2015年12月16日水曜日

カレンダー

手帳は自分で買うが、カレンダーはもらうもの、という人は多いだろう。

以前のブログで書いたとは思うが、私はマルイが配布しているカレンダーのファンであった。前月、当月、翌月、翌々月の4ヶ月が表示されるものである。

1年のブランクでお目にかかった。昔に本気で探していたときに、自分で買おうかと思っていたのだが、所在が分からなかった。今回、新品を見ると表紙に型番が書いてあったので、検索したらすぐに出てきた。いつも使い始めて表紙を捨てた後だったので、型番が見えなかったのだ。

NK-193(NC-24)

http://www.original-calendar.com/shop/item/NK-193-01.html

単品は売っていないようだが、型番さえ分かれば、何とか道はあるだろう。


以上、マニアックなメモでした。

モンベル40周年

11/26(木)の夜なので、だいぶ前の話題だが。

モンベル という登山用具メーカー(今はアウトドア全般)が今年で創立40周年ということで、全国8箇所でイベントが開かれていた。8ヵ所目が高松ということで、アナウンスのあった春頃から楽しみにしていた。

1992年に高校山岳部に入部してから23年。登山用具としてモンベルとは長いおつきあいをしてきた。魅力あふれる製品に魅了されつづけてきたとも言えよう。モンベラーである。当然その製品を作る会社も魅力的で、社長の辰野さんも、魅力的な方である。数々の登山記録を持つ方である。

サンポートホールで行われた2時間の会に参加して、本当に良かった。忙しい中、ダメかと思ってキャンセルしようと思っていたが、モンベル信者なのでといい聞かして、参加した。

辰野社長、ゲストの野田知佑さんの話。何かを成し遂げた、信念を持ってやり抜いている人の力は素晴らしい。改めて、元気を頂戴した。さらに、それまで存在を知らなかったのだが、ゲストで来ていた、かわしまあなむ さん(故河島英五氏の娘さん)の歌にも心を揺さぶられた。私は生まれてこの方、歌手のコンサートには行ったことがない。30分弱のミニライブだったが、感動して涙を流した。中島みゆきの「糸」はツボにはまった。今後条件反射で泣いてしまうかもしれない・・・。忙しい最中だったので、色々顧みることがあったのだと思う。

2時間の心の洗濯をして、また日常に戻った。辰野社長のサイン本はまだ読めていないが、冬休みには何とか読みたい。

子どもを連れて、山に行こう。下の息子は来年小学校に上がるし。

技術士面接終了

12/12(土)は午前中はヨット部関連。練習の舞台である、ヨット競技場の建物の建て替えのため、これから2シーズン、仮設の活動となり、制約を受ける。まずは、旧艇庫の片付けと移転がこれから1ヶ月の懸案事項となる。これが1ヶ月早かったら、アウトだったかもしれない。

午後は、工学系数学統一テストの試験監督。終了後、息つく間もなく、空港へ。そして最後の追い込みに。

12/13(日)午後、東京での技術士の口頭試験が終了した。あっという間の20分間であった。4月から数えて、長い期間だった。

試験直前の先週も慌ただしい1週間であったが、物理的にも精神的にもピークであった。その中で、今回の面接に関して、何名かの方にサポートをいただき、本当に感謝している。そういう出会いを大切にしていきたい。今は、人事を尽くし天命を待つ、状態だねというご指摘も戴いた(しかも、複数の人から。技術士はそれが相応しい内容なのだろう)。3月1日に吉報が来ることを祈るのみ。

13日の夜に飛行機で高松に戻ってきたが、ゆったりと過ごしたのは、15時に面接が終わってから18時のフライトまでの間だったかもしれない。早速、高専に行き、溜まっていた翌朝の授業準備などなど。

その晩から新たな日常が始まった。

2015年12月10日木曜日

運が良いのか

ここの所、運がいいというか、渡りに船というか、そういう経験をたくさんしていると思う。

挫折しかかったとき、困っているときに、必ず何らかの出会いがあり、助けていただいているような気がする。

昨日も、たまたま別の人から、ある案件に関して応援していると連絡があり、もうだめかと思っていたところをなんとか踏ん張ることができたように思う。


ある機材を探していた際にも、たまたま年末の挨拶ということで訪問していただいた方に、もしかしてと思って相談してみると、解決が図れるかもしれないという温かいお言葉を頂き、望みが繋がった。


そのような出会いに感謝するとともに、他人にとって自分自身もそうありたいと日々考えている。

2015年10月29日木曜日

技術士 筆記試験突破

10月29日 午前5時50分から技術士の2次試験の筆記試験の合格発表があり、無事合格しました。残るは、明日郵送で届く、日時変更不可の東京での面接試験のみです。毎年、ネットの合格発表は、本当に心臓がドキドキします。

まずは、面接試験日が重要業務と重ならないことを祈るのみです。裁判員裁判は最近は業務の都合を理由に欠席・辞退できるようですが、技術士試験は、一切変更できないので、欠席イコール来年度筆記試験からまたどうぞ、という冷たいものです。

受験資格は通常は実務経験7年(4年に短縮できる場合もあり)なので、大学院修士1年の時に1次試験を1発で通ってから(当時、大学の同期で通ったのは2名でした)、修士2年時の1年間を実務換算して、社会人6年を経験した、2007(平成19)年が初回でした。その時の受験票が残っています。恥ずかしいですが、8年目の受験となります。

準備不足で当初は嫌々受験していたので、願書は出して未受験ということもありました。周囲で同期が通り始めた頃から、本当に通りたいと思うようになり2010年頃に頑張って受けたつもりでしたが、連続して一般科目のみがネックで落ちていました(分野毎の合否判定がでます)。

高専に転職した2013年は願書を申し込んだものの、新しい環境で手一杯で初年度は未受験で敵前逃亡。2年目の2014年は担任を持つようになりさらに新しいことで余裕はないだろうと久しぶりに願書を出さない年でした。今年は赴任3年目で、もう弱いことは言ってられず、今年受験しなければ、来年以降も逃げ続けることになるだろうと、背水の陣で臨みました。筆記試験も満足して書けたし、択一問題も15問中14問合格で、自信はありました。

明日届く郵便で、都合が悪い日(私のみが講師の講習会とか)と重ならないことを祈るばかりですが、きちんと準備して面接を受け、なんとか今回が最後の30歳台で合格したいと思います。

土木以外の人から、技術士って何と聞かれるので、比較の説明を考えてみました。技術士(建設部門)は、建設分野では相当大きなウェイトを占める資格です。しばしば、一級建築士と比較されます。

日本において、

一級建築士 の国家資格を持っている人、約40万人。
技術士(建設部門) の国家資格を持っている人、約4万人。

です。

ちなみに、対受験者(試験辞退を除き、実際に試験を受けた人を母数に)の合格率は2014年度で12.6%。一級建築士も、たまたま小数まで値が一致しましたが、2015年で対受験者で12.6%。

合格者の平均年齢は、技術士(総監部門を除く、全部門)は41.6才(2012年度、日本技術士会HP)、一級建築士は32.1才(2015年、建築技術教育普及センターHP)でした。

2015年10月28日水曜日

これが物理学だ!

同僚から紹介されて、MIT白熱講義のDVDを見た。物理学を教えているウォルタールーウィン教授の講義だ。書籍のほうは「これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義」が対応していると言うがまだ読んでいない。ブログのタイトルはそちらを拝借。

そのシリーズは、市民講座向けの講義であったが、体を張った実験、必要最小限の効果的な解説・板書、ウィットなど、自分自身の講義を振り返る良い教材であった。

私が高松高校3年生のときの真鍋先生の物理の授業を思い出した。毎回、実験をベースにして心に残る授業を展開してくれたのだ。物理学で自然現象をこうもシンプルに表現できるんだと、わくわくして授業を受けていたのを思い出した。そのときは、物理の先生というものはそのような授業を提供してくれるのが当たり前と思っていたが、今良く考えると、それは高度なことであり、先生は日々それを挑戦されていたのか思う。

現在、土木工学という自然科学を相手に仕事をしているが、真鍋先生の授業も糧となっていると考えている。20年前にもなりますが、今になってその偉大さを認識しました。どうもありがとうございました。

2015年10月16日金曜日

厳しくとも「橋梁愛に満ちた」文章(引用)

「鋼構造出版 道路構造物ジャーナルNET」の存在のを聞いたのは恥ずかしながら発刊されてからだいぶ経過した時点であった。

「識者の連載」コーナーがお薦めである。全てを網羅的に読めていないが、聞くところによるとウェブ掲載なのでページ制限もあまりなく、筆者が書きたいことが自由に書けるということであった。

構造物のメンテナンスに関わっている人であれば知らない人はいない髙木千太郎氏も、本サイトに多数投稿されている。

毎回メールで配信されているが、どうしてもそのリアルタイムでは読めてはいない。スルーすることが多い。今回のメールでの高木氏の記事の紹介が『厳しくとも「橋梁愛に満ちた」文章(鋼構造出版 道路構造物ジャーナルNETの配信メールより引用)』ということで、どれどれ、と思って読んでみた。

実務を知り尽くし、かつ公務員の立場でもある彼の生の声は、橋梁の研究に携わっている研究者として、学生に土木を教え社会に送り出している教員として、地域で様々な立場の技術者と交流する者として、非常に勉強になるし、自分が考えるきっかけになった。

当該サイトは、特定のシリーズの目次がないようなので、それができるまでの間、自分へのメモとして、掲載しておく。


髙木千太郎氏
「これでよいのか専門技術者」シリーズ



2015年9月22日火曜日

うどんの麺の長さ

どうでもいい話題ではありますが、真面目に考えています。

1年前、学会の懇親会の余興でクイズをすることになり、単なる正解・不正解ではない、全員に数値を答えてもらって値が近い人に賞品を渡す、という問題も1問作ることにしました。そういう全員参加の問題を作る、というのも、考えがあってのことですが。クイズコーナーをしても、懇親会中なので、議論に熱中して参加しない人もいるので、全員が参加できるものも、という考えです。

