最近というか、いつもというか、学生のゼミ発表においても、タイトルと内容の不一致というのはよくある。ほとんどの場合、大してタイトルに注意が払われていない場合が多いので、指摘は本質的でない場合もある。
最近気になるのは、予備実験という用語が多用されていることだ。その殆どは、実質的に練習であることが多い。それは、はたして本来の意味の予備実験なのか。練習なら練習、○○を検討したのなら、それを行うことが目的である。まずは目的をはっきりすること。そうすれば、自ずから、やるべきことが見えてくる。
予備という言葉が、あまりにも一般的なイメージを持っているので、そういう誤解というか、わかった気になってしまうように思う。むしろ、「あいうえお実験」とでもしたほうが、一見意味が分からない分、緊張が増す気がする。(あいうえお、に特に意味はない)
昔から身についているのは、実験の試験体の名前を考える時が、ある意味、実験の最大の山場を迎えた、と思うことだ。何度も何度も修正しても、しっくりこない時があり、最後、コレだと思った時のうれしさはない。大抵、実験開始前に決めて使っていた名前は、論文を書く段階には却下されて変更になることが多い。古い名前の入った実験写真を撮っていると困るわけで。
たまに車通勤の帰りにラジオをつけると、○○の名称を考えようという投稿コーナーがあって、結構本質的な指摘もあったりで、面白い。先日は、「体操座りをしながら、上着の裾を伸ばして膝を隠すしぐさ」の名前を考えようというものだったが、答えを知る前に自宅に着いたので結局何が出てきたのか気になる。
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