期末試験の採点と、成績確定のための色々なレポート類の処理に追われている。追われて忙しい時ほど、現実逃避で色々なことを考えてしまう悪い癖が発生。休憩と称して、10分のタイマーを掛けて、この文章を書く。
この冬は、久し振りに、インフルエンザに罹患して、数日間仕事をお休みした。その中で、布団の中でポッドキャストの、「曲解答弁」なる番組を見つけ、聞いていた。
先輩と後輩の2人が、たわいもないことを議論する番組であるが、たまに、ものごとに対する洞察力が深いのが、ツボにはまる。
ある回の、時間に関する間隔の認知で、なぜ楽しいときには時間が早く過ぎて、楽しくないときには遅く感じるのか、ということに対して、そこそこ面白い議論をしていたようであるが、結論が混迷していて不満が残ったので、自分なりに考えてみた。
・待ち遠しいイベントがなかなか来ない(もういくつ寝るとお正月)
・楽しいイベントが始まると、あっという間に時間が過ぎる
という、時間の認知感覚の違いが何故生じるのか。
脳科学での分析はあるのかもしれないが、私なりの思いは、次のようだ。
・人間が時間について考えた量と、時間感覚は比例する。
すなわち、
・楽しいイベントの前は、イベントが早く始まって欲しい、あと何日かな?、早く来ないかな、と、「時間」をテーマにして考える=時間について認識する=時間が遅く感じる。
・楽しいイベントの最中は、そのイベントのことを考えることに精一杯で、今何時間過ぎたのか、残り何時間かは余り考えている暇はない=時間のことに考える量が小さい=時間が早く感じる。
この考えに結びついたのは、高校か大学ときに読んだ「ぞうの時間、ネズミの時間」の本である。動物の寿命は、数日~数十年とばらつきがあるが、皆等しく、心臓が○○回打った回数はほぼ同じである、という説。
そのことと、時間について考えるイベント数(量)が、時間についての認知と等しいという考え方は、似ている(アナロジー)ではないか。
そういう説が既にあれば、どなたか林まで教えていただければ幸いです。
そのポッドキャストの中で、確か、以下の趣旨のことも語られていた(そのポッドキャストかどうか忘れてしまった)。
子供の頃は一年が長く感じたという「年齢による時間に対する感覚の違い」の理解は、その一年で人生の何分の一を過ごしたか、に置き換えるとよくわかる、という趣旨の指摘を読んで、言い得て妙。これも面白い考えだ。ある面同意できる。
10歳の子供は、この1年間で、人生の10分の1を過ごす。インパクトは大きい。50歳の大人は、この1年間で、人生の50分の1を過ごす。割合としては小さい。10歳のときの5分の1である。
この「人生に対する割合」がいったい何を表すかは、よくわからないが、ひとつの評価指標としては、ありうる指標である。
と、10分のタイマーが鳴ったので、とりあえずこれで終える。後ほど加筆するかもしれない。
2018年2月26日月曜日
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