JCIのデータベース委員会の全体会議のために、山口県へ1泊出張。
構造物の品質を高めることに特に配慮して実施している現場を見学することも委員会の目的であった。詳細は書けないが、現場のトップが品質向上に徹底的にこだわった結果、そこで働く人が生き生きして、細かいところまで配慮が行き渡っていることがよくわかった。こうありたい、と思う事例であった。では、どうすればそういうマネジメントができるのか。紐解いていきたい。
それに先立ち、小野田セメントの徳利窯も見学させていただいた。工場内の100年前の建築物も重厚で、未だに現役で使われていることに驚いた。ともに、地震が少ない地方だからこそ建物が残っているということであった。不便はあろうが、長く使うことのロマンを感じた。
その日はさらに大移動して、徳山にて懇親会と宿泊。翌日は、人間魚雷「回天」の記念館と発射訓練場を見学した。徳山港からフェリーで40分。のどかな海と、のどかな島であるが、そこで、壮絶なミッションを帯びた訓練が行われ、実際に戦地に旅立っていったことを初めて知った。発射訓練施設では実際のコンクリートの構造物、トンネルが、そのままの形で残されていた。その重みを考えると、言葉も出なかった。
忙しさにかまけて、下調べができなかったが、同行したN先生から回天に関する本を貸していただいた。それに加え、どうしても読みたい本が1冊わかったので、事後になるが、よく勉強したい。
終了後、今度は新幹線に乗って下関へ。4年半前に卒業した、S君が、道路管理者としてそこで働いている現場を訪れるために。同じ県内とはいえ、新幹線で1時間弱、山口県は横に長い。落橋防止、耐震補強の現場であり、事前設計では想定していない事態に対して、いろいろと苦労しながら良いものを作り上げていくことを見させていただいた。施工業者の方とも長時間話をさせていただき、勉強になったとともに、技術者の意地と誇りを感じた。
終了後は、前から訪れたかった関門海峡、別名、馬関海峡を満喫。単なる観光ではなく、回天の下調べができなかった反面、たまたま昔に手に入れていた1冊を含む、関門国道トンネル建設史関連を2冊読んできた。このトンネルは、戦前、戦中、戦後、GHQなど翻弄されながら、破砕帯の難工事を克服して開通にこぎつけるという、ドラマがあった。昨年、全面通行止めして、床版張替えなど行われている(その情報は、技術的なことは事前勉強できず)。そのトンネルを通れたことは素直に嬉しい。すなわち、下関トンネルの歩行者専用通路を、九州から本州へ歩いて海峡を渡った。その後、博物館を訪れたりなど、幕末の下関戦争に思いを馳せながら、バス発車までの時間を過ごす。こんなに狭い海峡にこれだけ頻繁に大型船が通るとは、素直な驚きだ。
時間がなかったので、空港リムジンバスの乗り場がある下関駅までタクシーで向かい、リムジンバスに乗ったら、何と1つめの停留所が、今までいた場所だったのには呆れたが、無事に空港にたどり着く。19時発の飛行機で、天気も良く、日本の夜景を見ながら、日本横断した。久々に夜景に感動。高松、岡山、神戸、大阪、名古屋、皆綺麗な夜景だった。そういえば、往路の飛行機も快晴で、富士山が綺麗だった。
2日目は半分は観光のように聞こえるが、歴史の勉強と、土木工学の勉強ということでご容赦いただきたい。
2011年11月16日水曜日
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