2011年4月13日
空港からの道は、車内からは大きな被害は確認できないが、盛り土がやや動いているのか、ガードレールや沿道の電柱が傾いているものが見られるが、ひどい状況ではない。路面も多少波打っているかなと思う程度だが、首都高速湾岸線の圧密沈下によるそれよりも小さいので、地震前なのかわからない。
今日は移動日にあてていたので、八戸では、予め決まっていたわけではないが、まずは太平洋岸を見るために、至近である三沢漁港へ。漁港内の施設は、1階部分は穴が開いて抜けている。敷地内の平地は打ちあがった瓦礫類は片付けられて所々山になっているので、一見整然としていた。
津波がどこまで達したのか、まずは防砂林に入り、痕跡を追う。松林であるが、人の高さくらいまで、草やたまに漁具が引っかかっている。200mくらい入ると、急に発泡スチロールがたくさん残っていて、そこが最大到達点であった。流速がゼロになるため、そこに残るとのこと。GPSで位置を確認する。距離が遠いので、測量は難しいので、高さは計測しない。
土砂が運ばれているので、5cmほど新しく積もっているようだが、ふきのとうがあたり一面顔を出していることで、春を感じるが、津波という厳しいイメージとのギャップが不思議だった。
漁港の敷地内の公園のようなところに野球のフェンスが倒れている。構造力学的には単に鉄の円筒棒が曲げを受けて(言葉が悪いが、綺麗な状態で)降伏しているので、簡単に外力が推定できそう。寸法をメモしていたので、すぐにでも計算できる。後で。
沿岸部に行き、痕跡を探すと、5mくらいのところに痕跡があった。まずは、私も含め新メンバーの練習で、測量の手法を教えていただきながら、痕跡の高さと位置を計測。その後20分ほど周囲の状況を見て、移動。
昼食後、午後は、同じく、三沢あたりが、海岸工学の学会の調査で空白部分になっているという情報から、別のところでもう1箇所測定することにする。
防潮堤は、一部表面がはがれているが、基本的にはそのままの形で越流している。一部川の水門の横だけ、写真のように大きくえぐれている。RCといっても、鉄筋が少々の無筋に近いもので、一番ひどいところが写真の場所で、おれて欠落している。四角い穴に単に置かれているブロックは、内部の砂がえぐられて、多分その場に落ちている。フレームはどこに言ったかと探したら、これも、その場所で下に落ちて、砂に埋まっていた。
その後、内陸部に工場や民家があるので、痕跡を探しながら、測量を続け、400mくらい内陸に入ったところで最大到達点を見つける。ちょうど地元の方と話ができ、その辺りまで水がきたとおっしゃっていた。そのご年配の女性は、生まれて初めて津波が到達したといい、それを見た時点で怖くて高台に避難したという。
とりあえず、ここまで。
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