2012年4月28日土曜日

車両事故のレビュー


 車にまつわる話として、通勤で車を使っている運転者として、最近の痛ましい交通事故を受けて、改めて自身を律するべきと気持ちが引き締まる。
 関連して、大学構内の外周道路について、昨年から公共バスが乗り入れることになったのに伴い、速度規制のための10個のハンプが取り除かれ、走りやすくなった結果、明らかに私も含めて皆の学内自動車運行の速度が増していた。それを受けて昨年度は数度、学内の教職員向けの公文書にて、20km/h制限の通知が出ていたが、ついに4月になり、注意喚起の標識設置や道路へのペイント等がなされた。一運転者として反省すべきことである。
 さて、20122月に新車を購入したという話をしたが、購入の前日に古い車において、自損事故を起こしてしまった。畑村先生の失敗学の知識も得て、失敗について研究室や学内でも語っている手前、きちんと総括しなければならない。

1)事故の概要
 ガソリンのEmptyランプが付いている時に、そろそろガソリンを入れなければと思っている矢先、住宅街にある急な上り坂で一時停止して用事を済ませ、再発進しようとした際に、ガス欠となり、動けなくなった。ガス欠は、たまたま急な角度にいるためであり、何とか平地に戻れば、残っているガソリンで再発進できると信じ、ギアをニュートラルにして重力を使ってバックしている最中、停車中の別の車を避けようとハンドルを切ったが、コントロールが難しく、反対車線にはみ出て、右後部のボディーが反対車線のポールにあたり、動けなくなった。




2)復帰
 自動車任意保険に付属するロードサービスに電話し、念のためにレッカー機能をもった車でガソリンを持ってきてもらい、10リットル給油したところ、自走できて、レッカー不要で自力で復帰した。右後部のボディーを若干擦って凹んだ。
 翌日は新車への入れ替えで、元々廃車予定だったので、実質的は被害はなかった。保険もロードサービスの利用だったことと、保険会社も切り替えが決まっていたので、保険料にも影響なし。

3)考察
 あの時ガソリンを入れていれば、上り坂で停止しなければ、など、「~たら、~れば」と1つでも実施していたら、回避できたと思う。しかし、それを客観的に分析し、相互連関を見る必要がある。
 失敗学で言う、曼荼羅(まんだら、相互連関図)の作成である。相互連関にするには図化するので時間がかかるが、まずは項目をピックアップしたい。

4)その時の行動、その時考えていたこと
2/11にこの車は廃車になることがわかっている。よって、ガソリンはできるだけ空にしたほうが経済的である。
・実際には、金銭的なことよりも、Emptyぎりぎりで廃車を迎える、という一種の遊び感覚を楽しんでいた。
・そんな中、たまたま、数日前にEmptyランプが付いた。だいぶ昔だが、Emptyランプが付いてから、最高で50km走ったことがあり、その50kmをひとつの目安として使っていた。今回30km位になっていた。その時よりも経年により燃費が落ちていることは考慮していない。
・真冬であり、エアコンをつけていた。50km走るのはそもそも難しかったが、その季節の違いに一切気づかなかった。
・さらに話がややこしいのは、このままでは危ないと思って、Emptyになってから1回、10リットルだけ給油していたこと。給油後にEmptyランプが消えれば、再度Emptyランプが付くタイミングでリセットできるのに、消えなかったので、一体どこまで走れるのかが良くわからなくなった。直近の燃費で計算はできるが、不確定要素が増える。
・たまたま前夜から調子が悪かった子供を病院に連れて行ってから、その足で遅刻として幼稚園に送りに行った。
・当初、この幼稚園の往復は考えていなかったので、ガス欠が頭をよぎった。そのため、幼稚園の路地に入る直前の交差点で、妻と、ガス欠が怖いからガソリン入れようかと話をした。しかし、そのためにはいつも曲がる交差点を超えないとガソリンスタンドは無いし、幼稚園も早く行きたかったので、幼稚園の送りが終わってからにしようと判断した。
・幼稚園の、遅刻して入るための通用門は、平地でなく急坂にある。さらに、道路は狭いのでその場でUターンはできない。坂道を登る格好で停車し、妻は娘を送りに行き、私は息子を乗せたままアイドリングで待機した。その間5分。
・妻が戻ってくる間に、車を回して、Uターンをしていれば回避できただろうが、何も考えず、その向きのまま、待っていた。
・ガス欠をした段階で、無駄なあがきをせず、そのままロードサービスを呼ぶという選択肢があったが、下手な考えで、ニュートラルギアにして坂道を下り、平地に戻れば、タンク内の残ったガソリンで自己復帰できると考えついた。
・その坂道は、車がほとんど通らないローカル道だったので、バックで動くのは可能と判断した。もし、車の通りが激しかったら、そのまま待ったかもしれない。
・ちょうど止まった場所が、さらに狭いところだったので、トラックなどの大型車が来たらあまり良くないと思い当初は数メートルバックして完全停車しようとした。そこで車を動かせたことが、後のバック運転の自信につながった。
・初めはハンドルを殆ど切らなくて良かったので気づいていなかったが、途中でカーブに入る。ハンドルの軽さ(パワーステアリング)は、電源が切れているので、アシストがなく、ハンドルを回すのが、よいしょっと、非常に重たいので、運転感覚が全然違うことに、動き出して気付く。初めからわかっていたら、やめたかもしれない。
・後から考えると、先に行きすぎてUターンし、下を向いた方向で停止していれば、仮にガス欠で止まっても、前を向いているので車のコントロールは優しかっただろう。
・バック運転をした一番のモチベーションは時間に追われていたこと。妻と息子が乗っていて待たせるよりも復帰したかったこと。現在10:20頃で、11:00からM1学生との研究打ち合わせを設定していたこと。この場所から大学まで通常は25分くらいかかり、途中で、家族を家に送り、ガソリンも入れなければならないのでそもそもギリギリだった。
・坂道を下り、バック運転があと少しの時に、郵便局の車が左に停車中だった。そこで諦めて止まらずに、追い越そうと、ハンドルを切り反対車線(もともと中央線は無い)に入ったが、郵便局の車をバックで追い越す難しさの焦り、反対車線にはみ出ている焦りが出た。
・その付近は、ちょうど右側にフェンスは無く、崖のようになっており、ポールがあったが焦りのため、見えていなかった。

