2011年5月6日金曜日

知っていることと知らないことを知ること

先の日記にて、「知る」について書いた。

最近、学生と対峙していて、おやっと思うことが何度か続いた。

1)何かの調べ物をしていて、ここまでが事実、ここからが先が事実から導き出した推論、という明確な2つのものがある。これをきちんと認識しているだろうか。

2)計測をしていて、ここまでが生データ、ここから先は生データと定理等を使って計算した2次的なデータ、さらに、これらのデータと何らかの仮説を併せて推論した値、という3つ(生データかそれ以外かと分けると2つ)のグループがある。これをきちんと認識しているだろうか。


研究をする上では、認識を間違ってしまうことは、致命的だ。研究でなくても、世の中を渡っていくうえで、状況をきちんと認識することは必須である。


3)似たような例として、ガラスが割れました、ガラスを割りました、の区別ができない人もいる。人を擁護するという付加的な情報が入っていることはわかるが、それ以前に、物事の認識がきちんとできているのか、について、疑いを持ってしまう。

この文章は、愚痴ではない。単に指摘して終わるだけではない。私は、どういう風に行動すべきなのかについて、きちんと教えるつもりだ。

その認識を整理するために、この日記を役立てている。

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知っていることしかしない、という意味ではない。世の中は、五択のように思っていても、実は知っていることをきちんと認識して分離すれば、二択程度まで絞れるという感じである。十分に時間と情報のある通常であれば、何に努力もせずに二択に掛けるほど、ギャンブラーではない。しかし、現場に行ったような場合、短時間に何が何でも結果を出さなければならない場合には、二択でも選択しなければならないこともある。

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