が入ってこない」状態になる)
  • 応用は全部理解してからで良い。別解を否定しないが、まずは学生がその道の定石を理解してそれを使いこなせるようになって物足りなくなってから、初めて別の解き方や表現ができれば十分ではないか。
  • しばしば、実務ではそう言わない、みたいな評価も受ける。


書きたいこと、私が今やっていることを整理して世の中に発信したいことは多数あるが、時間が無いのでここで一旦ストップし、継続的に更新していきたい。

こうやって書きかけのものを提示することには次のメリットがある

  • それについて情報を持っている人と繋がる機会ができる。
  • 一度思考を始めると、無意識のうちに思考を続けて、より思考が深まる/答えが「舞い降りてくる」ことが多い。(立花隆、ほか)

2021年1月30日土曜日

継続教育とCPD

 技術者の継続教育ということでCPDを溜めている。

 学生は、単位数であったりその評定の平均値のGPAなどで数字に追われていると感じることもあろうかと思うが、技術者もそうである。

 民間の建設会社、コンサルタントの方も、CPDSという制度があるが、これは発注・受注の際の点数化に繋がるので、頑張って取得されていると聞くが、詳しい制度を理解しているわけでないのでここでは触れるだけとする。

 さて私の場合、継続教育ということで土木学会の技術者資格を取得している。現在は10年前に取得して1回更新した1級土木技術者を持っている(上級技術者は受けようと思っているが先延ばし。技術士としても継続教育のためのCPDが示されているが、CPDを必須とするAPECエンジニアは私には不要なので、土木学会のシステムに登録することで技術士のCPD計算の目安にしている)。さて、その土木技術者の5年毎の資格更新の際には、CPD250単位が必要である。講習会参加、講演実施、自己学習などをコツコツとシステムに入力しておくのだが、昔はゆるくて、自己学習などもあとでまとめて登録ができていたのだが(認定される単位に年間上限はある)、最終的に、管理する機構の方で自己登録の内容が正しいかどうかのチェックしてもらい、チェックをパスしたものだけが、正式なCPDとして認められる。

 以前は、資格更新時にまとめて5年間分を入力して250単位になったとしておけばよかったのが、内容の実質化のために今では次のとおり厳格化されている。ステータスチェックが受けられるのは申請から過去1年分、ステータスチェックは1回1000円、講習会参加・自己学習などもタイトルだけでなく毎回小レポートの記載が必要、委員会出席も自己申告だけでなく委員名簿や議事録等の証拠書類の提出が必要、等々。

 信憑性を担保するのは必要なことなので良いのだが、ステータスチェックが過去1年という物理的な縛りが今回の更新できつかった。しばらくCPDのシステムへの登録を放置していた時期があり、2019年末になって、そういえばそろそろ更新と思って調べると、定期的なステータスチェックが必要だったことに気づいた。2021年3月末迄で資格が切れるため2016年4月からのCPD蓄積が必要だったのだが、2016年、2017年、2018年は殆ど登録していなかったのでゼロに近い(唯一あるのは、土木学会の委員会活動へ参加すると、自動で付与されていた程度)。そのとき気づいた段階で、とりあえず過去1年分をスケジュール表を見て数時間かけて登録し、ステータスチェック依頼。そして以後はルーチンとして廻すため2020年末にステータスチェックを実施した。250単位必要なところ、2018年12月以降、ほぼ丸2年間で380単位といういうことで数字としては余裕でクリアしたのだが、ステータスチェックの遡及が1年というのはコツコツと準備しておかないと厳しかった。

 資格更新料が1級土木技術者で5年毎に約10000円、ステータスチェックが年間1000円であり、途切れなくステータス確認済みのCPDを貯めるには5年でトータル5000円の出費が必要。これは、技術者の研鑽を外部機関から担保してもらうために必要経費として良いと思う。

 ただし、更新直前でない時期(5年間のうち4年間)に普段から自分で気づいて1年間に1回ステータスチェックを受け続けるというのは途切れなく5回連続しなければならないので厳しい。審査機関としては最後にまとめて駆け込み登録する人を避けるというのは十分理解できるが、コンスタントに続けたい人がちょっと忘れただけで登録できないのは少し緩和していただけないかと感じている。

 人間が入力したものを人間がチェックするには、人のコストがかかるのがわかるので、安くしろと言っているわけでないが、リマインドがないのは辛い。それをシステムとしてどう改善できるのだろうかというプチ改善提案をしたい。

 金額はこのまま(5年間のステータスチェックは5000円かかること)が妥当という前提で考える。

 例えば以下の改善はどうか。
  1. ステータスチェックはサブスクリプションとして、年1000円で自動引き落とし。
  2. 年間1回(または5年間で5回)、ステータスチェックの依頼ができる。
  3. ステータスチェックを依頼する際には、過去1年の縛りはなく、それ以前でも支払いが継続している期間のステータスチェックができる。(もし、チェック後に登録することがシステム上問題あれば、前回のステータスチェック日以降という制限を設けてもよい)
  4. 5回を越える依頼は、別途追加料金。⇒外部に出す人以外は普通は使わないだろう。
  5. 1年に1回はステータスチェックを受けましょう、という定期的なリマインドは必要。
 上記の場合の特徴、想定される反論と回答は次の通り。
  1. 資格更新前にまとめて5年分申請する人が出るのでは? ⇒必ず出てくるだろう。そういう人は初めの4年間はステータスチェックを実施していないのでお金だけ払っていることになる。コストという観点では以前と変わらず、トータルとして5年間で平均すると1個の学習のステータスチェックの単価が○○円というのはサービス全体としてはこれまでと変わらず平準化できる。
  2. 5年毎にまとめて出す人がでてくると、同時期に申請した人が待たされて困る、ということに対しては、確認期間や件数に応じてステータスチェックの返答期限(回答納期)を数ヶ月単位で大きくすることもできるのでは。どういう順番で作業をするかは、必ずしも到着順でなくてもいいと思われる。例として、最近スーパーマーケットで増えたのは、買い物点数が少ない人のレジ、多い人のレジと列を分けること。多分、少量買いたい人がスーパーマーケットを敬遠していることに対する対応策かと思ったが、そうすることの合理性もある。
  3. そもそも、土木学会技術者資格証は、5年に1回更新(紙ベースで)でというのが果たして今の時代にふさわしいのかも再検証して良いかもしれない。テニスのランキングみたいに、過去○年分の働きに応じて失効したり復活してもいいのかもしれない。 ←この部分はCPDの改善と直接は関係ない蛇足だが。
 今回は、土木学会技術者資格の更新を中心とした、土木学会のCPD登録システムに限定して論じたことを、改めて断っておく。

2020年8月23日日曜日

台風上陸の定義

 昔からおかしいと思っていたが、台風の中心位置だけをみて、その「点」の移動のみで「台風が上陸した」と報道するのは感覚にそぐわない。そもそも、台風の定義が、最大風速(10分間平均)がおよそ17m/sということなので、仮に、その風速をもつ部分を含む大きな丸い範囲が台風の大きさであり台風そのものだとすると、その部分に入ったところは全て上陸と言っていいはず。例えば、「徳島県に上陸した」と報道しているが、その時既に対岸の和歌山県にも暴風域に入り多くの雨を降らせているのは、実態にそぐわない情報伝達であり違和感を感じる。

 また、四国を通過して、海を越えて本州に入ったら、「再上陸」というのも感覚にそぐわない。瀬戸内海は陸ではないことはわかるが、では淡路島、もっと小さい島に住んでいる人は何なのか。そもそも、四国と本州をわけることの意味は? 「再」という語感からは、ゴジラが一度海に戻って、翌日に引き返して戻ってきたら再上陸でよいが、単に直線的に進んでいる場合には再上陸と呼ぶことは、言葉が受ける印象との乖離があると思う。2018年7月の迷走台風の時だけが「再上陸」使えるシチュエーションではないか。現在の使い方にこだわるとしたら、もしリアス式海岸をギリギリに通ったら、10回ぐらい再上陸というのか?
 排他的経済水域は余りにも広すぎて実感がないので、「領海」あたりであれば、上陸ではないが、ゴジラいや台風が日本に進入した、という実感が大きい。

 話(主語)を大きくしたくないが、本質的な内容よりもわかりやすい数値を採用したがるマスコミの科学リテラシーについては、色々な面で課題があると思う。
 気象報道に関連すると、気象台等の観測地点のピンポイントの最高温度更新の報道合戦も然り。もっと大事なのは実際の生活空間の実温度を報道すべきであろう。片手に持てる温湿度計を炎天下持ち出して、今気温が◆℃ですというのは科学的におかしく、日中に出していたプラスチックの温度計が熱せられて◆℃ですと伝えるべきである。

 普通の道路空間の温度と気象台発表気温との乖離がもたらす危険性、冷房のない学校の教室温度、28℃に設定してる役所のオフィス内は実は30℃を越えているけど設定温度を下げられない硬直性とか、誰も触れない甲子園のマウンドの温度とか、斬り込むところはいくらでもあると思うのだが。

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2018年8月23日のfacebookの投稿でオリジナル発表し今回加筆して掲載しました。

2020年5月17日日曜日

この商品がもし税込100円だったら

世界がもし100人の村だったら」は名作だ。私たちに色々な示唆を与えてくれる。

新型コロナウイルスへの対応で巣ごもりに伴う消費が冷え切る現在、地元の企業・街の商店を応援、という雰囲気の中、大手チェーンでの購入というのは一体どの程度地元へのプラスになるのかというのは私たちは情報を持っていない。

