腰痛というのが持ちネタのようになっていた時期があるが、現在は全く不安なく生活している。
横浜で行きつけの整骨院のO山先生(同年代か年下)には、数年来診てもらっていた。私は、痛くなったらO山先生のもとに通って、痛くなくなるとすぐに行かなくなって、という、対処療法の、悪い患者であった。その先生だけは信頼しており、波長が合うというか、身をゆだねることができた。あるとき、その先生の治療を分析すると、ある一つの筋が凝り固まっているのが、腰痛の正体であることがわかり、いつしか自分で治療できるようになってきた。自己流の治療もたまに外れる時があって、その際には、お世話になっていた。一般論であるが、先生曰く、解決するためには結局は筋力をつけること他ならないという。しかし、モチベーションがないものはいくらやっても続かない。
以前から、雑談の中で私が転職する予定であることは話していたが、いざ私の香川高専への赴任も決まったのちの、12月ごろに腰が痛くなって訪れた。すると、O山先生も、来年春に独立開業することでちょうど年内で退職するとのこと。お互いライバルのように一方的に感じていたので、とても嬉しくなるとともに、3月から先生に診てもらえなくなるのが、2か月早まったことに焦りを感じた。赴任先でまた腰が痛くなったらどうしようか、という漠然とした不安はあった。
それで、12月下旬から、腹筋、背筋、腕立て伏せを50回、毎日行うことにした。モチベーション維持のために、iPhoneの腹筋アプリを購入して、リマインドしてもらうようにした。当初は、本当にきつかった。途中何度も休みながら、やっとのことで終えた。
1週間で効果が出てきたのがわかった。腰が軽くなった。1か月はほぼ休みなく出来て、2か月目は、退職最終月ということで、2日に1回は飲み会があるという状況だったので、飲んだ日の夜はできないこともあったが、それを除くと何とかほぼ毎日継続的にできて、今3か月目に突入している。正直、続いたのが驚いているが、これも、O山先生との約束でもあるし、自分が新しい環境で健康的にやっていくための必須事項と思っている。
それ以来、腰痛は、皆無である。継続は力なり。
ずっと大丈夫だったのに、12月に腰が痛くなったのは、O山先生から開業と退職の話を聞くためであった、としか思いようがない。腰が痛くなるのが1月であれば、先生に会えなかったし、話も聞けなかった。村上春樹の「海辺のカフカ」にも書かれている通り、必然だった、のだろう。運命的なものを感じている。
2013年3月8日金曜日
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