2015年7月11日土曜日

ヨット部活動、バッテリー周りの修理

本日の練習は、国体予選(成年および少年女子)の大会運営補助だったため、学生が6名ほどお手伝い。高専の救助艇は出さないことから、先日バッテリー端子の緩みのあったバッテリー周りの配線のメンテナンスをすることになった。

私は2級電気工事士をもっているものの、エンジンのバッテリー周りはあまり詳しくないので、材質などは顧問間で打ち合わせしたり、事前に機械系の学科の先生に聞いたりして準備完了。


配線について、今後のために記録しておく。





エンジンルームの状況。
若干漏れた油がたまるなど、雑然とした印象。

バッテリーの充電は問題ないものの、端子が蝶ボルトで接続されているため、強く締めることができず、たまに端子が緩む自体に。そうすると、その部位での抵抗が大きくなるためか、エンジンの始動の電流が足りなくなるようで、エンジンが始動できないことがしょっちゅう起こっていた。

前回は、普段トラブルに遭遇しないメンバーが、大会運営補助の朝に始動しない状況になったものの、私に電話があり、過去に端子が緩むことを告げて解決した。部内の情報共有も大事であるが、大会運営の際に連盟に貸与することもあることから、常時安定して起動できる必要があった。

よって今回の主体は、バッテリーの接続が緩まないようにメンテナンスすることにある。



これが、現況。銅もしくは銅メッキの端子。表面が酸化している。バッテリーは交換しても、端子はそのまま使い続けられているようで、締めるボルトも若干ねじ山が丸くなっていたので、今後のために交換することとした。

最終的には、ホームセンターで手に入る一般的な端子とした。

亜鉛合金、真鍮メッキのものであった。


まず、古い端子を外した後、バッテリー自体の端子を、耐水ペーパー(細かい紙やすり)で磨いて表面の酸化膜を除去。


端子を新しいものに交換。

元々、付属の蝶ボルトであるが、蝶ボルトは締め付けの管理が難しいことから、六角ボルトとする。

ステンレス、M10の六角ボルト、およびスプリングワッシャ、とした。



このような狭い中での作業。

バッテリーを置くための台は、木製。FRPにビスで固定されているが、この木板が腐食してしまっていたので、新しく作り直すことに。




このように外す作業も一苦労。


プラス12Vの端子には、端子のオプションの接触・感電防止のカバーをつける。よく見ると、既存の状態もカバーは付属していたが、硬化して脱落していた。


これが外した端子の状況。緑青も出ている。酸化膜を除去すれば再度使えるかもしれないが、数百円なので今回は交換。


作業中の様子。

このように、既存のものと同じ寸法で木材で台も作り直し。


このように、ほぼぴったり。

この木の台を、エンジンルームの床にビスで固定する。ビス位置は、古いものから穴の位置を写し取って、同じ位置にビス留め。


ケーブル側の圧着端子も表面に酸化膜が生じている。こちらの交換は用意していないので、これも耐水ペーパーでこすって新しい面を出す。


このような感じで、ボルト、緩み止めのためのスプリングワッシャ、を入れる。


スパナで締める。モンキレンチだとボルトの角をなめるので、適切なスパナを使う。これと同じ径のスパナも、救助艇の緊急部品用具入れに常備するようにした。


プラス端子の締め付け完了。


このように、プラス端子には接触防止のカバーもつけ、反対側のマイナス端子も接続完了。カバーをつけずに、マイナス側をスパナで締めるのは、短絡(ショート)の恐れがあるので、行わないこと。(なければ、乾いた布で覆うなどする)

ナイフスイッチも、金属を磨いて地金を出す。


エンジンのオイルまみれで、手が真っ黒。


このように作業完了。従事時間は、3時間強。


救助艇マゼランの全景。


2018/8/25(追記)
購入から6年程度が経過したこのバッテリーだが、起動しなくなった。現場でのテスターでは0.1Vとの報告である。
ガソリンスタンドで点検してもらった結果、液面が低下しているが、濃度は十分という。当初は充電も検討したが、6年経過も考慮して、購入した。型番は、130F51である。たまたまスタンドに在庫が有り、19000円+税であった。
トラック用の容量のため、市内のカー用品店では在庫はなかったが、たまたまハーバー近くの出光のスタンドでは在庫があった。
最近、マゼランのセルのかかりが悪く、エンジンを吹かしながらかけていたが、それが不要になりすぐにかかるようになった。

