今日は学生寮の宿直。以前にも書いたが、寮務主事補をしている関係上、他の先生のローテーションよりも少々多めに宿直がある。
修学旅行のような(マンガやドラマの世界か?)教員が寝ずの番で、枕投げを注意しに行くわけではない。寝るまでは、適切な時間に見回ったり、平日の多くは低学年の勉強会があるのでその指導をしたりするが、就寝以後は基本は何もない。天災や病気があれば、責任者として対応するためにいるのだろう。
PCも持ち込めばネットも完備されているので仕事はできる。テレビもある。しかし、研究室のような内線電話がかかってこないことや、通常の学生への対応がないという特徴があるので、その機会を十分に生かしたいと思っている。
学生の学習時間には、基本的に学習部屋にいるようにして、私も本や資料を持ち込んで一緒に勉強する。半分は見せることに意義があると思っている。机間巡視したり、声をかけながら、自分の勉強もする。
今日は、防災関係などの本を読むことに徹した。来週からの出張と関連するので、インプットしておかなければならない。本を読むことは、日々の生活でどうしても後回しになりがちであるが、来週の出張のための予習にもなるので、やっておかなければならない。
1年生には授業を持っていないので、寮で1年生と接することができるのは貴重な機会と思っている。今日はたまたま1年生の学習日と重なったので、久々に、長めの時間を過ごした。今日はできるだけ声をかけるように努めて、コミュニケーションを図ったつもりだ。すると、学生も声をかけてくれて、いくつか質問が出てくる。専門の質問ではなく、たわいもないこととだが、それに対しても、物事の考え方、エンジニアとしての対処の仕方、等を説明したつもりだ。彼らにどう映ったか。
こうやってブログを書いているのも普段おろそかになっていることを補うつもりであるから。
学生寮のことを言っているのではなく、教員にとっての宿直は、良い意味の「カンヅメ」のような風に捉えてみた。作家がホテルで原稿を書くような。風呂、食事、が揃って、やることさえやっておけば、外的なノイズが一切ない。出張もある意味そんな時もなくはないが、大抵は、夜の懇親会も重要で、現場系の場合は朝も早かったりで、なかなか勉強はできないので。
2014年1月20日月曜日
2014年1月18日土曜日
阪神大震災から19年
1時過ぎ、夜遅くまで仕事をしていて、気づいたら日付が変わり、1月17日。そう、阪神大震災から19年。
19年前は、高校3年生で、センター試験の翌々日でした。今と同じ高松にいて、大きな地震で飛び起きました。高松は、震源である、神戸・淡路の対岸でしたので、
この時は、既に土木の道を進むと決めていました。土木と地震の関係性は言われなくてもわかりますが、その時は受験生であったことや、思っていても行動することができない性格というか井の中の蛙でしたので、悶々としていました。
頭でわかっていても、地震の被害というのは、何かしら自分が体験していないと、なかなか日付までは心に残らないと思います。前後の記憶と結びついているからでしょう。1995.1.17は、当事者というとおこがましいけれども、少なくともその地震を感じた、ということと、その微妙な時期、ということで、特別な思いはあります。
1.17であることに気づいた時点で、午前1時半ごろになっており、それから寝ると5時46分に起きる自信がないので、早いですが、その場で、先に黙とうしました。
もう一つは、長崎県に3年間住んでいて、原爆・平和教育を受けてきたので、8.9という数字にも深い思いがあります。
そして、3.11は、東日本の人は多くが揺れを体験し、そして私は土木技術者という立場で調査にも何度も訪れたことから、言うまでもありません。
それ以外にも、数多く、刻むべき日付というのはありますが、やはりこの3つが格別です。体験している、いうのが大きいのだと思います。奥尻島の日付、スマトラ地震の日付は、申し訳ないですが、暗誦はできません。(考えているかは別として、単に日付を覚えているか、という観点)
