2013年9月17日火曜日

業界の常識

先日、6歳(女)と4歳(男)の子供を連れて、映画モンスターズユニバーシティを見に行った。

私自身、6年以上ぶりの映画であったし、子供たちにとっては、初の映画であった。現在は子供2人ともディズニーの映画を見ても、何かしらの場面では怖い、という始末なので、映画なんてもってのほかという時が長く続いたが、だいぶ大きくなってきて今回連れて行ってみた。いまだに上の娘は、ファインディングニモは怖くて見たくない、と叫ぶ。

私自身、映画館にはあまり行かず、前に行ったのは覚えていないくらいで、少なくとも子供が生まれてからは行っていない。


実際に行ってみて思ったこと。

モンスターズユニバーシティの吹き替え版であったが、多くは子供が中心の対象ではないか。もちろん大人も楽しめる内容だが、子供にも大きくシフトした作品だろう。映画はそれなりに楽しめたのだが、子供同伴ということを考えると、考えさせられることがいくつかあった。


12時5分開演スタートとなっているが、結局最初の20分間が、別の映画の予告やCMであり、子供はまだかまだかと待ちくたびれて、眠たそうであった。そして、音が大きく驚く場面もあり、他映画の予告では暴力シーンもいくつかあり、見ていてハラハラした。CMを流すことで、広告料的な効果も得ていることであるのはよくわかる。大人の事情だろう。しかし、子供が多く見る映画の場合、そのような20分間の、大音響のCMは必要なのだろうか。大多数は気にしないのかもしれないが、少なくとも久しぶりに参加した私としては、子供への影響も加味して苦痛であった。

子供が怖いと感じるシーンは、それは映画の内容の事なので仕方がない。案の定、最後のクライマックスの5分くらいは、怖い、とのことで、一時退出した。 それは、しょうがないし、それを予測して映画を見に来ている。ただ、全般的に音量はもっと小さくならないものか。映画ファンからは、「嫌なら6歳、4歳を連れてくるな」と言われそうだが、もし、音が小さい映画館があれば、私は選んで連れて行きたい。


全部含めて現状の日本の映画事情だというのはわかる。現状が一律にダメとは言わない。しかし、声にはならない、現状がよいとは思っていない一定のニーズもあるのではないか。


営利企業なわけで大多数のニーズを満たすことが、企業活動の基本であろうが、多様化した今、もっと私を満足させてくれる映画館はないものだろうか。

虚像の「大衆」と、実際の消費者のギャップの例として、地上波テレビのバラエティ番組の凋落と、それに伴ってテレビを見なくなった日本人が増えたというのは、記憶に新しい。映画にもそういうところはないのだろうか。


別の例示をする。

エスカレーターで片側は立ち止まって、片側は歩く、という、いわゆる「現在の日本のしきたり」のうち、実際歩く人のなかで、歩きたいと思っている人は何割いるだろうか。言い換えると、歩きたい人が歩いて、止まりたい人が止まる、ということは実現できているのだろうか。歩いている人の中で歩きたいと思っている人は理想では10割だが、実は、2割くらいではないかと思うことも多々ある。止まりたいけれども、人の流れで止まる側に物理的にたどり着かないことは私は何度もある。止まる方だけに大行列ができているケースが多いが、それは、やはり止まりたい人が多い証拠ではないか(仮説)。歩いている人に、全員アンケートをしたデータはどなたか研究者はお持ちではないだろうか。何なら私がやってみたい。

実は、ほとんどの人が止まりたいけれども、周囲の目を気にして止まれない。ふたを開ければ多くが止まりたいと考えていたけど、声に出せなかった。そいうことはないだろうか。

エスカレータの例は、データを持っていないので、仮説にすぎない。しかし、日本人の特性として、それに似た構図はいろいろな例で、存在するように思う。

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