同じ本を買うならAmazonよりも地元の本屋で注文、というのもわかるが、なかなか踏み切れない。で、次のような指標を何か計算して、開示してもらえないだろうか。

ある企業の総売上のうち、地元に落ちる金額の割合。

話は簡単ではなくて、生産者、卸業、従業員給料、等々、影響が大きい(経済用語でこういうの何というのだっけ)。100円の購入も、多層にわたるので、全部を考えると100円でなく、それが200円、300円になるが別にそれで良い。その金額の内、地元の県に落ちるお金が幾らかを、パーセンテージで表したもの。

「この商品がもし税込100円だったら」

この商品をこの流通で買ったときに全体の波及効果が230円であり、
そのうち
 5円は国の税金になり
 7円は香川県の税金になり
 40円は東京都にある本社の利益になり
 30円は香川県内の農家の利益になり
 20円は香川県内の問屋の利益になり
 17円は香川県内の工場の利益になり
 45円は香川県内の従業員の利益になり
 76円は香川県外の利益になります。

というような数字を知りたい。

大手チェーン店というのも、雇用や一部の商品納入には貢献しているので、ダメなんてことはない。でも、地元をもっと応援することへの情報が欲しいのだ。

外部不経済について

外部不経済という考えがある。

正確な定義ではないが、ある行為を行う際に、その閉じた中で100%循環できるか、外部に依存したものかということである。橋梁構造物における自邸式、他邸式、というのとアナロジー(類似性)がある。

お祭りの屋台を考えると、購入した焼き鳥の串、りんご飴の割り箸、すべてゴミになる。お祭りの場合、見た目というのもあるがとにかくゴミは無視できないため、お祭りの主催者側が費用を払って回収を行う。では、コンビニの弁当や、オフィス街で売っている弁当というのは、いったい誰が処理をするのか。購入した消費者にその責任があるとはいえ、捨てることを前提に利益計算などが考えられていると思う。特にオフィス街の弁当は、購入して1時間後にはゴミになる。

コンビニのごみ箱は、そのコンビニで購入した食品の容器を捨てることもあるが、それは、イートインで消費したものと、車で来て駐車場内で食事をして、終わったらもう1回入店してゴミだけ捨てるというケースに限られるだろう。なおその時は、堂々と捨ててよいはずなのに、家庭ごみを持ち込んでいると「思われるのではないか」と、肩身が狭い。

では、その場で消費しない弁当や飲料は、どこで捨てればよいのか。そう考えると、そういうのを捨てるために、インフラとしてコンビニのごみ箱が存在しているという風に考えることもできる。あるコンビニで買ったもの(弁当や飲料)のゴミを他のコンビニで捨ててもよい、という世界。ただし、特定のコンビニだけ、ごみ処理費用を過度に負担するのは持続性はないので、全体のインフラとして考えているのであれば廃棄料金負担をシェアするシステムがあってもよいのではないかと思う。

シェアサイクルのうち圧倒的に便利なのは、各地に貸出・返却ポートがあってどこを使ってもよいものである。たまに一部のところに自転車が滞留するので、それを分散させる仕組みが必要であり、そういう管理費も、費用の中に含まれている。

高速道路のごみ箱は、休暇シーズンになると、外からの家庭ゴミ持ち込みは禁止という張り紙(さらには監視員も)ばかりでうんざりだが、これから長期旅行で高速道路に乗る際には、自宅の生ごみは処理しておかなければ大変困るので、それを道中どこかで捨てなければならない。コンビニには捨てにくくなっているご時世なので、高速道路だったら、と考えられなくはない。高速道路の付加サービスとしてもよいのではないかと思う。そう考えると、「バカンス移動者のための自宅ゴミ有料受付」というのがあれば、利用する側も胸を張って多少高くてもお金を払うのに、と思う。(払わない人もいるから不公平だと思って払わない人もいるのは理解できるが、「胸を張って捨てられるサービス自体に対価を払いたい」と思う層もいるので、そういう人が払わない人の分のコストも含めて払うと思う。それが付加価値である。)

海外を旅行すると街角に公共のごみステーションが多数あったりして驚くが、日本ではどんどん街角のごみ箱が撤去されている中、日本ではコンビニがそのインフラを担っている気もする。コンビニの発展が日本の特徴なのは明らかであるが(最近では災害時のトイレ提供を期待されている)、好立地のコンビニほどその費用負担に苦しんでいると聞くので、そのように特定の民間にコストを押し付ける現状でよいのだろうか。ゴミ捨てとなった時に自己責任、自己負担という風に捉えがちであるが、街角に公衆トイレが必要というのと同様、ごみを捨てる権利もあると思う。

そういった自己責任という名の不作為は、災害時避難所の雑魚寝や使いにくさというのとオーバーラップして見える。

コンビニのごみ処理費用に戻るが、たとえば、複数の鉄道会社が相互に乗り継ぎができるのは、料金を適切に清算されるシステムがあるためである。切符を買った駅の会社のみに利益が入るのであったらそもそも成り立たない。銀行ATMについても、相互利用では利用のたびに銀行同士で利用料を支払っていると聞く。

対象物を変える。

例えば、洗剤を考えてみる。話を簡単にするために、洗濯洗剤やシャンプーに限定しよう。洗剤メーカーというのは、ものを洗う製品を売るというサービスに対して、終わった洗剤を廃棄する料金を100%下水道に依存している。それが良い悪いということでなく、そういう特定のルートに依存しているシステムというのは面白い。

海外の一部の地域であるようなのだが、生ごみをキッチンの流しにそのまま流せる。配管の内部でミキサーのカッターのようなものが固形物を粉砕して細かくし、下水に流す製品がある。日本でも一時期販売されたが、下水の詰まりというか、そういうところで問題になって消えたと思う。本来ゴミは固形ゴミとして処理するシステムがある中、水に流すというのは単に細かくしているだけで物理的は消えないので、末端で集まった時にその処理費用が100%発生するのはやはり外部不経済になっていてフェアではないだろう。

数パーセントの人が使っている限りは問題ないという考えもあるが、持続可能な世の中を考えると、仮に普及率100%になってもおかしくないようなシステムにしておくのがよいと思う。

よって、ゼロサムゲームで儲けようというのと同じで、原理的に持続可能性はない。冒頭の例で思い出したが、お祭りといえば、金魚やミドリガメも、その後の処理という意味で外部不経済である。

関連したゴミ箱の話題で、次のことも思い出した。ある施設(店舗)の入り口に、灰皿がある。でも、店先で吸うなと。その理由は、外で歩き煙草で吸ってきたのを消して、施設に入ってもらうための灰皿であると。


特に結論はないのだが、普段から考えていることを文章として整理しておきたくて、ここに吐き出しておく。

2020年4月22日水曜日

波及効果とシステム設計

【2020/5/10追記:期間の再延長がなされたので再度当該ページを見ると、「流れ」が提示されているのを確認し、シールが送付されるとのことがわかった。下記の執筆時点で掲載があったのを私が読みそびれて誤認して指摘していると思われるが、その部分を訂正しつつ、記載は残しておく】

運転免許の更新の3ヶ月延長と免許センターが更新休止になったことで、思うところがあるので、長文であるが、書く。

ホームページに情報の発出日が書かれていないので、話の前後関係が見えないのだが、改めてざっと全国の情報を調べると、次のようなことだと思っている。

1)新型コロナウイルス関連の社会的混乱 and/or 拡大防止のために、免許更新の有効期限を延長する措置がとられた。

その場合、あくまでも免許ユーザー側の都合の面が多く(人混みに行きたくない、忙しくなっていけないへの配慮等)、あくまでもユーザー本人が免許センターへ延長の申請をする必要がある。

ユーザーのメリットしては、一度余計に免許センターへ行くが、室内での講習(三密?)を受けるのを延期させることが挙げられる。事態が落ち着いてから改めて更新の講習を受けられると。

2)その後、緊急事態宣言が当初出された7都府県では、更新延長の手続きを行くのも減らした方が良いとの判断で、郵送申請の受付が始まった。その後郵送申請は順次全国に拡大しつつあるようだ。都道府県の判断で実施の有無のため、統一はされていない。

以上については、何となく、わかる。人混みに行きたくないというユーザーの心情に寄り添ったものと言える。新型コロナウイルス自体が個人で望んだものではないという指摘は理解できるが、完璧は存在しないので、形態としてはあくまでもユーザー側の希望で延長したいニーズの範疇であると考えるのは、納得はできる。

ただし、最近になって、別の事情も絡み、不都合があると私は考えた。少なくとも香川県の例では、発表されたのかがいつなのかがわからないが、本日4/22(水)の段階において、4/24(金)から免許更新の受付をストップする。よって、リスクを冒しても免許更新をしたいという人もとにかく物理的に一切免許更新ができなくなった。

なお、最終日の4/23(木)に、明らかに今までよりも集中するのは明らかだが、なぜその猶予日を設けたのかというのもわからない。もっと前からアナウンスがあったのであれば、それほど目くじらを立てなくても良いのかもしれないが、この件はわからないし、本論から外れるので置いておく。

時勢でしょうがないのはあるが、物理的に更新が絶たれたのである。しかし、なぜかこれまで通り、免許ユーザーが別途延長申請をしなければならないというところに私は疑問を感じている。


  • 免許センターに行く場合、まずは延長申請を窓口でして、何かしらの印(しるし)をもらうのだと思われる。そして、3ヶ月の延長申請内で、改めて免許センターに来て普通の免許更新をするということになる。収束しなければ期間が延長される可能性はあるが。
  • 免許センターに行かないで郵送で手続きをすることもできる。HPのお知らせは不案内で、私は当初はそれに気づかなかった。その不満はここで置いておいて、とにかく返信用切手も同封して申し込む。

