2013年3月29日金曜日

日々の問題解決シリーズ リモコンが動作しない

建設環境工学科棟は数年前に改修していただいたおかげで、部屋も綺麗でレイアウトも気に入っている。2つの研究室が真ん中でつながっていて、仕切りはあるが、声も聞こえて人の行き来もできる。適度な交流が可能である。

1つの研究室内には、学生の入れるスペースと、さらに中に教員個人のブースがありこちらには完全に鍵がかかるようになっていて、特に成績管理などのセキュリティも万全である。よく考えられているといつも感心している。

大きな問題ではないが、1つストレスを感じることがある。その教員個人用ブースに入っているエアコンは家庭用の小型のものなので、手持ち式の小型リモコンで操作する。なお、業務用エアコンであれば、有線のパネル式リモコンである。

このリモコンは通常はフックで壁に掛けてあるのだが、その位置では、方向が悪いのでエアコンが反応しない。毎回リモコンを手に持って、エアコン本体に向かってボタンを押さなければならない。

部屋を出入りするたびに、入り切りするのが、結構面倒であり、この1か月ずっと解消したかった。


現状を説明すると下図において、右下の方カレンダー付近の壁にかかっているのがリモコンで、左上の白いものがエアコンである。この位置関係では、リモコンは反応しない。




下図のように、手に持って動かさなければならない。


これを解消するために30秒で考えたことは、以下の通り。

(電波、という用語が正しくないことは分かるが、他によい用語が見つからないので、便宜上このままでいく)

・リモコンの電波が本体に届かないことが問題である。
・リモコンの電波が本体に届くことが解決策となる。

もちろん、エアコンが作動すること、という上位概念であれば、エアコンを買い替えるとか、さらにいうと、体温を快適に保つという上位概念に進めば、そういうウェアを着る、エアコンを必要としない体に鍛えあげる、なども問題解決策としてありうるが、今回はあくまでも、今のエアコンを作動することだけを考える。

絶対にできそうなのが、リモコンと本体を光ファイバーで結ぶこと。これはほぼ100パーセント実現可能だが、手間と金がかかるので、後にとっておく。

次に、リモコンの向きを変えてリモコンを固定することが思い浮かぶ。しかし、エアコンと壁はちょうど向かい合っていて、垂直な壁は無い(垂直な壁が、引き戸になっている) ので、角度をつけることは結構難しいことがわかる。

では、リモコンの電波を曲げることができればよいのではないか、と発想を変える。鏡のようなイメージで反射させればよいのではないか。まず持ってきたのが、ブックエンド。すると、ブックエンドの角度を変えても反応なし。よく考えたら、反射率の関係から、鉄自体が電波を吸収してしまうのだろう。

では、鉄以外の、紙を持ってきて斜めにしたところ、見事リモコンは反応した。解決の方法が見つかれば、後は早い。

下図のように、使い古しの厚紙を切って、加工。




このように、厚紙を折って壁に貼ることで、無事、原位置においてリモコンが常時作動することになった。解決。


実は、もう一つ、案はあった。くしゃくしゃにした紙のようなものを、リモコンの近くに置けば、乱反射されて電波がいろいろなところに飛ぶのではないか、と思った。今回は、試す前に解決したので、実行には移していない。

家の新しいテレビボードにおさめたビデオは、リモコンの受光部を塞いでしまうような意匠になっているので、リモコンの認識が悪い。今度はこちらの手法で解決できないか、考えているところである。

日々、これ研究なり。 なんと創造的なことか。

2013年3月28日木曜日

わらしべ長者

ある先生から、綺麗なロッカーが余ったからいりませんか?と連絡。いそいそと見に行くと、今使っているものよりも、幅が1.5倍くらいの綺麗なロッカーであり、戴くことに決定。すぐに搬入いただいた。

