2017年6月12日月曜日

長崎出張と城山小学校

約30年前に、小学校5年~中学校1年の3年間だけ住んでいた長崎。先月の出張で長崎大学を訪れ、長崎県内で取り組んでいるフライアッシュの利用の活動についてヒアリングをし、今回がそのフォローアップの位置づけである。目的は追加のヒアリング、情報収集であるが、機会に恵まれて、ここで講演をすることとなった。

6月9日(金)の午後は長崎県生コンクリート工業組合の講習会で、九州大学小山先生が暑中コンクリートの建築指針改定のための取組みを講演され、長崎大学原田先生が長崎でのフライアッシュ(石炭火力発電所の副産物)の取組みおよび長崎県の生コン監査制度についてお話しをされた。私は最後に短時間だけ、品質確保の話と四国でのフライアッシュの話を行った。

全国の生コン監査は長崎が先駆けて、長崎モデルが全国に波及したというのは前回原田先生からお聞きするまで知らなかった。正確には、以前に聞いたことがあった気もするが、特に興味を抱いていなかった。しかし、香川県内では監査の副議長をしていることからも、改め今聞くと、非常に興味深く、香川で参考にできることも多かった。


長崎県の地図を書け、といわれて正確に書ける人は少ないだろう。改めて見ると、長崎県本土と、島と、どちらの面積が大きいか、ということである。懇親会の席では、島出身の方が本土の人に抱いているイメージ、など、面白おかしく話をしてくれたが、そういえば30年前に、小学校の時に、学校同士の交流事業なのか、島の小学生を長崎市内の我が家にホームステイしてもらう機会があったを懐かしく思い出した。

長崎に限らず、日本中どこでもそうだろうが、どんどんビルは建ち、道路も港も整備されている。当時の面影は少なくなってきているが、町を歩きながら、懐かしい思い出で一杯であった。

翌朝は、高松に戻るだけ。ただし、ゆっくり観光している時間はないため、ひとつだけずっと行きたかった場所を訪れた。

城山小学校である。

 城山小学校の説明ページ

爆心地に近い高台にある学校。1945年8月9日の当日は授業はなかったが、多くの方が校舎や校庭で亡くなった。学校のホームページによると、自校のことを「被爆校」と呼んでいる。被爆者ならぬ被爆校。重い。よく知らない私には、気易くそれを口にすることはできない。当時として鉄筋コンクリートの校舎というのは珍しかっただろうし、その後も学校としてずっと使われ続けてきたというのは、生きた戦争の証言舎(証言者)であるだろう。

長崎に住んだ3年間で私の心に刻まれているのが、原爆教育である。このことは、私の宝だと思っている。現在でも続いている城山小学校を舞台として、残された被災校舎等が祈念館(漢字が、記念館でないことに注意)として整備されたのが平成に入ってからということで、30年前の当時は意識をしたり訪れたりしたことはなかったし、その後何度か長崎に訪れても、一人でなかったので、なかなか機会が無かった。正直なところ、原爆資料館、平和公園、に比べると、知名度は低い。今もそうではないか。

数年前にNHKスペシャルで放映されたのが衝撃的であった。

 NHK番組サイト
 NHK平和アーカイブス
 まとめサイト

さらに、数日前、フェイスブックで、長崎大学のデミーさんこと、出水 亨(でみず あきら)氏が軍艦島でおなじみの3D計測を城山小学校でも行っていることを知り、思い出した。

路面電車の松山駅から西へ。急な階段を上ったところが城山小学校であった。至る所に小学生が作った原爆に関する案内・解説があり、胸が熱くなった。土曜日朝の7時台ということで、観光客は私以外誰もいなかったが、校舎の通用門は開いており、入らせて戴いた。(途中、先生らしき人が登校し、声をかけさせて許可をいただいた)

※後でホームページを確認したら、「個人の見学は申し込みなしでもできる」とのことですが、団体の場合には郵送にて見学許可を得る必要がある、とありますのでご注意下さい。



向かう途中の橋(簗橋)から見た小学校の様子。銘板の当時写真と同じ佇まい。

学校に至る2本の坂は、桜の木が生い茂るトンネルのようになっており、入口ではカラスが出迎えてくれた。子育て中で、多分近くに巣があるためだろう、明らかに私に近づいてきて、上空をかすめる。身の危険を感じるほど、攻撃され続けた。感傷的になっているのだが、カラスが番人のように思えた。おまえ本気か?と。

ウェブページを調べてみると、当時から、色々な関係者のお陰で、校舎の一部は保存され、幸い学校自体も廃校にならず、現在も続いているという。

鉄筋コンクリート製の被災校舎だけでなく、いくつかの記念碑、周囲の斜面を利用した防空壕の跡、被災した樹木など、今普通に教育が行われている学校全体が「城山小学校平和祈念館」になっている。被災校舎は、中が資料館になって見学ができるようであるが、今の時間は、建物は施錠がされてガラス越しにしか見えない(開館時間・曜日は表示も見当たらず、事前によく調べていなかったのでわからず)。




鉄筋コンクリートの建物を見渡すと、補修の跡や、電気的モニタリングの電極も見えて、ここでもコンクリート技術者・研究者が関わっているのだとわかる。
被災校舎



現在の校舎の建物の一部が、当時の建物と同じデザインを踏襲していた。


祈念館(資料館)が開館している時間帯に改めて再訪してみたい。

参考まで、丘の上にあるので、キャリーバックは置いて行くのがよい。小学校から爆心地方面を見たところ。これだけの高低差がある。


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