2013年7月14日日曜日

2013年7月14日のヨット部活動

本日は国体予選2日目に1組参加と、横で邪魔にならないように練習。

午前中は風が弱く、国体予選もなかなかスタートせず。昼前になって、やっとスタートしたので、我々も練習を開始。

 
 救助艇マゼラン出航。



 1年生の練習もさまになっています。













 午前中の試合および練習が終わり、続々帰ってきます。


 西風が強くなり、我々のヨットも何度も倒れます。




 がんばれ。




強風の中、頑張って起こします。これも練習。



鬼が島の灯台はまだ目視できます。

 午後、北西の方から天気が荒れてきました。レーダー画像を見ると、既に岡山まで達しています。

 既に雨が降り始めていますが、なぜか、ある領域だけ晴れていて、それがまるでテレビ画面を切り取ったかのよう。
何とも不思議な光景でした。

この後、強風と雨で、大変でしたが、15:30以降はヨットの整備、片付けと買い出しとなりました。

2013年7月7日日曜日

出会い

ある現場の所長さんを知ったのは、県内のビジネス紙のインタビュー記事であった。その内容は素晴らしく、専攻科の学生にもPRしていたが、私は一度お話をしたいと思っていて先延ばしになっていたが、3か月たってそれが実現した。

同じ会社の知り合いの方に、その所長さんの紹介をお願いしたら、一瞬でご本人から返事をいただき、翌日にはお会いすることになった。そのスピード感も素晴らしい。

橋梁構造物に対する思いを沢山語っていただき、お会いできてよかった。私からも、これまでのバックグラウンド、技術情報や思いをぶつけたつもりであるが、時間が限られていたので広く浅くだったので、改めて補足説明、フォローが必要であるが、まずはホッとしている。

人とのつながりは、待っていて得られるものではない。自分から飛び込む行動が必要。敷居なんてものは外にはなくて、自分の中にある。自分を信じて、それをどう破るか、だろう。

相手があることなので、今後、どのような形で提携できるかわからないが、香川県の地でやりたいことをWIN-WINの関係で実現できるように、考え、実行していきたい。こちらに赴任して、事実上自分から実行する初めての取り組みとして。



他に、先ほど、学内の校長裁量経費で、防災のテーマも採択され、ある程度の費用を補助いただけることになった。活動時間は限られているが学生が1名ついて、かつ予算もついたので、後は実行あるのみ。手探りだが、目標を定めて、ステップアップしていきたい。

空手の通信教育

意味のない or 効果の薄い例として、「空手の通信教育」という言葉が使われているが(吉本新喜劇)、私が2年生で担当する情報処理が、学科のコンピュータのトラブルから、この3か月間コンピュータが使えないためひたすら座学であった。

学生へは、皆さんは、英語のほかに、Fortranという言語を習っているので、そのためには英語のように単語や文法を覚える必要があって、・・・・と私は説明しているのだが、何せ、コンピュータなしに、入力、出力を黒板でやるのは辛いものがある。英語に例えるなら、幕末に外国人に出会ったたこともなく、限られた書物でオランダ語や英語を勉強していた頃のようなものだろうか?

わが学科のコンピュータ室にはFortran環境があるのだが、10年近く使用してきたマシンがだんだん壊れていき、私が担当する2年生の学生数に満たなくなってしまった。特殊な機材なので、ハードをちょっと追加するわけにはいかなかった。全学共通の情報基盤センターには立派なPCがあるのだが、Fortranの言語がインストールされておらず、使えなかった。

相談して、情報基盤センターのPCにインストールしてもらうことになったが、これも教育・メンテ用に特殊な管理ソフトが入っていて、業者にお願いしないと簡単には数十台のPCにインストールはできないということで、予算と時間を確保してもらい、やっと先週末にインストールができた。関係各位に感謝。

Fortranについては、一応文法は勉強できたので、後は応用あるのみ。っと、うまくいくわけはない。

というのは、これまではFortranを実行するのは、コンピュータではなく、人間の勘ピュータであったので、人間の解釈が入るので学生に部分点をあげることができたが、今後はミスがあればエラーとなって一切動かない。エラーメッセージは多少出るが、それを解釈するのも大変。小テストをやらせても、完全正解は4割くらいなので、それ以外の学生のプログラムには、エラーができることになる。

とはいえ、曖昧なところはバサッと切られる厳しさ、潔さを学生が身をもって体験するのも、単にプログラミングだけでなく、人生の勉強として良いと思うので、それも含めて楽しめる授業を作りたい。

2013年7月6日土曜日

ネーミング

子供が熱を出して、いろいろなイベントが中止になり、結果として家で仕事ができて個人的には助かってはいるのだが、複雑。

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明治維新の際、新しい言葉、概念が日本に入った来た際に、当時の人々は造語を作り、それが今では立派な日本語となっている。