基本的に免許を更新しない人はいないわけで(更新しない人も一定数いるのはわかるが、基本は延長するというシステムだという意味)、強制的に更新する手段が絶たれた以上、なぜ延長申請というこちらからの申請という行動が必要なのか、窓口に行かなければならないのか(→不要である。自動延長すべきである)というのが私の意見であり、今回の決定はシステム設計がおかしいと思う。

私は、ブログにおいて、個人に対しての非難や、想定し得ないこと(しかたないこと)に対する批判のみ、は避けているつもりだ。しかし、ある方法を検討する際に、①スタンス・考え方がおかしい、②副作用などが十分に検討されていない(MECEに考えられていない)、という観点は常に指摘したいと思っている。

ただ、いつも、私が検討不足の点、気づかなかった点があれば、反論は受けたいと思う。その場合には、追記してこのブログも更新するつもりである。

以下、関係するHPリンクである。魚拓(HPのデータ保存という意味)はとっていないので、その後変更されるかもしれないが。
https://www.pref.kagawa.lg.jp/police/menkyo/enchosochi0.html
https://www.pref.kagawa.lg.jp/police/menkyo/enchosochi.html
https://www.pref.kagawa.lg.jp/police/menkyo/enchosochi2.html



なお、付随した細かい話であるが、以下、関連して気づいた私なりの改善点提案である。


  1. HPにおいて、今回の新型コロナに関する変更等の通知は、情報の発出日を記載すべきである。
  2. 私は4/22の時点で知ったのであるが、4/24から更新手続きを停止するのであれば、最終日となる4/23は、その自体に気づいた人で駆け込み更新が予想される。感染リスクを減らすという趣旨を考えれば、移行期間なしにストップすべきでなかったか。(いつ発出されたかがわからないが、仮に1週間とか余裕をもって集中しないようにしているとしても、そうすると4/24から休止する意図も不明である)
  3. 香川県の5箇所で更新業務を休止する、という通知しかないが、それだと、もしかして、その5箇所以外での更新があるのかな、と思って探すが、更新できる場所が掲載されていないので、全箇所なのかなとも思えるし、そもそも未だに解らない。読み手が欲しい情報と、発信している情報の出し方が食い違っている。
  4. 更新期間の延長の書類が、「更新手続開始申請書」という名称になっており、それが今回の更新延長で必要な書類である、というのが名称からはわからない。記載例を見て、それがわかった。そもそも意味がユーザーにとって不明瞭な書類の名称は改称すべきであり、まだ「様式1」とでもしてもらった方がマシである。とはいえ、今回の新型コロナ騒動は想定されていないと思うので、仮に名称が旧態のままとしても、解釈などHPでの説明を工夫にすべきである。その割には、送付先住所が、「香川県運転免許センター 運転免許係 郵送延長手続担当者」となっており、やっぱり「延長手続」なのである。せっかくなら、初志貫徹で「郵送更新手続開始担当者」として欲しかった(イヤミです)。
  5. 郵送の場合、返信用切手を同封とあるので、何かが送られてくるのは予想できる。それが何なのかを示して欲しい。どんな状態になったら3ヶ月延長になっているのかのゴールを示して欲しい。当初、申請をしたら、県警の方でデータが書き換わるだけかと思っていた(返信切手を読み飛ばしていたので)。免許証の原本は送らないので、シールが送られてきてそれを免許証に貼るのか(他人が貼っても有効になっては困るので、そのシールには申請者の固有番号が入っていないと論理的におかしい)、または延長証明書などの書類があるのか、その情報が必要と思われる。それが全くなく、単に受け付けました、という書類だったら本当に笑える。
    【2020/5/10訂正:以下のページ(pdf内)に更新手続きの流れが示されていて、更新シール(氏名と免許証番号も記載)を貼ることが示されていた。更新したい人には最低限の情報提供されていることを評価できる。ただ、行政HPにある通り、pdfの掲載のみなのでそこに何が書いてあるかの一覧性がないのは不親切ではある。
  6. 5.と関係するが、運転免許証は本人確認書類である。民間(例えばビデオレンタル)でも身分証明書として通用する。一般国民が、今回の3ヶ月の有効期限延長された免許証がどのような表示があるのか、というものが開示されている必要があるだろう。その様なケースは少ないのは解るが、それが筋というものである。変な話だが、私は、警察手帳の原本を見たことがないし頭に入っていないので、刑事ドラマのように警察手帳をチラ見せされても、その人が警察官であるという自信が持てない。それと同じである。
    【2020/5/10コメント追記:前項5の訂正に記したとおりであるが、情報は掲載されていた。ただし、あくまでも手続者のみの情報提供なので、本人確認等する人は知らないしわからない。まあ、そういう人が地元県警のホームページを見るかとなると疑問はあるが、検索したら出てくるようになっている必要がある。日本国として。


疲れてきたので、これで終わる。

色々書いたが、私のブログの購読者も少ないし、管轄する関係者や、そういうネタを探している政治家に伝わるという奇跡もないだろう。ただ、自分だったどうするか、という思考訓練として、良いトピックだったと思っておこう。勉強になりました。

【4/23朝追記:4/23の朝刊全国紙のローカル面において、4/22に休止決定であること、その期間が4/24~5/7であること、が報道されていた。期間の終わりが決まっていたのが正しければ、HPにその掲載がないのはなおさら不誠実と思う。当該新聞以外に裏はとっていないので仮の指摘としておく。】



重複するが、Facebookに先に記載したものを以下そのまま転載する。

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免許更新について、3ヶ月の延長処置があったが、香川県では免許センターの「更新業務」が休止するために更新に行きたくても行けない。私の自己都合による延長ではない。しかし、規定通り3ヶ月延長をするには、免許センターに行って延長手続きをしなければならない。センターでは「延長受付業務」はしていると読み取れる。

私の自己都合ではない、センター休止に伴う更新不可のため、手続きをせずに自動で読み替えをしてもらえないのだろうか。

3ヶ月以内に免許センターへ2回行くことになる。

とここまで書いていて、当該ページを何回かクリックして郵送というリンクを発見した。郵送で延長申請がもできるので、三密を避けるにはそれが妥当なラインだろうか。

郵送先は「郵送延長手続担当者 宛」であるが、記入して同封する書類は「更新手続開始申請書」である。一瞬だまされたかと思うネーミングがまた、素晴らしい。

同封すべき244円の返信用切手を購入する際の三密と、免許センターで更新延長手続きをする際の三密、を天秤に掛けなければならない。

免許証の原本を送ってスタンプを押してもらうものではないが、「何かいいもの」が返送されてくるようである。それが何かを明かしてほしいものの現時点ではわからない。勝手に推察するが多分「延長しましたシール」なのだろう。または、右の者に延長許可を与えている、という書類かも。その場合、その紙を同時に携帯していないと法律違反になる(妄想)。

いろんな意味で、楽しみである。

2019年10月23日水曜日

コミュニケーション能力 色々

就職活動、いや生きる上でコミュニケーション能力が必要、という話はずっとされており、そのこと自体は月並みなのであるが、その認識においてズレがある。

よどみなく、笑顔で、話ができることは、社会において余り問題でない。それよりももっと大事な事が多数あるので、優先順位は1番ではない。


内田樹氏は、土木技術者に向けた文章【リンク】の中で、「コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力だということ」、としている。

なお、この内田樹の文章は、授業やホームルーム等でよく使わせてもらっている。

安達裕也氏はブログ【リンク】において、ウィリアム・フォン・ヒッペル氏の引用になるが、「他者の考えていることを類推する能力」と紹介している。いま原点に当たれないので孫引きで申し訳ない。


色々な定義はあるが、ある概念や行動であることは間違いない。それを、色々な人の切り口で表現したに過ぎない。

いま高専でも盛んに採り入れようとしている、分野横断能力のコンピテンシー評価に近いものがあり、その評価方法は複数の評価軸を採り入れたルーブリックを採用している。


よって、コミュニケーション能力を体現するルーブリックを作れば、チェックリストとしてみることで、求められている能力が類推できるのではないか。

ということで、その作成を開始してみたい。

このブログは、今後修正を加えていくので、期待して欲しい。

2019年10月21日月曜日

ハザードマップを調べてみた

我が家の備忘録として記載しておく。

今回の台風19号の東日本を中心とした大規模災害では、離れた香川県からリアルタイムでニュースを見ていた。ニュースでしきりに「ハザードマップを確認して下さい」というのが流れていたと思うが、改めて、その時に自分の地域のマップを確認していなかったことに、1週間以上経ってから気づいた。傍観者だった。何を考えていたのだろうかと恥ずかしくなった。


改めて、特に何も考えずにネットでハザードマップを調べたが、自治体が出している紙ベースのpdf資料に行き当たった。そういうものだろうと思って調べていたので、それに行き着いたのかもしれない。

サイトで改めて、自宅と職場のハザードマップを見る。

まず、愕然としたのは、ハザードマップという名前が付いたマップ以外にその趣旨のマップが多数存在したことである。

自治体のポータルサイトのようなものがあるが、その後も検索を続けると、別の部署が作っているマップに出会う、ということを繰り返して、結果として、次のようなマップ群を得た。

 高松市防災マップ(指定された河川毎)
 高松市土砂災害ハザードマップ
 洪水浸水想定区域図
 たかまつ防災マップ
 土砂災害警戒区域指定区域図等

発刊している部署が違えば、発行年次も違う。

あるマップはHPに訂正情報がコメントとして欄外にあるが、pdf自体は更新されているわけではない。変更点は、主として避難場所のネーミングライツに関するものだったので、支障は無かったが。県民ホール→○○ホール等。

地域毎に一覧になっているが、必ずしも自分の町名と対応しているわけではない。●●地区とか。これは、自分の地域は見ることができても、他の地域を探そうとすると、何地区に含まれるのかを文字情報として知っておかないと調べられないことは、億劫であった。

