2011年4月4日月曜日

何のための自粛

今日は朝から学生実験のためのティーチングアシスタントの打ち合わせを設定し、その後、昼から有志で花見を開いた。形の上では春休みだが、今週4年生をメンバーに迎えるために早めにスタートアップを切って欲しいことと、他大学から大学院に入学したM1もいるし、留学生とも一緒に昼ご飯を食べて親睦を深めようという趣旨。この会を自粛する理由はない。前日に桜餅を買っておき(25個はズシリと重い!)、差し入れをする。学生には、別に酒でもジュースでもいいからとお願いしたら、昼ごはんに合わないためか、何か遠慮したか、酒は夜に浴びるように飲みたいのか、理由はわからないが結局ジュースのみを買ってきた。世間でいう花見ではなく、単に桜の下での昼食会という形にはなったが、目的は達成された、と思う。

日本を立て直すためには経済を活発化させる必要があり、そのためには自粛せずに消費すべきと最近よく言われており、私もそう思う。ここでは、違う切り口から物事を考えたい。

自粛をする、という時、自粛以外の言葉でそれを説明できますか。被災者の事を考えて自粛という言葉が返ってきたら、それは具体的にどういうことですか。別の言葉で説明できますか。その殆どは、結局は周囲の顔を見て、出る杭にならないようにしておこうという思考停止状態であることが多い。

土木工学教室の学生が企画する謝恩会が中止になったと聞いたときに、当初、ホテルが営業していない、電車で帰れない、等という外的な要因かと思った。その後、説明はなかったのでよくわからなかったが、学生が中止することにしたらしい。何をどう考えて中止したのか、是非、関係者に発表してほしかった。もし、自粛であったのなら、何の何に対する自粛なのか、聞きたい。

以下、(感謝される側の)教員としての立場ではなく、先輩の立場として言う。謝恩会という名前を冠している以上、謝恩会である。目的は、お世話になった人に感謝するものである。その中には、自分たちがお酒や料理をいただいてワイワイ楽しもう、というのも含まれているのはわかるが、それは結果としてそうなる付属物であり、その会の主ではない。それで、震災があったから、お世話になった人に感謝を伝えることをやめるのですか?質素でも、感謝の意を伝えられると思うので、形式を変えるということはあり得えた、と私は思う。

結果として、同日同時間帯に、教員主催で、「卒業生を送る会」という名前を冠した会を開催し、食事はなかったが、例年の謝恩会と同様に学生ともたくさん話ができた。会の終わりで、いつもの謝恩会のように、学生側から感謝のメッセージは十分伝えてもらい、花束とプレゼントまで戴いた。学生側からの気持ちは十分伝わった。でも、会が教員側主催、ということもあり、しっくりしなかった。実際には、その辺も含めたすべての事が関係の先生とやり取りされており、含まれているのかもしれない。そうしたとしても、そういう趣旨であれば、事前ないしは開始時に発表すべきだろう。

謝恩会だけのことを言っているのではない。物事をおこなう時、行わない時、全てにおいて明確な意味が求められる。単に簡単な形容詞をつけて、わかったような気分になってはいけない。

私は研究室では、本番の実験が始まる前の実験を、「予備実験」と呼ぶ学生に対して、何の目的かを明確にした名前に変更せよと指導している。単なる練習であれば練習と呼び、○○の検討だったら、○○検討実験とせよ、と。名前が欲しいのではなく、その前に、実験の意味をとことん考えよ。。

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