そのついでに、別の部屋でコンクリート関係の古い論文集があって、捨てるべきかどうか相談されたので、これは私の視点から不要と判断。その理由を聞くと、この書架を撤去して実験用の棚を購入するという。

私の居室は、横浜から運んできた書籍のために既に結構な量になっていて、棚が不足していたので、まさに渡りに船。さっそく戴くことを約束した。代わりに、私の居室にあった、使い勝手の悪い引き出しは、場所を空けるために早々に廃棄することになった。

こうやって、色々と声をかけていただけるのは嬉しい。

今はお世話になりっぱなしであるが、片付けはほどほどにして、新学期に向けての講義準備を着々と進めることが私の今の職務で、専念したい。恩返しは、成果を出すこと。

2013年3月27日水曜日

山岳部の心

今朝は早起きして、6時ごろに出身の高松高校を訪問した。今日明日の1泊で、高松高校山岳部の春山合宿が行われるため、その出発の見送りのために。


今回は、卒業する3名を含める生徒5名と顧問2名の登山であった。私は、小一時間、後輩が準備するのを横目に見つつ、朝の校舎の散歩をしていた。校舎建替え直後の新校舎で過ごしてきた私にとっては、建物の状態は当時とほとんど変わっておらず、一気に18年前にタイムスリップしたみたいだ。

合宿のOBの差し入れと言えば、スイカ、ミカン缶など、悪乗りして重たいもの、かさばる物、という伝統があったが、さすがに現役生とはそこまでのコミュニケーションが取れておらず、今回初めて顔を合わせるので、控えめに、電車で食べられるものにしておいた。

出発前はドタバタするので、話しかけるのも悪いと思って、現役生とはほとんど会話をしないまま、別れてしまった。もうちょっと存在感をアピールしておけばよかったなと思いつつも、最後に3年生から、道具の使い方を指導してあげてくださいと言われたのは、嬉しかった。

私が現役の時は・・・・、という話をしだしたら聞いてもらえないが、なぜ、これが必要かということで、背中で見せたいと思う。って、いつやるんだろう。

3分クッキングならぬ、3分パッキングというのがあって、とにかく時間に厳しかったなぁと思いながら、考えてみた。

以下、現役生の話とは関係ない。(できないことの指摘、ではありません)
パッキングを短時間でやることは、直接的な効用としては時間を確保、がある。しかし、他の意味もたくさんあるだろう。そもそもパッキングに時間がかかるのは論理的に整理されていないことの表れであり、時間をかけて詰め込こむというのは、頭の中で構造的に整理されていない現れといえる。軽くてかさばる物はザックの下、重いものは、ザックの上の方でできるだけ手前。体を回転させたときの慣性モーメントを小さくするためである。これが頭にあれば、何をどうやって入れるか、と計画を立てると、後はそれにしたがって順番に詰める。

話がそれたので、戻る。


人と人のつながりを持つ、ことを、山岳部の現役生および、これからの人生を過ごすOBに伝えたい。山岳部の関東支部で活動していた私としては、最近若いOBとのつながりがなかったことが懸案事項であった。口で、来いと言っても、なかなか難しい。世間一般によいと思われることでも、実践できないことは多い。そういうものであっても、ふとしたきっかけでたまたま参加することで、その良さを身に染みてわかって、それ以後参加するようになることが、特に同窓会関係では多い。年齢がそうさせることもあるだろうが、とにかく若い時期の初めは、強制的に連れて来るぐらいがちょうどよい、と思っている。でも、その場(関東支部)にいない私には何ができるのか。

良いものを伝えるにはどうするか。生のコミュニケーションをとって信頼関係を作らないと、人はなかなか動けない。そのためには、汗をかくことも大事だ。体で見せる。以前から、OBとして何ができるか、何をすべきかということを考えていた。2週間ほど前、この春山合宿の存在を知ったものの、いつ出発か分からなかったので、空き時間ができたのもあり、顧問へご挨拶に行って日時をお聞きした。その時点ではまだ現役生とのつながりを持っていなかったので、合宿の見送りしかチャンスはない、と思って実行した。