これらの閲覧に関しては、PCであっても、複数の10MB級のpdfファイルのダウンロードと閲覧は、PCに慣れている身としても、少し厳しいものがある。

我が家の近くには、小規模のA川が流れているのだが、マップには、市内でも比較的大きいB川に対する氾濫マップが載っているだけで、B川の氾濫はA川で止まった地図になっており、我が家は安心である。ただし、それに伴って最寄りのA川が氾濫した場合、その地図は存在していないとも読めるので、余り参考にならないかもしれない。もしかしたら、含まれるのかもしれないが、そもそもその様なマニアックなQ&Aがあるわけでもなく、わからない。

と、PCを普段使いこなしていると自負している自分でさえ、億劫に感じたので、スマホのみでは、これらの平行した情報を網羅できるとは思えない。

そこに来て、そもそもそういうアプリがありそうだと、改めて気づき調べてみると、スマホアプリの前に、網羅されたホームページを見つけた。

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【NHKによる、動画でのハザードマップの調べ方】

さらに、こちらも詳しく書かれています(2019/10/22本ブログ記載後に追記)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191021/k10012142841000.html?fbclid=IwAR11PslnZRj4GOE_tc2Mfl9wfe3Y2rnw3PoBlVeHG4WMQPyBf1HWFzB93oQ

そこでも紹介されているが、
【重ねるハザードマップ】
【わがまちハザードマップ】

ただし、既存のデータを集約しただけなので、基本は変わらない。
それに、あるマップのデータは、何のリスクを対象としたものなのか、をきちんと確認すべきである。

前述の通り、B川のリスクが表示されているわけであり、A川は含まれていない、という可能性もあるのである。

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香川県といえば「ため池」。ため池のリスクについて、県内では関心が高い。
「重ねるハザードマップ」には色々なリスクが掲載されているが、仮に香川県の地図を開いて、「ため池」のマップレイヤーを重ねてみて欲しい。・・・・・何も起きません。

解説を読みましょう。

現在収録されているため池のハザードマップは、群馬県、栃木県、千葉県、兵庫県のみである。仮にその4県のため池が決壊しても香川県は安全ですから!(波田陽区風の口調で)
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ということで、マップの特性を理解しないと、間違った使い方になる。


スマホアプリは、まだよくわかっていないので、とりあえずここで終わる。

2019年10月6日日曜日

ヒューマンエラーを防ぐ努力 インフラにおける水野美紀・真紀問題

数学界でのフェルマーの最終定理のように、平成時代に思春期~青年期を過ごした我々の長年の解けない課題に、「水野 美紀・真紀 問題」がある。

ちょうどわかりやすいページがあったのでそちらに譲る。
https://tomitoko.com/archives/6432

さて、以下は、2014年の日本コンクリート工学会での私が幹事を務めた「コンクリート技術者の若手オープン懇親会(100名ぐらいが参加)」の時に、クイズをしたものである。これ系のネタはよく使う。

次のうどんのメニューの名前を、早押しで、かつ、選択肢の中から選ぶものである。

正確には、早押しではなく、指定したアドレスに、選択肢の番号を書いて、メール送信させる全員参加型ゲームである。同じ正解なら、受信が早い方が勝ちなので、みんな慌てて送信する。



鉄板ネタとして、問題を出題している中で、司会の私が「誤って」答えの「かけうどん」を発言してしまう「ボケ」というか「フリ」も入れておく。一斉に「あらら」となる。

そして、選択肢のスライドは次である。


正答は、次の通りであるが。


その時は、会場からは、「掛け布団にしてしまったよ」などの笑いが漏れた。

ということで、とにかく、紛らわしい選択肢は、とっさの時に間違える。これは人間の性であり仕方がない。

ヒューマンエラーを防ぐ工夫が必要である。色を変える、フォントを変える、他。


田中さん、中山さん、山田さん、でも生じうる。
大林さん、林さん、小林さん、中林さん、これは違うか。


で、四国のインフラにおいて、水野美紀問題があることに気づいているだろうか。地元の高松に戻ってきて7年目であるが、当時18年振りに戻ってきたときに、これは違う!と思ったことが2つある。高松周辺は高校生までに自転車で走り回って土地勘もあるが、わからないことがあった。(両親が転勤で高松を去ったので実家は無く、高松に降り立ったのが出張や観光を除いて18年振りだったので)

・当時は高校生であったが、自身が酒を飲むようになったので、飲み屋の店がわからない。
・当時は自転車移動であったが、自分が車を運転するようになった。そもそも高松に高速道路が全線開通したのが大学時代なので、高速道に慣れていない、ということだった。

そこで面食らったのが、高速道路表示における
 高松
 松山
 高知
 徳島
の表記である。この並びであれば、まだましである。

 高松
 松山
縦書きですか?横書きですか?

今年に入り、スマートIC(インターチェンジ)の入り口を間違えそうになったことがある。

府中湖PAに併設されている、府中湖スマートIC で、高松方面に乗るつもりで、1つめの入り口をスキップして、2つめの入り口で入ろうとしていたが、1つめの看板を誤読して、「あれ、ヤバい」と入ろうと曲がってしまった。実際には入り口は少し先なので思いとどまったが、実はこの看板を越えると、見える範囲には、松山方面という表示が無く(その時そう思った)、単に高速入り口、しか書いていないので、そのまま間違えて入るところだった。1回見間違えるとリカバリーが厳しい。

では、疑似体験しよう。

先に断っておく
 東行きには、高松、徳島、神戸(明石海峡大橋経由)
 西行きには、松山、高知、岡山(瀬戸大橋経由)
がある、という位置関係である。

1)インターの100m手前。私は高松に行きたいので、2つめの入口で入ればいいと認識する。正確には、普段よく乗っているので、そのぐらい覚えている。
この看板は、文字が横書き、であることに留意されたい。さらに、ここには、高知の記述がないことも留意。


2)実際の1つめの入口への交差点が見えてきた。でも、行き先の地名を記したフォントが小さいので、あまり気にしないが、元々「これはスキップするぞ(乗らないぞ)」という頭になっている。


3)しかし、その看板が近づいてきたら、文字が目に入ってしまい、「え?」。
一瞬だったが、横書きの「高松」が目に入ってしまった。


で、今回、急いでこの交差点を曲がって入ろうとしてしまったのである。ここの一連の看板表示において、「高知」という地名が新出であった。

4)ちなみに、上記の1つめの交差点をスキップできたら、2つめの交差点には本来乗るべき「高松」の文字が写真のように出る。でも、「徳島」の文字は新出。



ヒューマンエラーになったポイントは次の通りか。
・縦書き、横書きの混在(途中で変化する)
・高松、松山、高知問題のそもそもの存在
・初めに出てきた看板の地名(4つの地名)と次の地名(3つ+3つ)の不一致(増える)

私のブログには、個人攻撃やネガティブ指摘はしないように運用しているが、これは広い話題なので提示しておくこととする。

学問として、ヒューマンエラー、安全管理、などは人並み以上に学び、実践してきた自負はあるので、建設的な指摘として考えている。

2019年6月10日月曜日

目標の設定の仕方について

 思考の整理のひとつであるが、小さい頃から考えていたことを無性に整理したくなった。
 目標の設定の仕方について、いくつかの観点で分類できる。思い付くままに3種類の設定方法を考えた。

1) ゼロサムか、そうでないか
2) 相対的な評価か、絶対的な評価か
3) 評価が他人からによるもの、自分で下すもの

 ゼロサムとは、一方の利益が、他方の不利益になる考え方である。1)の例を挙げる。スポーツなどで○○大会優勝を目標とする方法である。これは明らかに、2名以上がそれを希望したら、絶対に、両者の目標が同時に達成されることはない。1人が達成したら、他者は達成できない。
 2)の例は、相対的な評価としては○○大学合格、のようなものか。定員40人に対して、41人以上いれば、全員が合格することはない。絶対的な評価として、入試得点○点獲得は、全員が達成することはある。

 教育や、指導を行う立場からは、ゼロサム、相対的評価をゴールを設定することは、際どいことがある。
 まず、相対比較になってしまうため、レベルが高まってくると、頑張りや、教育指導とは離れた評価となってしまうためである。あるレベルに達しているのに、目標に到達できないということが起こる。勝負の世界では、頑張って上達して、教育上何も申し分ないものの、たまたま相手が強かったために、勝てない、選ばれない、ということが生じることがあり、その場合の評価はどうなるのか。高校野球の甲子園出場を考えてもらえれば、わかりやすいだろうか。県で1位、2位を争う強豪校は、それほど力の差は無いと私は思う。当日の運のような側面もあろう。若年者は特に「ゴールに達成できない=挫折」というような自己評価になりがちである。努力の割に、達成できない人が多すぎやしないだろうか。

 ブラックジョークや、星新一のショートショートなどでよくある話だが、「世界最速の車が欲しい」「世界一頭が良くなりたい」という願いに対しての魔法使いの答えが、自分が速くなるのではなく「他の車がメチャクチャ遅くなって」それが達成されるという鉄板ネタがある。すなわち、結局の所、そういう面も多々ある。足を引っ張ることが、目的の達成になり得るということは、仕組みとして脆弱に感じる。

 ノートパソコン世界最軽量で、NECとFujitsuがしのぎを削っている時期があったが、そのお陰で人類は劇的な進歩を遂げた。そもそもPCは人間にとって何グラムでなければならない、という絶対的なものというゴールはなく、時代とともに変わり得るためか、そもそも人間は確定的には設定できない。そうやって競うことをひとつの目安としていれば、結果として人類の発展に寄与するのである。このように、ゴールが設定しづらいもので、かつ企業としての長い闘いを行う時間があることが約束されているときには、この方法で突き進むことに間違いが無いように思う。そういう関連した側面を、意識する/しないは別としても、結局その闘いによって人類の幸福がもたらされている。

