二人らしさ爆発の良い結婚式でした。今後ともお幸せに。
さて、私は日帰りでの横浜ということで、いくつかの目標を立てていました。
横浜開港資料館は2回目ですが、ちょうど今、7月から10月中旬まで関東大震災の特別展示をしています。まず1つ目は、それを見ることでした。調べると、他に、横浜都市発展記念館、横浜市史資料室を加えた計3館でコラボして関東大震災関係の展示をしています。
横浜に着いて、まずタクシーで開港資料館へ。関東大震災と言えば東京の火災被害があまりにも有名でそれだけが語られることが多いですが、最近の研究で、神奈川県全土に渡った被害も明らかになっています。津波襲来も結構有名になってきました。
今回の展示は、主として横浜市街地の被害の模様に関してでした。ここ数年、江戸から明治にかけての横浜の歴史を勉強していたこともあり、いろいろな古い地名が出てきても大体わかり、理解につながりました。概してこのような展示は、当事者意識(かつ、地元の地名の知識)を持たないと、なかなか伝わってこないことが多いので、その点では今見ることができてよかったと思います。知識としては知っていても、それが他とリンクしていなかったのが少しずつ整理できたように思います。山下公園は、関東大震災の横浜のがれきを埋め立てて造られたのは有名ですが、それはいったいいつだったのか。今回知りました。
5年で復興した、という記述が各所に出てきていました。まだ知識としてしか頭に入っていないので、その本質を他の現象(今回の東日本大震災)と絡めて考えたいと思います。
現在の横浜の関内、馬車道の街づくりは関東大震災を機に新しくなりましたが、その中で、いくつかの鉄筋コンクリート建物は、地震を生き残っていますし、そういう視点で見ると、いろいろな発見があります。とりあえずインプットだけしておいて、後で考えます。
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追記:
上記について、横浜の復興について専門的な記述でありませんでした。たまたま、横浜国大建築の高見沢先生のページ、藤岡先生のページを発見しました。リンクを記録しておきます。戦争の空襲なども関係していますね。
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マリンタワーでの結婚式、披露宴終了後、同席していた細田先生を誘って、近くに架かる霞橋を訪れました。
これは、元は115年前の明治時代にイギリスから輸入されて隅田川にかけられていた鉄製のトラス橋ですが、その後鶴見川にかかる橋に移築され、この度、横浜の新山下に移築されたものです。
私が転職した直後の2013年3月に完成していたので、専門誌などの記事で知っていましたが、半分忘れていたところ、先日オリエンタルコンサルタンツの方から紹介を受けて行こうと思っていました。今日当日に思い出して調べるとマリンタワーから徒歩で行ける距離だったので、行くことにしました。
そのままではなく、元のスパンの約半分に縮めていますので、当時の雰囲気を残しながら、使えるところをうまく組み合わせています。よって、リベットだったところと、ボルトを使っているところが混在しているのが、面白いです。
この表面の凸凹は、腐食による減量なのか、長年の塗装を繰り返してきたムラなのでしょうか。
リベット(上)とボルト(下)が混在しています。
ここの水平部は、水がたまるので、早期に腐食すると思います。泥もたまるので、水が滞留する時間が長くなり、腐食します。それも見届けるために、時間を置いてまた来たいと思います。
良い天気で、白いトラスが青い空の下に映えています。このラティス構造も、当時ならではのものですね。
その後、今度は日本大通り駅に移動して、 横浜都市発展記念館の関東大震災展示へ。 横浜の復興がメインで展示が組み立てられていました。
その中で、「横浜火災図」が印象に残りました。地図に、火災の発生場所と、どちらに延焼していったのかが赤鉛筆で記入されているものです。「旋風起点」というプロットも多数。関東大震災では本所被服廠跡のものが大変有名な、火災旋風が、規模の違いはあれど横浜でも多数起きていたのでしょう。その辺の知識を知らないと、素通りしそうですが、1枚の図を見ながら震えが止まりませんでした。
ビデオの上映もありましたが、黒焦げの死体の山で衝撃的なものでした。オリジナルということで、この悲惨な状況だけでも20分ありました。他のタイトルもありましたが、時間不足で見ることはできませんでした。
この夏はNHKで関東大震災は大々的に特集されていたのですが、ビデオ録画ばかりで実はまだ見れていません。一部そういう動画もあったかもしれませんが、このような長時間のビデオが残っているのは、常時国民が見られるようにはならないでしょうか。
横浜震災記念館がかつて存在したものの、立て替えなどで無くなってしまったようです。現在は、横浜市の各資料館で分散して保管しているようですが、常設ではないので、なかなか市民が知る機会は少ないでしょう。
いつも思うのですが、公的な博物館・資料館は、ネットでの公開や、海外のように写真撮影可能としていただけるとよいなと思います。ネットでの公開で、各資料館に行かなくなるという危惧があるのでしょうか。所有者(資料提供者)の許諾という方が大きいのかもしれませんが、今の時代何か新しい形はあると思います。その辺は海外の方が先行していると思うので、何とかならないものでしょうか。
今回の3館合同の図録集はもちろん購入しました。貴重な画像資料で、今後の防災教育の教材にも使えそうです。ただ、「横浜火災図」は含まれていなかったのは残念です。
他、在庫として、昨年展示があった生麦事件の図録集も売っていたので買うことができました。この生麦事件展は確か行けなくて残念に思っていたものなので、良かったです。
夕方、入院している家族のお見舞いをして空港へ。
子供が寝たあとの時間に家に帰ると、4歳の息子から手紙が机の上に。「パパへ (略) もうねるからね。またあそぼうね。」 泣けてきた。遊びます。仕事も家も頑張ります。
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最後に、生麦事件について。生麦駅近くの地元の浅海武夫さんがご自身で研究されて私財をなげうって作った「生麦事件参考館」はぜひ行くべきでしょう。吉村昭著 生麦事件 は歴史小説として大変面白いですが、彼も浅海さんに取材をしたとあとがきに書いています。私も見学に行って、いつもお忙しい方ですが、偶然ですが直接長時間お話を聞くことができました。その後、彼の講演会に参加もしました。彼曰く、生麦事件こそ、明治維新の重要な出来事であり、もっと評価すべきだと。
ホームページはありませんが、いろいろなサイトで紹介されています。大変失礼ですがご存命のうちに、生麦事件を読んだ上で訪れてください。 全国でも講演依頼で引っ張りだこのご多忙の方です。講演に押し掛けたことがご縁でお手紙も頂いたことがあり、転職した連絡はしていないので、また連絡してみようと思います。
浅海武夫さんの「生麦事件参考館」は、最近閉館との知らせを受けました。ご自身もご高齢で維持は大変とは思いますが、何か公的な補助でもいいので、継続または移設させて欲しいと思います。
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