さて、その晩に取り組んでいた仕事の内容は、以前から遅れ気味で、今かたをつけないとダラダラ過ぎてしまって致命的になるというものだったので、完全に終わるまで取り組んだら、仕事が終わったのが5:20でした。
それからラジオをつけながら帰路につき、自宅まであとちょっとというところで、5:44だったので、やむなく、車を止めて、暗い中外にでて、神戸の方向を向いて、再度黙とうしました。寒さは身に染みましたが、先ほどの暖房をつけての黙とうとは、全く違うものでした。こんな寒い中、被災された方は大変だったろう、というのを、改めて思いました。
まだ土木を学ぶ前だったので、実際に現場には踏み入れていないけれども、私の土木技術者の原点であると、改めて刻みました。
来年は阪神大震災から20年です。そして、来年に私の研究室に配属されて、卒業研究をする学生は、20歳になる学生ですがら、あの前後に生まれた子供を教えることになります。
2014年1月15日水曜日
飴と鞭
図書館に行かなくなって久しかった。研究に関する本は(研究費で)購入する必要があるし、自己啓発や歴史小説も、結局書き込んだり、手元に置いておきたいので購入が必要と考えて。でもお金は限られるので、全部書籍につぎ込むわけにもいかないが・・・。読書量が少ない裏返しか。
瀬戸内の島、豊島(てしま)について前から気になっていて、今年度に何かアクションを起こそうと考えている。 賀川豊彦が関わっていると断片的に聞いていたものの、賀川豊彦とはだれ、ということで本を読んで勉強することにした。大正・昭和時代、福祉や労働者階級の自立のため、生活協同組合など、色々なことを創設した方である。数年間、ノーベル平和賞候補にもなっていたという。
調べものという読書なので、目的は決まっていたのでamazonで見繕って買おうと思ったら、絶版。コレクター向け価格はバカらしいと感じて、市立図書館には在庫があることがわかり、行くことにした。
上の子が小学校1年ということで、図書館に行って楽しめる年になってきたので、冬休みから行くようになっていて、今回が2回目。子供を連れて行くとそちらがメインで、今回は自分の本をぶらぶらと探すことはできなかったが、とりあえず目的のものは借りることができた。開架しておらず書庫にあった。
さて本題。
新規で「図書館カード」を作ろうとしたら、以前利用されたことありますか、と。そういえば、18年前は高校生で、確かにカードは持っていた。高校卒業で横浜に出ると同時に、実家は転勤で香川に家は無いので、その後香川に帰ることなんて考えたこともなく、カードは即廃棄。存在すら忘れていた。質問にはyesと答える。
すると機械的に、私は紛失の手続きを取ることとなった。発行されたのは、1枚の紙。すなわち、こう。
『カードを紛失した人は、 1か月間は自力で探してください。そして1か月見つからなかったら、新しいカードを発行します。この1枚の紙が仮のカードで、これがあればカード代わりで本を借りることができます。』
私の場合、19年前に自らの意志で捨てたんですけどと言ってももちろん通じない。
でも、なるほど、よく考えたシステムである。図書カードを本当になくすというシチュエーションは少ない。行方不明なだけである。または、明らかに家の机の上においているのを認識しつつも、取りに帰るのは面倒でそ知らぬふりをして再発行する人は多いだろう。図書館のカードは、無料で発行できるのが普通なので、そうやって安易に作る人の数は集めると多数に上るのだろう。それを防ぐシステムなのだろうか。感心してしまった。
転職で18年ぶりにUターンしても、カード紛失扱いというのは、間違いではないので、まあいいだろう。
適切にインセンティブを設けることで、誘導する、というシステムは私は好きだ。今回の図書館の場合、ペナルティ的な性格なので、「ディスインセンティブ」の方が正しいかもしれないが、両方を含んでの概念が、好きだ。そのためには、人間学的にシステムが考え抜かれていなければならないが。このアイデアはもらった。