全国からお客さんがやってくるので、それなりのクオリティにしたいし、地元ネタにしたい、でも設問がマニアックすぎても盛り上がりに欠ける、ということで悩みました。

よくこの日記に出てきますが「思考訓練」です。この場合、数値での答え、ネットに回答は無い、地元にちなんでいる、マニアックすぎない、という条件です。でも、これを、論理的に答えられるかというと、難しい。問題は3問あり、うどんという統一テーマにしました。この設問と、他の設問のどっちを先に作ったのか覚えていませんが、少なくとも先にうどんというテーマありきだったように思います。

ひとつヒントになるとしたら、アメリカ横断ウルトラクイズの1問目の〇×問題、でしょうか。「(アメリカの国旗にちなんだマニアックな指標の)AとBについて、Aの方が大きい。〇か×か?」というものだったかと思います。結局のところ、数値がわからないといけないような内容が多かったと思います。


10年以上前になると思いますが、私の大学同期の結婚式二次会のイベントを企画し、冒頭の全員参加のクイズで、数値を答えさせるものとしました。そのときも、考えに考え抜いたのが、新郎の方は山登りが好きで、新婦も山が好きでは無いが連れられていったことがある程度だったようなので、それにちなんで、

「それぞれ日本百名山を制覇した標高を合計すると何メートル?」

答えは忘れてしまいましたが、1000~100万ぐらいまで、分散した答えが返ってきたのを覚えています。主催者としては、しめしめ、と。

フェルミ推定というのかわかりませんが、日本百名山の標高の平均値は有効数字1桁として、2000mとして、新郎の方は高校・大学で30山ぐらいで、新婦はほとんど登っていないので、合計30山。よって、60000m位でしょうか。


正確な答えはネットで調べても載っていないし、かといって、全く想像がつかないのも考える方としては面白くない。新郎の友人は、高校山岳部の仲間が多数来ていて、楽しんで回答してくれていたと思います。そういう、明るくなる問題を目指しました。


で、考えに考え抜いたのが、うどん1玉のうどんの長さの総延長。だれも答えを知りませんし、ざっと調べても、答えは載っていない。

過去に、うどんの引張試験をした、という科学的なデータが掲載された記事があることは知っているのですが、そういう専門誌には表題の答えがあるのかもしれませんが。


以下、私の個人のページの方に掲載したので、リンクだけ張っておきます。


うどんの長さ-科学の缶詰~さぬき科学缶~



2015年9月18日金曜日

自彊塾の開設

本日、19時から2時間、自彊塾(じきょうじゅく)の第1回ミーティングを開催した。

自彊(じきょう)とは、「自ら努め励むこと」の意味で、香川高専のスローガンの1つである。

先日、長岡技術科学大学の先生から、VOS塾に関する講演を戴き、それに触発されて、真似して作ったものである。VOSとは長岡技科大の3本柱 Vitality Originality Services の頭文字であり、長岡技科大を象徴するキーワードのようである。科研に申請するために、徹底的に議論してよい申請書を作るための研鑽の場、ということであった。学科の違うメンバーが集まり、徹底的に批判することで、ブラッシュアップを図るという、とても怖い塾である。この取り組みが成果を上げているというPRだったが、まさにそうだと思う。合宿も行うという。ネットで検索すると、その迫力は伝わってくるので、そちらに譲る。

あの講演を聞いて、動かないわけにはいかないと考えて、とりあえず身近なメンバーに声をかけて開催した。今回はメンバーの都合で2人のみであったが、お互いの1枚メモを説明、質問することで、現状の足りなさを痛感したり、新たな視点など得ることができた。科研に限らず、これは続けていくべきだろう。

良い緊張感。これを自ら課さないと。

2015年9月17日木曜日

見守られている

9月14日より、5日間の出張が続いています。瀬戸内なので、うち2回は家に戻ってきます。

9月14日-15日は、山口県への出張。山口県でのコンクリートの品質確保に関連して、土木学会のコンクリートの品質確保小委員会の幹事として携わらせていただいていますが、今回は特別な出張でした。

縁があって、香川県内のとある建設業の組合の方々に対して、コンクリートの品質確保の講習会を開催することが先月決まりました。私が香川県に赴任して2年半が経過しますが、こういった取組みをすべくずっと手探りで動いてきたことが、ひとつの形として実現することになります。とはいえ、実際に動いていただいたのは組合の方であり、私はそのきっかけに過ぎません。今回、呼びかけに応じて、香川県の組合の7名の方が、9月14-15日に1泊で山口県の講習会・現場視察に来ていただきました。お金と時間を掛けていただけたのは、本当に貴重なことです。山口まで実際に足を運んでいただかないとわからないものはあり、その実行力に敬意を表します。高松での講習会の日程は11月28日(土)。これから2ヶ月、ベストを尽くすべく、頑張ります。

委員会のコアメンバー、山口県の皆様には、この企画に対してサポートをいただけることで、感謝しています。いくら頑張っても一人でできることには限りがあり、こうやってお互い助け合うことで、成り立つのだと実感しています。私も貢献できるよう、まずは香川の地で経験を積むことかと思います。

16-18日は、岡山大学で行われている土木学会全国大会です。初日は座長の業務のみで夜は若手懇親会。2日目は自分の発表、学生の発表、午後は鋼構造委員会でした。今日の発表を終えた際、とある方が声を掛けてくれました。私が横浜国大時代にお世話になった方で、香川に戻ってからお会いしていないので、数年ぶりです。声を掛けていただいた際に、2日間の私の姿を見て、「横浜にいたときよりも生き生きとしているのが伝わってきた」とお褒めの言葉を戴きました。私はそれを聞いてとても嬉しく感じました。横浜時代はどれだけだったのか、ということは置いておいて、現在香川県では、成果に満足はできないものの、半ば強制的に公的な立場に入れていただいたり、自分から進んで開拓していったり、色々な試みをしているのは確かです。ポジティブな影響範囲を広げたい、と活動しようと動いているのは確かなので、文字通りお褒めの言葉と受け取りたいと思います。もちろん、その陰には、激励の意味も込めてのことと思われますが、見ていただけていることに感謝しています。

現在、2日目が終わったところですが、土木学会年次大会では、久しぶりにお会いする方と多数お話ができました。そういうつながりをキープするために、主要な学会にはきちんと出席することは大事だなと改めて感じました。

初日の夜は、コンクリート系の若手懇親会でした。今年は39歳なので、対象者は40以下のため、厳密には来年もあるかもしれませんが、シニアの懇志会も40以上ということで参加資格が得られるため、来年はそちらに行くことと思います。よって、若手会は今年で卒業になります。その場でも複数の方から、私のブログを見ています、とのコメントを戴きました。フェイスブックの単文コメントで満足して、ブログに記事にしていないことは多く、更新が途絶えているのは申し訳ありません。また、本日の別の懇親会でも、情報発信が足りないとのお叱りも受けましたが、これも期待してくださっている裏返しだと思い、頑張っていこうと改めて思いました。ということで、懇親会終了後の電車の中でこの原稿を書いています。

明日もマリンライナーで海を渡り、岡山です。午前中に示方書改訂委員会WGに出席し、午後は高専に戻り、夕方からコンクリート打ち込みの予定です。

たまりにたまって、遅くなっている業務は、空き時間を作りながら徐々にリカバリーしているので、先方には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、精一杯頑張ります。



2015年9月8日火曜日

道路の日本史

6月に購入してから時間がかかったが、道路の日本史を読み終えた。

道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ (中公新書)道路の日本史 - 古代駅路から高速道路へ (中公新書)
武部 健一

中央公論新社 2015-05-22
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著者の武部氏は、日本道路公団東京建設局長、参与等を経験され、多数の書籍を執筆されている方である。実はまだ読んだことは無いのだが、「道のはなし」等は、図書館の土木系書架に必ずある本で、現在も書店の専門書コーナーには並んでいたと思う。

道路にまつわる日本の通史が、程よい分量で書かれている。私は受け持っていないが土木史の講義資料としても使えそうな話題が多く参考になった。何かの講演等でも使えそうである。


最後の方に、昭和43年に起きた飛騨川バス転落事故の話が掲載されていた。観光バス15台が連なっている中、大雨による道路の崩壊で、2台が川に転落し、104名が亡くなるという事故・災害である。バス事故の詳細はWikipediaのリンクを参照していただくとして、壮絶な事故であるとともに、その後の捜索、救出のためにダムの放流を止めて川を止めるなど、とんでもない大プロジェクトが行われていた。こちらのWikiの説明はとても長い文章だが必読である。

著者によると、この事故は道路管理者が自然災害に対しての考え、対応を180度転換させるきっかけとなった。危険防護施設の建設にのみならず、異常気象で道路の安全が担保されないときには通行止めも行うようになった、という転換点になったようである。

その後の技術を発展させたいくつかの技術史上の事故というものは多数あり、鉄道でいえば桜木町事故、道路トンネルでいえば日本坂トンネル火災事故、などあるが、まさにそれに匹敵するものであろう。これまで知らなかった。


香川県の名士、大久保 諶之丞(おおくぼ じんのじょう)についてもページを割いている。郷土に対してこのような貢献があったとは、Wikipediaでは記述が少なかったため気づかなかった。とりあえず、Wikiで紹介されている参考文献「蒼天に架ける」は勉強しておこう。ただし、Amazonの中古にもないので、図書館の郷土資料コーナーであろうか。
念のために調べると、高松の出版社から出しているようなので、あまり全国には出回っていないようである。後で問い合わせてみたい。 http://www.bikohsha.co.jp


元日本道路公団の方で、戦後復興の道路整備という時代を経験された著者だから語れるエピソードも多く、土木技術者の気概、誇りも随所に読み取れる。

東名高速道路と中央高速道路の路線の決め方も興味深い。初案は南アルプスを突き抜けるルートだったとは。

夏休みに実際に利用した滋賀県の多賀サービスエリアは、丹下健三が設計したというのもこの書籍で知ったが、上下線からアクセスできる店舗を計画したものの法律等の各種制約から断念せざるを得ず、その名残として、上下線を結ぶ歩道橋が建設されていた、とは。訪れる前に読んでおきたかった。グーグルマップからの多賀サービスエリア