 ただし、教育や、若年者の成長という、対象者にとって期限が限られていることがらに対して、そういった相対的な目標設定がなされることは、本当に良いのだろうか。

 ○○会社に就職したい、それ以外の選択肢は考えない、その会社に就職できなかったら挫折、ということもよく聞く。
 では、▲▲技術者として活躍したい、という目標設定であれば、すぐには答えは出ない。

 最後の3)について。サービス業というものは、概ね人からの評価によって成り立つので、人からの評価を切り分けることは難しいだろうか。例を挙げると、医者になって活躍したい、という場合は、人から感謝されたいという面があり、活躍したいというのは結局他人の評価なのだろうか。まだ議論が雑なので、もう少し深い考察が必要な気がする。
 イチローの野球への取り組みは、自分自身の評価かもしれない。自分が納得したスイング、守備をしたい、と。

 このような観点で整理すると、見えてくるものがある、と思っている。小さい時から違和感を感じていたことであり、結論は出ないものの書くことで少し整理がついた。

2019年4月26日金曜日

50文字のメッセージ

2019年3月8日、高松自動車道4車線化全線開通。

NEXCO西日本が開催するその記念祝賀会に、お祝いメッセージを寄せて欲しいという依頼があった。それが、50文字でお願いします、とのこと。ツイッターでも140文字なのに、厳しい、と思いながら、是非と引き受けた。依頼文を見ると、おめでとうございます、などの言葉は省略をしてください、とのこと。

工事期間中これまでお世話になった6年間に対して心を込めてメッセージを作りたい。他の方にも多数依頼をしているとのことであるが、高専という立場は私だけであろうから、オンリーワンのことを伝えたい。この会がどういう場なのかわからないが、道路にだけでなく、「携わられた土木技術者」に向けた感謝のメッセージも送りたい。適切なキーワードも入れたい。さらには、一般にはそういう見方はしない、という意外性も入れたい。まあ、目立ちたいわけだ(笑)。

そういう思いを込めて考えた。

考え抜いた結果、以下の文章にした。

道のストック効果だけでなく未来を担う学生・子供達に建設技術・技術者の姿を焼き付けたフロー効果にも深謝
香川高等専門学校 建設環境工学科 准教授
林 和彦

ぴったり50文字。49文字ではダメですか→自分自身が許しません。

この文章を読んだ方々がどう感じたのかはわからない。最近はフロー効果(工事で地元が潤う)だけでなく、ストック効果(道路の整備後の利便性向上)が大事だと言われて久しいが、それが行き過ぎて、フロー効果も大事とは余り言いにくい気もしている。ただ、土木工学を目指して勉強する学生は、身近に工事がないと、自分自身のキャリア形成、ロールモデルを実感しづらいのではと高専に赴任して強く感じた。そういう人財を育てるというフロー効果もあることを発信したい。

さらに、この50文字を教材に、1コマの授業はできるだろう。


さて、その後高松自動車道工事事務所の広報から、「ぶらり東讃道」という広報の最終回Vo.26において、上記のお祝いメッセージを掲載して良いかと連絡があり、それも快諾。サンプルを見せていただくと、他の方のメッセージは軟らかい文章だったので、編集の過程で、「いたします。」を後ろに追記した。こちらは、厳密な50文字の制限はない。その号は既に発刊され原紙は戴いているが、pdfの公開はまだ完了していないとのことで、完了次第、このブログにリンクを貼りたい。

追記:
 当該pdfへのリンク
 四車線化完成を扱ったページ

2019年2月13日水曜日

インフラのアセットマネジメント

国民生活のインフラ(下部構造)のひとつに道路がある。特に道路を構成する橋はコンクリートや鋼でできているため経年劣化が避けられず、適切な維持管理、時として更新(作り替え)をする必要がある。

耐用年数を設定し、それに向けて維持管理、更新を計画して対処する「アセットマネジメント(資産管理)」が求められている。家庭にたとえるなら、家の修繕や、家電製品の更新であろうか。医療分野での健康診断、早期治療に似ている。適切に投資していく(健康診断を受ける、予防接種を受ける)ことで、病気を早期に発見したり、症状を軽くするのと同じである。

数年前の豪雨で、某県を流れる一級河川にかかる県道の橋が被災し、通行止めになった。元々の建設が非常に古く、何度も補修を繰返してきたが、難しくなっていたという。構造的な被災の再建は難しいと判断され、架け替えになった。

緊急対応として1ヶ月ほど通行止めで、河川の上流下流への迂回路は5kmぐらいあって、車がないと実質迂回は無理である。通勤通学や買い物などの生活道路でもあることから、最低の安全手当てをして、警備員付きで日中のみ歩行者と自転車のみ通行可とした暫定解除が行われた。それでも、架け替え工事が始まるまでの1年程度は車は通行止めで迂回する必要があった。県道という重要な道路インフラが断絶していたのである。被災から1年後、架け替え工事が始まり、先に仮設橋ができ、最低限車が通れるようになった。橋長が長く、被災した部分(橋の半分)を先に災害復旧で架け替えが既に完了しており、今は残り半分を自治体主体で直している(こちらも仮設橋はあるので道路ネットワークは回復している)。完全完成はまだ先である。

通常の維持管理での更新であれば、通常は、先に仮設橋を作って工事に取りかかるので、インフラの機能低下は最低限は保たれるだろう。今回は、先に災害での被災が来たので、結果として1年間の不通期間ができてしまった。

という前置きが長くなったが、我が家でもインフラの更新へ対峙している。

結婚して10数年(20年弱と書いた方が正しいか?)、子供が生まれて10余年。家電製品の管理である。結婚を機に、新しい家電を買い、子供が生まれて大きくなる頃に大きめの家電に買い換えて、というサイクルである。冷蔵庫、洗濯機が喫緊の課題であった。共に、急に壊れたら、1日たりとも欠かせない。

気づくと洗濯機が丸11年経っていた。ここ3ヶ月ほど、モーターの音と振動が大きくなっていたので、耐用年数も大きく過ぎ、買い換えねばと夫婦で話に上がっていたが先送りになっていた。先週土曜日、ふと、もし今日壊れたら、いつ復帰できるのかと考えると恐くなった。少なくも、機種選定をしておかなければ、という話になり、そこまでやるなら更新しようということになった。実際、土曜日に良い機種が選べて配送手配をしても、配達設置の最短が水曜日だった。本日納品された。もし仮に、4日間洗濯機がないのは、実際に生活できない。ということで、1つ肩の荷が下りた。

次は、冷蔵庫である。異音はしていないけれども、いつ壊れてもおかしくない。


2018年7月18日水曜日

大切な写真データ

12歳の娘が生まれたとき以降、家族が所有するデジタルデータ(主に撮影した写真とビデオ)が12年分で300GBあるのだが、バックアップに外付HDD2台への保存だけでなく、某社のクラウドを利用することにした。

パソコンのSSDに余り空きがなかったので、少しずつ小分けをして、2日間かけて全体の99%のアップロードが完了。アップロードに要した時間は20時間程である。

今朝から家のネット環境がおかしいなと思っていたら、光回線の通信容量制限を超えていたようで、連続する3日間の上り通信容量が50GBを越えると帯域制限がかかるらしく、今朝から発動したようである。3日間は制限がかかるらしい。ただ、ほぼ完了しているので、安心である。

もし地震等で自宅のパソコンやHDDが同時に何か起きても、以後はデータは守られるようになったので、安心である。家のネット環境を光回線に切り替えた今年の1月以降、いつかアップロードしなければと思っていたけれど、半年間先延ばしになっていた。その後押しをしたのは、今回の豪雨災害である。水没したハードディスクも多数データが失われたと聞いている。そもそも流されてPCの在処すらわからないケースもあるだろう。

ここ数年のデータが増える速度は、平均して年間40GB程度であった。ただ、2月に一眼レフカメラを買ったので、今後はもっと増えるのは確実だが、今の1TBの契約容量であと20年弱で容量をアップグレードしなければならないが、そもそも10年後、いや2~3年後だって、ネットワークの常識は変わるだろう。

2018年7月12日木曜日

等価交換、適切な価格

先にブログで殴り書き公開した内容。後に推敲するかもしれないが掲載する。

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利用料、工事代金というのは、原価のものを買うよりも、人件費や償却費などの金額が上乗せされているので、価格は大きくなり、その結果感覚的に高いなぁと思うことはある。しかし、人は、提供する側に廻ることもある(私は、消費者でもあり、サービスを提供する側でもあること)ので、諸々を考えると、全ての値段は等価であると思うことにしているし、そうしないとデフレで社会が廻らない。

身近な例では、私が知っているとある学校では、近距離の高速道路の利用は不可となっている。その料金を負担するのは、支給でなく自分の研究費なのに、近いからという理由で使えないのである。

家のウォシュレット交換程度であれば、電気屋で買って自分で取付けたらほぼ原価でできるし、業者に頼めばプラス数万円かかるので高いぁあと思ったりする感覚はある。でもエアコン工事はできないし、やろうと思ったらそもそもコンプレッサや専門工具を買う初期投資があるので馬鹿らしいし。

提供する側が適切な利潤を載せている場合には、納得できるならそれを利用すべきだし、自分でやりたいひとはやればいいし、高速利用でなく一般道で時間をかけて走りたい人は走れば良い。でも、そのサービスを利用したい人に対して、高い、贅沢なという理由で使用が制限されるべきではない。あくまでも等価であるため、贅沢ということはない。

家事を自分でやるのか、外部委託するのかも、同じだと思う。

表記の知り合いの学校の人に対しては、その人は現時点で内部のしかるべき人に伝えているそうなので、それ以上は関与せず、その人がしかるべき立場になって影響力が広がったときに変えれば良いとアドバイスしている。

