2013年3月21日木曜日

近況

この10日間は、赴任前に次ぐ、怒涛の10日間であった。公開する意味があるのか、と思いつつ、慌ただしさの記録に。


3月14日(木)。夕方まで通常勤務。夜の最終便で横浜へ。

15日(金)。朝から、娘の幼稚園卒園式。わが子の成長と、横浜との別れが重なる、感動的な会で、涙なしには語れない。後日、娘は、「パパ泣いてたね」ときちんと気づいていたらしい。

私は30年前、幼稚園卒園までの5年間、東京都世田谷区に住んでいて、3月に親の転勤に伴う引越しで、兵庫県明石市に移った。まさに、今回の娘と同じタイミングで、関東から関西へ移った。勤務開始日の関係で、私は卒園式に出席することができず、事前に、卒園証書をもらって、クラスの皆に見送られたので、卒園式に出なかった。30年前、幼いながらに卒園式に出られなかった当時抱いた悔しさ(後日作られた思い出かもしれない)と、娘の姿がオーバーラップしていた。

しかし、その感動を興ざめにしたポカミスが。慌てて横浜に来たので、なんと、スーツの上下が別の柄だった。幼稚園で、受付をしている最中に気づき、その日はタクシー移動と現地で邪魔になるという理由で家にコートはおいてきていが、少々肌寒いので、上着を脱いぐのはおかしいので、どうしようもない。後で話したら周囲の人は、気づかなかったとは言っていただいたが。ちなみに、本日だけでなく、14日の朝から、間違っていたので、その日は、職場で何人の人にも会っていたので、後で思い起こすと恥ずかしい。

午後からは、怒涛の、引っ越しの最後の片付け。夜中までかかって、終わらない。

16日(土)。家の引越し当日。たまたま、朝一番で、月の住宅清掃だったので、参加。最近お話できていなった方々ともご挨拶ができた。

ちょうど、子供の体調が悪く、妻が病院に連れて行ったりしている中、引っ越し業者がきて、色々と連絡不備で工程が遅れるトラブルもあったが、何とか夕方には、予定通り、搬出が終わる。

高松での搬入は、中1日あける(トラック便なのに・・・)必要があり、この日は、ホテルに宿泊。家族が最後の会を開いてくれて、羽田空港のレストランで会食。行ったイタリアンレストランは、夜景のシチュエーションだけでなく、味も最高。宿泊は、もう二度とないかもしれない、東急羽田ホテルの空港ビューの部屋。目の前に、駐機場と滑走路で、これも最高の眺め。

17日(日)。昼の便で高松へ。既に住み始めている私の家に立ち寄ったのち、ホテルへ。高松で一番?のホテルで、港を一望できる。家があるので、今後高松のホテルに泊まることは、ない、というこれまた貴重な宿泊。この日は移動日。長男、夜には熱も。

18日(月)。今日も休みを戴いて、引越しの搬入。相変わらず息子の調子が悪いので、ホテルのチェックアウトを3時間延長して妻に子供2人の面倒を見てもらい、私一人と、実家からの母のサポートで、搬入作業。昼過ぎに搬入は終わり、夕方には、段ボールの山から何とか床も見えてきて、住める環境に。

家族の初めての高松の家での夜なのに、家族には悪いが、高専の専攻科の謝恩会に呼ばれていたので、参加させていただいた。家族に無理を言って参加した甲斐はあり、修了生だけでなく、現役と、4月から専攻科に進学する学生まで集まっていたので、学生とたくさん話をすることができた。

19日(火)。研究室配属後、4名全員がそろう日。部屋の片づけや、段ボールの書籍の整理を手伝ってもらい、実質初回ミーティング。研究も必要だが、まずは、コミュニケーションや、本を読んでもらって、各種素養を身に着けてもらうことが大事と考え、課題図書を1冊ずつ与え、次に集まる時までに読んでもらうようにした。

20日(水)。鞆の浦では、横浜国大グループが何かやっているのはわかってはいたものの、引っ越し3日目の初めての休日で、家族のサポートと家の構築を優先。翌朝から、また、横浜なので、ここでやるべきことをこなす。


21日(木)。朝から横浜へ。この日は、主に、自分の部屋の片づけと、引き継ぎ。夜は、私の恩師の池田先生に送別会を開いていただき、会食。


翌日は卒業式で、翌々日に高松に戻る。

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