1時過ぎ、夜遅くまで仕事をしていて、気づいたら日付が変わり、1月17日。そう、阪神大震災から19年。
19年前は、高校3年生で、センター試験の翌々日でした。今と同じ高松にいて、大きな地震で飛び起きました。高松は、震源である、神戸・淡路の対岸でしたので、
この時は、既に土木の道を進むと決めていました。土木と地震の関係性は言われなくてもわかりますが、その時は受験生であったことや、思っていても行動することができない性格というか井の中の蛙でしたので、悶々としていました。
頭でわかっていても、地震の被害というのは、何かしら自分が体験していないと、なかなか日付までは心に残らないと思います。前後の記憶と結びついているからでしょう。1995.1.17は、当事者というとおこがましいけれども、少なくともその地震を感じた、ということと、その微妙な時期、ということで、特別な思いはあります。
1.17であることに気づいた時点で、午前1時半ごろになっており、それから寝ると5時46分に起きる自信がないので、早いですが、その場で、先に黙とうしました。
もう一つは、長崎県に3年間住んでいて、原爆・平和教育を受けてきたので、8.9という数字にも深い思いがあります。
そして、3.11は、東日本の人は多くが揺れを体験し、そして私は土木技術者という立場で調査にも何度も訪れたことから、言うまでもありません。
それ以外にも、数多く、刻むべき日付というのはありますが、やはりこの3つが格別です。体験している、いうのが大きいのだと思います。奥尻島の日付、スマトラ地震の日付は、申し訳ないですが、暗誦はできません。(考えているかは別として、単に日付を覚えているか、という観点)
さて、その晩に取り組んでいた仕事の内容は、以前から遅れ気味で、今かたをつけないとダラダラ過ぎてしまって致命的になるというものだったので、完全に終わるまで取り組んだら、仕事が終わったのが5:20でした。
それからラジオをつけながら帰路につき、自宅まであとちょっとというところで、5:44だったので、やむなく、車を止めて、暗い中外にでて、神戸の方向を向いて、再度黙とうしました。寒さは身に染みましたが、先ほどの暖房をつけての黙とうとは、全く違うものでした。こんな寒い中、被災された方は大変だったろう、というのを、改めて思いました。
まだ土木を学ぶ前だったので、実際に現場には踏み入れていないけれども、私の土木技術者の原点であると、改めて刻みました。
来年は阪神大震災から20年です。そして、来年に私の研究室に配属されて、卒業研究をする学生は、20歳になる学生ですがら、あの前後に生まれた子供を教えることになります。
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