2014年2月16日日曜日

三河屋さん

「サザエさん」の三河屋さんと言えば、近所の酒屋さんで、勝手口まできて御用聞きをしてくれる、痒いところに手が届く存在、である。

大学、高専で働いていると、いわゆる出入り業者さんが、御用聞きにやってくる。前職の大学では、電話すればネジの一本から配達してくれて、いわば三河屋さんのような存在がいた。

現在の高専では、そういった会社も多数あるようであるが、まだ出会いがなく、よくわかっていない。

赴任して驚いたのは、発注部門が教員とは完全に切り離されていることであった。ここでは、所定の発注書を発行さえすれば、後は事務部門が、その業者とのアポイント、新規取引の交渉、納品と検収、支払い、を全て行ってくれる。言い方が悪いが、後述の研究室秘書が担当していた業務を学校を挙げてサポートしてくれている、というイメージである。

全部を知ったわけではないが、大学のように研究室単位で秘書を雇うというのは一般的ではない。プロジェクト単位という特別な場合を除いて、常時秘書を雇っているという状況は聞いたことがない。ただこれは、事務部門のサポートが手厚いから、というだけでなく、教員が研究に割くリソースが大学教員に比べて小さいからだろうが。


反対に、前職の大学では、教員側の発注が基本であったため、納品の受領までは教員が行わなければならなかった。そこへ、色々な大学での会計上の不祥事を受けて、事務部門でのきちんとした「検収」が組み込まれることになって、多少混乱していたように記憶している。そういった教員側の負担が大きいので、きちんとこなすためには秘書が必要であり、そもそも卵と鶏の関係という側面もある。

前職でやっていたように、品物を決めて、業者とのやり取りの流れからそのまま注文ということができなくなって、赴任当初は不便さに戸惑いがあったが、こちらの方法に慣れてみると、非常にクリアで合理的だと最近になって便利さを実感している。



なぜ便利さを感じるように変化したのかというと、その理由の一つにMonorato(モノタロウ)の存在に気付いたからである。

モノタロウは、工具や材料などの法人向けのネット通販である。最近は、個人向けにもやっている。香川高専では、モノタロウと契約しているので、私がモノタロウで扱っている、〇〇という物品を、締め切り時間までに事務部に注文すれば、在庫があれば翌日配達で届く。

モノタロウで扱うものは、日本で手に入るほぼすべての間接資材であり、少なくとも私が知っている工具のメーカーはすべてと言っていいほど扱っている。

前職では、こういったものを注文しようとすると、(出入り)業者に問い合わせて、そのメーカーを扱っているか聞いて、型番を伝え、その業者から問屋さんへ問い合わせる時間を経て、見積もりが届いて、価格を知る。そしてそれから注文し、数日待って、納品される、という具合であった。

横浜ではその手間とタイムラグが当たり前だったのが、こちら香川の地で、在庫があるものなら翌日、在庫がなくても取り扱いがあれば、大抵のものは1週間で届く。在庫がない場合も、出入り業者に注文する場合と納期はほぼ同じである。常時価格が提示されているので、見積もりという手間がない分だけ、こちらの方がメリットがある。デメリットは見つからない。強いてデメリットと言えば、購入に関して相談する人がいない、ということであるが、現時点では、モノに対する情報では人並み以上の知識は持っているので苦労していないし、わからないことがあれば他学科でも聞く仲間はいる。

前職の時は、モノタロウの魅力に気づかなかったが、研究室単位でもモノタロウの契約はできただろう。ただし、会計処理や検収は教員負担で行うため、現在ほどのメリットは得られていないだろう。


モノタロウの存在は、本の世界でのAmazonのようなものではないかと思っている。モノタロウさんが、我々の三河屋さんなのである。

功罪についても考えてみた。モノタロウは尼崎市に本社を置く日本の会社である。Amazonで揶揄されている日本に税金を納めていない云々の話は多分ないだろう。

こういった業者は、中間業者を省略することで、低価格化、迅速化を図っている。効率的とはいえ、経済活動の中で地元の業者にお金が落ちない、というデメリットも存在する。高専は独立行政法人で、国の税金が投入されているので、高価な調達になれば、競争入札になるなど国の機関と同等の公平性は確保されているようであるが、消耗品と呼ばれる高くても数万円単位のものについては、とくに規定はないようだ。

ヒラの一教員の立場で、地元業者のことをどこまで心配すべきかは、研究の効率化を図ることと相反するので微妙なことである。認められたルールの範囲で、とりあえずは、教育、研究に対して最大化になるように動けばよいのだろう。そういううちは、モノタロウから離れられないようだ。巡り巡って、研究費は税金であり、民間の競争資金であっても無駄に使うことはできない。




総論賛成、各論反対、とは、人間の悪い性(さが)だと思う。

良いものを作る会社は、多少高くてもそこから購入しないと、その業者は潰れてしまい、結局その商品を購入する機会を失ってしまう。最近よく思うことである。

自分のこととして翻って考えると、本を買うのは何でもAmazonでいいのだろうか。高松市のショッピングは、なんでも「ゆめタウン」や「イオンモール」でよいのだろうか(我が家の利用頻度は低いが)。地元商店街にはお金を落とさなくてよいのだろうか。電気製品は、カカクコムで最安値でいいのだろうか。地元の電気屋さんの存在価値は。

私もサラリーマンなので、お金は無尽蔵にあるわけではなく、賢い消費者でなければならないが、その辺の線引きは、いまだにジレンマを感じる。

先日、広島県の鞆の浦を訪れた。(高松も地方であることはこの際置いておいて)地方での経済活動とは何だろうか、と考えてしまった。地元のお金を落とすことで、地元でお店を営んでいる人も生きていける。ノスタルジックに上から目線でものを見てしまい、表面的に、地元で消費してお金を廻してけば良いと思ってしまったが、実際にはそうはいかない苦労、現実もあるだろう。鞆の浦について1日しか知らないので、まだまだ表面的にしか見ていない。

今週、主として、防災、過疎などの研究で、香川県の豊島(てしま)を訪れる。鞆の浦と対比させていろいろ見てみようと思っていたが、分析する視点が増えた。

継続して考えたい。

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