+++++++++
インセンティブということで。ある大学で、学生の健康診断の診断書の結果配布が変だなぁと思っていた。たしか今は改善していたような。
1万人単位の学生が4月に一斉に健康診断をする。→ 結果は1年生から4年生まで一律に配布をするのだが、多数なので時間がかかる。作業の余裕を見て、配布日がやたら遅い。 → 就職活動中の学生は会社から求められて、どうしても今欲しい学生も、杓子定規にその日までもらえない。 → 仕方がないので民間の病院で健康診断を受けて数千円払う。
多数の学生は大して急いで結果が欲しいわけではないのに、一律ということで、すぐに欲しい人の希望に応えられない。
似たようなことが、宅配便の世界に生じていると思っている。
どれだけの人間が、配達時間指定をしたいのだろうか。 実際の現場での受付窓口では、時間指定をすることを必ずと言っていいほど尋ねられる。「とりあえず」指定する人がどれだけ多いことか。
企業あてに送る場合、時間指定する必要のないことが多い。
とりあえず適当にマルつけられることで、本来時間指定を望む人が影響を受ける。こういうと、民間会社が営業努力でやっているのだからいいだろう、という人がいるが、巡り巡って、その無駄なコストは、料金に跳ね返っている。
私は、時間指定料金をプラスすれば、または、時間無指定を若干安くすれば、と思っている。そうすれば、無駄なとりあえず時間指定は減るはずだ。
利用する私も、実は困ることがある。会社の営業時間内に送っておきたい荷物であったり、特に、財団への研究助成の応募など、締切日必着の場合、少なくとも宅配便や郵便を受け取ってもらえなければ必着を満たしたことにはならない。宅配便会社を利用するかどうかは、こちら側の問題なので。そう考えると、遅くとも14-16時にはマルを付けていなければならない。でも、 なるべく早くの方が何となく安心、ということで、10-12時にマルをつけることとなる。心情としては17時までに配達さえしてくれればいつでもいいよ、ということなのに。
配達の現場の実状はわかっている。企業向けであれば、時間指定なしの荷物を、わざわざ窓口が閉まって社員がいない会社に、20時に届ける配達員は通常であればないだろう。1回はともかく、そんなことを繰り返したら、その会社から信用を失う。だから、時間指定なしにしていても、配達日指定になってさえいれば、通常は営業時間内に配達してくれる。でも、それを信じるには、リスクが残る。
私はやっぱり欲しい、「〇時までに配達」、という欄を。結局配達する人は人間なので、その人間を信じて、空欄にその旨コメントを書いたり、10時~16時までの時間帯指定を、全てマルをつけるようにしている。コンピュータで扱うので、データ登録の際には無視されているかもしれないが。
サービスにはコストがかかっている、ということと、インセンティブを与えて誘導する方法。
追伸:
あそこはあくまで品名欄であって、配達員への手紙ではない、という指摘もわかる。仮に、品名が、≪香川県名物「17時までに配達」まんじゅう≫や≪山田花子デビュー曲「配達は18時までに」のCD≫である可能性もゼロではないので、どこまで配達員さんが、コメントとして読んでくれるかどうかも不明である。
瀬戸内の島、豊島(てしま)について前から気になっていて、今年度に何かアクションを起こそうと考えている。 賀川豊彦が関わっていると断片的に聞いていたものの、賀川豊彦とはだれ、ということで本を読んで勉強することにした。大正・昭和時代、福祉や労働者階級の自立のため、生活協同組合など、色々なことを創設した方である。数年間、ノーベル平和賞候補にもなっていたという。
調べものという読書なので、目的は決まっていたのでamazonで見繕って買おうと思ったら、絶版。コレクター向け価格はバカらしいと感じて、市立図書館には在庫があることがわかり、行くことにした。
