2013年3月26日火曜日

露出

小さなステップ、という話。

業界内の話であるが、これまで、論文投稿以外に、自分個人の名前が出ることは余りなかったが、ここにきて、ちょっと露出している。

セメント新聞 3月11日号 に、記事が掲載されて(取材を受けたわけではなく、講演から起こしたようであって、事前にチェックできないのは怖いが)、そのヘッドライン部分が、ネットにも掲載されている(実際の文章はもっと長い)。

http://www.cement.co.jp/cementnp/130311.html

他に、私は知らないのだが、もう一つ、何らかの業界新聞い、私の顔写真入りの記事で、私が語ったという強めの意見が載っているらしい。見るのがちょっと怖いが、ご存じの人がいれば、教えていただきたい。


もう一つは、学会誌コンクリート工学 3月号で、今本先生の記事の中で、紹介していただき、写真入りで入っている(他の方もまんべんなく紹介されているので、特別私だけではないが)。

さらに、日経コンストラクションの3月25日号においても、私の名前はないものの、「現場所長塾 第13回 品質管理」の中で、飯田所長の記事の中で、横浜国大との共同研究のことが記載されている。

たまたま、この3つが鞄に入っていたので、徳島大学での委員会の席の休み時間に、参加していた研究室学生に見せた。社会とつながっている姿をきちんと見せることも、教育であったり、信頼関係の構築につながるはず、と信じて。研究室でのきちんと成果をPRすることも大事かなと思っている。

外部のことに頼らずに、自分で醸し出す必要もあるだろうが、使えるものは手段を選ばず。


あと、論文については、投稿から1年かかったが、3月19日付で、表面吸水試験についてのジャーナルが公開された。本文pdfは、会員で論文集購読者でないと、1年間は見ることができない(1年後に無料公開)が、興味のある方は連絡を。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejmcs/69/1/69_82/_article/-char/ja/


徳島にて

本日は、土木学会のコンクリートの施工性能の委員会の共通実験のために、徳島大学へ出張。

研究室の指導としては、横浜国大に倣い、学生へできるだけ出張させたり、経験させることを重視したいと思っている。もちろん、きちんとしたフォロー、ケアも必要である。

当初、着任直後の予算の問題という大人の事情から一人で参加の予定であったが、公用車を使えることとなり、研究室の学生も連れて行けることになった。車種はセレナ。前任校のように、車の運転ばかりというのは、あまりしたくはないが、今後、必要な時限定で、お世話になることであろう。



春休みということで、最終的に1名の都合がつき、連れて行くことになった。研究室に配属といっても、まだ何も動き出していない中で、いきなりフレッシュコンクリートについて、20人ほどの大人がああだこうだと議論し、実験室で徳島大学学生がコンクリートを練るのを見る、というのは、どう感じただろうか。正確には知らないが、大学生と比べて、講義がびっしり詰まっていることから、なかなか学外の土木に関することに触れることは少ないようなので(サンプル数<10)、いろいろな経験を積ませ、考えさせたいと思っている。

今日については、施工性能など、たぶん聞いたことない段階であるが、何か、あれ、っという気づきの一つでも得てもらえれば御の字である。

私としては、関連して、徳島大学の実験室をたっぷり見せていただいた。歴史のある徳島大学コンクリート研究室のフレッシュコンクリート実験の歴史を感じさせる、設備や実験ノウハウに脱帽であった。


東京から来ている方々の飛行機の関係で、15時に散会となったが、数名の委員を空港へ送る道すがら、1時間くらい空き時間があるということで、私の思い付きで、鳴門まで遠征することにした。たまたま私の車に乗り合わせた4名の委員の方には、振り回してしまったが、「渦の道」を堪能していただけたと思う。

渦の道とは、大鳴門橋のデッキが有料の遊歩道になっていて、高さ約50mから、鳴門の渦潮を見ることができるものである。潮の流れの速い時間だったようで、海が川のように高低差で動いたり、ぐるぐる回る様子を見ることができた。一部ガラス張りになっていて、立つこともできる。私の両親親戚は徳島なので、過去に来たことがあるかもしれないが、物心ついてからは初めての渦の道であった。そういう意味でも感慨深かった。