この本は、学生にも読ませたいし、私の講義のための資料集としても活躍するだろう。

20年前から目にしたことのある著者の書籍(道のはなし 等)は今後順に読んでいきたい。当時の興味から、今は格段にアンテナが広がっているので、多くのことをキャッチできるだろう。


著者を調べている中で見つけたリンク。何に使えるかわからないがメモしておく。
日本の道の歴史検索システム

もう一つメモ。
ルーヴル美術館所蔵
ヴェルネ作
大道路の建設

2015年9月4日金曜日

レーザーポインター

レーザーポインタをよく使う。

授業ではスライドは使わないのであるが、橋梁やトンネルの現場での指し示し、および、会議でのスライド説明の時である。

視認性からグリーンがよいのは明らかであるが、以前は高かった。今は安価なものもでてきている。

そこで問題なのは、こういった製品は、たとえ大手メーカー品であっても当たり外れが多いことである。


次のような観点を見いだした。


1)単4電池を使っていること。

輸入品は単5を使っているものも多いが、小型化という観点と、もう一つは(要出典)海外では単5の入手がしやすいという点のようである。しかし日本では、単3、単4は簡単に手に入るが、単5はそうでもない。ということで、単5は明らかに却下。

2)安定して流通するメーカー品であること

もちろん輸入品でも良いもの、ニーズに合うものは合うだろうが、追加購入をすることを考えると少なくとも日本メーカーのものとして販売されているものが望ましい。

3)ポインタの形

・の他、○、-など切り替わるものを初回は買った。コクヨの製品で、決して安くはなかった。しかしその切り替えが先端をくるくる回すもので、致命的なのは、その切り替え時にクリック感が殆どなかったこと。簡単に変な場所に移動し、その時に光量が小さくなる。

物事の設計で良くないのは、不具合が起きたときにそれが不具合であることを認識できないことである。物事が壊れる、壊れない、というのは極論すると余り問題ではない。人間でも、失敗することはいいけれども、失敗したときに正直に報告するかしないか、のところが問題となることが多い。それと一緒で、レーザーポインタも、仮に変なモードになったときに、「おかしい」ことがわかればよいのだが、当該製品は光量が弱い状態が存在してしまうため、使用者はこんなものかと思ってしまう。あるシンポジウムの際に私が会場用として用意して失敗したことがあるので、以後、廻らないようにテープで固定している(わかりやすく言うと、高価な回転式のレーザーポインタを、テープで固定するって、ワイルドだぜいっ)。

よって、クリック感の無い切り替え式があるくらいなら、ポインタ形状は変わらない方がまし。結局は、テープで固定して・の形であってもグリーンレーザーであれば、見え方はハッキリしているので、特に支障が無かったのである。

4)ボタンのクリック感

1台目は、ボタンがシリコンか何かの樹脂製で軟らかくて当たりは良いのだが、カバンに入れていたら中で点灯していたことがあり、電池消耗が激しかった。最低限のクリック感が必要となる。

ただし、昔に購入したもの(今は壊れて存在しない)は、クリック感はあるのだが、ボタンが小さい金属の丸形で、5分も使っていたら、指が痛くてたまらなかった。これも本末転倒。

ということで、適当な硬さが必要である。これは、実際に触ってみないことにはわからない。

5)ストラップホール

あった方が無くしにくいし、現場でも重宝かな、と思っていたが、後述する現状でベストの製品は、残念ながら付いていない。

あれば良いが、1)~4)を凌駕するものではない、という程度。


ということで、今年になってトライしたものが、良かった。

サンワサプライ LP-G350である。
でも、ホームページをトップページから行くと情報はでてこない。
http://www.sanwa.co.jp/product/peripheral/laser-presen/index.html

でも、検索で調べていたら、その製品はサンワサプライに存在するし、実際購入もできる。私は、ネットの検索で探していたので、そういうことができた。これはまさに有名老舗のまかない料理である。常連には出してもらえる。
http://www.sanwa.co.jp/product/syohin.asp?code=LP-G350

高専で通常業者から購入すると、約6500円であった。


検索で色々見ていると、実は、他社製品のOEMらしいことが分かった。まあ、サンワサプライは、もともとそういう感じの製品が多いが。

驚いたのは、OEMでないオリジナル製品は、製品型番がそのまま、ハイフンだけとれた LPG350だった。
これならラベルを貼り替える必要もないし、もともと購入したときには、説明書以外にパッケージにも本体にもサンワサプライの名前が入っていないし、そのハイフンすら入っていない。手持ちの私のポインタには、サンワサプライである、という痕跡は一切残っていない。

東京磁石工業 LPG350

そのものである。

サンワサプライなのか、東京磁石工業なのか分からないが、ネットの最安値は送料込みで5000円ぐらいであった。



本製品は気に入ったので、複数メンバーの現場調査のために必要なので、これから複数追加購入を予定している。


レーザーポインタを語らせたら右に出るものはいない、かなと思う。以上、久々の「逸品」紹介を終わる。


先日、岩手県の現場で、トンネル現場の現場代理人が、緑色の太いレーザー光が出る装置で説明をしていてわかりやすかった。これは、トンネルの指示のための専用の道具かと思って聞いたところ、アジアの某国製のレーザーポインタだ、ということしかわからなかった。太い光というのは、日本の基準を満たしているのかいないのか。そもそも、そういう太い光というジャンルがあるのか。怖いのは、光軸がぶれて、光が散乱して点が太くなっている、だけだったりして。さもありなん。レーザーポインタ道を極めるには道半ば。

2015年9月3日木曜日

橋のコンテストのメモ

橋を題材にしたコンテストについてメモしておく。


新聞・紙
新聞紙で作る高速道路“橋”コンテスト(NEXCO中日本)
ペーパーブリッジ
ペーパーブリッジ その2

鋼材
Japan Steel Bridge Competition

パスタ(簡単なので、授業などで行われる)
実施例1 東京大学
実施例2 サイバネットシステム(解析)
実施例3 
Spaghetti bridge(Wikipedia) ここまで来ると芸術!

割り箸
割り箸ブリッジ

つまようじ
つまようじブリッジコンテスト

そう来たら、おしぼりブリッジ、箸袋ブリッジがありそう
あった(笑)

ストロー
ストローブリッジ

ねんど
秋田大学に脱帽

レゴ
東京工業大学 岩波研 オーソドックスだが、思いつかなかった。


レンガアーチ (オープンキャンパスなどで見かける)
→木をつかったものも多い

積み木
カプラブリッジ(カプラとは積み木の商品名)

うどん
林研究室(準備中、まだ公開できる情報なし)

毎年テーマが変わる
高専デザコン 構造デザイン部門 2015年度は銅線を使った橋

コンクリートカヌー
コンクリートカヌー
ミニカヌー(東工大の学生実験)

コンクリートの強度
コンクリート甲子園
キングオブコンクリート

秋田大学のページは、このページ同様に、色々な材料を使った橋コンテストのリンク集もありました。脱帽です。敬意を表します。



2015年9月1日火曜日

噴火・土砂災害のメモ

昨日、プレストレストコンクリート工学会のシンポジウム「津波防災のためのPC構造物の可能性を探る」に参加・発表してきた。当委員会は私も委員として入っているが、実質貢献できていない。さて、その中での発表や基調講演を聴いて、土木としてきちんと「災害」のことを頭に入れておくべきと改めて感じた。土木の役割の1つに、ありとあらゆる災害に対応する、というものがある。河川専門だから自身のことは知らない、では済まされない。少なくとも土木技術者として、教員として、全ての災害について少なくとも知識の上で体系化しておく必要があるだろう。大学時代に、授業としては体系的に砂防については受けていない、と思っている。しかし、社会に出てからも日々勉強であり、自分で行わなければならない。


砂防は世界に誇る日本の技術である、という話を複数の筋から聞いたことがある。急峻な山々、山地に迫る住宅開発、多数の火山など、日本には数多くの土砂災害リスクがあるが、体系的に勉強をしたことがない。

最近、河川の河床洗掘による被害を香川県で複数例知り、そちらの勉強も始めていたところである。両者は若干異なるが、橋梁・コンクリート構造物の範疇を若干離れるが関係はしているという意味では似たような立ち位置にある。

砂防ダムの建設は、香川県でも多数行われている。今年になって近くの砂防ダムをたまたま見学する機会があり、知らないことだらけであることに気づいた。これから勉強を開始することとする。

2014年の広島の土砂災害、御嶽山の噴火、2015年口永良部島など、枚挙に暇がない。

ざっとネットで調べただけでもいくつかの情報を得て、整理し切れていないため、まずはリンクなどを保存しておくこととする。


◆土砂災害防止広報センター の活動





災害学習お役立ちページ(その通り、役に立ちそう)

非売品であるが、次の書籍がよく出てくる。ただし、国会図書館など大学opacなどに蔵書がない。

碑文が語る土砂災害との闘いの歴史、砂防法施行百年記念、砂防広報センター、1998年発行、357ページ

石碑の語る治水・利水・災害の歴史


四国災害アーカイブスの中での、砂防に関する情報



◆土砂災害に関する小説


柳田国男「空白の天気図」

新田次郎「怒る富士」

広瀬弘忠「人はなぜ逃げおくれるのか」

◆その他



◆T先生からの情報

砂防と治山がある
砂防学会があり、学会誌もある

2015年8月29日土曜日

展開図 ~さぬきかがくかん~

1年以上前に、新しい立方体の展開図を発明(?)し、フェイスブックでも速報として紹介させていただいたのですが、そういったことも世の中に発信すべくきちんと記録しておこうと思い、空き時間を見つけてcadなどでコツコツ作っていました。やっと1ページ完成したので公開します。

先に2014年6月にYouTube Channel上に 科学の缶詰~さぬき科学缶~ という番組を作り2編投稿しました。ただし、その動画だけでは面白さがわからないと思い、いつかはきちんと記録しておこうと思っていました。動画となると、対象が狭まるので、その限界も感じていました。

同名のサイトを立ち上げて、記録していくこととしました。家族の創作の記録のページにしたいと思います。ただ、オリジナリティやクオリティは重視するので、単なる子供の作品展示にはしません。初回は私の作品となりましたが。