上の子が小学校1年ということで、図書館に行って楽しめる年になってきたので、冬休みから行くようになっていて、今回が2回目。子供を連れて行くとそちらがメインで、今回は自分の本をぶらぶらと探すことはできなかったが、とりあえず目的のものは借りることができた。開架しておらず書庫にあった。
さて本題。
新規で「図書館カード」を作ろうとしたら、以前利用されたことありますか、と。そういえば、18年前は高校生で、確かにカードは持っていた。高校卒業で横浜に出ると同時に、実家は転勤で香川に家は無いので、その後香川に帰ることなんて考えたこともなく、カードは即廃棄。存在すら忘れていた。質問にはyesと答える。
すると機械的に、私は紛失の手続きを取ることとなった。発行されたのは、1枚の紙。すなわち、こう。
『カードを紛失した人は、 1か月間は自力で探してください。そして1か月見つからなかったら、新しいカードを発行します。この1枚の紙が仮のカードで、これがあればカード代わりで本を借りることができます。』
私の場合、19年前に自らの意志で捨てたんですけどと言ってももちろん通じない。
でも、なるほど、よく考えたシステムである。図書カードを本当になくすというシチュエーションは少ない。行方不明なだけである。または、明らかに家の机の上においているのを認識しつつも、取りに帰るのは面倒でそ知らぬふりをして再発行する人は多いだろう。図書館のカードは、無料で発行できるのが普通なので、そうやって安易に作る人の数は集めると多数に上るのだろう。それを防ぐシステムなのだろうか。感心してしまった。
転職で18年ぶりにUターンしても、カード紛失扱いというのは、間違いではないので、まあいいだろう。
適切にインセンティブを設けることで、誘導する、というシステムは私は好きだ。今回の図書館の場合、ペナルティ的な性格なので、「ディスインセンティブ」の方が正しいかもしれないが、両方を含んでの概念が、好きだ。そのためには、人間学的にシステムが考え抜かれていなければならないが。このアイデアはもらった。
+++++++++
インセンティブということで。ある大学で、学生の健康診断の診断書の結果配布が変だなぁと思っていた。たしか今は改善していたような。
1万人単位の学生が4月に一斉に健康診断をする。→ 結果は1年生から4年生まで一律に配布をするのだが、多数なので時間がかかる。作業の余裕を見て、配布日がやたら遅い。 → 就職活動中の学生は会社から求められて、どうしても今欲しい学生も、杓子定規にその日までもらえない。 → 仕方がないので民間の病院で健康診断を受けて数千円払う。
多数の学生は大して急いで結果が欲しいわけではないのに、一律ということで、すぐに欲しい人の希望に応えられない。
似たようなことが、宅配便の世界に生じていると思っている。
どれだけの人間が、配達時間指定をしたいのだろうか。 実際の現場での受付窓口では、時間指定をすることを必ずと言っていいほど尋ねられる。「とりあえず」指定する人がどれだけ多いことか。
企業あてに送る場合、時間指定する必要のないことが多い。
とりあえず適当にマルつけられることで、本来時間指定を望む人が影響を受ける。こういうと、民間会社が営業努力でやっているのだからいいだろう、という人がいるが、巡り巡って、その無駄なコストは、料金に跳ね返っている。
私は、時間指定料金をプラスすれば、または、時間無指定を若干安くすれば、と思っている。そうすれば、無駄なとりあえず時間指定は減るはずだ。
利用する私も、実は困ることがある。会社の営業時間内に送っておきたい荷物であったり、特に、財団への研究助成の応募など、締切日必着の場合、少なくとも宅配便や郵便を受け取ってもらえなければ必着を満たしたことにはならない。宅配便会社を利用するかどうかは、こちら側の問題なので。そう考えると、遅くとも14-16時にはマルを付けていなければならない。でも、 なるべく早くの方が何となく安心、ということで、10-12時にマルをつけることとなる。心情としては17時までに配達さえしてくれればいつでもいいよ、ということなのに。