渦の道を小走りで見学というのは慌ただしかったが、あと1時間といったときに、地元民としてぜひおもてなしをしたい、というマインドは、こちらでも健在である。むしろ、常にチャレンジしたい。もちろん安全運転で。






2013年3月22日金曜日

真夜中のラブレター

真夜中のラブレターとは、気持ちが高ぶって書いた文章がその時は最高の内容だと思っても、翌朝に落ち着いて読み直すと、とても恥ずかしいことを書いていることに気づく、という類のものであると認識している。今日は、そういう意味でなくて、ラブではないが、文字どおり真夜中にレターを読んだ。

今日は、私の前任校横浜国立大学の卒業式と謝恩会、その後研究室での打ち上げ、であった。私は3週間前に横浜国大を去り、その際にすでに送別会も開催していただいたため、今日はあくまでも卒業修了者をお祝いして送り出す会だとの認識で臨んだ。

研究室打上げでは、教員のスピーチが時間不足で省かれるトラブルもあったが、学生のスピーチの後、私の番になり、最後に私宛のプレゼントを戴いた。今ここに写真はないが、綺麗に製本されている冊子で、コンクリート研究室に関わった1期の人から現役生(32期)まで、30年以上にわたる方々から、メッセージを寄せていただいて、冊子に取りまとめられているものであった。

研究室の最高学年の小松君が奔走してくれたのが目に見えてわかって、その場で泣きそうになったがこらえて、散会後、いそいそと予約していたホテルに戻る。

夜中0時過ぎに、やっぱり今読んでおこうと思って、ページをめくりながら、メッセージを読ませていただいた。私がこれまでやってきたこと、交わってきたこと、に対して、ねぎらい、評価、激励を戴く内容であった。もちろん、一般論としてお祝いのメッセージはお世辞も含まれるから、割り引いて考えるにせよ(空気が読めずすみません)、一人一人の顔と声が浮かんできて、涙しながら最後まで読んだ。

PCが手元になかったので、この文章は後日書いているが、読んだ直後に、その思いを忘れたくないと思って、携帯でメッセージを書いて、保存しておいたものから起こしている。その時にとっさに浮かんだブログのタイトルが、「真夜中のラブレター」。このタイトル自体が、後で読み直すと恥ずかしい、いわゆる「真夜中のラブレター」である。香川高専に赴任しても、家族の引っ越しや、横浜に残務が残っていたりで、色々と慌ただしくて落ち着かなかったところもあるが、こうして、横浜国大の区切りを得たことで、ポジティブに、次に切り替えられるような気がする。

最後のスピーチでも言ったことであるが、私も卒業生も横浜国大コンクリート研の歴史の中で一歩一歩進んできたが、明日からは、各自が新しい環境で歴史を作っていく。

2013年3月21日木曜日

近況

この10日間は、赴任前に次ぐ、怒涛の10日間であった。公開する意味があるのか、と思いつつ、慌ただしさの記録に。


3月14日(木)。夕方まで通常勤務。夜の最終便で横浜へ。

15日(金)。朝から、娘の幼稚園卒園式。わが子の成長と、横浜との別れが重なる、感動的な会で、涙なしには語れない。後日、娘は、「パパ泣いてたね」ときちんと気づいていたらしい。

私は30年前、幼稚園卒園までの5年間、東京都世田谷区に住んでいて、3月に親の転勤に伴う引越しで、兵庫県明石市に移った。まさに、今回の娘と同じタイミングで、関東から関西へ移った。勤務開始日の関係で、私は卒園式に出席することができず、事前に、卒園証書をもらって、クラスの皆に見送られたので、卒園式に出なかった。30年前、幼いながらに卒園式に出られなかった当時抱いた悔しさ(後日作られた思い出かもしれない)と、娘の姿がオーバーラップしていた。

