2020年5月17日日曜日

外部不経済について

外部不経済という考えがある。

正確な定義ではないが、ある行為を行う際に、その閉じた中で100%循環できるか、外部に依存したものかということである。橋梁構造物における自邸式、他邸式、というのとアナロジー(類似性)がある。

お祭りの屋台を考えると、購入した焼き鳥の串、りんご飴の割り箸、すべてゴミになる。お祭りの場合、見た目というのもあるがとにかくゴミは無視できないため、お祭りの主催者側が費用を払って回収を行う。では、コンビニの弁当や、オフィス街で売っている弁当というのは、いったい誰が処理をするのか。購入した消費者にその責任があるとはいえ、捨てることを前提に利益計算などが考えられていると思う。特にオフィス街の弁当は、購入して1時間後にはゴミになる。

コンビニのごみ箱は、そのコンビニで購入した食品の容器を捨てることもあるが、それは、イートインで消費したものと、車で来て駐車場内で食事をして、終わったらもう1回入店してゴミだけ捨てるというケースに限られるだろう。なおその時は、堂々と捨ててよいはずなのに、家庭ごみを持ち込んでいると「思われるのではないか」と、肩身が狭い。

では、その場で消費しない弁当や飲料は、どこで捨てればよいのか。そう考えると、そういうのを捨てるために、インフラとしてコンビニのごみ箱が存在しているという風に考えることもできる。あるコンビニで買ったもの(弁当や飲料)のゴミを他のコンビニで捨ててもよい、という世界。ただし、特定のコンビニだけ、ごみ処理費用を過度に負担するのは持続性はないので、全体のインフラとして考えているのであれば廃棄料金負担をシェアするシステムがあってもよいのではないかと思う。

シェアサイクルのうち圧倒的に便利なのは、各地に貸出・返却ポートがあってどこを使ってもよいものである。たまに一部のところに自転車が滞留するので、それを分散させる仕組みが必要であり、そういう管理費も、費用の中に含まれている。

高速道路のごみ箱は、休暇シーズンになると、外からの家庭ゴミ持ち込みは禁止という張り紙(さらには監視員も)ばかりでうんざりだが、これから長期旅行で高速道路に乗る際には、自宅の生ごみは処理しておかなければ大変困るので、それを道中どこかで捨てなければならない。コンビニには捨てにくくなっているご時世なので、高速道路だったら、と考えられなくはない。高速道路の付加サービスとしてもよいのではないかと思う。そう考えると、「バカンス移動者のための自宅ゴミ有料受付」というのがあれば、利用する側も胸を張って多少高くてもお金を払うのに、と思う。(払わない人もいるから不公平だと思って払わない人もいるのは理解できるが、「胸を張って捨てられるサービス自体に対価を払いたい」と思う層もいるので、そういう人が払わない人の分のコストも含めて払うと思う。それが付加価値である。)

海外を旅行すると街角に公共のごみステーションが多数あったりして驚くが、日本ではどんどん街角のごみ箱が撤去されている中、日本ではコンビニがそのインフラを担っている気もする。コンビニの発展が日本の特徴なのは明らかであるが(最近では災害時のトイレ提供を期待されている)、好立地のコンビニほどその費用負担に苦しんでいると聞くので、そのように特定の民間にコストを押し付ける現状でよいのだろうか。ゴミ捨てとなった時に自己責任、自己負担という風に捉えがちであるが、街角に公衆トイレが必要というのと同様、ごみを捨てる権利もあると思う。

そういった自己責任という名の不作為は、災害時避難所の雑魚寝や使いにくさというのとオーバーラップして見える。

コンビニのごみ処理費用に戻るが、たとえば、複数の鉄道会社が相互に乗り継ぎができるのは、料金を適切に清算されるシステムがあるためである。切符を買った駅の会社のみに利益が入るのであったらそもそも成り立たない。銀行ATMについても、相互利用では利用のたびに銀行同士で利用料を支払っていると聞く。

対象物を変える。

例えば、洗剤を考えてみる。話を簡単にするために、洗濯洗剤やシャンプーに限定しよう。洗剤メーカーというのは、ものを洗う製品を売るというサービスに対して、終わった洗剤を廃棄する料金を100%下水道に依存している。それが良い悪いということでなく、そういう特定のルートに依存しているシステムというのは面白い。

海外の一部の地域であるようなのだが、生ごみをキッチンの流しにそのまま流せる。配管の内部でミキサーのカッターのようなものが固形物を粉砕して細かくし、下水に流す製品がある。日本でも一時期販売されたが、下水の詰まりというか、そういうところで問題になって消えたと思う。本来ゴミは固形ゴミとして処理するシステムがある中、水に流すというのは単に細かくしているだけで物理的は消えないので、末端で集まった時にその処理費用が100%発生するのはやはり外部不経済になっていてフェアではないだろう。

数パーセントの人が使っている限りは問題ないという考えもあるが、持続可能な世の中を考えると、仮に普及率100%になってもおかしくないようなシステムにしておくのがよいと思う。

よって、ゼロサムゲームで儲けようというのと同じで、原理的に持続可能性はない。冒頭の例で思い出したが、お祭りといえば、金魚やミドリガメも、その後の処理という意味で外部不経済である。

関連したゴミ箱の話題で、次のことも思い出した。ある施設(店舗)の入り口に、灰皿がある。でも、店先で吸うなと。その理由は、外で歩き煙草で吸ってきたのを消して、施設に入ってもらうための灰皿であると。


特に結論はないのだが、普段から考えていることを文章として整理しておきたくて、ここに吐き出しておく。

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