次回は、娘が幼稚園のときに発明したトランプの遊び方紹介になると思います。ブログでは紹介していますが、文章だけなのでわかりにくいと思います。駆け引きもあり、大人も子供も楽しめるゲーム要素があります。

初回の作品は「展開図」です。


夏休みの自由研究がまだな人は、参考にどうぞ。


速報としては、2014年6月に、以下のブログにも記載していました。

2015年8月27日木曜日

高速道路を走ってみて

うちの高専は8月11日まで授業があり、その後お盆お休みを戴きましたが、8月は前半も後半もコンクリートの品質確保を中心とした現場、出張が重なり、飛び回ることとなりました。

高速道路に論点を当てて。

お盆は親族の家で過ごすために、長野県の蓼科へ行きましたが、妻と子供は一足早く蓼科に行っていたため、私が盆休みになってから追いかけて車で向かい、私の帰宅と合わせて一緒に車で高松に戻ってくる、というプランとしました。高松から蓼科までざっと500km。往路は1人の移動でしたが、連続運転の自信はなかったので、途中明石で一泊して2日掛けて向かうことにしました。


案の定、出発直前まで片付けるべき仕事が山積し、高松を出たのが22時でした。夜間の高速運転の経験は多数はありますが、夜間の高松自動車道の運転は初めてでした。


驚いたのは、夜間で視界が狭いときの対面通行の運転の怖さでした。現在高松自動車道は4社線化に向けて鋭意工事がなされています。渋滞解消というのが最大の目的と認識していますが、安全に快適に走行するという視点もあったのだと身をもって体験しました。鳴門までたどり着くと、4車線化も済んでおり、安心して走ることができました。


翌日、明石を出て、神戸、大阪、京都を抜けるところがやっぱり渋滞しました。高松にいると渋滞は殆どないため、懐かしさすら感じました。その横で、第二名神高速道路の延伸、などを見ていると、やっぱり道路インフラは大事だなと感じます。どれだけの時間ロスが発生し、コストや、コストに換算しにくい被害を受けているのか。渋滞をゼロにはできない、贅沢だという考えも聞かれますが、これだけ物流や人の交流に寄与している重要なインフラが渋滞では、ロスの方が大きいでしょう。

名古屋から諏訪までの中央高速道路の走行も初めてでしたが、休み休み行って、なんとかたどり着きました。


さて帰りは、子供たちの一声で、明石海峡大橋ではなく、瀬戸大橋を通って帰ることになりました。私も自分では運転したことがなかったので、数十キロ遠いものの、帰路は山陽道を選んで帰りました。

今回は贅沢に路線を選びましたが(距離は遠いが、高速料金はこちらが安いらしい)こうやって複数の道路を選べることも、冗長性としては必要であり、昨日の台風でも、瀬戸大橋は通行止め、明石海峡大橋は速度制限付きで通行可能、ということで、複数橋の効果は絶大でした。


全経路ではないものの、今回の旅で、八戸から福岡まで(太平洋側の)高速道路の運転を制したことになります。

実際に走ってみないとわからないことは多数あります。フィーリングで道路が いる、いらない、の判断はできない、と感じました。


体験したことがないから語る資格はない、というのは極論で、良くない考えだと思います。もしそうなら、私は子供を産むことができないので出産について語る資格がありません。そうではなく、知っていたつもりでも、やはり知識が足りないことがわかった、と謙虚になることが必要ですね。


先日、藤井聡先生の「超インフラ論」も読みましたが、わかりやすくまとめられていました。些細な指摘ですが、若干推敲が足りないような記述も・・・。対面通行は高速道路としては完成していないにしても、ゼロとして見せるのは若干違和感はありました。


2015年8月1日土曜日

サービスかモノか

車はトヨタのプリウスアルファに乗っている。2012年に購入し、覚えている限り初めてのリコールが発生したが、ニュースを見た翌日にはディーラーから電話がかかってきた。本日、6ヶ月点検であったが、併せて修理をしてもらっている。

ディーラーを離れて、民間点検と民間車検を繰返していれば、お知らせは来るのだろうか。民間車検会社の方もチェックはしてくれるとは思うが。こうやって、ユーザーを把握しているというのは、モノによっては大事だと改めて思う。



研究室の自室では、プリンターの買い換えの際に、ビジネス向けで定評のある、OKIにした。壊れにくいというネットやこれまで耳にした評判と、調べると5年間の無料保証および、5年間のトナー以外のメンテナンス部品無償交換が後押しした。これまでの経験で、必要だと感じたためである。

レーザープリンターは、良いものを買っておけば、最低5年、うまくいけば10年という印象はある。

無償修理のためにはユーザー登録が必要ということだったので、きちんと登録しておいた。3月に購入して、7月下旬の先週、致命的な紙送りのエラーが発生して、動かなくなった。

19時に電話すると、メンテナンスに限っては受付時間が終わったとのことで若干がっかりしたが、翌朝担当部署から電話もらえるということだった。翌朝9時過ぎにきちんと電話があり、打ち合わせをして10時半にはサポート担当者が研究室まで来てくれて、直ちにベルトユニット交換が完了して使えるようになった。

保証を受けるためには、ユーザー登録をすることと、ずっと純正トナーを使うという制約があるが、少なくとも今回のプリンターに限っては、私にとっては若干の安さよりも安定して動くことの方が優先されるため、今回、本当に選んでおいて良かったと思う。

トラブルが起きないに越したことはないが、今回のトラブルへの真摯な対応を見て、ますますOKIのプリンタのファンになった。


逆パターンとして、確か昨年買い換えた学生が使うインクジェットプリンターは、あまりにも値段の差があったので互換インクにしたとたん、インク詰まりが多発して、色の再現性はイマイチであるが、今は我慢して使ってもらっている。ビジネス向けなのでインクジェットは黒の発色が良い顔料系インクにしてみた。ただし、顔料系は粘性が高いようで、元々詰まりやすいという。それを互換インクにしたので、すぐにだめになったようだ。

白黒はレーザープリンタはあるので、カラーは以後買い換えるときには染料インクにしておけばつまりは少ないようだ。何事も一回目は失敗するようだ。



信頼おけるものは、モノを買うというよりも、サービスに対価を払う、という感覚に近い。プリンターについても、安心して使い続けられる権利を買う、という感じである。

2015年7月12日日曜日

道路緊急ダイヤル

道路緊急ダイヤルをご存じであろうか。

日本全国 #9910 で、道路管理者に電話が繋がり、道路の不具合を報告できるものである。人生でこれまで3回電話したことがある。

1回目は、国道を走行中に、ガードレール(中央分離帯)が走行車線側に50cmぐらいはみ出ているのを走行中に気づき、そのまま電話したものである。ハンズフリー通話ができるので、すぐに電話した。しかし、そのときは、道路緊急ダイヤルの番号をしらなかったので、110番通報した。

もし、後続車が飛び出ている中央分離帯に接触したら、大事故に繋がりかねない。警察に電話したので、当初は担当が違うとたらい回しにされそうになったが、緊急を要すると説得し、担当者にメモしていただき、その担当者から道路管理者に通報をお願いした。

その後、道路緊急ダイヤルの電話番号を、携帯と車のナビに登録した。

2回目はそれからあまり間が空いていない時期の通勤時間帯。高松でも交通量が多い、上天神交差点において、前の車両が荷崩れを起こしたのか、タイルカーペットのようなものが交差点内に転がっていた。前回に比べて緊急性は低いかもしれないが、気づいたら誰かが通報しなければと思い、連絡した。その日の帰宅時間に見てみたら、なくなっていたので、片付けられたのだろう。

3回目の今回は、7/9の朝。とある構造物の管理者から構造物の不具合の相談を受けていたので、現場を調査してから通勤しようとして、小一時間の調査が終わったときであった。

小さな市道であるが、側溝のようなものを塞いでいる金属のふたが数センチずれて、開口部ができていた。しかし、その開口部の方向が悪く、幅数センチ、長さ50センチほどの細長い開口部が、道路の左側に、道路の長手方向に平行に開いていた。

開口の状況


空き缶の大きさと比較 


閉めた状態

これは、自転車がもしはまったら、大けがをするような開口部である。

私の職業は土木工学で、土木構造物、とりわけ道路の専門家であるが、そんなの関係なく、大人として看過できない開口部である。幸い、大人が持ち上げればずらせることができる重さだったので、すぐに直した。

ただし、すぐに直せるということは、軽いということの裏返しであり、車両が通ったら再度ずれることは明かであった。そこで、前述の道路緊急ダイヤルに電話。

冒頭は自動応答サービスで、高速道路上か否かのチェックが入り、回されたのは一般道の担当者のようであった。カクカクシカジカ説明し、担当部署に見に行ってもらうことになった。ということで、一市民としての義務を果たした。

その場を直すとというところで終わる人が多いのではないだろうか。これは明らかに構造的に、欠陥のあると見なすことができる。蓋状のものは、マンホールしかり、容易に、動いてはならない。


この場所は、たまに通るので、今後どうなったのか、追跡調査をしてみたい。ただし、通報を受けた市(多分市道だと思うので)の土木職員が、大丈夫と判断してしまったらどうなるのだろうか。そこで初めて、土木技術者としての動くべきところだろう。


さて、このような通報というのは、私は市民としての義務だと思う。義務というと、反発があるかもしれないが、そもそも、全てお役所、お上がやってくれると思うのが間違いであり、少なくとも担当部署に対して、フィードバックすることは、市民としての義務だと思う。


全く不具合が起きないように四六時中全てのモノに対してパトロールするほど、お金や人は潤沢でないはずだし、そこまで税金を負担するつもりはない。今回の場合、路面の状況にまで気づかない子供が犠牲になる可能性が高いと思われる。大人なら、危ない、とひょいっとよけることができるかもしれない。

日本各地で、道路の点検技術者の育成や、市民を巻き込んでの道路の管理、道路の清掃、を行っているところもあるが、それに通じると思う。こういった不具合を、不具合であると認識するための教育活動は必要であり(今回の場合は、ちょっとした想像力、の範疇とは思うが)、そういうことを先導するのが土木技術者の役割のひとつであろうと思う。