2015年7月5日日曜日

スーツケースに対するニーズ

12月に購入したスーツケース(正確には、ソフトキャリー)が壊れたのは2回目。

購入価格1万円程度のもので、激安(5000円)ではないが、高級品(ソフトなら、高価なものは3万円程度)でもない。激安を買わなかったのは、ちょっとした使い勝手であるが、名の通ったメーカーであれば修理体制もしっかりしているかな、というのもあった。

1回目は、購入後1ヶ月程度で、2回目の使用の際に、ハンドルの動きが悪くなったもの。明らかに初期不良だと思いつつ、購入店(高松市内の大きなモール)へ。

私「初期不良でしょうか」
店員「本製品はメーカーの保証期間というものはありません。メーカーが判断して、無償の場合と有償の場合があります」

店員「お急ぎですか」
私「スーツケースは予備は持たないので、これしかなくて困っています。急ぎです。」
私「修理期間の代替品はありませんか」
店員「そのようなサービスはありません」

結局、初期不良扱いで、無償修理だった。

2回目は、この間の7月の出張時。タイヤの軸が曲がったようで、タイヤがスムーズに動かない。ブレーキがかかったような感じで、歩くたびに、筋力がつきそうな野球部の重いコンダラ状態。

再度店舗へ。

(本日、上記の問答の繰返し)


さて、どうなることやら。書籍を入れると重くなって、動的な影響も含めて曲がったのであろうが、私にとっては、それが通常の使い方なので、しょうがない。この際、有償でも無償でもどっちでも良いことである。それが論点ではない。


もし仮にこれが車だったらどうだろうか。多くの場合、ディーラーに修理に出せば、代車というサービスがあり得るし、それを期待することはおかしなことではない。車がなかったら困るわけで。修理の事由によっては代車が無償や有償であり得るだろうが、それは仕方がない。


では、今回のスーツケースの場合はどうだろうか。

スーツケースにたいして、予備を持っている人は普通は居ないだろう。私は大小もっているが、同容量は1つのみ。同居人が同じようなものを持っている、というのはあるだろうが。

故障はたまにしかないけれど、使いたいときにないと困る。ユーザーの私としては、是非、店舗に対して、オーソドックスなもので良いので、修理代替品を用意して戴きたい。店舗内に、様々なメーカーやサイズ、色のラインナップまで自由に展示しているので、そこから数個だけそういう代替品を作ったとしても、十分ペイできるのではないだろうか。


そういうサービスをしていない、というのはわかるが、そもそも、客(少なくとも私)は、スーツケースを買うことが真の目的ではなく、必要なときにスーツケースが利用できることに対して価値を見いだしてお金を払っている。よって、それが、メーカーの理由、私の理由に関わらず、使えなくなる状態が続くのは、困る。困ることに対しては、コストを負担する覚悟はある。


最近、Appleが、音楽定額制サービスを始めた。携帯電話も今や通話料金やパケット定額、というのが主流である。あれだけ携帯電話通話料金は高いんだ、と10年以上言ってきた携帯キャリアが、手のひらを返したように定額通話を始めたのにはたまげたが、そもそも結局はサービスに対して対価を払うのであり、スーツケースも、そのように考えても良いかもしれない。

プリンターも、そういうところがある。メーカー純正品の消耗品を購入してもらうための囲い込みであるが、ユーザー登録すると、修理は無料というのもある。研究室で購入した、OKIのレーザープリンターがそうであった。

よく考えると、服のサイズがSでもLLでも通常は価格が一緒だし、飛行機も、高速道路も。ライス大盛り無料の店もある。そもそもビュッフェ形式も。ホテル料金は日本(人数に対してチャージ)、海外(部屋に対してチャージ)とでは扱いが異なるが、もっと海外旅行客を受け入れてくると変わるのだろうか。



関連してもう一つ思うこと。家庭で困るのは、家電が急に故障すること。特に困るのが、夏の時期のエアコンの故障。なぜかというと、通常の販売店では、夏はエアコンの販売のかき入れ時で、申し込んでから工事まで1週間待ち、等を聞いたことがある。もしその時期に壊れたら、リスクが高い。工事の予約順位は、通常はお金では買えないので。

