(1/7追記)
本日2016年1月5日の新聞朝刊において、仁杉巌博士が2015年12月25日に永眠されたことを知りました。100歳でした。ご冥福をお祈りいたします。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04HF2_U6A100C1CZ8000/
直接の弟子でもなく、孫弟子でもないのですが、仁杉博士と関係するエピソードは沢山ありました。
私が助手1年目の時に、横浜国立大学にお見えになり、構造実験棟で柱の耐震の実験を見学されました。当時は偉い人、としか知りませんでしたが、その後様々な場所で仁杉博士のことを見聞きすることになりました。
その時に私が参加者全員の記念撮影のシャッターを切ったことは強く覚えています。よって、私も一緒に写った写真はありませんが。
一番大きなものは、彼が若い技術者だったときの、国鉄信楽線 第一大戸川橋梁の掛け替え事業です。1956年に、鉄道構造物初のポストテンションPC工法でスパン30mの橋をかけたのです。日本ではまだ十分な情報や実績がない中で、海外の設計も参考にしながら、設計、施工を成し遂げ、その成果を土木学会論文集に56ページの大作を書かれました。委員会の調査で必要なので何度も読みました。この論文は、学会規準ができるまでは、実質的な規準・教科書として機能していたと聞いたことがあります。
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00037/27.html
土木学会コンクリート委員会(335委員会)において、その橋梁を調査する機会があり、当時開発中であった表面吸水試験を実構造物の桁で実施したり、横に置かれている試験桁のコアを採取したり、委員会メンバーが総出で品質を調査しました。その私が採取したコアコンクリートは、テレビ「夢の扉」でも紹介されました。
http://www.tbs.co.jp/yumetobi/backnumber/20110227.html
(この岸先生が持っているコンクリートコア)
http://kazuh-hayashi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_5612.html
(そのことを書いたブログ)
その橋と、委員会での調査の様子は、次の上田氏の文章でも読むことが出来ます。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/46/9/46_35/_article/references/-char/ja/
当時の建設を記録したビデオが、当時の鉄道総研で撮影されて記録映画としてとりまとめられています。土木学会335委員会の報告会で参照させていただいたことはありますが、何故かわかりませんが、Youtubeに一部だけ掲載されているので紹介はします。(私は関係ありません)
https://www.youtube.com/watch?v=FsvoNaVD0qs
なお、土木学会映像委員会の、限定ページ(お願いすれば、土木学会会員はIDはもらえると思います)には、このビデオもアップされています(8分+8分)。
http://jsce.metamovics.jp/login/index
(直リンクしかわからず、元リンクが分かりません。土木学会付属土木図書館(土木技術映像委員会事務局)が管轄のようです。)
その後、第一大戸川橋梁は、製作者がご存命中には異例中の異例という中で、文化財登録されました。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198209
なお、私と細田先生の表面吸水試験の開発のバネになった、「接着剤の跡が付く」、については、たまに講演で話しますが、実はこのようにくっきりと跡が残っています。写真がたまたま雨上がりに撮影されたもので、くっきり見えてしまいます。私と細田先生が足場に登って、表面吸水試験装置をくっつけた跡です。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198209/2
その後、文化財登録をお祝いするが土木学会主催で行われましたが、その席に於いて、仁杉博士は、現代の技術をもって、第一大戸川橋梁の健全さを評価してもらえて嬉しいというような内容のことを話されて、嬉しく思いました。その後も折に触れ、そのことを話されているので、それに携われたことに鼻高々でした(当時の委員会メンバーは皆、思われていたのではないでしょうか)。
2002年に遡りますが、FKKの社長から、仁杉博士が監修された鉄道構造物の耐久性の本を贈呈されて、自分の研究にも大きく関係する内容で、むさぼるように読んだ思い出があります。
監修の本ですが、「鉄道土木技術者が経験した変わった構造物と特異な災害(交通新聞社)」は短いエピソードの集まりで読みやすいのですが、その中で、活断層で食い違ったトンネルの話があります。吉村昭「闇を裂く道」とともに、丹那トンネル掘削中に起きた昭和5年の北伊豆地震の話をして、その本も引用して、耐震工学の授業で紹介しました。何と、お亡くなりになる1日前の2015年12月24日です。事例の紹介にとどまらず、話は脱線して、書籍の監修者の仁杉博士のことも話をしました。
最後に、楽しいエピソードです。2010年6月14日の朝のNHKニュース「おはよう日本」の「まちかど情報室」に間違いなく出演されました。盆栽か何か植物を育てられていて、生育で困ったことがあれば電話でサポートしてもらえるサービスがある、という紹介だったのですが、「仁杉巌さん」と実名が出てご本人が出演されていました。植物の生育悪いのが気になっている、というようなコメントをされていたような。ビデオは撮れなかったのですが、それに気づいた数少ないコンクリート技術者として何か運命を感じます。
(まちかど情報室のアーカイブには、登場する視聴者の情報は記録されません)
http://www.nhk.or.jp/ohayou/machikado/
→どなたか土木学会・コンクリート関係者の方へ。今後追悼の企画が行われると思いますが、是非NHKに交渉して、このビデオを入手いただけると幸いです。
直接の弟子ではないですが、社会人になった私の中で、文献や構造物やご本人の言葉から得るものは沢山ありました。
仁杉博士の論文や文章は、書籍を除いてまだ殆ど読んでいませんが、今後も読むことが多数あろうと思います。その時の私にとって、新しい方向性を指し示していただけるものと思っています。
これまでどうもありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。
(1/7追記)
文化財登録のお祝いの会のとき、高知工科大学 大内先生の計らいで、私と仁杉博士とのツーショット写真を撮って戴いていました。すっかり存在を忘れていたのですが、再度お送り戴きました。大切な写真です。
2016年1月5日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブログの移動(に近いもの)
表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...
-
新幹線を使って出張に行く際には、高松から瀬戸大橋を渡るマリンライナーで岡山駅まで到着し、岡山駅から新幹線に乗る。マリンライナーの乗車時間は60分で、経路検索で標準で出てくる乗換え時間間隔は、短いときには10分程度から、最短8分というのも頻繁に出てくる。 当たり前だが、6...
-
マルパッセダム( Malpasset Dam ) 1959年12月2日 完成したばかりのアーチダムが、満水時に決壊した。 水は下流に流れて、多くの方が亡くなった。 私は、マルパッセダムという言葉は、10年ほど前の黒部ダムの内部の見学の際に、 事前に下調べで知ったが、結局当...
-
Windows環境、Wordで論文を書き、PowerPointでプレゼンをする。数式をどうやって入力するのかが課題であった。Wordの2000年初頭までは附属の数式エディタでそこそこ軽快に数式入力をしたり、フォントを整えたりできたと思うが、今のWord2019環境では、デフォルト...
0 件のコメント:
コメントを投稿