2015年7月11日土曜日

ヨット部活動、バッテリー周りの修理

本日の練習は、国体予選(成年および少年女子)の大会運営補助だったため、学生が6名ほどお手伝い。高専の救助艇は出さないことから、先日バッテリー端子の緩みのあったバッテリー周りの配線のメンテナンスをすることになった。

私は2級電気工事士をもっているものの、エンジンのバッテリー周りはあまり詳しくないので、材質などは顧問間で打ち合わせしたり、事前に機械系の学科の先生に聞いたりして準備完了。


配線について、今後のために記録しておく。





エンジンルームの状況。
若干漏れた油がたまるなど、雑然とした印象。

バッテリーの充電は問題ないものの、端子が蝶ボルトで接続されているため、強く締めることができず、たまに端子が緩む自体に。そうすると、その部位での抵抗が大きくなるためか、エンジンの始動の電流が足りなくなるようで、エンジンが始動できないことがしょっちゅう起こっていた。

前回は、普段トラブルに遭遇しないメンバーが、大会運営補助の朝に始動しない状況になったものの、私に電話があり、過去に端子が緩むことを告げて解決した。部内の情報共有も大事であるが、大会運営の際に連盟に貸与することもあることから、常時安定して起動できる必要があった。

よって今回の主体は、バッテリーの接続が緩まないようにメンテナンスすることにある。



これが、現況。銅もしくは銅メッキの端子。表面が酸化している。バッテリーは交換しても、端子はそのまま使い続けられているようで、締めるボルトも若干ねじ山が丸くなっていたので、今後のために交換することとした。

最終的には、ホームセンターで手に入る一般的な端子とした。

亜鉛合金、真鍮メッキのものであった。


まず、古い端子を外した後、バッテリー自体の端子を、耐水ペーパー(細かい紙やすり)で磨いて表面の酸化膜を除去。


端子を新しいものに交換。

元々、付属の蝶ボルトであるが、蝶ボルトは締め付けの管理が難しいことから、六角ボルトとする。

ステンレス、M10の六角ボルト、およびスプリングワッシャ、とした。



このような狭い中での作業。

バッテリーを置くための台は、木製。FRPにビスで固定されているが、この木板が腐食してしまっていたので、新しく作り直すことに。




このように外す作業も一苦労。


プラス12Vの端子には、端子のオプションの接触・感電防止のカバーをつける。よく見ると、既存の状態もカバーは付属していたが、硬化して脱落していた。


これが外した端子の状況。緑青も出ている。酸化膜を除去すれば再度使えるかもしれないが、数百円なので今回は交換。


作業中の様子。

このように、既存のものと同じ寸法で木材で台も作り直し。


このように、ほぼぴったり。

この木の台を、エンジンルームの床にビスで固定する。ビス位置は、古いものから穴の位置を写し取って、同じ位置にビス留め。


ケーブル側の圧着端子も表面に酸化膜が生じている。こちらの交換は用意していないので、これも耐水ペーパーでこすって新しい面を出す。


このような感じで、ボルト、緩み止めのためのスプリングワッシャ、を入れる。


スパナで締める。モンキレンチだとボルトの角をなめるので、適切なスパナを使う。これと同じ径のスパナも、救助艇の緊急部品用具入れに常備するようにした。


プラス端子の締め付け完了。


このように、プラス端子には接触防止のカバーもつけ、反対側のマイナス端子も接続完了。カバーをつけずに、マイナス側をスパナで締めるのは、短絡(ショート)の恐れがあるので、行わないこと。(なければ、乾いた布で覆うなどする)

ナイフスイッチも、金属を磨いて地金を出す。


エンジンのオイルまみれで、手が真っ黒。


このように作業完了。従事時間は、3時間強。


救助艇マゼランの全景。


2018/8/25(追記)
購入から6年程度が経過したこのバッテリーだが、起動しなくなった。現場でのテスターでは0.1Vとの報告である。
ガソリンスタンドで点検してもらった結果、液面が低下しているが、濃度は十分という。当初は充電も検討したが、6年経過も考慮して、購入した。型番は、130F51である。たまたまスタンドに在庫が有り、19000円+税であった。
トラック用の容量のため、市内のカー用品店では在庫はなかったが、たまたまハーバー近くの出光のスタンドでは在庫があった。
最近、マゼランのセルのかかりが悪く、エンジンを吹かしながらかけていたが、それが不要になりすぐにかかるようになった。

2015年7月5日日曜日

スーツケースに対するニーズ

12月に購入したスーツケース(正確には、ソフトキャリー)が壊れたのは2回目。

購入価格1万円程度のもので、激安(5000円)ではないが、高級品(ソフトなら、高価なものは3万円程度)でもない。激安を買わなかったのは、ちょっとした使い勝手であるが、名の通ったメーカーであれば修理体制もしっかりしているかな、というのもあった。

1回目は、購入後1ヶ月程度で、2回目の使用の際に、ハンドルの動きが悪くなったもの。明らかに初期不良だと思いつつ、購入店(高松市内の大きなモール)へ。

私「初期不良でしょうか」
店員「本製品はメーカーの保証期間というものはありません。メーカーが判断して、無償の場合と有償の場合があります」

店員「お急ぎですか」
私「スーツケースは予備は持たないので、これしかなくて困っています。急ぎです。」
私「修理期間の代替品はありませんか」
店員「そのようなサービスはありません」

結局、初期不良扱いで、無償修理だった。

2回目は、この間の7月の出張時。タイヤの軸が曲がったようで、タイヤがスムーズに動かない。ブレーキがかかったような感じで、歩くたびに、筋力がつきそうな野球部の重いコンダラ状態。

再度店舗へ。

(本日、上記の問答の繰返し)


さて、どうなることやら。書籍を入れると重くなって、動的な影響も含めて曲がったのであろうが、私にとっては、それが通常の使い方なので、しょうがない。この際、有償でも無償でもどっちでも良いことである。それが論点ではない。


もし仮にこれが車だったらどうだろうか。多くの場合、ディーラーに修理に出せば、代車というサービスがあり得るし、それを期待することはおかしなことではない。車がなかったら困るわけで。修理の事由によっては代車が無償や有償であり得るだろうが、それは仕方がない。


では、今回のスーツケースの場合はどうだろうか。

スーツケースにたいして、予備を持っている人は普通は居ないだろう。私は大小もっているが、同容量は1つのみ。同居人が同じようなものを持っている、というのはあるだろうが。

故障はたまにしかないけれど、使いたいときにないと困る。ユーザーの私としては、是非、店舗に対して、オーソドックスなもので良いので、修理代替品を用意して戴きたい。店舗内に、様々なメーカーやサイズ、色のラインナップまで自由に展示しているので、そこから数個だけそういう代替品を作ったとしても、十分ペイできるのではないだろうか。


そういうサービスをしていない、というのはわかるが、そもそも、客(少なくとも私)は、スーツケースを買うことが真の目的ではなく、必要なときにスーツケースが利用できることに対して価値を見いだしてお金を払っている。よって、それが、メーカーの理由、私の理由に関わらず、使えなくなる状態が続くのは、困る。困ることに対しては、コストを負担する覚悟はある。


最近、Appleが、音楽定額制サービスを始めた。携帯電話も今や通話料金やパケット定額、というのが主流である。あれだけ携帯電話通話料金は高いんだ、と10年以上言ってきた携帯キャリアが、手のひらを返したように定額通話を始めたのにはたまげたが、そもそも結局はサービスに対して対価を払うのであり、スーツケースも、そのように考えても良いかもしれない。

プリンターも、そういうところがある。メーカー純正品の消耗品を購入してもらうための囲い込みであるが、ユーザー登録すると、修理は無料というのもある。研究室で購入した、OKIのレーザープリンターがそうであった。

よく考えると、服のサイズがSでもLLでも通常は価格が一緒だし、飛行機も、高速道路も。ライス大盛り無料の店もある。そもそもビュッフェ形式も。ホテル料金は日本(人数に対してチャージ)、海外(部屋に対してチャージ)とでは扱いが異なるが、もっと海外旅行客を受け入れてくると変わるのだろうか。



関連してもう一つ思うこと。家庭で困るのは、家電が急に故障すること。特に困るのが、夏の時期のエアコンの故障。なぜかというと、通常の販売店では、夏はエアコンの販売のかき入れ時で、申し込んでから工事まで1週間待ち、等を聞いたことがある。もしその時期に壊れたら、リスクが高い。工事の予約順位は、通常はお金では買えないので。

提案する。メーカーが顧客を囲みたかったら、例えば故障に伴う、同メーカー品への買い換えは、優先的に工事を回してもらう、というサービスはできないだろうか。

メーカーでなくても、販売店(○○電気)単位で実施することは可能かもしれないし、その方が、継続的に買ってもらえるから良いのだろうか。詳細まではわからない。



そもそも、上記のことを突き詰めると、販売よりも、リースという概念になるだろう。修理代替品を提供する、買い換え時に便宜を図る、というのは、「リース」と「(これまでの)買い取り」の中間に位置するだろう。定額サービスのように、今後、サービスに対する対価を払う、という風に全体的にシフトしていくのであろうか。

2015年6月30日火曜日

東京出張

7月には、東京出張が4回控えています。授業は正規の手続きで授業変更を繰返し、変則的ですが廻っています。

私がいないと卒研の指導などがどうしても削られてしまうため、そうならないようにタフな人材を育てなければなりません。研究が現場とリンクしているので、できるだけ学生も連れて行って、先方との折衝の姿を見せるようにしています。

学生に現場で考えさせることも、以前と比べて重視することにしています。機会が人を育てると教わってきたので、まさにそう思います。


高松からは遠方ということもあり、東京出張の際には、できるだけ複数の業務を入れるようにしています。

7月1回目の時には、東京での学術委員会と栃木での講演があります。
http://www.tochigictc.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/H27-A-08-%E5%AE%9F%E6%96%BD%E8%A6%81%E9%A0%98%EF%BD%BA%EF%BE%9D%EF%BD%B8%EF%BE%98%EF%BD%B0%EF%BE%84%E5%9F%BA%E7%A4%8E.pdf


