2011年4月2日土曜日

ちっぽけなこと

先日も紹介したブログから、曽野綾子の「言い残された言葉」を真似して買ってみた。


http://yohlab.exblog.jp/15711382/





私は実は、曽野綾子の著作を読んだことがない。「無名碑」は土木を舞台に描かれたものであるが、図書館で借りて結局読めずに返してしまった。インタビューや雑誌のエッセイ程度は読んだことはある。過去にコンクリートの学会の年次大会の特別講演が予定されていたが、事情により変更になったことがあったように思う。


さて、2008年(文庫版は昨年末)に出版されたこの本はエッセイ集なのだが、鋭い。例えば1話目は、事故や災害で生き残った人が、PTSDに悩んだりということに対して、ばっさりと切っている。ご本人は、東京大空襲を生き延び、その後政府が何も助けられない中で個人の責任で生き抜いてきた、という。当事者だけでなく、取り巻く日本の社会に対してのメッセージであろう。たまたま地震・津波災害の後に読んだので衝撃は大きいが、他のテーマについても同様に、他人にはない切り口から、新しい見方を提示してくれる。勇気の出てくる本だ。私は曽野綾子のことは気になっていたが、きっかけをつかめなかったので、これを機会に、読みたい。


この本を読み始めて、だいぶ前に読んだ養老孟司の「死の壁」を思い出した。詳細は忘れたが、この本は、あなたが思っていることなんて、所詮こんなちっぽけなことよ、とばっさりと反対の見方で切り捨てるものだったように思う。くよくよする暇があったら、目の前のことに必死に取り組め、というメッセージを感じた、ように記憶している。数年前の卒業直前の、自分の無力さに悩んでいたある学生に勧めたことがある。




先日、桜が開花する前であったが、昼食をともにした留学生を誘って、昼休みに小一時間費やして2人で大学キャンパスを一周練り歩いた。直接的には、宮脇の森を体験してもらうことと、土木工学棟の桜が一番とかねてから私が言っていることの証拠を見せるためであった。間接的には、自然の中を歩くことで、個人なんて、今やっていることなんてちっぽけなんだ、という別の見方を伝えたかった。


私も以前博士論文を書いている際に、行き詰ったら、キャンパスを練り歩いた。気分転換には最適である。部屋に閉じこもっていると、それが全てのような気分になり、潰れそうになることもある。そんな時は、本当にお勧めする。まず、土木棟、実験棟の裏から坂を上がってみる。すると、今までの重圧感を持った構造物を眼下に見渡すようになる。所詮、ちっぽけなものなのだ。くよくよしても仕方がない、という気分になってくる。まあ、歩いたところで、課題のほうは変わらないが、自分の気分が変わればよいのである。


本に限らず、環境に限らず、今までとは違う角度の意見、考え方を知ること。これは絶対に必要。


何だか、また月並みなまとめになってしまった。何の面白さもないな。

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