 上記にて、頭の中にもやもやしていたものを書きだすと、とりあえず17個になった。ここには、(1)そもそものガス欠が起きたことの遠因・直接原因に当たるもの、(2)ガス欠が起きた際に、より危険な行為に進んでしまったこと、の2種類に分類できそうだ。

 (1)については、1つでも行為を行わなかったら、そもそもガス欠は生じなかった。別にそれを悔やんでいるわけではないが、正確に分析し、その時に私が何を考えて、それを突き進んだのか、というところが、一番の本質である。別に何も後悔していない。

 長くなったので、ここで止める。これの整理は次回。

2012年4月26日木曜日

偶然か必然か

ちょっと前の話だが、今年度の研究室新人歓迎焼肉パーティが終わって、体調が優れず、研究室に戻って机でうたた寝してしまい、起きると終バスが過ぎていた。フラフラしながら、相鉄線上星川駅まで歩いた。

相鉄では、月刊の読み物小冊子「相鉄瓦版」を配布しているのだが、手に取ると、魅力的な記事に出会った。

紙芝居ボランティア 渡辺利雄さん、のお話である。以下のリンクは、その記事のオンライン版であるが、PC環境であれば、読めるだろうか。
http://www.sotetsu-group.co.jp/kawaraban/book/203/#14

良くわからないけど、素晴らしい。是非このおじさんの紙芝居を聞きたくなった。幸い、私が学生時代も訪れたり、子供を何度か連れていった公園であり、月1回定期公演しているので、それに合わせていこうと決めた。

先ほど、おじさんのブログを拝見したら、スケジュールが公開されている。5月はダメだったので、6月について手帳に記入した。
http://blog.livedoor.jp/wtosyokun/

この紙芝居が、私や私の子供たちにとって、面白いのかどうかわからないけど、彼の生き方、考え方にビビッと来たのは、何か共鳴するものがあるからだろう。


通勤で相鉄を使っているわけでないのだが、たまに乗って、相鉄瓦版を読むと、いつもビビッとくる記事に出会う。これに限らず、普段と違うことをすると、今日は何かあるかな、というひらめきと共に、そういうエピソードに出会うことが多いように最近感じている。それは偶然ではなく、様々なことへの感受性が高くなったことで、若いころには見過ごしていたことをキャッチできる能力ではないだろうか。