7月2回目出張の時には、昨年度採択された研究助成金の報告会があります。発表件数もあるので、プチ学会発表・シンポジウムのような感じです。港湾といっても、様々なジャンルの研究者の発表になるため、普段参加する学会の同一セッションには収まらない内容なので、普段は聞けない他の発表者の聴講も楽しんできたいと思います。成果報告会なので、技術的内容の他に、その研究者の流儀などエッセンスも吸収できれば良いなと思います。
http://www.scopenet.or.jp/main/course/html_KH27.html


メッセージ性の薄いブログ書き込みではありますが、私の家族など、近況を楽しみにしてくれている人も読んでいるので、ということを言い訳にして、書かないよりか書き込んでおくようにします。
















2015年6月16日火曜日

涙腺が緩いのは、だいぶ前からですが。


先週の山口出張は、沖縄の技術者との現場調査と会議でしたが、飲み会のお話の中で、沖縄県での離島架橋の工事の話をお聞きしました。マスコミ向けのオフィシャルな開通式ではなく、それが終わったあとに、地元のからから感謝されたことで、その場にいた技術者が感動して涙した、という話を飲み会の場で聞いて、私も涙してしまいました。その方の話しっぷりと、想像力だけで。

最近でこそ、災害に強い国を作るための土木ということで、建設行為が正当に評価されるということが珍しくなくなってきているものの、私はもの心ついたときから、便利な土地に住んできたので、建設行為で生活が改善されるという経験をしたことがありませんでした。

横浜に住んでいたときには、どことどこの高速道路が結ばれて、渋滞が減ったとか、何分短縮されたというもので、生活が劇的に変わったことはありませんでした。唯一驚いたのが、横浜ベイブリッジができる前と後では、横浜市内の渋滞が圧倒的に変わったというのを聞いたことですが、私が横浜に来る数年前の出来事でしたので実感はありません。

親の仕事で全国転勤がありましたが地方都市においても県庁所在地ぐらいの都会には住んでいたので、不便という実感もありませんでした。

その中で、離島架橋というと、住んでいる人にとっては、学校に行く、仕事に行く、という生活がかかっています。そのような状況を知らない、想像もしない、遠く離れた外野の目から見ると、1人あたりのコストがどうかというマクロな視点でしか見ることができないけれども、現地の人にとっては、死活問題なのです。ここでは、公共投資の是非という議論は敢えて避けていますが、感謝される橋を道路を作ることの意義、というのは本質だろうと思います。


同じく山口の出張で戴いたのが最近JRから発行された災害復旧記録でした。2年前の平成25年7月28日に山口・島根で起きた大雨災害により、JRの山口線・山陰線が大きな被害を受け不通になり、13ヶ月という短時間で復旧を成し遂げた記録です。

山口県のひび割れ抑制システムを、JRのその復旧工事でも利用し、データベースを活用した設計の検討であったり、実際にシステムを動かして、そのデータをとったりしたことは、委員会を通じて聞いていましたが、実際に参加したことがなかったので、当事者意識はなかったというのが本音です。製本された報告書を戴きましたが、まずは、その部分だけ読んで技術的なところを吸収しようと思っていました。

全部読むのに2時間ぐらいかかりましたが、読み進めると、私が知らなかったほどに災害は激しく、被害が甚大だったこと、バスによる代行輸送の困難も伴いながら、13ヶ月で橋梁の掛け替えを実施された、ということがわかりました。開通式の文章や、携わった方々の言葉を読むと、自然と感動し、涙が流れてきました。

みんなが主役とはよく言いますが、それぞれが責任を持って行うことで、災害復旧を成し遂げることの素晴らしさ、地元から熱望されていたこと、など、土木の醍醐味でしょう。

便利で当たり前の日本、きっかけは災害という場面が多いのは複雑ですが、土木の大切さをしみじみと感じました。


関連して、1冊の本を思い出しました。
土木に関する本は収集している方ですが、建設の物語というと、明治時代や、高度経済成長期の話が多く、どうしても違う時代だ、という先入観を持って見てしまいます。吉村昭の本などは、特に。田村嘉子さんも明治時代の近代日本を作る突起の話が多いですが、その中でも私が好きなのは、平成の現代に焦点を当てた「余部鉄橋物語」です。現代、地元の方から愛されて熱望された橋、ということで、これまたおすすめです。

2015年6月15日月曜日

繋がる、芽が出る

本日は、構造物管理者である某所にて、情報交換。

私からは、新設構造物の品質確保、表面吸水試験、などについて情報提供し、先方からは現在抱えている耐久性・維持管理上の問題について説明いただきました。

劣化メカニズムがよく分からない案件でしたが、解明のためのいくつかのヒントがぱっと浮かんできました。

それは、もう10年前になりますが、前職の横浜国大で細田先生が始めた構造勉強会に参加して、古典ともいわれる、分野毎の著名な論文を読む会で読んだ論文でした。それは、東工大の長滝先生、大即先生らの一連の腐食の研究に関するものでしたが、現在でも引用されています。

もう1つ、横浜国大で開催された(した)、何回目かの勉強会での大成建設の丸屋さんの講演において、冒頭の話しはじめのとある写真とその説明も、印象に残っており、それがヒントとなりました。

土木学会335委員会の現場調査で、他の委員の方が実施されていた試験手法も、当時手伝ったり身近で見てきたことも、ヒントになりました。

全て私が経験してきたことで、それが、今日の打合せでポツポツと出てきて、繋がってきました。自分で言うのも何ですが、これらの経験が決して無駄にはならず、10年近く経て、引き出しから出てきた、という感触です。その時の経験が、まさに私の血肉になっていたのでした。

謙遜すると、これで終わりではなく、これをきっかけに、どう一歩を踏み出せるかがかかっているわけですが、少なくともスタート地点に立てたことは、良かったと思います。高専に戻り、先ほど、メールであるアクションの提案をしました。


反省点を考えてみます。10年前のことは良かったとしましょう。では10年後の自分への投資は、今できているのか、ということもボディーブローのように効いてきます。上記の10年前からのインプットは、当時の上司であり、同士(と、本人がおっしゃる)でもある細田先生がきっかけになっているものが殆どで、自分からのアクションではありませんでした。

最近の、香川県の現場でのアクションの経験という意味では充実はしているけれども、ここ高専では、論文のインプットが大きく落ちていることは自覚しています。今日のきっかけは、そういうことに自らポジティブな側面で気づかせるものであったと、ポジティブに考えています。

だれも、文献読め、と怒られて読む気になる人はいないでしょう。でも、今日のポジティブな体験を経て、貯金を使ってしまったから、また貯めておこうという気になりました。


きっかけは何でも良い、とにかく、自分が動くこと、動ける方法を模索すること。

山口の原点から

先週は、6/11-12と山口県のコンクリートの品質確保に関する現場視察と会議に参加してきた。前日は東京の土木学会で会議だったので、いつものように移動が慌ただしかった。

フライアッシュコンクリートを実際に使っている某県の方々が、山口県の品質確保の取り組みを3日間視察することに、私は2日目から参加し、議論に加えさせていただいたものである。

フライアッシュの実用化は、発注者、学識経験者、コンサルタント、生コン、など各者がプレイヤーとなって、それぞれができることに取り組んだ成果であった、と思う。それぞれが当事者意識を持つことが如何に大切か、逆に、当事者意識のない個々人や組織がいる段階では何も新しいことは生まれないか、に尽きる。懇親会でも熱い議論をさせていただいた。

今回、フライアッシュの適用という観点、他県での品質確保の取り組み、という点で最新の情報交換をしたかったことに加え、私も来月栃木県で品質確保の講演をするための確認という意味もあった。そういう意味もあって、キーパーソンの二宮さんの発表は、これまでになく行間を漏らさぬように聞くことができた。

前半の現場視察に関しては、目視評価を改めて行ったのであるが、直前に高松で学生と一緒に多数の橋脚の目視評価を開始していたために、これまで気づかなかったことも見えてきた気がし、より能動的に考えることができた。

品質確保に出会ったのが数年前であるが、山口に来るたびに、自身が成長していることに気づかされる。

当事者意識が深まることで、同じものもまた違う側面が見えてくる。

2015年5月31日日曜日

近況

今年度は校務が変更になったので、比較的時間ができるかと思いきや、新しい校務でもそれなりに業務があり、この2ヶ月は師走のようなイベントが目白押しでした。

それと平行して、ある報告書の執筆2件の存在があり、何だかんだ締め切りを大幅に過ぎて、先日出し終えました。関係者にはご迷惑をおかけしましたが、私自身もずっと頭に残っていて、でも時間が作れずに先送りとなっていて、精神衛生上よくありませんでした。本当にきつかったと思います。

結局のところ、いつか時間を作って行わなければならないことなので、原因はその時間を早期に作って実行できなかったことに尽きます。ボタンの掛け違いは、3月の過ごし方だったように思います。今年の3月は出張はあまり入っていなかったものの、新しい授業準備などに時間を費やしたと思いますが、こちらのやるべきことを少しずつでも進めておくべきでした。

2ヶ月たってしまいましたが、こうやって一度リセットできたので、改めてそうならないように対処したいと思います。他にも、重要な報告が遅れていて済みませんが、スケジューリングします。


反省しつつも、頑張ったと思えることも多数あります。

授業は多い方だと思いますが、授業のない時間もそれなりに連続しているので、それをうまく使って必要な出張を多数入れて、こなすことができたのが良かったと思います。

特に、県内の建設現場を使った議論を複数行えたことが、良い経験にもなりましたし、私の自信にもつながりました。赴任して2年来実施しようと計画していたことです。一部は、そこで実施したことに対してポジティブな反応も頂き、実施して良かったと心から思います。これに満足することなく、次につなげていきます。

今、日曜日の夜にこれを書いていますが、週末、遅くとも土曜日の夜にはきちんと前週の振り返りをして、翌週の目標を確認することは実施しないと、成長はありません。苦しさにかまけて、それができていませんでしたが、週末に本当にリフレッシュができ、今書いています。引き続き継続できるよう、頑張ります。


