新潟県燕市にある信濃川大河津分水(信濃川大河津資料館)を見学するに先だって、大河津分水の改修といえば「青山 士(あきら)」と思い、関係する書籍を事前に読んだ。
技師 青山士 その精神の軌跡
高崎哲朗著
鹿島出版会
日本人技術者として唯一、パナマ運河の建設に携わった技術者であり、帰国後、荒川放水路開削、鬼怒川改修に携わり、信濃川へ。
完成された際に設置された碑には、
「萬象ニ天意ヲ覚(サト)ル者ハ幸ナリ」
「人類ノ為メ 國ノ為メ」
(ともに 大河津分水記念碑。)
大河津分水の歴史はこちら(資料館HP)
内村鑑三を師と仰ぎながら、国のために尽くす。内村の思想を土木技術者として体現した人であった。
以下は、内村の言葉(後世への最大遺物)であるが、ジョン・ハーシェルの言葉を引用している。
「I wish to leave this world better than I was born.」
カーライルの言葉を引用。「国を救わんとし、社会を空く何とするが如きは愚人の業である。私はまず目下の責任を尽くさんのみ。」
昭和6年完成の大河津分水の改修に際しては、実は、当時若手の宮本武之輔が担当しており、技術的な話は彼に関する本を読むべきであろう。買っただけでまだ読めていないため、優先順位を上げねば。
さらに、それ以前の、元々の大河津分水(日本海へショートカット)自体が、1868(明治元)年から何度も計画、中止されながらも、最終的に13年かけて1922(対象11年)年に完成させた工事についても、きちんと認識できていなかった。
資料館の見学、分水の堰の見学の後に、日本海まで大河津分水自体を車でI先生のアテンドで見学した。単に平野に人工河川を掘っているのかと思いきや、ひとつ大きな山も越えて開削した難工事であったことを知る。手掘りで行っているときには何度も中断し、最終的に重機を使って完成している。
私の所属する高専においても、カリキュラム変更で、3年生で土木史に関わる新しいカリキュラムができる可能性があり、担当する可能性もある。その場合、学年進行で3年後に始まることとなる。
元々土木史について授業を担当したくて、色々な勉強をしてきた。今回大河津分水、青山士など、廣井勇に影響を受けた人々(廣井山脈)について、改めて学ぶスタートとなった。まだまだ完結してはいないが、関連したことを調べ始めたい。
長野県の和田嶺(和田峠?)トンネルも青山士が碑を作っているようなので、見学したい。
2017年8月27日日曜日
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