オランダ出張の総括


もうすぐ帰国1週間になるが、5泊7日のオランダ出張が終わった。

6年ぶりのヨーロッパ。手を上げなければ実現しない出張であったが、手を挙げてよかったというのが率直な感想だ。国際会議出席でなく、RILEMというヨーロッパの建設材料に関する学術委員会の、コンクリートの品質評価に関する技術委員会で実施される共通試験の実施に参画するというものだった。簡単に言えば、現地に乗り込んで実験をする、というのがミッションだった。参加の機会を与えて頂いた関係の先生方に感謝するとともに、研究室でも1週間不在中にサポートしていただき本当に感謝している。

国内の現場調査・現地測定は2ケタ以上の数をこなしてきたが、荷物を厳選しての海外での測定は初めてだった。検討の結果、重い部品「真空ポンプユニット(9kg)」だけ送ることにし、それ以外はスーツケースに、先行して行く博士課程の小松君と分担することになった。

今回の出張の一番大きなトラブルは、送った荷物が現地に届かなかったこと。送付を担当した小松君は責任を感じていたようだが、手段としてEMSを選択したのは私だし、すべての責任は私にある。現地での対応は彼にお願いし、最善策を探った。用具が無かったのでできませんでした、では、何のためにお金をかけて行ったのかわからない。どんな手段を使ってでも、計測してこなければならない。

幸い、行方不明のポンプ本体については、他の参加者のポンプに接続させてもらえれば、操作性は格段に劣るものの原理的に動くので、あとはそのコネクタが合うかどうかのチェックと、ポンプ以外にも付属品を同封していたもので致命的になるものがないかということ、であった。

正直、荷物を送ることには強い不安があった。現場調査では、私はいろいろな不具合は想定して安全余裕度を設けているが、その部分だけ、余裕度がゼロというのは怖かった。他は、全ての種類の部品が壊れてもリカバリーできるように、替えの部品は持っていたのに、ポンプは届かなかったらアウト。私なりの想定への対処としては、EMSのウェブ配達状況チェックにて、私の出国までにホテルへのポンプの配達が完了していない場合には何らかの代替手段を講じるということであった。私の出国前日になって、先に現地入りして、RILEMの会議へ参加した小松君から報告があり、今回の測定で用意された試験体は予想を超える数であったとの連絡を受けた。当初準備していた1セットの測定では間に合わない恐れがあることから、急きょ、荷物を増やすことになった。

その際、単に不足した1セット分追加で用意するだけでなく、その時点でEMSでポンプ一式の到着確認できていないことから、送付した装備一式が無いという仮定の下で、現地でポンプの機能さえ借りられれば最低1セットできるように道具を準備した。

そうこうして、予定よりも3時間遅れて帰宅し、それから深夜までパッキングし、翌早朝、重い荷物を抱えながら成田空港、12時間のフライト、アムステルダムへ到着と宿泊、翌朝電車で2時間揺られて、会場である、オランダのフェンローというドイツ国境付近の街にたどり着いた。そこで、小松君からホテルに荷物が届いていないとの衝撃の電話を受けたのだった。

もちろん焦ったが、半分は、用意した1セットで、他からポンプを借りることさえできれば何とかなりそうだとの確信もあったので、最善を尽くそうとの決意に変わる。2日前の出国の際に準備した道具が本当にそろっているのかを確認するまでが不安だった。何しろ、試験器具を抱えて慌てて帰宅したら、何と自分の大学のカメラを持ち帰り忘れてしまい、たまたま自宅のデジカメも行方不明で、成田空港でデジカメを1台買う羽目になったのだから。忘れ物はこれ以上許されない。

3日間の測定では、集まった世界(ヨーロッパが多いが、アルゼンチンも)からの研究者と共にコンクリートと対話することが刺激的だった。皆、自信を持って話しかけてくる。ひるんではいられないが、やはり言語のハンディが。ディスカッションは既に事前に日頃の委員会で終わっているのか、現地ではいきなり測定だったので、他者が何をやっているのか当初は良くわからなかったが、空き時間に対話しながら把握。でも途中から、1セットの装備で計測を行うのはハードで、1回の測定のインターバルを改善しながら縮めていき、制限時間内に終わらせるのは、心理的にも体力的にもハードであった。慌てて初回測定の際に私の不手際で試験装置を落下させて、いきなり部品を1個壊すトラブルもあったが無事回避。さらに、寒い。気温は10度ぐらい。そして、にわか雨が降ったり、急に晴れたり、最終日は特に強風が吹き荒れて、コンディションもシビアだった。

