(2/20 20時 一部の誤りを修正。豊島石は現在生産していないという。)
豊島と書いて、「てしま」と読む。豊島産廃事件で有名な豊島である。瀬戸内芸術祭では多少有名になったかもしれないが、それ以外のイメージを持っている島外の人は私も含めどれだけいるであろうか。
香川県に居ることで、島のインフラ整備、インフラのメンテナンス、というのはどうなっているのだろうか、というところからスタートし、石井 亨さんに無理にお願いして案内いただく機会を得た。
高松との高速船は、朝昼夕の3往復なので、今回は午前中高専で業務をしてから、昼の便で豊島に向かい、夕方の便で戻ってくるという行程だった。
過去に2回、豊島産廃事件の見学に行ったが、それっきりだった。今回、付け焼刃の予習はしていったが、良い意味で期待が裏切られ、歴史的経緯、自然、産業、など非常に魅力的な島であることを知った。豊島の由来は、諸説あるが、豊かな島、という説も一つ。人口減少、高齢化、など問題は山積しているが、これも日本が抱える問題を先取りしているに過ぎない。
石井さんは、1聞けば10返ってくるぐらい、この島の事を知り尽くしていて、とても濃密な4時間であった。
島の由来に、日本書紀までさかのぼって、そちら方面の勉強も補強しなければと、良いきっかけを戴いた。
たくさんインプットをさせていただいて、まだまだ消化不良であるが、いくつか書き留めておきたい。
13:05発の高速船(片道1300円)に乗ることを待ち合わせして、高速船に乗ること約30分。豊島の家浦港にたどり着く。写真はピントが合っていないが、産廃事件の現場である。
石井さん所有の10人乗りの車に乗り、島を走る走る。幹線道から一歩外れると、車幅ぎりぎりで左右に家が迫っている。道路の話は、別途したい。
甲生(こお)地区にある、薬師寺の境内。
石材業界では有名な、豊島石(てしまいし)の産地である。石細工を発端に、土木技術者になったという中野喜三郎らの技術者を輩出している。中野喜三郎は、国会議事堂、日本橋、皇居の2重アーチなどを作った人である。豊島石は、角礫質凝灰岩で、柔らかいので加工がしやすく、全国から引き合いがあったという。残念ながら、現在は産出していないそうだ。今日は直接見ることはできなかったが、石切り場は残されている。日本の石は、中国産に押されてしまっているが、茶室の窯など、豊島石を愛好する方も多いという。
石細工の祠であるが、このように、可動式の観音開きの扉がついている。このような構造は初めて見た。
別の場所(失念。後で追記予定)
連れられて山道を少々登ると、また石の祠が。この鳥居も豊島石。5つの石で構造が成り立っている。
パッと見るとわからないが、柱、屋根も全て豊島石。
パッと見ると、あたかもコンクリートが風化したように砂利が露出しているように見えるが、これも正真正銘の豊島石。風化しやすく、雨が当たるところは、このよう硬い部分だけ残って凸凹になる。表面に凹凸ができるのでこうやって苔がむしやすいのが特徴だという。
全景。
屋根を正面から見た所。このように、せん断キーがついて、接合されている。
檀山(だんやま)の南側の展望台から。多少かすんでいたが瀬戸内の島々が見渡せる。豊島から南の高松を見た所。ただし、標高はそれなりに高く、風が冷たい。一部先週の雪も残っているぐらい。
さらに車で走って、檀山の頂上から。北東に位置する
唐櫃(からと)方面を見渡したところ。中央は、そう、豊島美術館。設計者の西沢立衛先生は、私の前職の同僚である(同じ学部なだけだが)。石井さんは、西沢先生を、初めてこの地に案内した方であった。ここにも繋がりが。
手前に見えているのは棚田。
近くまで来た。残念ながら本日は休館。後で調べたら、この時期は、火・水・木が休館という!! 外からも、卵の殻が見える。
カメラのズーム。鹿島建設が施工し、コンクリートの連続打設なので、気温の日変動など、施工する時期など慎重に選び、相当に準備を重ねて挑んだという。
その横にある、棚田。
豊島は、最盛期には4000人の人口(現在900人程度)を抱え、地形的観点から湧水が豊富で、無数の棚田が存在し、住民の食料を賄った上で、島外に出荷していた。これも、豊かな島の証。現在は、荒れ果てていたのを、この部分は再度草刈りをして、整備している。この部分に水田を復活させるために、稲作減反の壁があったため、県内の減反の権利をかき集めて再生させたという。
石垣が、本当の石で作られているのが、 昔からの工法。最近はコンクリートブロックに置き換わっているところも。
湧水豊富な象徴が、この水場。衣類の洗濯、野菜の洗浄など、井戸端会議の場でもあった。イタリアの何とかの泉かと思ってしまう。
豊富な水源の負の側面としては、地質学的な話であるが、大規模な地滑りの危険性を有しているという。小規模な地滑りは、いくつか起きているとのこと。
この薄い石の積み方は、矢羽根積み、という。独特の工法のようだ。このような石垣が、島の至るところにある。重機を使わなくても十分な強度と耐久性を持っているという。
雨の時には、石の隙間からジャージャー水が出てくるという。擁壁は排水が大切。天然の排水機能を有している。
ここまで、何度も豊島石という凝灰岩ばかりでてきたが、この写真にある、北側の虻山は、安山岩。コンクリート分野では悪名高い、アルカリシリカ反応の豊島安山岩。山のように見えるのは、一度、骨材として山を切り崩して一度平地になって、その後土砂を埋め戻して緑化したもの。
豊島農民福音学校の跡地を行く。このために、賀川豊彦の勉強もしてきた。
来年移転が決まっている、豊島神愛館。乳児院である。医療体制の都合で、県の本土へ移転する。
島には常勤の病院がないということで、医療が大きな問題の1つでもあることを教えていただいた。
香川県には村が無いので、無医村は存在しない、ということを聞いて、そうかそうか、と思っていたが、それは言葉遊びにすぎなかった。実際、ここに無医島はあった。
他にもいろいろな場所を回らせていただいた。4時間、ずっと話をしっぱなしで、ダムの話、ダムでせき止められる土砂と海の恵み、渇水の論理、なども。辺野古埋め立て、諫早湾干拓にも話が広がる。土木技術者として、全ての情報を統合して判断できる力が備わっていないといけない。今回、ひいき目に見て、投げられたボールに8割以上は、打ち返せたと思うが、ヒットになるように、もっともっと深い人になりたいと思った。単に本を読んだだけではダメで、体験しつつ、そして自分で考えを持つことが大事と、身に染みた。
まだ整理はついていないが、自然、歴史、産業、に魅力を感じる素晴らしい島であることを認識した。
これで終わりになることはないので、私の試みは続く。