本日(4/15火)は、横浜国立大学時代の恩師の一人、現在、研究院長(学部長と言った方がイメージがつきやすい)の中村先生が別のお仕事で高松に来られるついでに、高専に寄っていただけるということで、お会いしました。空港までの3時間、たっぷりとお話しさせていただきました。
中村先生は、私が横浜国大に入学した1995年4月に、横浜国大に赴任された先生で、いつも冗談で「大学同期です」と話をさせていただいています。学生時代には、講義とは関係なく、いくつか悩みの相談に乗っていただいたり、英語の勉強の方法を教えていただいたり、そして、多くの現場見学に連れて行っていただいたりで、また他の先生とは違った深いお付き合いがありました。
そのような恩師に、私がこちらでも元気に活躍(評価は他人に委ねますが、自称)している姿を報告できるのは、とてもうれしく、ついついしゃべり過ぎました。外に出てみて、横浜国大の良いところ、悪いところも見え、そういったことも少々ではありますが、話をさせていただきました。
短時間の行程なので、その中でベストのうどん屋をチョイスして、喜んでいただけたのも、安心しました。空港にお送りした後も、フライト直前まで喫茶店で付き合っていただきました。自分の成長を報告したい、褒められたい、と心から思う人が恩師、というものでしょうか。童心に帰ったというのは言い過ぎではありません。
中村先生に国交省の某所で待ち合わせをする直前に、別の恩師と会っていました。
私が中学校2年生の担任の先生のM先生です。父親の転勤で長崎県から高松へ引っ越してきて慣れない私を担任として迎えてくれて、さらに私が所属したバスケット部の顧問で、しかも大好きな理科の先生でした。そういった3つ揃いの環境で、引っ越し後もスムーズに高松に溶け込めたのを覚えています。
理科の授業は楽しく、その後、今の工学の分野を目指したのも、それだけではありませんが、多少なりとも関係していると思っています。
3月末の新聞の折り込みで、香川県内の小中高校の教員異動の情報を得て、近くにいらっしゃることを知り、いつかお会いしたいと思っていたところ、ちょうど本日訪れる隣の建物に居るとのことで、当日お会いできました。
恩師にお会いして、こうやって報告できることが、自分が上の世代と繋がっているという感覚となり、さらには自分の研究室や担任を持っている学生たちへ繋がる感覚を持ちました。これぞ教育の重さとともに醍醐味かと思っています。
午後、中村先生をお送りして、研究室に戻ってくると、なんと大学の先輩と後輩で、某建設会社のお二人がたまたま高松支店に仕事で来ているということで、帰りまでの30分ほどですが、高専に寄ってくれることとなりました。横浜国大時代は共同研究に関連してよくお会いしていた方々ですが、こうやって訪ねていただけるのは、喜びひとしおです。
つながることの大切さをかみしめた、不思議な一日でした。
2014年4月19日土曜日
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