色々あって、3日間の測定を終えた。翌日からの大堤防のツアーや、アムステルダムの見学は、次回の記事として、総括を。

・非破壊試験を議論している世界のまさに最前線の技術者と触れあうことで、ある方面では私も世界の最先端を行っていることを認識し、研究へのモチベーションは確実にアップしたこと。
・海外に行くことへの不安、コンプレックスは、ゼロにはなっていないが、格段に敷居が下がったこと。体験してみることの大切さ。
・英語へのモチベーションも、改めて。こうやって追い込まないと。
・今回、装置のコンパクトさも大事な要素と認識。これまでは、冗長性、誰がやっても壊さないシンプルさ、堅牢性を重視して、9kgになっていたが、私の直感では、もっと小型化、軽量化できる。このモチベーションは、薄々感じていたが、日本で測定をする限り不具合は生じていなかった。研究予算との兼ね合いだが、改良の方向性も見えた。

ちなみに、愛しいポンプ君は、まだオランダを旅している。

2012年4月24日火曜日

帰国

無事帰国しています。前の投稿のフォローとして書いておきます。

内容の報告は、後日。←これが悪い癖なのだが、今晩やってみよう。

2012年4月12日木曜日

オランダへ

また途絶えていましたが、近況です。

3月は高知・鳥取方面へ出張し、沢山の素晴らしい方々に出会い、またまた勇気を戴きました。本当はそのようなこともブログに記載し、さらに自分の糧になるように再整理すべきでしたが、悪い癖でいろいろとそのままになってしまいました。その後も、若手技術者で東北に行ったことも同じです。

2月末から3月末にかけて頭を悩ませてきた、追加開発中の表面吸水試験装置の自動化については、計測装置との組み合わせの関係から、LabViewというプログラミング言語をゼロから学ぶことを選択し、何とか形ができたのが最近です。1ヶ月あれば開発できるだろうと予測して見込み発車したのですが、いきなり壁にぶつかり冷や汗ものでしたが、完成が見えて肩の荷が下りました。単に言語が変わっただけなので内容に難しさは無いですが、作法のちょっとした違いなど、てこずりましたが、サポートセンターへ質問を投げ、それを1・2日で回答いただき、というのを繰り返して、到達しました。このやり方は、論文の執筆にも似ていますね。

そうこうしているうちに、4月に入って新メンバーも迎えました。今年は、4年生の顔合わせの時から、スタッフの気合も異なり、早いスタートを切ることになりそうです。関連して、修士や博士の学生もそれぞれが持てる力を出して、研究室をより良くするように動いてくれているようです。先日の歓迎会でも、M1は工夫を凝らして頑張ってくれました。近くにいた一部の学生にしか感謝の言葉を言えませんでしたが、たかが焼肉でも涙が出てきました。M2も、つい先日までほやほやの4年生のように思っていた(ごめんなさい)のですが、就職活動にもまれて、あまり会わなかったこの1ヶ月のうちに、立派に成長して、言葉に力を感じました。経験もそうだし、最上学年になった立場もそうさせるのでしょうか。これも涙がぽろりと。あと1年楽しみです。

M1にとっては(良い意味で、と信じたい)非常に大きな負荷である学生実験のティーチングアシスタントも始まります。それぞれの担当で、必死に頑張ってくれているのが、目の色からわかります。

で、私は明後日からオランダに行きます。細田先生が開発をスタートし、私と細田先生で改良に取り組み、現行の形式はほぼ私のオリジナルとなった自動計測付き表面吸水試験。しかるべきところに特許は出せました。これを使って、ヨーロッパの委員会で世界のコンクリート非破壊試験を行っている研究者との共通試験で披露してきます。計測ソフトのチューニングをどうするかなど細かいことは残っていますし、測定だけでなく成果のプレゼンも頑張らないといけないので、どうなるかわかりませんが、ベストを尽くさないと今までやってきたことがもったいないです。出国までに残っている仕事が終わりそうにないのですが、きちんと仕分けをして、今しかできないことに注力しなければ。

オランダの宿泊手配や、それ以外(1日半だけ空きがある)の見学について妻には頼りっきりでした。妻は、オランダについていろいろ調べまくって私よりも詳しくなり、もう旅行した気分になったと言っています。津波に関連して、オランダの大堤防はぜひ見たかったのですが、遠いのでレンタカーがないと無理だなぁと諦めていましたが、妻が見つけてくれたバスツアーを予約でき、その見学も達成できそうです。他にもそのパンフレットには、治水云々と土木っぽい記述もあり、楽しみにしています。風車はのどかな田園風景だけでなく、治水のための縁の下の力持ちですから。

いつも通りバタバタですが、何とかうまくいくようにやります。



ブログの移動(に近いもの)

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