地方の時代と言われて久しいが、生まれ育った地方で生活をしていて、地元の健全な経済循環、人財育成についてより一層考えるようになってきている。
地元商店街と大手スーパーの関係、小規模書店とAMAZONとの関係。地元企業が大事とは言いつつも、使い勝手で、県外の大手会社を利用していないだろうか。AMAZONでポチると、その分だけ、地元に落ちるお金が減る、という認識はあるだろうか。自分は関係ないと思っていないだろうか。総論賛成各論反対になっていないだろうか。
多少高くても、地元の食材を使って給食を作ったり、地元の木材を使って駅舎を建てたり、などの取り組みは各地で行われていて、主流になってきているだろうか。適切な仕組みで地元に還元することが、持続可能なことに繋がる。公共性と恣意的なところの線引きは非常に難しい。しかし、一番大事なのは、将来の自分たちの世界をどうしたいのか、というビジョンと行動だと思う。小手先の手段は、余りこだわらなくても良いのではないか。反対のための反対意見になってしまう。
現在、相当Amazonに頼った生活をしているので、偉そうなことは言えないが、建設関係でも似たようなことに直面している。
建設関係でいえば、建設業をどうやって維持するのかというテーマは、3.11後に大きく議論されてきた。採算の取れない業者は淘汰すべき、というグローバリゼーションの考え方だけでは、震災が起きたとき、道路を切り開き、がれきの撤去をするのは一体誰なのか、説明してくれない。東京の大手ゼネコンがやってくると思ったら大間違い。地元の企業が活躍するしかない。
そういうことを促す入札改革などは地方、特に南海トラフ地震が予想される地域では進んできているようだが、まだ十分ではないとも聞く。
もう一つ、今取り組んでいる中では、「建設材料」も同じ構図にある。品質だけを考えると、地元の骨材(砂、砂利)よりも四国外の骨材の方が良いため、多少価格は高くても四国外の材料を運搬して四国に運び入れて使用している業者が多くなっている。その行動は、品質を重視したり、企業の合理的な経済活動の賜であり、敬意を表する。しかし、選び抜いた「良いもの」を高いコスト(価格、エネルギー消費)をかけて運んでくることだけが正解であろうか。若干の違和感が残る。
エネルギーもしかり。電力自由化をして、1円でも安くなることが、果たして、両手を挙げて良いことなのだろうか。仮に、ライフラインが震災などで途絶えたらどうなるか。地元で発電できておく必要もないだろうか。
食料自給率、地産地消という考え方はようやく市民権を得たが、建設においても当てはまるように思っている。現在、そのための整理をしているところである。
四国内で、建設以外分野の分野、特に食料での地産地消に関して先駆的に行っている事例を知っているので、そういう方々の考え方や取り組み方を学びたい。これも総合工学である土木工学の仕事のやり方であると信じている。
土木分野の専門家が、閉じた世界でああだこうだ言うだけではなく、もっと人に歩み寄って考えていかなければならないのではないか、と本日の打合せで強く感じた。
2016年3月30日水曜日
2016年3月16日水曜日
仁杉博士をしのぶ
3月上旬、色々と立て込んでいる最中、久し振りに早く家に帰る機会があった。その日の夜、久し振りとなる新聞を開くと、ある記事が目に飛び込んできた。
故仁杉巌博士をしのぶ会 (さん→博士は私が変更)
2016年3月23日(水) 12-13時
東京プリンスホテル(芝公園)
仁杉博士に関する著作もある、K知K科大のO内先生に撮影いただいた、第一大戸川橋梁の文化財登録を祝う会での仁杉博士とのツーショット写真は、本当に私の記念の一枚である。
せっかくなので、ここに公開させていただこうと思う。2008年11月18日(土木の日だった)の祝う会にて(撮影は高知工科大学 大内雅博先生)。
故仁杉巌博士をしのぶ会 (さん→博士は私が変更)
2016年3月23日(水) 12-13時
東京プリンスホテル(芝公園)
当初、3/23-25に関東で現場調査が入っていて、関東にいるものの参加は難しい状況であったが、とある理由で1日日程を変更したため、3/23に調査がなくなり、そのために東京の会議に参加できるようになり、そのような行程を組んでいた。そして、たまたま昼の移動時間を使うと、この仁杉博士をしのぶ会に参加できることがわかった。
まさに奇跡のような。そもそも新聞を開かなければ、知らなかった会である。香川にいて、こうやってピンポイントで繋がるとは、何か運命的なものを感じざるを得ない。
同年代以下では、仁杉氏を知る人は少ないと思う。鉄道土木、コンクリート、PCの一時代を築いた人である。物言う土木技術者でもある。過去の栄光ではなく、100歳になっても現役で後進を育てられてきた。
仁杉博士に関する著作もある、K知K科大のO内先生に撮影いただいた、第一大戸川橋梁の文化財登録を祝う会での仁杉博士とのツーショット写真は、本当に私の記念の一枚である。
せっかくなので、ここに公開させていただこうと思う。2008年11月18日(土木の日だった)の祝う会にて(撮影は高知工科大学 大内雅博先生)。
2016年3月13日日曜日
卒園式と吉報
3/12は息子の卒園式でした。