今回のことがどういう効果を持つかはわからないが、とにかく干渉することが大事と思うし、それが私が受けてきた高松高校山岳部の教育、伝統そのものだと今思っている。

2013年3月26日火曜日

露出

小さなステップ、という話。

業界内の話であるが、これまで、論文投稿以外に、自分個人の名前が出ることは余りなかったが、ここにきて、ちょっと露出している。

セメント新聞 3月11日号 に、記事が掲載されて(取材を受けたわけではなく、講演から起こしたようであって、事前にチェックできないのは怖いが)、そのヘッドライン部分が、ネットにも掲載されている(実際の文章はもっと長い)。

http://www.cement.co.jp/cementnp/130311.html

他に、私は知らないのだが、もう一つ、何らかの業界新聞い、私の顔写真入りの記事で、私が語ったという強めの意見が載っているらしい。見るのがちょっと怖いが、ご存じの人がいれば、教えていただきたい。


もう一つは、学会誌コンクリート工学 3月号で、今本先生の記事の中で、紹介していただき、写真入りで入っている(他の方もまんべんなく紹介されているので、特別私だけではないが)。

さらに、日経コンストラクションの3月25日号においても、私の名前はないものの、「現場所長塾 第13回 品質管理」の中で、飯田所長の記事の中で、横浜国大との共同研究のことが記載されている。

たまたま、この3つが鞄に入っていたので、徳島大学での委員会の席の休み時間に、参加していた研究室学生に見せた。社会とつながっている姿をきちんと見せることも、教育であったり、信頼関係の構築につながるはず、と信じて。研究室でのきちんと成果をPRすることも大事かなと思っている。

外部のことに頼らずに、自分で醸し出す必要もあるだろうが、使えるものは手段を選ばず。


あと、論文については、投稿から1年かかったが、3月19日付で、表面吸水試験についてのジャーナルが公開された。本文pdfは、会員で論文集購読者でないと、1年間は見ることができない(1年後に無料公開)が、興味のある方は連絡を。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejmcs/69/1/69_82/_article/-char/ja/


徳島にて

本日は、土木学会のコンクリートの施工性能の委員会の共通実験のために、徳島大学へ出張。

研究室の指導としては、横浜国大に倣い、学生へできるだけ出張させたり、経験させることを重視したいと思っている。もちろん、きちんとしたフォロー、ケアも必要である。

当初、着任直後の予算の問題という大人の事情から一人で参加の予定であったが、公用車を使えることとなり、研究室の学生も連れて行けることになった。車種はセレナ。前任校のように、車の運転ばかりというのは、あまりしたくはないが、今後、必要な時限定で、お世話になることであろう。



春休みということで、最終的に1名の都合がつき、連れて行くことになった。研究室に配属といっても、まだ何も動き出していない中で、いきなりフレッシュコンクリートについて、20人ほどの大人がああだこうだと議論し、実験室で徳島大学学生がコンクリートを練るのを見る、というのは、どう感じただろうか。正確には知らないが、大学生と比べて、講義がびっしり詰まっていることから、なかなか学外の土木に関することに触れることは少ないようなので(サンプル数<10)、いろいろな経験を積ませ、考えさせたいと思っている。

今日については、施工性能など、たぶん聞いたことない段階であるが、何か、あれ、っという気づきの一つでも得てもらえれば御の字である。

私としては、関連して、徳島大学の実験室をたっぷり見せていただいた。歴史のある徳島大学コンクリート研究室のフレッシュコンクリート実験の歴史を感じさせる、設備や実験ノウハウに脱帽であった。


東京から来ている方々の飛行機の関係で、15時に散会となったが、数名の委員を空港へ送る道すがら、1時間くらい空き時間があるということで、私の思い付きで、鳴門まで遠征することにした。たまたま私の車に乗り合わせた4名の委員の方には、振り回してしまったが、「渦の道」を堪能していただけたと思う。

