新年明けての書き込みが、葬儀ということは気が引けるが、1日半、仕事を抜けさせていただいたことで、立ち止まって考えるきっかけになったということでご容赦を。
妻の祖母が93歳で亡くなり、昨日が通夜、本日は葬儀と続いた。一昨日の大雪の影響はほとんど見られずに無事滞りなく行われた。
祖母には、結婚前後に私は2度ほど妻と一緒に会いに行ったきりで、あまり接点はなかった。しかし、妻が小さいころからお世話になり、彼女の支えになってきたことはずっと聞いており、大往生とはいえ、家族を失う悲しみは何事にも代えがたい。
私は父方の祖母を亡くして約10年で、親族として火葬までお見送りするのは10年ぶりの経験となる。今回は喪主でもなく、儀式を行うという意味の当事者意識はそれほど高くはなかったものの、一通りの儀式をきちんと行う意味を、この年になって改めて認識した。もちろん、宗派、しきたりなど、個別の意味を理解はしていないが、先祖代々綿々と受け継がれてきたことを、継承していくことの重要さを、ひしひしと感じた。いつかは、自分が当事者となる機会はあるはずで、 そのための経験と言っては失礼かもしれないが、そういうことも感じながら、朝から夜まで続いた儀式を見ていた。
火葬場では、分刻みのスケジュールでシステマティックに執り行われていることは、新鮮な驚きであった。千葉県という都市部では、実際にこのようにしないとマネジメントできないであろう。それにもかかわらず、特に事務的に捌かれるというような不快感もなく、プロとしての風格を感じた。
結果として、横浜を去るのにあと2か月を切ったところで、たまたまこういう機会で親戚全員と会えたことは、何かの縁を感じた。
昨日は夕方以降休み、今日も終日休み、職場には不便をおかけした。いつ抜けてもよいように普段から動いておくことの重要さも、改めて感じる。昨日たまたま、1週間前に職場でお世話になっていた方が急逝されたとの報に接した。個人のご冥福をお祈りするとともに、自分の仕事のしかたについても、改めて考えてしまう。特定の個人に過度に依存しない仕事の仕方、というのは、長く細く考えていくべきテーマである。
2013年1月16日水曜日
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