2014年2月10日月曜日

平賀源内先生

ブログを書くのは、最近、学生寮の宿直室で、ということが多くなっている。今日もそうだ。

先日、NEXCO西日本において講演をさせていただいた。講演が終わってみると、あれをこうすべきだった、などといろいろと反省点もたくさん出てきて、出てきて。このことは、試合の場で鍛えられる、という高知工科大学岡村甫先生のお言葉でも、身に染みた。練習をきちんとすることと、実践で鍛えられること、それを繰り返して、成長ある、か。


さて、懇親会の席で、色々な話になり、讃岐出身の平賀源内の話になった。平賀源内のことは、実はよく知らないが、エレキテル等の発明をした人で、ちょっと風変わりな人、というイメージしか持っていない。

私自身、モノづくりが好きということも有り、平賀源内は、ぼんやりとだがポジティブな印象を持っている。ふと、小学校の時に読んだ本を思い出した。

それいけズッコケ三人組シリーズは、小学生の私にとっては、必読の書であり、人生そのものであった時期があった。成長するにつれて、ぱっと熱が冷めたのであるが、とにかく、小学校3年生ぐらいから5年生ぐらいまで(あくまでもイメージ)は、ひたすら読んでいたように思う。

たくさんの本があるが、「ズッコケ時間漂流記」が断片的にであるが、残っている。

江戸時代にタイムスリップした3人が、平賀源内に会って、話をする場面である。そこで現代の便利な世の中のことを話すと、平賀源内から、「ではそのテレビというものは、どういう仕組みで動いていているのか。作ってくれないか。」というようなことを言われて、3人が絶句する、という場面である。詳細の言葉までは覚えていないが、そのようなやり取りであった。現代人への皮肉、警鐘のように読み取ったのだが、それが幼心に、ずっと残っていて、大人になった今でもたまに思い出す。

分業化した現代、全てのことを知ることは非効率であり、原理を知らなくても利用できることが大事、というのはわかる。でも、知らないで使うことは何となく、癪というか、悔しい、ということを小さい時から考えていた。

そのことが、私がものづくりや、手作りにこだわることの原点ではないかと、改めて思う。多少、美談、こじつけが入っているとは思うが、私の行動原理は、そうだ。

で、懇親会の話が膨らんで、来月、平賀源内記念館を訪れることになった。都合が合えば、ご子孫の方ともお話ができるかもしれないとのこと。

ということで、きちんと平賀源内先生(調べてみると、記念館では敬意を表して源内先生と呼んでいるという)のことを勉強することとした。てっとり早くamazonで入手、と思うと、結構古い本が多くコレクター価格のものもあったので、なかなか決まらない。そういえば、地元出身者ということで、高松市立図書館には専用のコーナーがあるはず、と思い、図書館へ行ってみることにした。そこには、絶版になった貴重本も多く、禁退出のものがあって困ったが、それは速読で対処して、1冊借りて、今半分読んだところ。

一般に、世間体にとらわれない自由奔放なところが強調されるが、医学、植物学から小説家、鉱山開発、土木工学、など活躍の場の幅広さに驚いた。土用の丑も彼の発明(通説なので、諸説あるが、有力とのこと)、のようだ。驚きの連続であった。

本のタイトルの副題が、江戸のレオナルドダビンチ。そうか、通じるところがある。

またまた、私の研究室のキャッチフレーズに、源内先生のことを入れておきたい。

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