私の故郷の一つは長崎市である。小学校5年、6年、中学校1年の3年間、過ごした。長崎といえば、異国情緒あふれる街と原爆を投下された街、というイメージであるが、実際に過ごした3年間はまさにその通りに感じていた(その後20年で、イメージが作られている可能性もあるが)。8月9日は、夏休みの全校登校日であり、原爆教育が行われて、それが当たり前だと思っていた。地元のお祭りなどに見られるように、中国とオランダの影響を受け、生活に密着していたように思う。
しかし、まだ世間を知らない年頃であったためか、長崎の本当の価値に気づかないまま引越ししてしまったように思う。当時はまだ、歴史、特に幕末の知識はほとんどなかった。特に、シーボルト、お滝、については同名の長崎名菓のCM等で毎日毎日耳にしていたのに、実際に何者なのか、知らないまま、今に至っていた。医療を教えてくれた親切な外国人、という程度であった。
8月の長崎への研究室夏合宿に行くに当たり、幕末の長崎をきちんと知りたくて読んだ本は、吉村昭の「ふぉんしいふぉるとの娘」であった。文庫本であるが、上下巻で1000頁は読みごたえがあった。まず、長崎の出島の開港とはどういうもので、華やかなイメージとは裏腹に、そこに暮らす外国人は孤独に苛まれながら、悶々と過ごすという描写に衝撃を受けた。その中で、シーボルトは、一言でいえば、日本のスパイであったことは、目からうろこであった。シーボルト(ドイツ人で、国籍を詐称している)およびオランダは、当時の世界の謎であった日本研究のメッカであり、彼が優秀な日本人(高野長英、他)に、オランダ語や医療の指導のためと称して、オランダ語で書かせた日本レポート(テーマは日本の医療事情に限らず、インフラ、社会制度、などありとありとあらゆるジャンル)が、そっくりそのまま幕府の目をふれずに、オランダに送られて日本研究の資料になっていたとは!!!結局そこで研究されつくして、諸外国に日本の攻略法が伝わった結果、あの当時、諸外国が押しかけて日本の開国につながっている。全部理由があったのだ。
私が読んだ日本における彼の伝記やその他の記述は、親切心から誤って贈られた日本地図が見つかって日本追放になってしまった可哀そうな人とあるが、実際は正反対でシーボルトが周囲の反対も押し切りながら血眼になって地図の入手に手を尽くし、最終的に幕府にバレて、関わった数多くの日本人が処刑、処分されたことは、なぜ伏せられているのだろうか。詳細はともかく、吉村昭の詳細な記述のおかげで、長崎の本質がわかった気がする。蛍茶屋や日見峠が、当時の長崎の入り口になっていたことも、合宿中に何度かバスでそこを通る度に、当時の思いを馳せることができた。今回の長崎の夏合宿では、シーボルトの住んだ「鳴滝」を訪れる時間がなかったのが残念であった。
合宿は、諫早湾干拓事業、雲仙普賢岳見学を終え、合宿のメインであった軍艦島の上陸は、悪天候で叶わなかったが、上陸しない周遊クルージングにおいて、長崎港の詳細な解説があった。長崎がいかに三菱重工に依存しているのか知り、岩崎弥太郎の時代からの長い歴史について知りたい欲求が高まった。
そんな中、津波の橋梁へ及ぼす波力に関する研究に携わらせていただいている関係で、今度10月29日に長崎の三菱重工で行われる津波の模型実験を見学させていただく機会を得た。さらに、翌日には女神大橋の見学もオプションで行っていただけるとのこと。参加することにした。
そこで今回の事前予習として自分に課したのは、まずは、三菱重工で建造された世界最大の戦艦「武蔵」の建造を描いた吉村昭「戦艦武蔵」であった。広島呉で作られた戦艦大和はあまりにも有名であるが、全くの同じ寸法の2号機が戦艦武蔵である(と今回知った)。呉では、軍事工場での建設なので、1号機という困難はあったが比較的無事に建設が行われるが、長崎では民間の工場なのに秘密を守る必要があった。高熱隧道に見られるあの重苦しい戦時中の描写から始まり、最高軍事機密の巨大な船が秘密裏に作られるさまは、息が詰まる。作業員は、秘密漏えい防止のために、自分が作る部分の図面しか与えられないので、いったいどれだけ大きな船を作っているのすら想像できなかったという。あの狭い長崎港で、グラバー邸からも見下ろせるあの場所で、市民に誰にも見られずに、1000人を超える民間作業員から情報が洩れずに世界最大の巨艦を作るのは、想像を絶する。詳細は、読んでのお楽しみであるが、ここでは一つ。進水の際、巨大な鉄の塊が押しのける水で、長崎港内に1mの津波が起きたという。
せっかく長崎に行く機会を得たので、観光なんかではない、前から行きたかった、これも三菱重工の資料館を訪れることにした。失敗学で有名な畑村洋太郎氏が、人類が経験した貴重な失敗である、タービン事故でのタービンの実物展示がなされているので有名な資料館である。それ以外にも、岩崎弥太郎からの歴史が凝縮されているらしい。楽しみだ。
2012年10月25日木曜日
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