ただし、西周が命名したといわれている「権利」は利己をイメージしてしまうが、福沢諭吉は「権理」と訳したそうであるが、結局は前者になった。(要検証、要推敲)

結果はともあれ、当時の人々は、大きな志のもと(推定)、新しい言葉を作った。


さて今日、合併する場合など、既存の複数の領域にあるものを1つにまとめる際には、どうしても玉虫色の解決になって、当事者はよいが、他人からは呼びにくいことになることが多い。

国土交通省、経済産業省
岐阜羽島駅、横浜町田IC
三菱東京UFJ
などなど。

並列ではないが、意味を説明するために、これも、これも、と付け加える場合もある。たとえば、

AE剤、AE減水剤、高性能AE減水剤
都市再生緊急整備地域 さらに、特定都市再生緊急整備地域

特定都市再生緊急整備地域が筆記テストに出ると、それはもう大変である。鉛筆メーカーの陰謀ではないかと思ってしまう。墾田永年私財法が限度だ。

改めて思ったのは、そもそも、日本語は2つの漢字で意味を成すものが多いということである。言語学的に何かあるのだろうが、その辺は知識を持たない。

漢字は、英語などの諸外国語と比較して、1つの文字に多くの意味を持っているので視覚的にわかりやすいなどと言うが、それはそうなのだが2文字が対になることが多いというのは、どう考えればよいのだろうか。

結局、国交省として訳されるのであれば、初めからそれでいいのではないか。もやもやは解決しない。

諸外国から、日本のように正式名称と略称を巧みに使い分けすぎるのは、諸外国の参入を阻止する障壁だ、と糾弾されかねない(笑)。どうでもいい話だが。

2文字はさておき、駅名などで、地元の協議の結果くっつけることが多々ある。

私の記憶では、だいぶ昔に作られた東名高速道路はそうでもないなと思っていて、それは、強いリーダーシップで決まったからで、最近の駅名やIC名は、いろいろな人がクレームをつけて、(名前としての)「経済産業省」的な、くっつけが多いイメージがあった。リーダーシップのない、責任を取らない、優柔不断さがそうしているのではないか、と仮説を立ててみた。

ためしに、東名高速道路と、比較的新しい上信越道を見てみると、ちょっと後者が多い気がするが、統計的に優位かどうかはわからない。上信越道がそうとは言わないが、安易なくっつけネームが多い気がするので、何かの際に追加検討してみたい。そのような研究成果があれば、読んでみたい。

確か、みなとみらい線の延伸で、元町中華街駅の名称を決める際、審議会か何かでだいぶ苦労したようだが、その際は、山下公園と、元町・中華街 で争ったように記憶している。後者はくっつけネームではあるが・・・。


と、「特定都市再生緊急整備地域」について調べていて、考えた。



小岩井乳業の乳製品は有名だが、その小岩井農場のルーツはご存じだろうか。藤井聡教授(内閣参与)の著書で紹介されているが、明治時代、土木の発展と引き換えに国土の荒廃を憂いた3名が岩手県に小岩井農場を設立したが、その3名(小野、岩崎、井上)の頭文字という。 

2013年6月30日日曜日

うどんからコンクリートへ

香川高専 林研究室のキャッチフレーズはたくさんあるが、ひとつが「うどんからコンクリートへ」である。

以下、話が長くなるので、先に結論を書く。

「うどんからコンクリートへ」は、前田又兵衛氏というコンクリートの素人がアイデアを出して自ら実行してコンクリートの技術開発を行ったことを踏まえ、「異分野技術の融合の大切さ、コミュニケーションの大切さ」を改めて心に刻みたい、ということを願ってつけた。

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私は香川県出身で、横浜国立大学に進学する前の高校生の時、まずは県内にうどんブームが訪れようとしていた。しかし、きっかけはそのブームとは関係なく、両親は転勤族なので進学後は二度と高松には戻れないからと思って、最後の年の高校3年生の時には、転勤族という一見自分の故郷を持たない宿命の人として、香川を心に刻んでおきたいと本気で思い、うどん巡礼をしようと思いたった。

そもそもの理由が違う、というこだわりがあって、県内で大ブームになりつつあったマニアックなうどん屋を紹介した書籍「恐るべきさぬきうどん」をあえて買わず、電話帳のタウンページを切り取って、その住所と地図を頼りに自転車を使ってうどん屋開拓を1年間で100軒制覇した。高松市北部は大抵行った。これができたのは、高松高校の3年生は、受験のための実力テストが何度もあり、その時は大抵昼で終わる半ドンだったので、時間があったからである。

その遠征うどんとは別に、通常日は昼ごはんはうどんを食べるので、結局高校3年生の時は、300食は食べていると思う。これは讃岐の学生やビジネスマンの平均値と思う。

大学に入ってから、自分で讃岐の小麦粉を取り寄せ、讃岐うどんを作るようになり、友達の間ではとても評判が高かったと記憶している。何度か高松に行った際に、麺切り包丁と、うどんの湯切りの網、麺棒を買ったりして、本格的になった。