息子は先週末のインフルB型の罹患で、幼稚園最終週は欠席ばかりでしたが、
何とか式の前日には回復ということで、不幸中の幸いということでしょうか。
私も今週は、最後の最後に忙しいことが重なり、体もフラフラでしたが、
何とか3/11の東京出張をこなして戻ってきました。
東京出張では、つくばに足を延ばしたり分単位のギリギリスケジュールでしたが、
無事3件の用事をこなすことができました。帰りもフライトが遅延するなど
翌日の卒園式を控えている身にとってはヒヤヒヤものでした。
これで戻れなかったら・・・。
無事卒園式には出席できました。開始前からハンカチを用意していましたが、
涙の敷居が下がりすぎていました。
昼過ぎに戻ってきたら、郵便が届きました。先週申請していた技術士の
登録証でした。登録証が届いたので、晴れて技術士と名乗ることができます。
合格発表後の発行は混み合うと思って、あと1週間ぐらいはかかるとは思っていましたが、
うれしい誤算です。
そして、ちょっと早いかと思っていた名刺発注も、ちょうど同じ日に届きました。
ということで、来週の出張から新しい名刺デビューです。
息子は先週末のインフルB型の罹患で、幼稚園最終週は欠席ばかりでしたが、
何とか式の前日には回復ということで、不幸中の幸いということでしょうか。
私も今週は、最後の最後に忙しいことが重なり、体もフラフラでしたが、
何とか3/11の東京出張をこなして戻ってきました。
東京出張では、つくばに足を延ばしたり分単位のギリギリスケジュールでしたが、
無事3件の用事をこなすことができました。帰りもフライトが遅延するなど
翌日の卒園式を控えている身にとってはヒヤヒヤものでした。
これで戻れなかったら・・・。
無事卒園式には出席できました。開始前からハンカチを用意していましたが、
涙の敷居が下がりすぎていました。
昼過ぎに戻ってきたら、郵便が届きました。先週申請していた技術士の
登録証でした。登録証が届いたので、晴れて技術士と名乗ることができます。
合格発表後の発行は混み合うと思って、あと1週間ぐらいはかかるとは思っていましたが、
うれしい誤算です。
そして、ちょっと早いかと思っていた名刺発注も、ちょうど同じ日に届きました。
ということで、来週の出張から新しい名刺デビューです。
2016年3月4日金曜日
2016年3月1日火曜日
4年目の始まり
そういえば、3年前の本日3月1日は、私が香川高専に着任した日です。本日が、実質4年目の初日でした。
この日は、卒論の追い込みで忙しいこの時期に、これまでを振り返る特別な日になっているような気がします。
1年目の終了のブログ
ただし、2年終了時のブログ記事も、facebook記事もないことがわかりました。1年坊主でしたが、ちょっと日付が近いのが、こちら。
2年目の終了頃のブログ
3年目が終了しての総括はどうか、ということですが、現在は、相変わらず、各種年度末の締切り、各種委員会などが重なり、多忙を極めているところですが、本日、非常に嬉しいことがありました。技術士試験の最終合格発表日が本日だったのですが、無事、合格しました。
後は登録手続きが完了すると、「技術士(建設部門)」を名乗ることができます。現時点では、技術士試験合格者であって、まだ技術士ではありません。もう少しの辛抱です。
今年6月に40歳になるので、何とか30代に滑り込むことができました。
合格発表の官報を見ていると、大学の同期であったり、知り合いの技術者の名前もちらほらある中に、私が横浜国大の時の教え子の名前も多数。同じ時期に初回合格というのは微妙な所ではありますが、彼らも頑張っているし、私も抜かれないよう、もっと頑張ろうと思いました。
他の業務も目白押しで、余り振り返る余裕はないので、とりあえず、この辺で筆を置きます。
この日は、卒論の追い込みで忙しいこの時期に、これまでを振り返る特別な日になっているような気がします。
1年目の終了のブログ
ただし、2年終了時のブログ記事も、facebook記事もないことがわかりました。1年坊主でしたが、ちょっと日付が近いのが、こちら。
2年目の終了頃のブログ
3年目が終了しての総括はどうか、ということですが、現在は、相変わらず、各種年度末の締切り、各種委員会などが重なり、多忙を極めているところですが、本日、非常に嬉しいことがありました。技術士試験の最終合格発表日が本日だったのですが、無事、合格しました。
後は登録手続きが完了すると、「技術士(建設部門)」を名乗ることができます。現時点では、技術士試験合格者であって、まだ技術士ではありません。もう少しの辛抱です。
今年6月に40歳になるので、何とか30代に滑り込むことができました。
合格発表の官報を見ていると、大学の同期であったり、知り合いの技術者の名前もちらほらある中に、私が横浜国大の時の教え子の名前も多数。同じ時期に初回合格というのは微妙な所ではありますが、彼らも頑張っているし、私も抜かれないよう、もっと頑張ろうと思いました。
他の業務も目白押しで、余り振り返る余裕はないので、とりあえず、この辺で筆を置きます。
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