2013年7月7日日曜日

空手の通信教育

意味のない or 効果の薄い例として、「空手の通信教育」という言葉が使われているが(吉本新喜劇)、私が2年生で担当する情報処理が、学科のコンピュータのトラブルから、この3か月間コンピュータが使えないためひたすら座学であった。

学生へは、皆さんは、英語のほかに、Fortranという言語を習っているので、そのためには英語のように単語や文法を覚える必要があって、・・・・と私は説明しているのだが、何せ、コンピュータなしに、入力、出力を黒板でやるのは辛いものがある。英語に例えるなら、幕末に外国人に出会ったたこともなく、限られた書物でオランダ語や英語を勉強していた頃のようなものだろうか?

わが学科のコンピュータ室にはFortran環境があるのだが、10年近く使用してきたマシンがだんだん壊れていき、私が担当する2年生の学生数に満たなくなってしまった。特殊な機材なので、ハードをちょっと追加するわけにはいかなかった。全学共通の情報基盤センターには立派なPCがあるのだが、Fortranの言語がインストールされておらず、使えなかった。

相談して、情報基盤センターのPCにインストールしてもらうことになったが、これも教育・メンテ用に特殊な管理ソフトが入っていて、業者にお願いしないと簡単には数十台のPCにインストールはできないということで、予算と時間を確保してもらい、やっと先週末にインストールができた。関係各位に感謝。

Fortranについては、一応文法は勉強できたので、後は応用あるのみ。っと、うまくいくわけはない。

というのは、これまではFortranを実行するのは、コンピュータではなく、人間の勘ピュータであったので、人間の解釈が入るので学生に部分点をあげることができたが、今後はミスがあればエラーとなって一切動かない。エラーメッセージは多少出るが、それを解釈するのも大変。小テストをやらせても、完全正解は4割くらいなので、それ以外の学生のプログラムには、エラーができることになる。

とはいえ、曖昧なところはバサッと切られる厳しさ、潔さを学生が身をもって体験するのも、単にプログラミングだけでなく、人生の勉強として良いと思うので、それも含めて楽しめる授業を作りたい。

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