2014年5月14日水曜日

コンクリートのゆりかごから墓場まで(2) 教育遺産としての不具合事例

コンクリートのゆりかごから墓場まで その(1)から続く。


前置きが長くなったが、本日、香川県生コン組合主催の、コンクリート主任技士研修会の第1回の講師を務めた。約10名ぐらいの受講者に対して、行うものであるが、初回は記憶に残るようにと思って問題集以外の資料も準備した。

組合主催ということで、生コン工場で働いている方がほとんどで、まず聞いてみると、施工やその後の構造物に関わることは皆無という事であった。仕事は荷卸しまで。

コンクリート主任技士たるもの、やはり、作るだけでなく、その後コンクリートがどうなるのかを知っておく必要があると思っている。まさに、前に述べた「そのコンクリートのゆりかごから墓場まで」の考え方そのものである。よって、現時点で彼らに対してベスト考えた教材を初回に披露した。


用意したのは、現在、県内で実際に見ることができる、不具合の事例の写真である。専門用語で豆板(一般にジャンカ)と呼ばれる、コンクリートが材料分離して、充填されていない部分である。

なぜこの写真である必要があると言えば、
1)県内の事例であり、自分の生コン工場の製造と何らかの関係があるかもしれないと思わせたり、考えるきっかけになること。
2)今現存すること。
3)アクセスできる場所にあること。
などである。
よって、実際に行こうと思えば、行けるのである。


そうすれば、生コンを製造することだけでなく、その後の構造物の事にも関心を持っていただけるのではないかと考えたのである。別の場所の事例や、何かの参考書の写真を見せた所で、それはどちらかというと、別世界のものと考えてしまうため、やはり、身近な例が望ましいのだ。



そして、その事例は、私が今まで見た豆板の中で一番程度がひどいものであった。程度の大きな豆板は、学会等の研究で意図的に再現されるものが多いが、実際の構造物で見たのは、これが一番ひどかった。

実構造物であれば、脱型後に豆板が生じていることがわかれば、(現在は発注者の合意のもと)施工の段階で補修されるため、私が目にすることは少ない。多少なら見過ごされる場合も有るが、ここまでひどいものがそのまま残されることはまずない。

しかし、この事例は奇跡的に残った。というのは、コンクリートの跡を見ればわかるとおり、実際にこのビルのコンクリートが打ち込まれた時には、隣の家が型枠代わりに使われており、その後しばらくそのまま隣の家が使用されたため、実際にはこの「いわゆる型枠」が外されなかったため、豆板に気づいていなかった。または、他の部分から豆板の存在に気づいたかもしれないが、家が残っているために補修ができなかった。

ようやく、当時に建設した人、お金を払ったオーナーの詳細の記憶が忘れ去られたころに、隣の家が撤去され、その時に初めて、豆板が人目に触れることになった。ただし、それ以後は、ビルのオーナーも特に気に留めていないのか、そのまま放置されて今に至っている。業者へのクレームが可能な期間はとっくに過ぎており、直すなら自費になるためであろう。

よって、この豆板が現存することに、非常に学術的価値が高いと私は考えている。私は、単に施工不良を晒して楽しんでいるわけではい。プライバシー等の指摘に対しては、個人の所有物であるものの、この場所は、一般道からよく見えるものであり、プライバシーや資産価値には今更影響するものではないと私は考えている。

繰り返しになるが、補修や取り壊しがなされる前に、コンクリート技術者への教育的資産として、記録にとどめたり、コンクリートに携わる方に見てもらうのが良いと考えた。

場所は、高松市内で、琴電片原町駅から徒歩5分以内の所にある。ちょうど7月に日本コンクリート工学会の年次大会が高松で開かれ、1000人規模の土木、建築のコンクリート技術者が集結するため、ぜひ足を運んでいただきたいと思っている。

とりあえず現状では、場所の詳細は私へコンタクトを戴きたい。


実は、この写真は、4月27日に、私がフェイスブックに、「不具合がすごい!」という内容の軽い文章とともに掲載した経緯がある。なぜすごいのかは、本日 改めて上記に書いた通りで、学術的価値が高いと思って掲載したが、それを表すコメントではなかった。ある方から、その出し方は違うのではないかとのご指摘を戴き、我に返り、その時の投稿は削除した。当時、軽いノリで出してしまったことは、事実であり、うかつだった。その未熟さも含めて、ここに明記する。








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