配達の現場の実状はわかっている。企業向けであれば、時間指定なしの荷物を、わざわざ窓口が閉まって社員がいない会社に、20時に届ける配達員は通常であればないだろう。1回はともかく、そんなことを繰り返したら、その会社から信用を失う。だから、時間指定なしにしていても、配達日指定になってさえいれば、通常は営業時間内に配達してくれる。でも、それを信じるには、リスクが残る。
私はやっぱり欲しい、「〇時までに配達」、という欄を。結局配達する人は人間なので、その人間を信じて、空欄にその旨コメントを書いたり、10時~16時までの時間帯指定を、全てマルをつけるようにしている。コンピュータで扱うので、データ登録の際には無視されているかもしれないが。
サービスにはコストがかかっている、ということと、インセンティブを与えて誘導する方法。
追伸:
あそこはあくまで品名欄であって、配達員への手紙ではない、という指摘もわかる。仮に、品名が、≪香川県名物「17時までに配達」まんじゅう≫や≪山田花子デビュー曲「配達は18時までに」のCD≫である可能性もゼロではないので、どこまで配達員さんが、コメントとして読んでくれるかどうかも不明である。
2014年1月14日火曜日
年中行事
本日17時は、日本コンクリート工学会年次大会の論文投稿締切りで、今頃、日本中の技術者は安堵しているのではないでしょうか。
今年も共著者の後押しもあって、何とか筆頭で投稿しました。最終的には採用の合否の判断を待たなければならないですが、とりあえず、ホッとしています。
ただし、指導する学生の研究に関しては、論文どころかまだ実験の途中なので、ゴールを本日に持ってこれなかったことは、まだまだ課題です。秋、もとい冬からコンクリートを練り始めて、今は(短期的にですが)周囲に負けないぐらいのコンクリート練りのスキルは持っているとは思うけれども、やっぱりこれは夏には終えたいところ。
今年は、高専に赴任して研究室を立ち上げ、実際の研究のスタートは大幅に遅れたので、仕方がないですが、言い訳をせずにペースを作れるかが、今年の課題です。もう1月ですから来年度の計画もボチボチ考え始めます。
他、 研究助成金の応募書類をだし、何とか、目の前にぶら下がっていた短期の締切りを脱しました。これも、機関の異なる三者の共同で申請するもののヘッドなので、年末から何度もやり取りしながら、何とか完成度を高めることができました。前職の横浜国大ではないところとの共同申請を赴任1年目に複数出せたのは、良かったと思います。これも出し続けること、に尽きます。
5年ぐらい前だったか、「時間ができたら〇〇しよう、と決意しても、その時間は一生訪れない」というような内容を読んで、衝撃を受けましたが、それを意識してから、今日までの5年間、空いた時間というのは1日たりとも無かったように思います。やっぱりその記述に間違いはなかったです。やるべきことを多数抱えながら、悶々と過ごしたことは幾度となくありましたが、時間が余ったという感覚は全くありませんでした。
これは、別に悪い意味ではなく、世の中というものはそれが正解で、その中でやるべきことをいつやるか、というスケジューリングの問題です。
幸い、昨年の赴任時からやりたかったことが、年末からとんとんと進み、月末から実際に始まりそうです。もちろん大変になることは確かですが、ここ数年間の私のライフワークになるかもしれません。これまでやってきた研究活動に続き、残りの30歳台最後2年半の集大成になればよいと思っています。そのためには、休むことなく、残された時間を有効に使って、準備をしなければなりません。JCIの締切りを気持ちよく迎えられたのは、次へのステップへの励みになります。世の中は、うまくできているものですね。
書きたいことは山ほどあるけれども、取り留めもなくなりそうなので、やめます。12月の頭から走ってきたのは一段落して、このブログを書いて、新たに走り始めました。ということで、JCIの年次論文は、我々研究者にとって、ちょうど良い時期のマイルストーンであることは確かです。初めて投稿したのが大学院1年生の時。高熱を出し、昼間、研究室で仮眠をとりながら仕上げた覚えがあります。出せなかった年もありますが、やっぱり悔しさで悶々としていました。