渦の道とは、大鳴門橋のデッキが有料の遊歩道になっていて、高さ約50mから、鳴門の渦潮を見ることができるものである。潮の流れの速い時間だったようで、海が川のように高低差で動いたり、ぐるぐる回る様子を見ることができた。一部ガラス張りになっていて、立つこともできる。私の両親親戚は徳島なので、過去に来たことがあるかもしれないが、物心ついてからは初めての渦の道であった。そういう意味でも感慨深かった。

渦の道を小走りで見学というのは慌ただしかったが、あと1時間といったときに、地元民としてぜひおもてなしをしたい、というマインドは、こちらでも健在である。むしろ、常にチャレンジしたい。もちろん安全運転で。






2013年3月22日金曜日

真夜中のラブレター

真夜中のラブレターとは、気持ちが高ぶって書いた文章がその時は最高の内容だと思っても、翌朝に落ち着いて読み直すと、とても恥ずかしいことを書いていることに気づく、という類のものであると認識している。今日は、そういう意味でなくて、ラブではないが、文字どおり真夜中にレターを読んだ。

今日は、私の前任校横浜国立大学の卒業式と謝恩会、その後研究室での打ち上げ、であった。私は3週間前に横浜国大を去り、その際にすでに送別会も開催していただいたため、今日はあくまでも卒業修了者をお祝いして送り出す会だとの認識で臨んだ。

研究室打上げでは、教員のスピーチが時間不足で省かれるトラブルもあったが、学生のスピーチの後、私の番になり、最後に私宛のプレゼントを戴いた。今ここに写真はないが、綺麗に製本されている冊子で、コンクリート研究室に関わった1期の人から現役生(32期)まで、30年以上にわたる方々から、メッセージを寄せていただいて、冊子に取りまとめられているものであった。

研究室の最高学年の小松君が奔走してくれたのが目に見えてわかって、その場で泣きそうになったがこらえて、散会後、いそいそと予約していたホテルに戻る。

夜中0時過ぎに、やっぱり今読んでおこうと思って、ページをめくりながら、メッセージを読ませていただいた。私がこれまでやってきたこと、交わってきたこと、に対して、ねぎらい、評価、激励を戴く内容であった。もちろん、一般論としてお祝いのメッセージはお世辞も含まれるから、割り引いて考えるにせよ(空気が読めずすみません)、一人一人の顔と声が浮かんできて、涙しながら最後まで読んだ。

PCが手元になかったので、この文章は後日書いているが、読んだ直後に、その思いを忘れたくないと思って、携帯でメッセージを書いて、保存しておいたものから起こしている。その時にとっさに浮かんだブログのタイトルが、「真夜中のラブレター」。このタイトル自体が、後で読み直すと恥ずかしい、いわゆる「真夜中のラブレター」である。香川高専に赴任しても、家族の引っ越しや、横浜に残務が残っていたりで、色々と慌ただしくて落ち着かなかったところもあるが、こうして、横浜国大の区切りを得たことで、ポジティブに、次に切り替えられるような気がする。

最後のスピーチでも言ったことであるが、私も卒業生も横浜国大コンクリート研の歴史の中で一歩一歩進んできたが、明日からは、各自が新しい環境で歴史を作っていく。

2013年3月21日木曜日

近況

この10日間は、赴任前に次ぐ、怒涛の10日間であった。公開する意味があるのか、と思いつつ、慌ただしさの記録に。


3月14日(木)。夕方まで通常勤務。夜の最終便で横浜へ。

15日(金)。朝から、娘の幼稚園卒園式。わが子の成長と、横浜との別れが重なる、感動的な会で、涙なしには語れない。後日、娘は、「パパ泣いてたね」ときちんと気づいていたらしい。