話は変わりますが、先日来何度も訪れている橋梁の上部工の建設現場で働いている建設会社の技術者が、何と私の小中学校の同級生でした。それも、私が親の転勤で長崎県に住んでいたたった3年間のときの同級生です。この出会いも、偶然の産物でしたが、私だからできたのではないかと思っています。多少意味不明になりましたが、時期が来たら、この件の詳細は書きます。

信じたことを信念を持って実行すること、そうすれば、いつか結果はついてくる、と心から思います。

週末、自分には無縁だと思っていた委員会からお呼びがかかりました。以前にある委員会に呼ばれたことがきっかけで今回も事務的に呼ばれているのだとは思い、自分の実力ではないとは思いますが、理由はともかく、そういう機会を逃さず、自分の成長の糧にするしかありません。確実に忙しくなりますが、それも私が30代を脱皮して40代になるための超えるべきものだと思います。時間が限られる中をどうやって全てのことに対してマネジメントできるか、まだまだ脱皮が必要です。

2015年4月14日火曜日

嬉しいこと

4月に入り、新しい学期が始まっています。

本を読もう、ということは、しきりに授業中に語りかけています。ただ、昨年は、それが学生が借りることに繋がらなかったように思います。

物事が上手くいかないというのは、相手に非があるよりも、自分に至らぬ点があるという現れだと思い、もう少し歩み寄ることが大事かなと気付き、昨年度の途中からアプローチを変えています。


今年は、授業中に本を紹介することについて、幾つかのアプローチで行いました。詳細は省きますが、結果として数日で、述べ3名の学生が訪れてくれて、借りて行きました。

たまたまだったのかもしれないし、その辺はよく分かりません。ただ、こうやって来てくれることは何かを感じてくれた現れなのかなと思い、まずはそれだけで幸せです。


4月に入って殆どの授業でやり方を変更しているので、まだまだ自転車操業ですが、こうやって反応があると、頑張ろう、と元気が出てきました。

2015年4月5日日曜日

やっぱり教育

高専に着任して、2年が過ぎ、3年目です。

2年目の昨年度は4年の担任もしました。初めての担任業務で戸惑いながら過ごした1年間だったと思います。反省点も多々あるとともに、終わって初めて、充実感もありました。授業では2年目に初めて担当する科目や主担当になる科目もあり、それを回すので精一杯だったと思います。

2年間で校務の一通りを経験したことで、高専教員として一回り大きくなったというかやっとスタート位置に立ったような新鮮な気分で新年度を迎えています。

今年は、校務としては、学生主事補(生徒指導系)と専攻科委員を担当します。ヨット部の主顧問も2年目です。これらも、相当にヘビーだとは思いますが、振り回されないように、できれば自分でコントロールするべく頑張りたいと思っています。

授業に関しては、その多くはこれまで前任の先生の授業をそのままor参考にしながら行っていて、回すことで精一杯でしたが、今年から大きく改善を進めていきます。

その中で大きいのは、学生実験(構造実験)です。これまでのオーソドックスな、実験実施、レポート作成、提出、添削、というものを超えたものを作ります。私を筆頭に、2年目の助教の先生と、さらに今年赴任した先生も加えて、議論をしています。

その授業を通して学生が成長できたか、という観点、の実質化を図ります。

3月になってから具体的に熱い議論を交わしていますが、結局は、全ての授業に関係する普遍的なことを議論しているように思います。まずは構造実験を通して、改善を行ったことは、必ず他の科目であったり、高専内の他の先生にも波及する物と信じていますし、そうするべく作り上げていきます。

2015年3月4日水曜日

長引かせる

本日は3月4日。

うちの高専の卒研発表会は3月9日。長ーーーーーーーーーーーーーい。
他の大学、高専の状況を聞いても、ここまで延ばすのは、聞いたことがない。

学会などの研究活動は、関係する大学教員は、2月末ぐらいからいろいろな
会議や打合せが設定されてきているが、さすがに3月になると殆どの教員・
研究者がフリーになって(卒研発表会を終えるという意味)活発に活動
しているように見えてしまう。

そもそも、ものごとは〆切に合わせて作られるのはよく知られたことなので、
遅いからといって成果が出るわけではない。

ということで、うちの高専は今が正念場で、まだ動けませんが、外の状況を
横目に見つつ、きちんとやりきることが大切、か。

2015年2月16日月曜日

「知らないことすら知らない」無知 について

以下のリンクの「知らないことすら知らない」無知 という記事を読んで、よくまとまっていると思う。
http://blog.livedoor.jp/mineot/archives/51983108.html

まさにそう思う。世の中には、私が知っていること、知らないということは知っていること(内容は知らないが項目は知っている)、知らないことすら知らないこと、の3種類がある。

これ以上書いても上記と重なってしまうので、この辺にしておく。


要は、その「知らないことすら知らない」ことをどうやって知るのか、について、具体的な行動を起こしているか? そういう仲間・環境を作っているか? という生き方の違いが、その後の人生を大きく変えるのだろうと思う。

私の場合の1つの行動は、薦められた本や事柄を、できるだけフィルターをかけずに吸収することであろうか。とはいえ、時間の都合で、いくつか取捨選択せざるを得ないが、そこで好みを言っていたら、結局フィルターをかけていることになるし、バランスが難しい。


私が、レストランや弁当屋さんでメニューの右から順番に頼んでいくとか、コンビニで何の飲料が良いかと聞かれて右から3番目、と答えたり、大学時代、和田町商店街のお店を強制的に全店訪れて利用してみる、とかも、その感覚に近い。こだわりなさ過ぎ、と言われたりもしたが、まさに、運命の出会を待っているのだ。

2015年2月14日土曜日

引き継がれ、という発想

これからの時期、各所で引き継ぎが行われるが、その多くは引き継ぐ側の自己満足または形式的なやっつけ仕事で終わるような気がする。ただし、事務的な引き継ぎの場合、結局誰がやってもそれで仕事は進むので、そのままでよい。

クリエイティブな仕事に限ると、大事なのは、引き継がれるべき人が、受け身ではなく、能動的な「引き継がれ」を実践することではないか。

少なくとも引き継ぎは、一方通行で終わるものではないと思う。言い換えれば、引き継ぐ人が行うべきことは、「引き継がれ」へのスムーズな橋渡し、ではないだろうか。

1ヶ月もたてば、「聞いてない」が言い訳で通ることはなく、「聞かなかった」だけである。

実際、仕事のできる人からの引き継ぎは、細かい手段ではなく、大所からのポイントのみで、どこを見ればわかる、という感じ位であった。

2015年2月11日水曜日

手前味噌

コンクリート業界以外の方にはどうでもよい話ですが、昨年7月のコンクリート工学年次大会2014(高松)で実施した、広報ツイートを、別の場所にブログ形式で移植しました。ツイッター社のサイトが職場で見られないということへの対処や、JCI四国支部としても大会の記録を残しておくという観点で、移植したものです。

もう半年以上経過しているので情報は古いですが、私としてはとても懐かく、当時のことが生き生きと思い出されます。私と当日初めて会った補助学生1名の2名とで取材をして、ツイートしまくりました。わかるひとにはわかるネタを仕込みながら。

残念ながら大会当日には、そういうサービス?があるというのはあまり認知されていなかったようですが、ざっと写真だけでも閲覧いただければ幸いです。77ツイート分あります。

http://jci2014takamatsu.blogspot.jp/

2015年2月10日火曜日

手帳問題解決か

紙の手帳は欠かせないが、切り替え時期に問題があった。その問題とは、1年前のブログ(リンク)に書いたのでそちらに譲る。


だが、読み返そうとすると冗長なので、以下にまとめる。

1)学校で働いているので、4月始まりが都合が良い。ただし、本質は、来年3月までの手帳が手元にあること、であるので、必ずしも4月始まりである必要はないが。

例:
 4月に始まり、翌3月まで
 1月に始まり、15ヶ月後の3月まで

2)発売時期を早めにして欲しい。
一般的なメーカーの場合、1月始まりは11月中旬から発売、4月始まりは2月中旬から発売のようであるが、12月頃から4月以降の予定が入り始めるので、4月始まり手帳の人にとってはちょっとつらい時期である。1月始まりの人は、その点は特に問題なし。

3)書き写すのは無駄。
オーバーラップする期間の手帳があるが、切り替え時に書き写すのが無駄である。


ということで、私なりの1つの提案としては、
イ)何月始まりでも良いので、6ヶ月を1冊として、6ヶ月毎に発売して欲しい。2冊を使い続ければ、常に、書き写す必要なしにスムーズに手帳が移行できる。
ロ)専用のカバーに、1冊目、2冊目を挟み込んで、疑似1冊として使えば気にすることもない。

としていた。


最近、ほぼ日手帳(ほぼにち、と読む)というのが、2015年版から上半期、下半期の2分冊で手帳を出したということを知った。ただし、1ページ1日という手帳で、今使っていた1ページ7日分と比べると、ページ数が多いのでためらっていた。

しかし、手帳を活用するためには1日の欄が狭いな、ということをふとしたきっかけで認識し、えいやと乗り換えを検討してみることにした。能動的なスケジューリングのためには、もっとスペースが必要なのである。

発売元に問い合わせてみた。

Q)いつ発売するのか、半年後に1冊ずつ発売するのか
A)2015年版(上半期、下半期)は2014年9月に発売した。2016年版(上半期、下半期)は2015年9月に発売を予定している。

ということだった。年1回の発売とはいえ、4ヶ月前に発売になるのであれば、前述の2)に対して満たしている。

ということで、今年に入り2冊目となるが、試用のため注文してしまった。送料を入れて3000円はこれまでの手帳の価格(能率手帳、約1000円)と比べると高い気もするが、私の生涯の友となるのであれば、安いものである。

到着が楽しみだ。

普段接点がない方々との交流会

昨年、ビジネス香川に出演させていただいた(記事はこちら)縁から、年1回行われているというビジネス香川歴代出演者を集めた「ビジネス香川交流会(リンク先に記事あり)」に、先日出席させていただきました(もちろん、会費制)。