ただ年々執筆タイミングが遅れて突貫工事になっているのは確かで、これはしっぺ返しを食らうはずと自責の念を込めて、刻んでおきます。
JCI年次大会は今年は「高松」。3日間の大会は、全国から1000人規模の研究者が訪れます。そして、全体懇親会は、300人規模の大きなもの。なんと、私が全体懇親会の司会を担当することになりました。これは緊張で酒は飲めないぐらい、私にとって大役です。他にも適任がいらっしゃいますが、一応地元香川県内で、となると、他の先生方は、別の本体のお仕事で手一杯。若造ができるのも、これも地方にいることのメリットと捉え、頑張ります。
今年も共著者の後押しもあって、何とか筆頭で投稿しました。最終的には採用の合否の判断を待たなければならないですが、とりあえず、ホッとしています。
ただし、指導する学生の研究に関しては、論文どころかまだ実験の途中なので、ゴールを本日に持ってこれなかったことは、まだまだ課題です。秋、もとい冬からコンクリートを練り始めて、今は(短期的にですが)周囲に負けないぐらいのコンクリート練りのスキルは持っているとは思うけれども、やっぱりこれは夏には終えたいところ。
今年は、高専に赴任して研究室を立ち上げ、実際の研究のスタートは大幅に遅れたので、仕方がないですが、言い訳をせずにペースを作れるかが、今年の課題です。もう1月ですから来年度の計画もボチボチ考え始めます。
他、 研究助成金の応募書類をだし、何とか、目の前にぶら下がっていた短期の締切りを脱しました。これも、機関の異なる三者の共同で申請するもののヘッドなので、年末から何度もやり取りしながら、何とか完成度を高めることができました。前職の横浜国大ではないところとの共同申請を赴任1年目に複数出せたのは、良かったと思います。これも出し続けること、に尽きます。
5年ぐらい前だったか、「時間ができたら〇〇しよう、と決意しても、その時間は一生訪れない」というような内容を読んで、衝撃を受けましたが、それを意識してから、今日までの5年間、空いた時間というのは1日たりとも無かったように思います。やっぱりその記述に間違いはなかったです。やるべきことを多数抱えながら、悶々と過ごしたことは幾度となくありましたが、時間が余ったという感覚は全くありませんでした。
これは、別に悪い意味ではなく、世の中というものはそれが正解で、その中でやるべきことをいつやるか、というスケジューリングの問題です。
幸い、昨年の赴任時からやりたかったことが、年末からとんとんと進み、月末から実際に始まりそうです。もちろん大変になることは確かですが、ここ数年間の私のライフワークになるかもしれません。これまでやってきた研究活動に続き、残りの30歳台最後2年半の集大成になればよいと思っています。そのためには、休むことなく、残された時間を有効に使って、準備をしなければなりません。JCIの締切りを気持ちよく迎えられたのは、次へのステップへの励みになります。世の中は、うまくできているものですね。
書きたいことは山ほどあるけれども、取り留めもなくなりそうなので、やめます。12月の頭から走ってきたのは一段落して、このブログを書いて、新たに走り始めました。ということで、JCIの年次論文は、我々研究者にとって、ちょうど良い時期のマイルストーンであることは確かです。初めて投稿したのが大学院1年生の時。高熱を出し、昼間、研究室で仮眠をとりながら仕上げた覚えがあります。出せなかった年もありますが、やっぱり悔しさで悶々としていました。
ただ年々執筆タイミングが遅れて突貫工事になっているのは確かで、これはしっぺ返しを食らうはずと自責の念を込めて、刻んでおきます。
