2011年5月2日月曜日

記憶力

私は小、中学校は、学校の成績もよかった。高校に入ると、トップクラスではないものの、進学校ということもあり、高校内で中程度でもそこそこ良かったと思う。高校ぐらいの時から、本当に頭が良い人(機転の利く人、というか、素晴らしい人)は記憶力が良い(その逆も)、ということに気づいた。それを痛感したのが大学に入ってだと思う。私には及ばない世界だと。

私は暗記が苦手で、勝負弱い(これを関連付けてよいかどうかは別として、当時強く思っていた)。周囲の人を見ていると、要領よく勉強して良い成績をおさめたり、学業でなくても機転がきいてかっこいい存在ということに憧れ、彼らは決まって記憶力が良い、ように感じた。記憶力というものは、生まれ持っての才能で、私は彼らから取り残されてしまい、今後挽回できない、とまで思っていた。

それから10年以上たって、今言えるのは、上記の認識は間違っていたこと。先天的な狭義の意味での記憶力に差はあるかもしれないが、人間の総合力である「見かけの記憶力」は生まれた後の努力でなんとでもなるということだ。記憶しているというのは、その時々によく考えて、何度も心に刻みつけていることの結果に過ぎないということ。日記も、それを書くときに刻むということを無意識でやっている。

理解するということも同じで、まったく同じことを聞いて、受け止め方に差があるのは、脳の機能の違いというよりかは、理解するときに頭を使っているか、そして、本質をキャッチできているか、の賜物だと考えている。

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私は先月から失敗学会の会員になった。年会費を払うだけなので、特別な資格はない。畑村洋太郎氏らが立ち上げた学会である。

もう10年近くになるが、安全衛生ということを認識し、そのことが、研究を進める上で、失敗をどうやって防ぐかということに帰着することを学び、ほぼ同時に畑村氏の提唱する失敗学というものも勉強する中で、ヒューマンエラーに対峙する考え方が身に着いた。これは、もう私の行動原理の中心になっている。

人間の記憶はあてにはならないし、記憶をあてにしたシステムはいざというときに危うい。

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さて、本題に戻る。


学生実験のティーチングアシスタントとの打ち合わせの中で、実験や計測についてのことがらを教えることとなった。学生は、ビデオを撮影したいといったが、先週の津波調査からビデオは帰ってきていないので、物理的になかった。たとえ存在したとしても、ビデオがなくても伝えられる。

私から実験に関して習う人は、薄々気づいていると思うが、「メモするな」と何度も言う。1回の説明で口を酸っぱくして10回位言っていると思う。私が心がけているのは、

1)構造的に教える。構造的とは、アウトラインをまず教え、各論に入ること。いきなり各論から入らない。
2)暗記すべきことと、暗記すべきでないことを、明らかにして教える。暗記すべきことは、口頭で言っても伝わらないことはわかっているので、後でメモを示すなどして、その貴重な時間を暗記の時間にならないように心がける。ただし、メモを作る時間がないときに、学生にそのメモを作らせることはある。そのメモは、次回の説明の際に使う。
3)すべての行動について、理由があるので、それを説明する。

普段の打ち合わせはできていないと思うが、実験や安全について説明するときには、常に心がけている。私は、これまで先輩等から、実験に関してレクチャーを受けた際に、そのような説明をしてもらったと思う経験はほとんどない。だからと言って、それでよいとは思わないし、時間を有効に使うには、それが必要と思っている。

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例えば、ひずみゲージを貼る方法について、TAは間違えたまま梁を1体作ってしまったようだ。表と裏という2つに1つのところを、全部間違えたのかもしれない。

わかっている人にとっては、靴下の表と裏のように、間違えようがない。しかし学生は間違った。なぜだろうか。別に学生を責めようとも思わないし、むしろ、そいういう教育をしてしまった自分に非があると思い、どうすればそうならないか、考えてしまう。

横断歩道を渡る信号の赤と緑がどちらだったか忘れてしまったとしたら、人はどうやって色の意味を見つければいいだろうか。周囲の人に聞く、ウィキペディアで調べる、ということをしても、たまに間違っていることもあるので、正しい保証はない。そんなことに似ているような気がする。似たような例で、遠い外国に行ったら、信号がオレンジと紫だったら、どちらの色の時に渡るだろうか。

信号の色は、何かを伝える手段であり、目的ではない。よって、そもそもの信号の本質に戻らなければならない。渡るべき時期と止まるべき時期を分けるもの、である。じっと観察していれば、車が来ないときの色の時に渡ればよいことがわかる。

話をひずみゲージに戻す。ひずみゲージには表裏がある。ひずみゲージに刻印されている型番が読める(半透明なので)向きに貼るのは正解であるが、それは単に結果である。型番が印刷されていないものもある。ロシア文字かもしれない(嘘)ので、アルファベットが裏側になっていても気づかないかもしれない。

コンクリートや鋼材面に密着すること、させることが大事である。密着のためには、平らな面がぴたっとくっつく必要がある。よって、凸凹した面は外側なのである。

ただし、学生は、センサーが金属で、フィルム面が、それを覆うカバーだと思い込んでいたようである。これでは、私の上記の説明だけでは、間違える恐れがある。

私が前述の説明で省略した部分は次の通り。金属のセンサーは微小なものなので、それだけではコンクリートや鋼材に貼ることはできない、そのため、それよりも大きな薄いフィルムを、コンクリートや鋼材に貼る。なお、事前に工場において、フィルムと金属のセンサー部分はくっつけられている。

そういう本質、言い換えると、ゲージの原理(に近いところ)まで理解していると、もう、表裏を間違えようがない。

では、どうすれば間違いないのだろうか。先輩や先生や、説明書から学ぶときには、単に結果だけを知ろうとしないこと。結果だけを知ると、単に暗記になってしまい、前述の赤青信号のようになる。そうではなく、その本質に迫るところを知る必要がある。そのためには、なぜ、を常に問いかけることが必須である。

「教えてもらう」という一連の行動の本質は、「本質を問いかける」行動に他ならない。言い換えると、殆どの人は単に言われたことをメモするだけである。この行動を変えるだけで、他者に一歩先んじることができる。これも成長の一歩である。

なぜ、については、関連して思うところがあるので、別の日記に。

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