2018年6月24日日曜日

42歳を迎えて

本日42歳を迎えた。

午前中は部活の引率もある、普通の日曜日であった。

幕末の志士は皆若くして活躍し、若くして亡くなった方も多い。私の中では42歳というのはひとつ感慨深いものがある。香川県の偉人として5本の指に入るのは、大久保諶之丞(おおくぼ じんのじょう)であり、彼が亡くなったのが1891(明治24)年12月、42歳の冬であった。

大久保諶之丞は、香川県の土木技術者であり、政治家である。130年前のアメリカ ニューヨークにかかるブルックリン橋が完成したのを知り、本州と四国に橋をかけるという、当時としては夢物語を提唱した人である。

 四国と本州を結びたい・・・瀬戸大橋 1889年に構想 →1988年完成
 讃岐平野の水不足を解消したい・・・香川用水 1891年に構想 →1974年完成

香川県を縦断して徳島、高知へと繋がる四国新道を建設したのも大久保諶之丞である。今の国道32号線の猪ノ鼻峠越えの旧道にあたる道である。

いま、国道32号線猪ノ鼻峠を貫く新猪ノ鼻トンネルの建設が進んでおり、国土交通省四国地方整備局、および施工者の佐藤工業と共に、新猪ノ鼻トンネルの品質確保に取り組んでいるのが私の一番のライフワークのひとつになっている。

四国においても、新設コンクリートの品質確保の取組みが少しずつ進みつつあるが、この新猪ノ鼻トンネルは四国の実践例の1番目として位置づけても良いだろう。大久保諶之丞が開拓したこの道の数度目の改良に学という立場で携わることができていることに誇りを感じている。その諶之丞が倒れたのが42歳の12月の県議会の場であるとは、私にとって、特別な42歳なのである。


7月から、日本コンクリート工学会四国支部において、品質確保の委員会を私が委員長として2年間の活動を開始する。今動いているプロジェクトを評価するとともに、委員が関心を持つ事項について、勉強したり実践したりしながら、四国方式の確立に向けて実行していきたい。


育った香川県高松市に腰を据えるようになって5年半が経過した。香川県の地で、土木工学、コンクリート工学に携われることに日々喜びを感じている。横浜にいたときとは助手という、今とは立場が違うので、見えているものが違うかもしれないので厳密な比較はできないかもしれないが、都会の大学等の研究者は総合病院の専門医、地方の大学・高専の研究者は開業医の町医者のような感じを持っている。

専門のコンクリートでいえば、今、コンクリートのゆりかごから墓場まで、を担当している。

話は遡るが、横浜にいたときに、日本コンクリート工学会関東支部 若手会21 という委員会に所属し、最後は委員長を務めた。上の方々の方針で、それなりの予算を戴き、自由な活動をさせて戴いたと記憶しているが、私が取り組んだのは、若手の社会人や学生のための見学会の企画であった。コンクリート工学の分野も、専門の細分化が進み過ぎると、自分自身の職業や研究だけを見るようになり、自信やモチベーションが保てなくなったりするのではないかという仮定の下、コンクリート工学全体を一気通貫で勉強する機会を設けよう、ということを提唱して、コンクリートのゆりかごから墓場までツアーを企画した。

骨材、セメント生産、建設、供用、維持管理、取り壊し、というものを1泊2日のツアーで見学するものである。委員の皆さんが積極的に動いて戴き、(実施は私が香川に赴任が決まり、後任の委員長であったが)実施にこぎ着けることができたし、その下調べの段階ではとても勉強になった。

話は戻り、今私は、香川県の地で、骨材、生コン、建設業、維持管理、それぞれの分野の方、民間、公務員問わず仕事をしたり、交流をするようになっている。分野や立場が異なれば、同じものも別の観点で見たり、常識や前提条件が異なったり、そういう中で、連携できること連携すべきことがよく見えてくる。

横浜国大で育てて戴いた結果なのか、私の性格なのか、結果として、いまの研究スタイルが、「色々な分野に飛び込んで、みんなを巻き込みながらやっていく」という形になってきた。そういうやり方と、今の環境がちょうどよくミックスしているように感じている。

色々な方とお会いする機会があり、記録にある最近は、自分の名刺の消費が年間平均500枚である。とはいえ、私が色々な方と交流して、単に「勉強になった」と自己満足して、評論家になっていてはいけない。何か動き出して、成果が出るか、という所が問題であるし、結果を出さなければ誰も見向きをしてくれなくなるだろう。毎日が試行錯誤の連続であるが、とにかく走り続けたい。

さらに、若手を育てる年齢でもあり、自分が動くのではなく、若手に活躍してもらうための場作りも行わなければならないし、それもいくつか実行に移している。四国のコンクリート品質確保についても、私だけが動くのではなく、自律分散的に動くように育てることがひとつのゴールであろう。


さて、ブログの発信、Facebookの発信は、マニアックであるのは認識している。マニアックでないものは敢えて載せていないため、マニアックに見えるだけである(違うだろ、と突っ込まれるのは覚悟で)。

ブログで発信が簡単にできるようになって、世の中には写真も豊富なページは多いが、果たして、技術資料として後世に残すものはどれだけあるであろうか、と考えると、必ずしも多くないと思っている。幸い、そういうことは好きなので、些細なことでも、きちんと取り上げて、徹底的に記載したページを残していきたいと思っており、それが私のオリジナリティーのひとつであろうかと思う。

昨年、ブラタモリのテレビ番組で、黒部ダムの回があったが、そのときに、3000アクセスぐらい、ブログの訪問者が短期間だけ増えた。それは、フランスのダムが決壊したマルパッセダムの記事である。今、マルパッセダムでググると、私のページがWikipediaの次に出てくる。他を見ると、Wikipediaを元に作られたまとめサイト程度である。個人できちんと取り纏めているのは私ぐらいだったように思う。これは一例だが、単に、面白かった、と写真を載せて終わりにせず、今後も実施したいと思っている。

教育ツールの開発も、進めたい。先日、舞鶴高専の取組みを拝見して、上には上がいると感銘を受けた。他者の良いところも採り入れて、愚直に進むことも、極めればオリジナリティーと思っている。良いものを作るのが目的なので、自分で自作することは手段であり目的ではないのである。

土木史についてももっともっと深めたいと思っているし、その経験が、教育や各種実践活動にも深く関係する。そのためにはとにかく時間が必要であり、仕事を効率化して、自分の教養を高めることに投資したい。家の通信環境の再構築も、その一環である。

ということで、41歳の1年間は、色々と自己改革を仕掛け始めた年であったと振り返るし、42歳はそれを使って成果を出していく年と思っている。昨年1年間にお世話になった方々に感謝するとともに、42歳で一層精進することを誓ってこの文章を終える。

2018年5月4日金曜日

収集癖

色々な収集をすることに興味がある。ただし、商業ベースで意図的に作られたコレクションには、興味がない。ダムカードも趣旨には賛同するが、みんなが集めようとするものに対しては、個人的には集めない。いただいた場合には有り難く頂戴しますし、子供と行った場合にはもらいに行きますが。

収集が趣味というのはちょっと違う気がして、体系化されていない観点に焦点を当てて体系化することが趣味、というのが正しい表現かもしれません。

パッと思いついたのを挙げると、次のような感じです。
  • 人面建築・・・先日、人面建築学会に入会しました。
  • 紙幣貨幣に見る土木構造物・・・先人に土木技術者で「切手にみる土木構造物」に関係する書籍を出版された方がいらっしゃいますが、新しい分野を開拓されたことに敬意を表します。私は、紙幣、貨幣をテーマにしています(一番の傑作は、フランスフランのエッフェル)。コレクションが貯まりつつあるので、整理して公開します。
  • 名画に見る土木構造物・・・私の師匠 池田 尚治 横浜国大 名誉教授がよく指摘されていますが、あの有名なモナリザの向かって右側(人物左肩の上)に橋があります。それ以来、名画の中の土木構造物、特に橋について気になっていました。藤井 聡 京都大学教授の書籍「道路の日本史」においても、確認されている上で初めての道路建設を書いた18世紀の絵「La construction d‘un grand chemin (大道路の建設)」が紹介されています。
  • 漫画、アニメに見る土木構造物・・・最近は地元とコラボしたアニメ作品がありますが、聖地巡礼=地元PRの臭いが強くて、とりあえずは後回しにしています。以下が逸品です。サザエさんのアニメの普通の回(オープニング曲の中や、年に1回ほど、家族が地方観光をするのを除く)に実名の町が出ることは非常に希なのですが、そこに登場した「小田原ブルーウェイブリッジ(日本初のエクストラドーズドPC橋)」は秀逸でした。他に、「ゴルゴ13」において瀬戸大橋に仕掛けられた爆弾の撤去の回も技術的な話が盛り込まれていて、カッコイイです。公開に際しては、著作権のことがネックです。
  • 土木工学をテーマにした詩・・・5年前、谷川俊太郎「私は讃える」という詩に出会いました。私の紹介が縁を結び、土木学会100周年の記念号(2014年11月号)に8行だけですが掲載していただきました。こに詩には思い入れがあり、今後何とか著作権をクリアにして、ウェブで紹介したいと考えています。収集といってもこれしかないですが。表記詩の中にある「巨大な鉄とコンクリートに結ばれる」なんてフレーズはワクワクしませんか?
  • じゃんけん掛け声収集・・・大学時代からのライフワークで、全国から3桁の掛け声が集まっています。niftyの一方的なサイト閉鎖に伴い、現在休止中。時間を見つけて再開します。
  • エクストリームさぬきうどん・・・出社前に食べられるうどん、夜に食べられるうどん、など開店時間に焦点を当てたページがないので、作りました。是非、ウェブ、データベースに詳しい人には、リアルタイムの検索、などの優れたページを作ってもらいたいと思っています。
  • 模型による構造力学系教育ツールの収集・開発・・・ブログやFacebookで紹介しています(作品例)が、きちんとまとめたページを作りたいですし、いずれは教科書を書いたり教材を作りたいと思っています。
  • 地域のイラストマップ収集・・・秀逸なイラストマップは存在しますが、地方で限定配布されていたりでもったいないです。何とか集約できないだろうか、と日々模索しています。
  • 変わった地図・・・秀逸な主題図は存在しますが、折を見て紹介します。世の中には専門家はいると思いますので、繋がりたいです。これ、とか、これ、とか。
(5/4 19:40内容更新)