ホームページを作っていたので、讃岐うどん特集を組むということで、雑誌「AERA」から連絡があり、横浜の自宅で取材を受けたことがある。ただしこれは、私は掲載されなかった。

コンクリート研究室に入ったのは、池田尚治先生のもとでコンクリート構造がやりたくてであったが、話のネタに、コンクリーを練ることと、うどんを練ることは同じだ、周囲に話をしていた。実際、水/小麦粉比は大切で、混和剤(塩)もコシを出すには必要で、季節(小麦粉の含水比)によって水の量も調整し、混和剤の効きが温度により異なるので季節で配合を変える。まさにコンクリートそのものである。


研究室でコンクリート構造関係の論文を検索していた際、当時はインターネット検索などないので、すべて論文集を手でめくってタイトルを調べなければならなかったが、その時に、たまに面白い論文が目に飛び込んでくることがある。

その時も、面白い研究が目に留まった。うどんを練ることにヒントを経て、コンクリートを練る方法を開発した、という論文。ボックスを組み合わせたミキサーを開発したと。なるほどね、と、当時まだ修士1年生くらいで、似たようなことを考える人がいるものだと思っていた。今考えると、偶然の出会いであったのだが。(学会誌などでも取り上げられて有名だったようだが、当時はまだ、それを読んでいなかった)

その後何度か、うどんを打つのにヒントを得て、コンクリートの練り方を開発した人がいるという話は聞いたことがあり、コンクリート界には結構うどんをやる人が多いのだなと、勝手に思っていた。結果としては、同じ人の話を、何度も聞いていただけである。当時まだ若く、前田又兵衛と聞いても、実は誰のことかわからなかったから、頭に残らない。


その後だいぶ忘れていて、最近改めて指摘されて気づいたのは、その開発者が、前田建設工業社長の前田又兵衛氏であったことだ。そうだったのか、全てが繋がった。

研究室のキャッチフレーズを、今月フィーリングで決めたのち、一応原典には当たっておかねばと思って検索すると、前田氏の著作はいくつもあるので、さっそく、以下の本を注文した。全部は読み終えていないが、ハイライトだけ目を通した。考えをどうやって実現するかの過程が書かれていて面白い。知っている人(博士論文を審査された岡村甫先生などなど)も出てくる。氏の博士論文もぜひ読みたい。



私が香川の地で、今からうどんとコンクリートの研究をするのか?、というのはどうでもよいが、理系でない文系の前田氏が何を考え、どうやって実現したのか、という実行力については改めて学ぶことがある。

発想法、創造法、といったところに通じるものがある。創造設計学という畑村氏の提唱をどうやって実務に取り入れようかと思っていたが、全てが繋がってくる。アイデアを戴こう。

このような思いは後付けであったが、とにかく、学生時代に出会ったあの論文が、15年を経てここにまた戻ってきたことが、素直に嬉しい。

ぼくらの祖国

私の中で、青山繁晴と青山千春博士が熱い。

青山繁晴が専門とする安全保障に関するニュースのコメントは的を射ており、毎週のラジオを楽しみにしている。彼を突き動かす原動力は何か、というと、まずは代表作を読めと本人も言っているので、買ってみた。


「ぼくらの祖国」

祖国と言えば、右翼か左翼か、と呼ばれることは、世界中でたった日本だけなっているが、藤原正彦の「国家の品格」と同じ主張であり、読めばまっとうな本であることはわかる。この国の現状をきちんと知り、私だけでない、公として働くことの根源的な素晴らしさ、自分だけでない子孫のために国を引き継いでいくことの大切さを改めて思い起こしてくれる。

改めて意識が変わった、ということはないのだが、もちろん知らなかった歴史事実は参考になった。それよりも、彼は一切ぶれず、その結果、起こした行動はすべて成し遂げてきていること、そのことに感銘を受けた。勇気が湧いてくる。

実は、昨日のヨット部顧問中の、防波堤の先端で、たまに双眼鏡でヨットを見ながら、この本を読んでいた。東日本大震災特に原発関連、硫黄島(いおうとう)、沖縄白梅隊の塔(ひめゆりの塔とは違う)、日本のエネルギー開発、などの話で構成されており、それがすべてに祖国につながっている。一人防波堤で涙を流しながら読んでいた。

本書最後の締めの句が、自分の今の状況(物理的に、海に立って、風の音を聞きながら読んでいた)に関連するもので、その一致具合に鳥肌が立った。



もう一人の主役、青山千春博士は、日本海でのメタンハイドレート開発の第一人者であり、日本のこれまでの太平洋側の利権のために日本海側が掘れないというもどかしさについて、今後を注目したい。エネルギー関連は、最新刊をもう一冊注文した。在庫切れが続いているようであるが、明日届く。

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