提案する。メーカーが顧客を囲みたかったら、例えば故障に伴う、同メーカー品への買い換えは、優先的に工事を回してもらう、というサービスはできないだろうか。

メーカーでなくても、販売店(○○電気)単位で実施することは可能かもしれないし、その方が、継続的に買ってもらえるから良いのだろうか。詳細まではわからない。



そもそも、上記のことを突き詰めると、販売よりも、リースという概念になるだろう。修理代替品を提供する、買い換え時に便宜を図る、というのは、「リース」と「(これまでの)買い取り」の中間に位置するだろう。定額サービスのように、今後、サービスに対する対価を払う、という風に全体的にシフトしていくのであろうか。

2015年6月30日火曜日

東京出張

7月には、東京出張が4回控えています。授業は正規の手続きで授業変更を繰返し、変則的ですが廻っています。

私がいないと卒研の指導などがどうしても削られてしまうため、そうならないようにタフな人材を育てなければなりません。研究が現場とリンクしているので、できるだけ学生も連れて行って、先方との折衝の姿を見せるようにしています。

学生に現場で考えさせることも、以前と比べて重視することにしています。機会が人を育てると教わってきたので、まさにそう思います。


高松からは遠方ということもあり、東京出張の際には、できるだけ複数の業務を入れるようにしています。

7月1回目の時には、東京での学術委員会と栃木での講演があります。
http://www.tochigictc.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2015/05/H27-A-08-%E5%AE%9F%E6%96%BD%E8%A6%81%E9%A0%98%EF%BD%BA%EF%BE%9D%EF%BD%B8%EF%BE%98%EF%BD%B0%EF%BE%84%E5%9F%BA%E7%A4%8E.pdf


7月2回目出張の時には、昨年度採択された研究助成金の報告会があります。発表件数もあるので、プチ学会発表・シンポジウムのような感じです。港湾といっても、様々なジャンルの研究者の発表になるため、普段参加する学会の同一セッションには収まらない内容なので、普段は聞けない他の発表者の聴講も楽しんできたいと思います。成果報告会なので、技術的内容の他に、その研究者の流儀などエッセンスも吸収できれば良いなと思います。
http://www.scopenet.or.jp/main/course/html_KH27.html


メッセージ性の薄いブログ書き込みではありますが、私の家族など、近況を楽しみにしてくれている人も読んでいるので、ということを言い訳にして、書かないよりか書き込んでおくようにします。
















2015年6月16日火曜日

涙腺が緩いのは、だいぶ前からですが。


先週の山口出張は、沖縄の技術者との現場調査と会議でしたが、飲み会のお話の中で、沖縄県での離島架橋の工事の話をお聞きしました。マスコミ向けのオフィシャルな開通式ではなく、それが終わったあとに、地元のからから感謝されたことで、その場にいた技術者が感動して涙した、という話を飲み会の場で聞いて、私も涙してしまいました。その方の話しっぷりと、想像力だけで。

最近でこそ、災害に強い国を作るための土木ということで、建設行為が正当に評価されるということが珍しくなくなってきているものの、私はもの心ついたときから、便利な土地に住んできたので、建設行為で生活が改善されるという経験をしたことがありませんでした。

横浜に住んでいたときには、どことどこの高速道路が結ばれて、渋滞が減ったとか、何分短縮されたというもので、生活が劇的に変わったことはありませんでした。唯一驚いたのが、横浜ベイブリッジができる前と後では、横浜市内の渋滞が圧倒的に変わったというのを聞いたことですが、私が横浜に来る数年前の出来事でしたので実感はありません。

親の仕事で全国転勤がありましたが地方都市においても県庁所在地ぐらいの都会には住んでいたので、不便という実感もありませんでした。

その中で、離島架橋というと、住んでいる人にとっては、学校に行く、仕事に行く、という生活がかかっています。そのような状況を知らない、想像もしない、遠く離れた外野の目から見ると、1人あたりのコストがどうかというマクロな視点でしか見ることができないけれども、現地の人にとっては、死活問題なのです。ここでは、公共投資の是非という議論は敢えて避けていますが、感謝される橋を道路を作ることの意義、というのは本質だろうと思います。


同じく山口の出張で戴いたのが最近JRから発行された災害復旧記録でした。2年前の平成25年7月28日に山口・島根で起きた大雨災害により、JRの山口線・山陰線が大きな被害を受け不通になり、13ヶ月という短時間で復旧を成し遂げた記録です。