2018年5月3日木曜日

図形的な理解 -オームの法則を図化する-

物事の本質をとらえることが大事であるが、なかなか難しい。数学や物理の難しい(言い換えると、普段接することのない抽象的な)概念も、図形として、簡単なモデルとして、とらえることができると、理解につながる。逆を言うと、本質が理解できていないと図形や簡単なモデルでは表現できない。

このブログで継続的に紹介している通り、私が構造力学の概念を物理的な手作りのモデルで表そうとしているのも、その活動のひとつである。

さて、2014年から2~3年程度、土木工学系の学生に対して「電気工学概論」の授業を受け持ったことがある。電気工事士の資格は持っており、集中的に勉強しなおしたが、それを除くと学生以来である。

電気回路は、どんなものに喩えられるだろうかと考えると、一般には、管を流れる水の流れなどと表現されて、管の面積が小さいと抵抗が大きく・・・、と表現されているようである。わかりやすい。

さらに、電圧とは何か、という話は、位置エネルギーと表現されて、水をポンプアップして高い所に上げて、滝のように落とす、という喩えでわかりやすい。滝のように流れ落ちる際に、電球やモーターの仕事をするのである。

そして、ともに、流れる水の流量が、電流の大きさなのである、と。

では、「抵抗」は管の面積(や周囲の粗度でもよい)というのも理解しやすいが、それらの「電圧」「電流」「抵抗」の3つの関係を表すオームの法則は、どうやって表現できるのだろうか、というところが疑問になった。言い換えると、2次元、または3次元のグラフで表現できないだろうか、という命題が思いついた。

断片的理解から、統合的理解への転換である。

電流、電圧、をそれぞれ軸に取った場合、抵抗は、電圧÷電流なので傾きに相当する概念だろう、というところから、2次元で表現できるのではないかと思ったのである。しかし、ネット検索で探しても、そのことまでを言及したり、実際に2次元で表現したものを、見つけることはできなかった。ということで、2014年より、自分で図を作ってみて、授業でも配布したり紹介したりした。

結構良い概念だと思っているので、ブログに紹介することとする。新たに書き直したので結構な時間を費やしたが、きちんと世の中に発信したい一心で。

表記法1について説明する。縦軸を電圧に取ったのは、水の位置エネルギーが頭にあるからである。傾きが先にありきであるが、傾きを表すのはsin、cos、tanがよいので、仮にcosとすると、流れる電流の大きさが斜辺の長さに相当するのですっきりすると思ったのである。

抵抗=傾きであるが、ここでは、cosθとなるため、若干わかりにくい。角度が小さい方が抵抗が大きく、角度が大きい方が抵抗が小さくなるので、逆の概念というのがデメリットである。その解釈さえ受け入れれば、無理なく図として収まっている。

直列、並列ともに、問題ない。ただし、電流と電圧の大きさの縮尺が同じ場合には、cosθが正しく抵抗を表しているが、物理的に、電流の長さが電圧の長さよりも小さい図が書くことができないので、その場合には、縮尺を変えて下図のように表記せざるを得ない。その場合には、角度と対応していない。角度にこだわらず、コサイン=斜辺÷もう1辺 と思えば、問題ない。


表記法2は、抵抗=傾きを感覚的に重視したものである。縦軸が電圧なのはそのままとすると、横軸方向が電流となる。抵抗(図でいうライトやプロペラ)部分の横軸方向の長さが、電流となる。この部分が、若干理解しづらいが、それを受け入れれば、統一的な図が書ける。抵抗の大きさと傾きの大きさが、大小関係も一致して対応しているのが、わかりやすい。さらに、表記法1では電流と電圧の大きさの縮尺が変わるケースもあったが、表記法2においては電流の大きさが電圧(の数値)よりも非常に小さくても図が描けるので、グラフの見栄え(扁平)さえこだわらなければ、正確な図が書けて、tanθで表すことができる。グラフの見栄えを調整した場合には、縦横の縮尺が変わるが、表記法1のように、タンジェント=縦÷横 と考えれば、まったく問題がない。


ということで、素人が知ったかぶりして書いた図であるが、色々なご指摘を受けてさらにブラッシュアップしていきたいと思っている。

私がネットで検索しても、このような図化するものは一切見つけることができなかったが、先人がいれば、それもご指摘いただきたい。タイヤの再発明をして鼻高々になりたくないのである。

※訂正履歴:2022/10/31 本来、直列と並列と書くべき所を誤って、直流と交流と書いていたことに長期間気づいていなかった。本文はすぐに修正し、図は読み替えていただくことでご容赦願いたい。

新しい発想による新幹線の搭乗方法

いつもこのブログで言っている、思考訓練である。思考訓練ができれば、色々なものの見方ができるようになり、わかりやすく言えば、発明にも繋がる。

これも以前のFacebookのエントリーであるが、球出しして散らかした後、フォローしていなかったのでまとめておく。さらに、友人iと不定期に行っている思考訓練の成果も披露したい。

【飛行機の混雑緩和の搭乗方法】
飛行機の搭乗時の混雑緩和のための搭乗方法のルールは、ANAとJALで異なることを最近知った。JALは、座席の後方と前方で順番を分けているが、私はそれでは混雑緩和に余り意味がないと思っていて、窓側と通路側で順番を分けたら良いのにと思っていたら、ANAがそれを採用していた。私は基本はJALしか使っていなかったので、知らなかった。

とはいえ、JALがそれを採用していないのは、ANA方式は意味がないときちんと判断してなのか、よくわからなかった。

友人に紹介されたサイト(下記リンク)で、そのことを検討している。対照実験ができていないので、学術的に見て文句のない実験とまでは言い切れないが、良い線は行っていると思う。可能であれば、誰か研究者に混雑モデル等でシミュレーションしてもらいたい。

搭乗時間が最も短い搭乗順は?後ろから順に搭乗するのは効率が悪い?(リンク)

やっぱり、窓側と通路側では効果がありそうだ。これ以上は、他人が既に検討済みなので、いくら書いても二番煎じになるのでやめておく。

【新幹線の混雑緩和の搭乗方法】
私が以前から思っているのが、新幹線の乗車時の混乱をどうやって最小にするか、という点である。飛行機よりも複雑な面もある。ただし、全員が着席しなくても列車は動くので、実際には余り問題にはならないが、苦痛が減るのであれば、検討する価値はあるだろう。

新幹線の乗車時の混雑の分析
・窓側と通路側での交錯(飛行機と同じ状況)
・大きいトランクなど大型荷物が存在する(飛行機にはサイズ上限があるが、新幹線にはない)
・出入り口が車両の前方と後方があるため、すれ違いが発生する。(決定的な違い)
・さらに、同じ車両内だけでなく、別の車両に移動したい通過交通も発生する。(決定的な違い)

通過交通については、駆け込み乗車のような場合にはあり得るし仕方がない。でも、その場合には、5分ぐらいデッキで待ってから、移動してもらいたいが、モラルに依存するのはシステムとしては不完全なので、その選択肢は無しとする。

通過交通については、ここでは考えないこととする。

新幹線の場合、私のこれまでの観察では、前行きと後行きのすれ違いが、大きなネックになっているように感じた。これをなくすことができれば、乗車時の混雑緩和が大きく進むのではないかと思う。

議論した友人は、新幹線の場合、座席が進行方向の前よりか後ろ寄りかは座席番号を見ればわかると言うが、それは結構マニアックでもあり、瞬時にはわからない。上りと下りで、それは逆転するので、それもわかりにくくしている。

私は、次のような過程で思考をした。図はまとめて後部に示す。図では、簡単のため、1車両の座席を10列としたこと、全ての車両の座席数を同じとしたことは、ご了承いただきたい。

1)座席番号が、何番から何番は、前側入口から乗る、何番から何番が後側入口から乗る、というアナウンスや掲示を行う。問題点:乗客に、座席番号を確認させて、アナウンスに従わせるのは面倒。特に、1車両にある2つの出入り口が、前寄りか後寄りかの判定が難しい。

1)は次のような改善ができる。

2)切符に、座席番号の表示の他、出入り口名も表記する。その際、出入り口名を、固有の番号にする。仮に7号車の前後の出入り口を、それぞれ、7A入口、7B入口、等と書いておく。メリット:言われたとおりに乗れば良いので明確である。問題点として、7Aと言われても、7Bでも乗れるのは感覚的にわかっているので、根絶はできないかもしれない。ここは好みの分れるところ。

2)の方法は、ルールで縛る日本的対応であり、まだまだ工夫の余地があるように思う。私は、自然と人間が合理的に判断して、結果として自然にそうなるというシステム作りが好きなのである。

現状の制約条件をなくすと、車両の出入り口を1つにすればよいのでは?という考えも出てくる。ただし、2つの扉を1つに減らすと、時間当りの乗り降り人数が低下することで問題が出てくる。

