2011年4月17日日曜日

津波調査 5日目 仙台

今日は、仙台市若林区の沿岸部を調査する。

7:30古川出発。
東北自動車道を南下し、仙台東部道路を経て岩沼ICで降りる。盛土が動いているため、制限速度は50km。途中、沿岸部の若林区の様子が、道路から見え始める。





沿岸部は、災害復旧関連と地元住民以外は通行止めになっているが、事情を説明して、入れていただく。

8:45から9:30、岩沼海浜緑地。松林がなぎ倒されている。沿岸部より、消波ブロック、堤防、松林、と続く。堤防は、沿岸側は基本的には被害は無く、越流した後の山側が洗掘されている。根入れ部分も流出し、流されている。内部の土壌が流出し、崩壊している箇所がある。基本的には、越流後の山側から洗掘が始まり、土壌流出、コンクリートの崩壊、と至るようだ。一部、土砂の崩壊が、海側に達していて、堤防が貫通している箇所もある。切れた理由を推察してみる。その位置が、たまたま、施工の区切り部分だったため、水みちが存在していること、波消ブロックが切れる箇所に近い部分で外力が集中したこと、が可能性としてあるだろう。








10時。名取川の右岸へ。堤防は機能しているようで、5mの堤防高さのうち、3m程度まで水の跡がある。のこり2m程度。

10:5011:30、県道10号の名取川を渡る閖上(ゆりあげ)大橋が不通のため、1区間だけ仙台東部道路を乗り、名取川を渡り、海岸公園へ。閖上大橋の不通理由は現地ではわからない。多分、ネットで調べれば情報は出ているだろうが、事前リサーチ不足である。
海岸公園では、運河の護岸整備、水門の建設がおこなわれている最中に被災し、まっさらな構造物を背景に、建設機械が被災している。その水門と、作動させる巨大なジャッキがぴかぴかの状態で鎮座しているが、まだ電源は繋がっておらず、その水門が閉じられることは無かった。
水門の一部を成す、運河を渡る道路の手すりは、可動式で倒せるようになっている。越流した際に、障害とならないように考えてのことであろう。今回は、倒していなかったため、木々が引っかかったり、波の影響でなぎ倒されている。
工事用の鉄板が流されたものが建物に引っかかり、折れ曲がっている。これからも波力の最低荷重が計算できる。
そこから松林全体が見渡せた。沿岸部はなぎ倒されているが、運河部分はかろうじて残っている。水の作用の仕方で変わるようだ。その後沿岸部も見る。











11:4512:30、3箇所目、南蒲生(がもう)近くの海岸公園。駐車場、テニスコートだったところが、がれきの処分場に変わっている。その横を縫って、海岸部へ。
途中、トイレに痕跡がはっきり残っていたので津波高さを計測。
水路を渡る箇所で、橋の落橋に遭遇。3径間のうち1径間が落橋。支承は載せるだけのもので、寸法、スパン、そして、周囲の地盤のえぐられ状況、そして、その位置の松の木が生き残っていたおかげで、松の皮が破けた箇所で津波の高さがわかった。これは、この5日間で落橋の調査もおこなったが、一番良い例だと思う。剥けた松の皮の内側に、マツヤニがべっとり滲み出している。生命力を感じた。



全ての調査を終了。

仙台駅でレンタカーを返し、14:19発の新幹線連絡の快速に乗り、福島へ経由で帰路。

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