山口県のひび割れ抑制システムを、JRのその復旧工事でも利用し、データベースを活用した設計の検討であったり、実際にシステムを動かして、そのデータをとったりしたことは、委員会を通じて聞いていましたが、実際に参加したことがなかったので、当事者意識はなかったというのが本音です。製本された報告書を戴きましたが、まずは、その部分だけ読んで技術的なところを吸収しようと思っていました。

全部読むのに2時間ぐらいかかりましたが、読み進めると、私が知らなかったほどに災害は激しく、被害が甚大だったこと、バスによる代行輸送の困難も伴いながら、13ヶ月で橋梁の掛け替えを実施された、ということがわかりました。開通式の文章や、携わった方々の言葉を読むと、自然と感動し、涙が流れてきました。

みんなが主役とはよく言いますが、それぞれが責任を持って行うことで、災害復旧を成し遂げることの素晴らしさ、地元から熱望されていたこと、など、土木の醍醐味でしょう。

便利で当たり前の日本、きっかけは災害という場面が多いのは複雑ですが、土木の大切さをしみじみと感じました。


関連して、1冊の本を思い出しました。
土木に関する本は収集している方ですが、建設の物語というと、明治時代や、高度経済成長期の話が多く、どうしても違う時代だ、という先入観を持って見てしまいます。吉村昭の本などは、特に。田村嘉子さんも明治時代の近代日本を作る突起の話が多いですが、その中でも私が好きなのは、平成の現代に焦点を当てた「余部鉄橋物語」です。現代、地元の方から愛されて熱望された橋、ということで、これまたおすすめです。

2015年6月15日月曜日

繋がる、芽が出る

本日は、構造物管理者である某所にて、情報交換。

私からは、新設構造物の品質確保、表面吸水試験、などについて情報提供し、先方からは現在抱えている耐久性・維持管理上の問題について説明いただきました。

劣化メカニズムがよく分からない案件でしたが、解明のためのいくつかのヒントがぱっと浮かんできました。

それは、もう10年前になりますが、前職の横浜国大で細田先生が始めた構造勉強会に参加して、古典ともいわれる、分野毎の著名な論文を読む会で読んだ論文でした。それは、東工大の長滝先生、大即先生らの一連の腐食の研究に関するものでしたが、現在でも引用されています。

もう1つ、横浜国大で開催された(した)、何回目かの勉強会での大成建設の丸屋さんの講演において、冒頭の話しはじめのとある写真とその説明も、印象に残っており、それがヒントとなりました。

土木学会335委員会の現場調査で、他の委員の方が実施されていた試験手法も、当時手伝ったり身近で見てきたことも、ヒントになりました。

全て私が経験してきたことで、それが、今日の打合せでポツポツと出てきて、繋がってきました。自分で言うのも何ですが、これらの経験が決して無駄にはならず、10年近く経て、引き出しから出てきた、という感触です。その時の経験が、まさに私の血肉になっていたのでした。

謙遜すると、これで終わりではなく、これをきっかけに、どう一歩を踏み出せるかがかかっているわけですが、少なくともスタート地点に立てたことは、良かったと思います。高専に戻り、先ほど、メールであるアクションの提案をしました。


反省点を考えてみます。10年前のことは良かったとしましょう。では10年後の自分への投資は、今できているのか、ということもボディーブローのように効いてきます。上記の10年前からのインプットは、当時の上司であり、同士(と、本人がおっしゃる)でもある細田先生がきっかけになっているものが殆どで、自分からのアクションではありませんでした。

最近の、香川県の現場でのアクションの経験という意味では充実はしているけれども、ここ高専では、論文のインプットが大きく落ちていることは自覚しています。今日のきっかけは、そういうことに自らポジティブな側面で気づかせるものであったと、ポジティブに考えています。

だれも、文献読め、と怒られて読む気になる人はいないでしょう。でも、今日のポジティブな体験を経て、貯金を使ってしまったから、また貯めておこうという気になりました。


きっかけは何でも良い、とにかく、自分が動くこと、動ける方法を模索すること。

山口の原点から

先週は、6/11-12と山口県のコンクリートの品質確保に関する現場視察と会議に参加してきた。前日は東京の土木学会で会議だったので、いつものように移動が慌ただしかった。

フライアッシュコンクリートを実際に使っている某県の方々が、山口県の品質確保の取り組みを3日間視察することに、私は2日目から参加し、議論に加えさせていただいたものである。