以下、写真は私が撮影したものではなく、ビジネス香川編集部のオフィシャルツイッターによるものであり、リンクを貼りつけています。写真のみ著作はビジネス香川にあります。



とにかく会は盛大で、出席者は、歴代ビジネス香川に出演した香川県内の会社社長など、有力者ばかりでした。来賓は、香川県知事、高松市長、代理ではなくご本人。主催者側としては、何と、いろいろな意味で有名な朝日新聞の社長がいらっしゃっていました。これには驚きました。

会の模様はこんな感じです。あくまでも、写真はビジネス香川編集部公式ツイッターで既に公開されている写真です。私の撮影ではありません。その証拠に、私も右後ろの方に写っていますから。


せっかくの機会が与えられたので、いろいろな方に話しかけて交流することを目的に歩き回りました。前から気になっていた酒屋さんの社長さんにコンタクト。すると、四国ダム88箇所巡りを主催しているという。ご本人はダムやコンクリートのことは知らないので、任せているということでしたが、技術者ではない方とコンクリートの話ができるとは。他にも、四国酒蔵88箇所巡り、温泉88箇所巡りなど、合計8つも立ち上げられている。全部で10個位立ち上げるのだとか。

毎年開催していて、どんどん参加者が広がるということなので、来年ももしお呼びいただけるのであれば是非参加したいと思う会でした。得るだけでなく、周囲に貢献できる人財として。


終了後、たまたま、東京時代の知人が高松に来ているという報を受け、ご一緒にお酒を飲みました。4月に高知で会を開くということで、それもまた繋がりそう。


年度末に向けて、疲弊しがちな日々ですが、久々にリラックスした時間を過ごしました。

借りる力

研究をしていて、装置の有無は研究の制約にはならない、してはいけない。本当に必要であれば借りれば良い、というのは、前任校の恩師に良く聞かされた。

実際高専に赴任して、特に構造系の装置や、分析系のものがない。前者は仕方が無いが、後者は自分で稼がねばならないのだが。とはいえ、無いものは仕方がない。今年度は、結構額が大きな装置を県内の2機関と連携して使わせていただいている。

言うは易しであるが、行うは難し。相手にその装置があるかどうかの情報も大事だし、そして、見ず知らずでも相手に飛び込んで連携する行動力、であろうか。たまたま縁あって、今回のことに繋がるが、そもそも、そういう考え方を持っているかどうかで、大きく異なるだろう。

そう考えると、良く大学や高専を訪問した際に実験室見学をすることが多いが、もう少しそういう観点で物色する、というしたたかさがあっても良いかなとちょっと思っている。

飲み会を楽しませる方法

飲み会の際に、ノンアルコールの人は、選択肢が少ない。お店であれば、多少揃えているところもあるが、何かの懇親会などで手製の場合は、幹事の力量にかかっている。

香川に来て感じているのは、車での移動が多いので、会議の後の、その場で設定される(会議室を使った)簡単な懇親会位では、車で帰ることを考えてアルコールを飲まない人が非常に多いことである。私も忙しい時は、車で直行するのでそういうこともある。

仕事のための懇親会は話が中心なので飲み物のクオリティは余りどうでも良いが、一般に、懇親会・歓迎会・忘年会など飲み会に関しては、その開催目的の1つはその場にいる人がそれぞれ楽しめること、であろう。ノンアルコールの人は、値段がかさむお酒を飲んでいないから割引しよう、等の対処がある場合が多いが、ネガティブ思考である。裏を返せば、恩恵を受けていないからお金で解決しよう、というものである。(主張なので、敢えて厳しめに書いています)

私が幹事であったら、満足度に対して会費を払ってもらいたいので、ノンアルコールの人にも、それなりに楽しんでもらえるように設定したい。後ろめたく割引をする必要も無い。

普通の店では、ウーロン茶しか置いていないところも多いし、そのウーロン茶も、大して旨くない。だいぶ前であるが、手製の懇親会でビールやチューハイが並ぶ中、ノンアルコール用に(基本は留学生用だったようであるが)コンビニの98円のウーロン茶紙パックが出されたことがあり、私はそれしか飲むものがなく、そのまずさにオエッとなったこともある。留学生で宗教上飲めない、という学生もいるが、せめて、日本の美味しいものを飲んでいただきたい。


ということで、先日、私の母校の大学で研究室合宿があるということで、差し入れを送った。部屋での研究室の飲み会があるので、酒を贈ろうかと思ったが、OBも多数来るということでお酒は十分あるだろうと考えて、敢えてノンアルコールを贈ってみた。私が懇意にしている酒店は、いろんなバリエーションがあり、味見はしていないが見た目は良さそうなものを幾つかピックアップしてみた。

結果、どうだったかわからないが。

ということで、私は変なことをする変人だとは認識しているが、今回の一件は、既存の概念、習慣という手段に捉われずに、飲み会を楽しくする、ということを追求する思考訓練なのである。

2015年2月1日日曜日

自宅でハードディスク3台壊れた

2014年度は、我が家にとってハードディスク受難の年であった。

8月、これはテレビに関係するが、我が家のハードディスクレコーダーのハードディスクが壊れた。製造後5年ぐらいだろうか。これまで撮りためた、主として子どもたちのテレビ番組が全て吹っ飛んだ。子どもにとっては妖怪ウォッチが厳しかったようであるが・・・・。私はNHKスペシャルなども痛いが、見ていなかったものは仕方が無い。ハードディスク家電は信頼性は信用はしていなかったので、料金を払って販売店による保証に入っており、無料で修理できたが、ハードディスク交換のため、データは救出できず。

遡ること4月、自宅のPCの保存用ハードディスクが壊れた。実際は、壊れていたのはもっと前からもしれないけれども、壊れていることに気づいたのがその時。バッファロー社の外付けハードディスク。かれこれ5年ぐらい経過していたと思うので、耐用年数は過ぎていたので、これは私が悪い。

手動でPCとミラーリングしている予定が、最近幾つかのデータがミラーリングできていなかったため、データ救出のために4万円程度出費。子どもの写真はお金には換算できない。この値段で助かったことは、幸運だったというしかない。ハードディスク基板のコンデンサ不良ということで、単純な論理故障(ソフト的な故障)ではなかったとのこと。ディスクに傷が付いて無くて良かった。冷や汗ものだった。

4月のデータディスク消失トラブル後、バックアップは必ず2系統必要だと判断し、データ救出会社からのデータ提出で得られた新品外付けハードディスクの他に、バッファロー社の外付けハードディスクを1台追加購入した。結果、自宅PC1台に対して、バックアップ外付けハードディスク2台体制に移行していた。

そして1月の正月休み中に、過去の写真をフォルダ整理したのだが、PCで作業をしながら、バックアップの外付け用1台(昨年購入したバッファロー社)の中にメインデータを作った。この時点では、完成データはバックアップはとれていない。というのは、もう1台のハードディスク(データ救出会社から入手したもの)の容量が足りず、前のデータを消さずに新規でバックアップできなかったためである。前のデータを消す段階で、ミラーリングに失敗するのが怖かったからである。来週やろうと、通販で大きい方と同じ容量のハードディスクを1台追加購入した。次の週末になって、ミラーリングをしようとしてデータの格納された外付けハードディスク(昨年購入したバッファロー社)の電源を入れた際、データが吹っ飛んだ。内部から音がカラカラガラガラ。明らかに物理的障害。確率の問題とはいえ、あろうことに、作業をした直後に吹っ飛ぶとは。

これについては、フォルダ分け作業だったので、データが無くなったのではなく、作業途中のファイルもPCに残していたので、2時間ほどの追加作業で元に戻ったが、愕然。

急いで作業を完了する必要があったので、もう1台、近くのPC屋さんにハードディスクを買いに行った。今度こそバッファローを止めようと思ったが、なぜかその店は外付けはバッファロー社しか扱っておらず、仕方なくバッファロー社の外付けハードディスクを購入。

今回壊れたハードディスクは、無償修理期間内に故障ということで、新品のものに無償交換とはなったが、それを待っていられなかったので、上記の通り別のディスクを購入済。


ということで、受難の1年だったが、どんな一瞬にも、ミラーリングをしておくべき、ということを身にしみた良い経験になった。結果として、データについては失われていないので、良かったというしかない。

現在、我が家には、ノートPC1台なのに、色々な経緯があって、外付けハードディスク3台、ハードディスク単体1台 の計4台がバックアップ用に存在する。


システマティックに、常に2台のバックアップが動いているように、耐用年数を4年とみて、2年ごとに、機械的に交換していこうと誓った。



さて、その後、ハードディスクの製品毎の故障率が発表された記事を見て、シーゲート社のドライブの故障率がダントツで高いことに驚いた。電源が共有できるという理由もあり、バッファロー社にしていたのだが。内部にどのドライブが使われているかについては、ケース表面にネジが付いていないので、下手に開封してメーカー保証が受けられなくなっても嫌なので、止めている。そもそも故障は、確率の問題なので、故障率が低いモデルを敢えて入手することよりも、日頃使っている際に、常に2台にミラーリングするということを徹底する方が、良いだろう。

同じバッファロー製品でも、内部のドライブに、シーゲート、ウェスタンデジタル、日立、などのどの会社のドライブが使われているかは、製品やロットにより異なる。ネット情報や実物などざっと見たところ、所有4台中、判明した3台が、成績の悪いシーゲートであった。がっかり。

2015年1月23日金曜日

活発に

このブログはメッセージを伝えると共に、私を知っている人や研究室の現況を伝える意味もあるので、書くための敷居は下げねばと思っています。

1つ大きな報告としては、先日1/12に、高松市の牟礼港のコンクリート桟橋の調査に行ってきました。

実施に当たり、関係各位のご協力に感謝すると共に、1年かけて研究室学生と共にここまでやってこれたことに感謝しています。

装置の詳細は見せられないのですが、何か頑張っているという写真を紹介します。

で、明日は、調査のための許認可に半年を費やした(実際に動いたのは、短いのですが)、高松港の桟橋の調査です。学生は夜遅くまで準備を頑張ってくれました。不安もありますが、初の船からの測定は楽しみです。






ブログの移動(に近いもの)

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