私は30年前、幼稚園卒園までの5年間、東京都世田谷区に住んでいて、3月に親の転勤に伴う引越しで、兵庫県明石市に移った。まさに、今回の娘と同じタイミングで、関東から関西へ移った。勤務開始日の関係で、私は卒園式に出席することができず、事前に、卒園証書をもらって、クラスの皆に見送られたので、卒園式に出なかった。30年前、幼いながらに卒園式に出られなかった当時抱いた悔しさ(後日作られた思い出かもしれない)と、娘の姿がオーバーラップしていた。

しかし、その感動を興ざめにしたポカミスが。慌てて横浜に来たので、なんと、スーツの上下が別の柄だった。幼稚園で、受付をしている最中に気づき、その日はタクシー移動と現地で邪魔になるという理由で家にコートはおいてきていが、少々肌寒いので、上着を脱いぐのはおかしいので、どうしようもない。後で話したら周囲の人は、気づかなかったとは言っていただいたが。ちなみに、本日だけでなく、14日の朝から、間違っていたので、その日は、職場で何人の人にも会っていたので、後で思い起こすと恥ずかしい。

午後からは、怒涛の、引っ越しの最後の片付け。夜中までかかって、終わらない。

16日(土)。家の引越し当日。たまたま、朝一番で、月の住宅清掃だったので、参加。最近お話できていなった方々ともご挨拶ができた。

ちょうど、子供の体調が悪く、妻が病院に連れて行ったりしている中、引っ越し業者がきて、色々と連絡不備で工程が遅れるトラブルもあったが、何とか夕方には、予定通り、搬出が終わる。

高松での搬入は、中1日あける(トラック便なのに・・・)必要があり、この日は、ホテルに宿泊。家族が最後の会を開いてくれて、羽田空港のレストランで会食。行ったイタリアンレストランは、夜景のシチュエーションだけでなく、味も最高。宿泊は、もう二度とないかもしれない、東急羽田ホテルの空港ビューの部屋。目の前に、駐機場と滑走路で、これも最高の眺め。

17日(日)。昼の便で高松へ。既に住み始めている私の家に立ち寄ったのち、ホテルへ。高松で一番?のホテルで、港を一望できる。家があるので、今後高松のホテルに泊まることは、ない、というこれまた貴重な宿泊。この日は移動日。長男、夜には熱も。

18日(月)。今日も休みを戴いて、引越しの搬入。相変わらず息子の調子が悪いので、ホテルのチェックアウトを3時間延長して妻に子供2人の面倒を見てもらい、私一人と、実家からの母のサポートで、搬入作業。昼過ぎに搬入は終わり、夕方には、段ボールの山から何とか床も見えてきて、住める環境に。

家族の初めての高松の家での夜なのに、家族には悪いが、高専の専攻科の謝恩会に呼ばれていたので、参加させていただいた。家族に無理を言って参加した甲斐はあり、修了生だけでなく、現役と、4月から専攻科に進学する学生まで集まっていたので、学生とたくさん話をすることができた。

19日(火)。研究室配属後、4名全員がそろう日。部屋の片づけや、段ボールの書籍の整理を手伝ってもらい、実質初回ミーティング。研究も必要だが、まずは、コミュニケーションや、本を読んでもらって、各種素養を身に着けてもらうことが大事と考え、課題図書を1冊ずつ与え、次に集まる時までに読んでもらうようにした。

20日(水)。鞆の浦では、横浜国大グループが何かやっているのはわかってはいたものの、引っ越し3日目の初めての休日で、家族のサポートと家の構築を優先。翌朝から、また、横浜なので、ここでやるべきことをこなす。


21日(木)。朝から横浜へ。この日は、主に、自分の部屋の片づけと、引き継ぎ。夜は、私の恩師の池田先生に送別会を開いていただき、会食。


翌日は卒業式で、翌々日に高松に戻る。

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...