フライアッシュの実用化は、発注者、学識経験者、コンサルタント、生コン、など各者がプレイヤーとなって、それぞれができることに取り組んだ成果であった、と思う。それぞれが当事者意識を持つことが如何に大切か、逆に、当事者意識のない個々人や組織がいる段階では何も新しいことは生まれないか、に尽きる。懇親会でも熱い議論をさせていただいた。

今回、フライアッシュの適用という観点、他県での品質確保の取り組み、という点で最新の情報交換をしたかったことに加え、私も来月栃木県で品質確保の講演をするための確認という意味もあった。そういう意味もあって、キーパーソンの二宮さんの発表は、これまでになく行間を漏らさぬように聞くことができた。

前半の現場視察に関しては、目視評価を改めて行ったのであるが、直前に高松で学生と一緒に多数の橋脚の目視評価を開始していたために、これまで気づかなかったことも見えてきた気がし、より能動的に考えることができた。

品質確保に出会ったのが数年前であるが、山口に来るたびに、自身が成長していることに気づかされる。

当事者意識が深まることで、同じものもまた違う側面が見えてくる。

2015年5月31日日曜日

近況

今年度は校務が変更になったので、比較的時間ができるかと思いきや、新しい校務でもそれなりに業務があり、この2ヶ月は師走のようなイベントが目白押しでした。

それと平行して、ある報告書の執筆2件の存在があり、何だかんだ締め切りを大幅に過ぎて、先日出し終えました。関係者にはご迷惑をおかけしましたが、私自身もずっと頭に残っていて、でも時間が作れずに先送りとなっていて、精神衛生上よくありませんでした。本当にきつかったと思います。

結局のところ、いつか時間を作って行わなければならないことなので、原因はその時間を早期に作って実行できなかったことに尽きます。ボタンの掛け違いは、3月の過ごし方だったように思います。今年の3月は出張はあまり入っていなかったものの、新しい授業準備などに時間を費やしたと思いますが、こちらのやるべきことを少しずつでも進めておくべきでした。

2ヶ月たってしまいましたが、こうやって一度リセットできたので、改めてそうならないように対処したいと思います。他にも、重要な報告が遅れていて済みませんが、スケジューリングします。


反省しつつも、頑張ったと思えることも多数あります。

授業は多い方だと思いますが、授業のない時間もそれなりに連続しているので、それをうまく使って必要な出張を多数入れて、こなすことができたのが良かったと思います。

特に、県内の建設現場を使った議論を複数行えたことが、良い経験にもなりましたし、私の自信にもつながりました。赴任して2年来実施しようと計画していたことです。一部は、そこで実施したことに対してポジティブな反応も頂き、実施して良かったと心から思います。これに満足することなく、次につなげていきます。

今、日曜日の夜にこれを書いていますが、週末、遅くとも土曜日の夜にはきちんと前週の振り返りをして、翌週の目標を確認することは実施しないと、成長はありません。苦しさにかまけて、それができていませんでしたが、週末に本当にリフレッシュができ、今書いています。引き続き継続できるよう、頑張ります。


話は変わりますが、先日来何度も訪れている橋梁の上部工の建設現場で働いている建設会社の技術者が、何と私の小中学校の同級生でした。それも、私が親の転勤で長崎県に住んでいたたった3年間のときの同級生です。この出会いも、偶然の産物でしたが、私だからできたのではないかと思っています。多少意味不明になりましたが、時期が来たら、この件の詳細は書きます。

信じたことを信念を持って実行すること、そうすれば、いつか結果はついてくる、と心から思います。

週末、自分には無縁だと思っていた委員会からお呼びがかかりました。以前にある委員会に呼ばれたことがきっかけで今回も事務的に呼ばれているのだとは思い、自分の実力ではないとは思いますが、理由はともかく、そういう機会を逃さず、自分の成長の糧にするしかありません。確実に忙しくなりますが、それも私が30代を脱皮して40代になるための超えるべきものだと思います。時間が限られる中をどうやって全てのことに対してマネジメントできるか、まだまだ脱皮が必要です。

ブログの移動(に近いもの)

表現活動の主体をnoteに移行しました。時間をかけた論考などはnoteに集約するようにします。こちらのブログはアーカイブとして残しますが、過去に力を入れた執筆したものは、再編集してnoteに投稿することもあります。 https://note.com/hayakazuh このブログ...