JCI年次大会は今年は「高松」。3日間の大会は、全国から1000人規模の研究者が訪れます。そして、全体懇親会は、300人規模の大きなもの。なんと、私が全体懇親会の司会を担当することになりました。これは緊張で酒は飲めないぐらい、私にとって大役です。他にも適任がいらっしゃいますが、一応地元香川県内で、となると、他の先生方は、別の本体のお仕事で手一杯。若造ができるのも、これも地方にいることのメリットと捉え、頑張ります。
2014年1月4日土曜日
新年の挨拶に代えて
あけましておめでとうございます。
昨年、妻方の祖母を亡くしたため、喪中につき年賀状は失礼いたしました。
正直なところ、毎年、年賀状を出すのは年末ぎりぎりになって、忙しい時期と重なって負担になっていたことは確かで、年賀状を出すこと自体は嫌ではないのに、自分の仕事の進め方をぼやくという悪循環になっていました。今年は結果として、11月中に喪中ハガキを出して、年賀状から解放されたことで安堵感を覚えた自分が情けなかったのですが、改めて仕事の進め方について考えさせられました。
12月は高専に赴任してからもっとも忙しい時期だったと思います。岩手県の田老のあるトンネルの建設プロジェクトの品質確保に関わることになり、現場へ行ったことから始まり、卒論生のコンクリート打込みが立て続け、心身ともに疲労困憊でした。大変だったのは、担当学生が一番だったのでしょうが。昨年に引き続き、新年も明日から打ち込みが始まります。
普段ストレッチや筋トレでメンテナンスをしていた「つもり」の腰も悲鳴を上げ、12/20に久しぶりに痛めました。実際には、こうやって忙しくなってくると、気付いたら体のメンテがおろそかになっており、そのツケを払っただけでした。ここでも、仕事の進め方が悪い、としか言いようがありません。自分の体は一つしかなく、体のメンテナンスも含めて付き合っていかなければなりません。自分の中での優先順位を見誤り、単に貯金を切り崩していたのです。
もうひとつ。研究室も閉めた後の冬休みの期間中ですが、じんましんが出るようになり、同時に体もだるくなって、日中は何とか子供たちと過ごしているのですが、夕方以降パワーがなくなり、研究や仕事について、何もできなくなっていました。まるで花粉症の時期のようなだるさでした。実際そうで、アレルギー体質の私の体が、この時期に活発になっていたようです。かかりつけ医が正月休み明けになり、今朝になって診てもらったところ、やっぱりそうだということで、いつもよりも強めのアレルギーの薬を処方され、だるさはピタッと収まりました。いろいろやることをリストアップして臨んだ正月休みと重なって、何もできなかったのは残念でしたが、これも自分として、付き合っていくしかありません。でも、原因が分かったのは本当に嬉しく、これもポジティブに考えるしかありません。
自分の体もマネジメントできないようでは、研究も教育も自己研さんもできませんね。
研究室内の研究指導、指示にしても、色々と身に染みました。前任校の大学では、助手という立場だったので、上には先生もいるし、という中では、いろんな意見が飛び交い、私の指示が不完全でも結果として知らないところで助けられたりして、うまく回っていることが多かったように思います。研究室の中では私がトップで、私しかいないという環境は、私がいった事が全てになります。行き違いで生じたミスも多数あったのは事実です。学生の年齢、環境、等大きく違いますが、そのような外的要因の違いにのみに求めるのではなく、やはり私がどうやって指示を出すか、そして研究室の土壌を作り出すかが、常に問われています。
新年を迎えるにあたって、大前研一氏の「決意を新たにしたところで何も変わらない(一番やってはいけないこと)」、ということで、改善のためには、「第一に時間配分の変更」、という記述を読みました。これは、「七つの習慣」でも、他のマネジメントの本でも言われていることですね。私が上に書いたすべてに当てはまります。普段は心がけている(「つもり」だけかもしれないが)が、忙しくなってくると忙しさにかまけてそれが実現できていない。まだまだあまちゃんです。 あまちゃんは2013年で終わりのはず。