3)前乗り、後ろ降りというルールを導入する。考えは良いのだが、運送容量が低下するので、無理ではないだろうか。ただし、実際には降りるのを待ってから乗っている現状なので、降りるのを待つというロスがないので、これがベストかもしれない。始発駅で混雑するので、始発駅と、それ以外の駅で対応を分けても良い。

とりあえず、始発駅で、という条件の最適化を考えてみよう。

4)ハードウェアをいじって良いという条件であれば、車両の両端の扉を廃止して、中央に1つの扉を設置するように改造する。乗り込んだら座席番号に応じて左右(前後)に分れて進むので、1方向の移動となり混雑は緩和されるだろう。ただし、3)と同様に、運送容量が厳しい。

運送容量を考えると、1車両に2つの扉が必要、というルールは外せないように思える。しかし、それでも一方向の移動を実現したい。できれば、細かいルールは煩雑になるので、単純明快なルールや番号付が必要である。

そこで、発想の転換である。

5)1車両を前後2つに分けるのだが、それを、大胆に、独立した車両と呼ぶのである(論理学的な車両を作る→わかりやすく言うと仮想の車両を作る)。すなわち、16両編成であるが、物理的な1両目に、1号車、2号車と仮に名前をつけて、2両目に、3号車、4号車と名前をつけて、最終の16両目は31号車、32号車と名前をつけるのである。すると、大抵の場合には、自分の切符に書かれた号車の入口に並ぶので、その後人間が判断せずに、無理なく2)のような誘導ができるのである。

物理的な1つの車両であるが、2両として管理するのである。

さらに、それを考えると、もうひとつバリエーションがある。

6)物理的な3号車の後半と、4号車の前半を、(論理的な)新4号車として名前をつけて、座席番号も定めるのである。車両の中央の方は、3号車の最後尾と4号車の1列目が隣り合うが、それは全く問題ない。乗り込んだときに、右側に行くか、左側に進むかは、座席番号で判断する必要が出てくる。

6)が面白いけれども、入口での判別が必要となるので、5)がスムーズであろう。6)で外壁に塗装で、あたかも物理的な車両の中間に、連結部があるように見せると面白い。

7)5)の場合、1つの物理的な車両の中に、1列目が2つ存在するので、間違えて座ってしまうリスクもある。そう考えると、1号車は1~5列、2号車は6~10列、という風に、使う番号を分けて、重複しないようにしても良い。実際にはそれで問題が起こることはないだろう。号車、というのが、座席のある車両、とともに、扉の位置を表すのだが、重複がなければ問題は解決するのであるから。あとで思いついたので図は省略する(図を作り終えた後で考えついた)。


「論理的車両」言い換えると「仮想車両」。面白い概念ではないだろうか。




2018年4月30日月曜日

ファーブル昆虫記「系」の本

連休の今朝。もうすぐ9歳になる小3の息子が寝起き直後に、先に起きていた私に声をかけてきた。「5のびっくりマークの2乗を計算できる?」

私「びっくりマークとは5×4×3×2×1のことのこと?」
息子「そう」
私「電卓使っていい?」
息子「パパなら電卓使わなくて解けるよ」
私「ああそうか、えっと、5×2は10だから100、4×3=12の2乗は144、だから14400」
息子「正解。僕はこう考えて・・・・」

というやりとりがあった。おい、その問題は寝ながら考えたのか(笑)?

(アニメの)名探偵コナンと妖怪ウォッチに目がない息子であるが、算数というか数学の虜にもなっている。

本人も言っているが、その素晴らしい世界にのめり込んだのは「数の悪魔」という本である。以前から算数の本は沢山読んでいたが、1年前に接して、何度も何度も読んでいる。

 数の悪魔―算数・数学が楽しくなる12夜
 ハンス・マグヌス エンツェンスベルガー 著
 丘沢 静也 訳
 晶文社
 普及版発行 2000年4月1日(初版は不明)

数字の不思議さ、楽しさについて、平易に、うまく喩えを使いながら。自然の現象が、数学で記述できることの素晴らしさについて愛情を込めて書かれている。例えば、フィボナッチ数なんて、私が高校数学で習った(というか、数学の川田先生が数列の授業のときに、このことをフィボナッチという、という豆知識として紹介したのが、何故か強烈に耳に残っていただけである)ことが、息子の心を刺激したようである。

ファーブル昆虫記が、少年少女への昆虫に限らず自然の素晴らしさ、奥深さを教えてくれる名著であることは誰も疑いようがない。ファーブル昆虫記の数学版といったところだろうか。


土木・建築「構造」系のファーブル昆虫記は何だろうか。と考えたことは余りなかったのだが、先日、GNN(元気な生コンネットワーク)長岡生コンの二見さんがさらっと言及していた「建物はどうして建っているか」という本に興味を持ち、早速購入して今読んでいる。

 建物はどうして建っているか ~構造-重力とのたたかい~
 マリオ・サルバドリー 著
 望月 重 訳
 鹿島出版会
 初版発行 1980年10月5日

私が4歳の時に日本訳が出版されたのである。原著はもっと早いのだろう。

「訳者まえがき」に書かれているので引用する。

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 ファーブル「昆虫記」を読んで、動物学者または研究者となった人は多いと思う。彼らにとって「昆虫記」は動物学の本ではなく、動物の世界にひきこまれる誘いの音楽であったに違いない。建築の構造にもそうした本があってもよいと思うのは、私ひとりではなかろう。
 こうした気持ちにぴったりと答えたのが、サルバドリーのこの本である。
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なぜこういった構造物が成り立つのかについて、平易に書かれている。まだきちんと読み込めていないが、章立て、挿絵、などをパラパラと見る限り、言葉通りファーブル昆虫記である。

私のこの年では、知識の上では新鮮味はないかもしれないが、自分がこどもの時に読んでいたらどう感じただろうか、または自分の子どもたちへ話すなら、とか、高専の構造系の授業に反映できることはないだろうか、など、自分と対話しながら読み進めてみたい。


私は授業中に本の話を良くするが、4年生へ先日発言した言葉をもう1度繰返す。「他人から紹介される本はきっと良い、という考えを実践すると、必ず良いことがある」。今回も良かった。

2018年4月26日木曜日

「2つ」のもつ意味

1を聞いて10を知る。2を聞いてNを知る。

この言葉は、高校時代、塾で数学を教えていただいた古市先生の言葉である。私の座右の銘を問われれば、この言葉を挙げることが多い(たまに忘れる)。

色々な意味を持つと思っているが、それは本稿では置いておく。


本稿での意味について、簡単にいうと、「1つだけでは全体を理解するのに限界があるが、2つ知れば世界がわかる」。

高専では、力学系授業を教えているが、曲げモーメント、ひずみ、断面二次モーメント、ヤング係数、等は目に見えないし、普段の生活ではあまり使わない概念である。

いくら定義を勉強しても、「そういうものだ」という暗記系になってしまい、単元のテストでは合格するかもしれないが、その後忘れられたり、次に別の形で出てきたときには覚えていなかったり関連があると気づかなかったりで全く使えない。

これは学生が悪いのではなく、教え方や学び方に課題があると思っている。

結論として、別の見方も同時に理解しておくと、理解に繋がると思う。

例えば、「断面2次モーメント」が何なのかの理解について
「定義通りの式が提示できる」に加えて、
「梁の曲げの抵抗にどのように効いてくるのかを示す数値である」ということも頭に入れておくとよい。

それでも若干不足している。曲げの抵抗に関係するのは確かである。ただし、曲げやすくなるのか、曲げにくくなるのか、のどちらに意味がもとれるため、その理解では不十分である。よって、それを補うとしたら、断面2次モーメントが「大きくなると」梁が「曲げにくくなる」という性質まで捉えておくとよい。

よって、2つめは、「梁の曲げにくさを示す指標」としておけば、独立した概念となる。古い教科書を読むと、「曲げこわさ」という用語が使われている。言い得て妙である。曲げ易さではなく、曲げにくさなのである。これは大きく区別すべき重要な概念である。


さて、3次元の物体を、2次元の図面として図化するのに、6面の投影図があればお釣りが来るぐらい十分である。図面1枚は2次元で2つの次元をもつので、次元の数が3を越えるためには、図面2枚があることが必須である。大抵の場合には、2枚の図面から、3次元の形は想像できるのはそういう理由である。こういうものとアナロジーがある。


昨日の授業では、鉄筋コンクリートの曲げ耐力を求める際に、材料非線形を簡単に計算するために「等価応力ブロック」で置き換える話をした。

等価応力ブロックが何故そういう風になるのか、というのは一見わかりにくい。そういうものだと暗記するのは悲しい。

授業では、

等価なものに置き換える
→力学的に等価なものに置き換える
→力の本質は、大きさ、作用点、向きである。ここでは軸方向を考えるので向きは共通のため除外すると、大きさ、作用点、の2つが、力の本質である。
→等価応力ブロックにおいて、ブロックの大きさは力の大きさに対応する、ブロックの高さは合力の位置を規定するので作用点を表す。
→よって、上記の2つの観点は必須であり、それにより、等価応力ブロックの形状が1つのみに定まるのである。

という話をした。
学生は、そんなこと初めて聞いたという顔をしている。いや、そうではない、と続けた。

実は1年前の構造力学1において、分布荷重が載った梁のモーメントを計算するのに、計算を簡単にするために、分布荷重の中心位置に、分布荷重を集中荷重に置き換えることは普通にやっている。これは、実は上記と同じ作用なのである。

その直後、私には、多くの学生の頭に「!」が見えた、気がした。


という風に1年前の授業と今回の授業の2つが繋がった。これもまた2つである。

追記:この文章を書き終えて、過去のブログを見ていたら、似たようなタイトルで2月にブログ執筆していたことに気づいた。すっかり忘れていた。こちらへ。
 2つの指標でとらえる

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...