しかし、その感動を興ざめにしたポカミスが。慌てて横浜に来たので、なんと、スーツの上下が別の柄だった。幼稚園で、受付をしている最中に気づき、その日はタクシー移動と現地で邪魔になるという理由で家にコートはおいてきていが、少々肌寒いので、上着を脱いぐのはおかしいので、どうしようもない。後で話したら周囲の人は、気づかなかったとは言っていただいたが。ちなみに、本日だけでなく、14日の朝から、間違っていたので、その日は、職場で何人の人にも会っていたので、後で思い起こすと恥ずかしい。

午後からは、怒涛の、引っ越しの最後の片付け。夜中までかかって、終わらない。

16日(土)。家の引越し当日。たまたま、朝一番で、月の住宅清掃だったので、参加。最近お話できていなった方々ともご挨拶ができた。

ちょうど、子供の体調が悪く、妻が病院に連れて行ったりしている中、引っ越し業者がきて、色々と連絡不備で工程が遅れるトラブルもあったが、何とか夕方には、予定通り、搬出が終わる。

高松での搬入は、中1日あける(トラック便なのに・・・)必要があり、この日は、ホテルに宿泊。家族が最後の会を開いてくれて、羽田空港のレストランで会食。行ったイタリアンレストランは、夜景のシチュエーションだけでなく、味も最高。宿泊は、もう二度とないかもしれない、東急羽田ホテルの空港ビューの部屋。目の前に、駐機場と滑走路で、これも最高の眺め。

17日(日)。昼の便で高松へ。既に住み始めている私の家に立ち寄ったのち、ホテルへ。高松で一番?のホテルで、港を一望できる。家があるので、今後高松のホテルに泊まることは、ない、というこれまた貴重な宿泊。この日は移動日。長男、夜には熱も。

18日(月)。今日も休みを戴いて、引越しの搬入。相変わらず息子の調子が悪いので、ホテルのチェックアウトを3時間延長して妻に子供2人の面倒を見てもらい、私一人と、実家からの母のサポートで、搬入作業。昼過ぎに搬入は終わり、夕方には、段ボールの山から何とか床も見えてきて、住める環境に。

家族の初めての高松の家での夜なのに、家族には悪いが、高専の専攻科の謝恩会に呼ばれていたので、参加させていただいた。家族に無理を言って参加した甲斐はあり、修了生だけでなく、現役と、4月から専攻科に進学する学生まで集まっていたので、学生とたくさん話をすることができた。

19日(火)。研究室配属後、4名全員がそろう日。部屋の片づけや、段ボールの書籍の整理を手伝ってもらい、実質初回ミーティング。研究も必要だが、まずは、コミュニケーションや、本を読んでもらって、各種素養を身に着けてもらうことが大事と考え、課題図書を1冊ずつ与え、次に集まる時までに読んでもらうようにした。

20日(水)。鞆の浦では、横浜国大グループが何かやっているのはわかってはいたものの、引っ越し3日目の初めての休日で、家族のサポートと家の構築を優先。翌朝から、また、横浜なので、ここでやるべきことをこなす。


21日(木)。朝から横浜へ。この日は、主に、自分の部屋の片づけと、引き継ぎ。夜は、私の恩師の池田先生に送別会を開いていただき、会食。


翌日は卒業式で、翌々日に高松に戻る。

2013年3月13日水曜日

卒業式と卒研配属

今日は卒業式。

体育館に集まり、粛々とセレモニー。見上げると、バスケットゴールがあり、紅白の垂れ幕。懐かしい光景だ。私自身卒業式に出席したのは修士修了以来なので12年ぶりであった。大学だと、実質、役員になっていないと全体のセレモニーには出ない。

5年生と専攻科の修了生の他、教員全員、保護者、在校生は4年生が参加。在校生がいるというのが、大学と違うところで、私のイメージでは高校の時に近い。ブラスバンドの演奏から始まり、最後の合唱部の合唱では、色々な思いが重なり、涙を流してしまった。合唱を聞くこと自体何年振りか思い出せないが、感動した。

大学と比べて、圧倒的に若い世代を相手に教育研究を行うことは、赴任前から頭では分かっていたが、赴任後の各種の発表会や会議で想像以上であることを目の当たりにしてきたが、今回学生が一堂に会する場で接したのは初めてだ。ただ、今日は高学年だけだったので、若い高校生と同じ年代の学生に接するのは、入学式までお預けである。