今年は頑張りません。あきらめたのではなく、精神論では何も解決しないので、頑張りますをスローガンにはしません、という意味です。まずは具体的なアクションを起こすことから。
昨年、妻方の祖母を亡くしたため、喪中につき年賀状は失礼いたしました。
正直なところ、毎年、年賀状を出すのは年末ぎりぎりになって、忙しい時期と重なって負担になっていたことは確かで、年賀状を出すこと自体は嫌ではないのに、自分の仕事の進め方をぼやくという悪循環になっていました。今年は結果として、11月中に喪中ハガキを出して、年賀状から解放されたことで安堵感を覚えた自分が情けなかったのですが、改めて仕事の進め方について考えさせられました。
12月は高専に赴任してからもっとも忙しい時期だったと思います。岩手県の田老のあるトンネルの建設プロジェクトの品質確保に関わることになり、現場へ行ったことから始まり、卒論生のコンクリート打込みが立て続け、心身ともに疲労困憊でした。大変だったのは、担当学生が一番だったのでしょうが。昨年に引き続き、新年も明日から打ち込みが始まります。
普段ストレッチや筋トレでメンテナンスをしていた「つもり」の腰も悲鳴を上げ、12/20に久しぶりに痛めました。実際には、こうやって忙しくなってくると、気付いたら体のメンテがおろそかになっており、そのツケを払っただけでした。ここでも、仕事の進め方が悪い、としか言いようがありません。自分の体は一つしかなく、体のメンテナンスも含めて付き合っていかなければなりません。自分の中での優先順位を見誤り、単に貯金を切り崩していたのです。
もうひとつ。研究室も閉めた後の冬休みの期間中ですが、じんましんが出るようになり、同時に体もだるくなって、日中は何とか子供たちと過ごしているのですが、夕方以降パワーがなくなり、研究や仕事について、何もできなくなっていました。まるで花粉症の時期のようなだるさでした。実際そうで、アレルギー体質の私の体が、この時期に活発になっていたようです。かかりつけ医が正月休み明けになり、今朝になって診てもらったところ、やっぱりそうだということで、いつもよりも強めのアレルギーの薬を処方され、だるさはピタッと収まりました。いろいろやることをリストアップして臨んだ正月休みと重なって、何もできなかったのは残念でしたが、これも自分として、付き合っていくしかありません。でも、原因が分かったのは本当に嬉しく、これもポジティブに考えるしかありません。
自分の体もマネジメントできないようでは、研究も教育も自己研さんもできませんね。
研究室内の研究指導、指示にしても、色々と身に染みました。前任校の大学では、助手という立場だったので、上には先生もいるし、という中では、いろんな意見が飛び交い、私の指示が不完全でも結果として知らないところで助けられたりして、うまく回っていることが多かったように思います。研究室の中では私がトップで、私しかいないという環境は、私がいった事が全てになります。行き違いで生じたミスも多数あったのは事実です。学生の年齢、環境、等大きく違いますが、そのような外的要因の違いにのみに求めるのではなく、やはり私がどうやって指示を出すか、そして研究室の土壌を作り出すかが、常に問われています。
新年を迎えるにあたって、大前研一氏の「決意を新たにしたところで何も変わらない(一番やってはいけないこと)」、ということで、改善のためには、「第一に時間配分の変更」、という記述を読みました。これは、「七つの習慣」でも、他のマネジメントの本でも言われていることですね。私が上に書いたすべてに当てはまります。普段は心がけている(「つもり」だけかもしれないが)が、忙しくなってくると忙しさにかまけてそれが実現できていない。まだまだあまちゃんです。 あまちゃんは2013年で終わりのはず。
今年は頑張りません。あきらめたのではなく、精神論では何も解決しないので、頑張りますをスローガンにはしません、という意味です。まずは具体的なアクションを起こすことから。
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