早く校歌も覚えたい。香川高専に統合後に作られた歌ということで、結構ポップな感じであった(芸術について、語彙が貧弱で失礼)。


その後、建設環境工学科4年生のホームルームで、就職の希望調査の提出と、卒研配属の希望調査の提出。卒研については、最終的に4名の学生が林研究室(こう呼ばれるのが初めてで、新鮮)に配属になり、午後には都合のついた3名が、挨拶に来てくれた。2013.3.13 林研究室始動の記念日として刻んでおこう。


赴任後13日目なのに、5年生の謝恩会に招いていただいた。専攻科生の謝恩会は別の日に行うということで、5年生のみ。先生によると、単年度の学年だけだからか、毎年趣向が全く違っているという。今回の会は、結束力の強いという学年のカラーが出ているようで、とても楽しく参加させていただいた。数名には、結構ディープな話もできた。とにかく積極的に。


専門の先生だけでなく、教養科の先生も多く呼ばれていて、全員からスピーチいただいた。特に担任を受け持った先生は、それぞれ、苦労とともに特別な思い入れがあるようで、厳しさとともに、そのあたりが高専の、教員と学生とが一体になって乗り越えていく姿のようで、身が引き締まる。大学の教務委員が該当するだろうが、その学年にみっちりというわけでなないので、あまり味わえないものだろう。

3月に赴任したことは、4月からの講義の準備を行いつつ、高専に慣れるという目的である。もっと早く来てほしいと言われていたくらいだ。一時期話題になった駆け込み退職とは全く関係ない。専攻科生の発表を聞けなかったことを除き、成績認定会議などに出席して一通りの流れを見られたことは、本当に良かった。これがなかったら、4月からは苦労しただろう。

2013年3月12日火曜日

訃報

前任の大学からメール。私が所属していた部局(横浜国立大学大学院 都市イノベーション研究院)の現役の研究院長(学部長、研究科長、と言った方がわかりやすいだろうが)の梅本洋一教授が急逝されたとの連絡であった。まだお若いのに、信じられない。

専門分野は違えど、自分が所属する組織の長ということで、大変お世話になった。2月末に、退職のご挨拶をした際に、短時間であったが、温かい祝辞のお言葉をいただいたのを強く覚えている。2週間前に交わした、梅本先生と最後の会話であった。

昨日の早い時点ではネットには情報は掲載されていなかったが(その後新聞各紙)、試しにツイッターで検索すると、すでにたくさんの情報が飛び交っており、先生が多様な分野でご活躍であったことが偲ばれた。

ご冥福をお祈りする。




2013年3月10日日曜日

相棒

本日日曜日は、赴任後初の仕事がない日である。家でPCを使って論文の修正などをしながら、家の片づけや整理で結局終日過ごす。

ホームセンターに買い出しに行く途中、地元の登山用品店の横をたまたま通ったので、久しぶりに覗いてみると、当時から年齢を重ねた(私も、同じだけの年を重ねている)主人が一人、ザックか何かの修理をしていた。高松高校山岳部時代は、通学路の途中に位置することもあり、何も買わなくても何度も訪れた。

18年ぶりに戻ってきたことを挨拶し、思い出話に花が咲いた。ヨット部顧問になったという話をすると、このお店でも、実は、登山ザック用の分厚い布と糸で、ヨットの部品を修理する依頼があって、よく修理しているという。県下の高校や大学のヨット部から依頼があるらしい。新品で買うには高いものも、修理だと安くつく。

落ち着いたら、今度は子供も含めて登山、トレッキングを再開しようと思っているが、ヨットでもこの店にお世話になるかもしれない。

店の名前は、アイボスポーツ(aibosports)である。高校時代、名前の意味を聞いたら、「仲間、相棒のこと」だと説明を受けたのを覚えている。 ここで購入した用具の数々は、私の命を支えるものとして、実際の相棒として助けてくれている。ヨット部の方でも、関われるとさらに面白くなるだろう。

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